口先の恋
私は蓮華と申します。口裂け女です。現在お料理中です。
もちろんこの料理というのは一般的に言うところの料理です。食材は人間とかじゃありません。普通の食材で肉じゃがを作ってます。
「あ、やばいみりんが足りない。」
さあ味を付けようというところに来てようやく私は重大なことに気付いてしまいました。
どうして作る前に気が付かなかったんでしょうか。我ながら迂闊にもほどがあります。
「こういう時はこれよね…。」
私はポケットから最近になってようやく手に入れたスマートフォンを取り出してブラウザを起動します。「肉じゃが みりん 代用」と打ち込んで打開策を模索。
「えーと…酒と砂糖で代用か、なるほど…え?何これ。コーラ?そんなものでも代用できるの?」
今冷蔵庫にコーラはあります。が、料理初心者の私にはそんな冒険をする勇気はないので無難に酒と砂糖で頑張ります。
私が今住んでるのは賃貸アパートの一室。そこにある人と二人で住んでいます。その人というのは私を匿ってくれている人で三か月程前に出会いました。
世間の口裂け女への厳しい風当たりのせいで路頭に迷っていたところを私は彼に助けてもらいました。まあ、厳しいと言っても十年前ほどではありませんが。あの頃は口裂け女が一世を風靡してましたからね。悪い意味で。
何にせよ彼には感謝しています。
「ただいま。」
「え、あれ?もうこんな時間?」
彼が帰ってきました。時刻は6時半を少し過ぎた頃。いつもより早いお帰りです。
開いた扉から秋口の空気が入り込んできて私は少し肌寒さを感じます。最近まで暑い暑いと思っていたのに急に冷えてしまいました。
「今日は仕事が早く…終わったから。」
そう言って彼は私と目を合わせることもなくそそくさと靴を脱いで部屋の中に入ります。
「あ、あの夕飯は…。」
「ああ、先に風呂に入るから。もしあれなら先に食べてて。」
「あ、うん。」
よそよそしい。
実は彼はここ数日ずっとこんな感じです。
彼は自分の部屋に鞄を置くとこれまたそそくさと脱衣場へと向かいます。私と一度も目を合わせることもなく。
とうに玄関の扉は閉まっているのに私の肌の上には未だに肌寒さが居座っています。
「三か月か…。」
私と彼が出会ってから経過した期間に思いを馳せていると私は重大なことに気付いてしまいました。
「私って、彼にとって何でも…ない。」
私は彼と同居しているにも拘らず彼の妻でも恋人でもない。下手をすれば友達ですらないのかもしれません。迷惑な居候くらいにしか思われていないことだって十分に考えられます。
「いや、彼の様子がちょっといつもと違うくらいで私は何を考えてるのよ…。もし万が一彼が本当にそう思ってたとしても、それは仕方のないことじゃない。」
彼が三か月前に私を助けてくれた時、きっとその助けたいという気持ちは嘘偽りのない本心によるものだったのでしょう。そのことに疑問を挟むつもりはありません。しかし、その気持ちが今この瞬間まで持続している保証もなければ、彼にはその義務なんてないのです。
一時の気持ちにいつまでも責任を持ち続けろ。というのはあまりに理不尽な要求ですから。
不意に背後で起こった「ガチャッ」という音に私は思わず身を強張らせてしまいます。振り返るとすぐに音の正体が判明しました。
お風呂から上がってきた彼が脱衣場から出てきたのです。
「あ、ごめん待ってくれてたんだね。お待たせ。」
「ううん。…もしかして何かあった?」
こんな聞き方をして「何か」を打ち明けてくれる人なんて中々いないということは承知の上です。それでも私は聞かずにはいられませんでした。何とかして彼との会話を、唯一実感を伴ってすがりつくことのできる彼との繋がりを終わらせたくなかったのです。
「え?何で?別に何も、ないけど。」
「でも、いつもと様子が…気のせいかな?気のせい、だよね。…あ、でも!もし体調が悪いとかなら言ってね。栄養のあるもの作るから。私にできることなんてそのくらいだし…。」
「君こそどうしたんだよ。いつもはそんなこと言わないのに。」
「私、もっと早く気付くべきだったなと思って。…料理を作るくらいのことしか、誰でもできるようなことしかしてないのにあなたの役に立ってるみたいな顔して」
迷惑だったよね?
一度は取り繕ったはずなのに気が付いたら感情が言葉と一緒に溢れていました。
そして言ってから気が付いた。すごく卑怯で意地悪な言い方をしてたということに。でも、口から出た言葉はもう戻りません。
「ごめんなさい。…私もう出ていくね。」
「ちょっと待って!」
彼に背を向けようとする私の右手に力が伝わります。私はその力に導かれて強引に振り向かせられるものの振り向いた先に彼はいませんでした。
しかし直後、
「すいませんでしたぁ!!!」
足元から聞こえてくる大きな声、彼のものです。
「え?…ええ!?ちょっと、何してるの!?」
視線を落としてみれば彼はちゃんとそこにいて、床に額をこすりつけ土下座をしていました。
「俺が慣れないことしたせいでかえって蓮華さんを不安にさせてしまって。本当にごめん!」
「え、いや、慣れないことって?何のこと?」
「いや、なんか友達に聞いたらサプライズの方が喜んでもらえるとかで一週間前から着々と準備してたんだけど、基本的に蓮華さんってずっと家にいるだろ?だからばれてないかすごく不安で、まともに目も合わせられなくて、でも今さっき蓮華さんがそんな俺の態度を悪い風に解釈してたって気付いて、だから…ごめんなさい。」
サプライズ。一週間。
なるほど、私と目も合わせずにそそくさと鞄を置きに行ったり、お風呂に入ったと思ったらすぐに上がってきたり、そういうことだったんですね。
でも、一体何のサプライズなんでしょう?私の誕生日なんてまだまだですし、何かお祝い事みたいなものにも心当たりはないし…。
「あの、とりあえず渡したいものがあるから取ってきていいかな?」
「え、あ、うん。どうぞ。」
彼は自分の鞄のもとへと走っていき、走って私のもとへ戻ってきます。その手には紙の包みが握られてました。
「これ、本当は明後日渡そうと思ってたんだけど。」
「明後日って何かあったっけ?」
「何かってほどのものじゃないかもしれないけど、明後日でちょうど三か月なんだよ。君と出会ってから。」
「あ、そうなんだ。」
私はアバウトにしか考えてませんでしたが、彼は意外にきっちりとカウントしてたみたいです。
「それで、これなら君が喜んでくれると思って。」
そう言って彼は手に持っていた包みを私に手渡しました。
彼は何も言いませんでしたが、彼の眼は「開けてくれ」と必死に訴えていました。
「それじゃあ、開けるね。」
紙の包みから出てきたのは立方体に近い形状のプラスチックの箱でした。これが渡したかったもの、なわけないですよね。どう考えてもこの中に収められている物こそが彼が私に渡したかったものです。
私は思い切って一挙に箱の蓋を開きました。
「すごい、奇麗…。」
果たして中に入っていたのはネックレスでした。銀色の鎖に銀色の台座、その台座に赤い小さな宝石がこじんまりと嵌まり込んでいました。
「気に入ってもらえたらいいなと思って選びました。」
「うん。すごく気に入った。でも何で敬語なの?」
「え?うん?えっといや」
「もしかして私が怒ってると思ってる?」
「…うん。」
「まあ、確かに怒ってるかな。私に隠し事してたことに対してじゃなくて、隠し方が下手なことに対して。」
「え?そっち?」
彼は拍子抜けしたような顔でそう言いました。まったく人の気も知らないで。私がどれだけ不安に思ったことか。
「これから先私に隠し事をするときはちゃんと最後まで私にバレないようにすること。そうするって約束してくれるなら今回のことは許してあげる。」
我ながら何様のつもりなんでしょうか。「許してあげる」だなんて。今回の件は完全に私の一人合点と言うか早合点というかが原因だったのに。
「いや、もう君に隠し事はしないよ。今回のことで自分には隠し事が向いてないって分かったからね。」
「向いてないどころの騒ぎじゃないと思うけど。でもいいの?それだと絶対浮気とかできなくなっちゃいそうだけど。」
「何言ってるんだ。浮気なんてするわけないだろ。」
「そうね。私達そもそも付き合ってすらないもんね。」
「あ。」
彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしています。もしかしたら彼の中では私はもう恋人だったんでしょうか?だとしたらまたしても意地悪なことを言ってしまったかもしれません。
彼は数秒躊躇するような素振りを見せたものの、息を大きく吸って思い切ったように口を開きました。
「あ、あの蓮華さんお願いがあるんだけど、もしよかったら俺とつ」
「その前に、これ付けてもらっていい?」
しかし私はそんな彼の言葉を遮って両手に持っていたネックレスを彼に差し出します。
大事なことを言おうとしていただろうに、彼は「あ、はい。」と答えてネックレスを受け取ってくれました。それを確認して私は彼に背を向けてつけやすいように後ろ髪をかき上げます。
ネックレスが首に通されたとき、予想外の金属の冷たさに私は少し驚きましたが、その冷たさのお蔭か彼の手がより一層温かく感じられました。体温がいつもより高く感じたのはお風呂上りなせいでしょうか。
「はい。ついたよ。」
「ありがとう。」
部屋の中に鏡があったらすぐにでも自分の今の姿を確認していたのですが、生憎ここは台所。一番近い鏡は風呂場の鏡です。
だから私は自分で確認するのを断念して彼に尋ねることにしました。
「似合ってる?」
「うん。すごく似合ってるよ。」
彼からの答えを聞いて気が付きましたが私はまた意地悪な質問をしていたようでした。あんな聞き方されたら普通「似合ってる」としか答えられなくなっちゃうでしょうに。
では意地悪ついでにもう一つ、聞いておきましょうか。
「私、キレイ?」
恋愛ものを書くのは初めてですがなんとか短編に収めることができました。
何で主人公を口裂け女にしたのか、今となっては作者自身にも謎ですが、きっと最後の台詞と恋愛を絡めたかったからだと思います。
まともな人間同士の恋愛を描けるようになるまではもう少し時間がかかりそうです。文章力を磨いて詩的な表現に自信が付いたら挑戦してみようと思います。