第8話 対竜戦士
あれからゴブリンの処理を終えてドーナ達が再び罠を張って回っている頃、小さな町パルゥムのギルドでは大人数の冒険者達が押しかけていた。
それもそのはず、クエストを受注しに来た冒険者達は大規模クエストしか張り出していない事を知って受付カウンターに文句を言いにくる。
冒険者からしたら仕事がない事に加えて、張り出されているクエストは報酬が無いときたもんだ。
これではいそうですかとクエストを受ける人なんてそう簡単にはいないだろう。
そして、そんな不満を漏らす冒険者達をカウンター越しになだめながらも、大規模クエストの参加を促しているのは透き通るような金髪の美少女、オリヴィエだった。
「おい、どうゆう事だ、俺たちは冒険者だぞ! クエストがなきゃお金が稼げない。つまりお前らギルドは俺達に無職になれと言ってるのか!?」
ガッチリとした体躯の冒険者が激しくカウンターに拳を打ち付けてがなり声を上げる。
オリヴィエはというと今日一日でその光景には慣れたらしく、浅い息を吐いてジト目をつくる。
「いえ、明日からは通常のクエストも張り出すので大丈夫ですよ。それに仕事ならあります…………まぁ報酬は無いですけど。今やってるゴブリンの大規模クエストなんてどうでしょうか?」
「やるかそんなもんッ! なんで報酬も出ないのにそんな事をやらなきゃならねぇんだよ!」
声を上げる冒険者に続いて他の冒険者達もぞろぞろと同意の声を上げる。
そんな光景を前にオリヴィエは思わず頭を抱えて唸った。
まったく、今日一日で同じ事を何回言えばいいのだろうか。
恐らく普通の神経の人なら頭がおかしくなるレベルですらある。
オリヴィエは騒ぎ立てる冒険者を尻目に懐中時計へと視線を送った。
今日は時間が来てギルドを開くや否やずっとこんな感じだ。
大規模クエストに協力的な冒険者なんてそれこそほんの一握りに過ぎない。
こんな調子では大規模クエストなんて成立しないんじゃないか?
当然の事、冒険者が集まらなければそれこそ大勢のゴブリン相手に数人で行かせる訳にはいかない。
このクエストは事実上不可能となってしまう訳だ。
おまけに騎士団がこのクエストに関わる気がないという事を視野に入れて考えると、相当に追い詰められていると言っても過言ではないだろう。
本当にゴブリンが大群でこの町に押し寄せて来たなら確実に何十人、何百人の死傷者がでる。
だとしたらクエストが実行できなかった場合はパルゥムに住む住人達に他の街への逃亡を促すしかない。
「おい聞いてんのかギルドの姉ちゃんよぉ! お前らは俺達の稼ぎのお陰で金貰ってんだろ? だったらもう少しこっちの事情も考えろよ!」
再び怒鳴り声を上げる冒険者。
こんな状況だというのに本当に何を言っているのだろうか。
その声を聞いたオリヴィエは沸々と腹の底から怒りが湧いてくるのを実感する。
やがて、わめき散らす冒険者に対して怒りが頂点を超えたオリヴィエは立ち上がって掴みかかろうとした。
しかし、それはその光景を後ろから見ていたアルフェールによって止められた。
オリヴィエは一瞬感情的になった事に対して咎められると思い込んで身構えるが、どうやらそれは勘違いだったようだ。
アルフェールはその美しい相貌に笑みを貼り付けたまま冒険者を見つめる。
けれど、その笑顔には言いようのない寒気を感じさせるような感情が含められていた。
まさに笑顔だが目は笑っていないと体現したらしっくりくるだろう。
そんな顔で見つめられた冒険者は多少たじろぐが、他の冒険者の手前プライドが邪魔したのか、視線を鋭くする。
「な、なんだお前! 責任者か!?」
「そうですね。ギルドマスターがいないこの場において私が一番の責任者です。それで先程から大きい声を上げているようでしたが、どうなされたんですか?」
「クエストが一つしか張り出されてないから怒ってんだよ! それに加えて報酬が無いとか冒険者をバカにしてんのか!」
「私達は決してバカにだなんてしていませんよ。けれど文句があるのならこのままお帰り下さい、他の冒険者の方の迷惑になります」
「他の冒険者共も同じ事を思ってんだよッ!そんな事も分からねえのかテメエは!」
「あ、そうなんですね。申し訳ありません」
「この女はッ!!」
尚も笑顔のままなアルフェールに対して冒険者は更に怒りを覚えたのか、勢い良く掴みかかる。
「ちょっと!? 貴方いい加減にしなさいッ!」
流石にやり過ぎだとアワアワしながら見ていたオリヴィエが止めに入るが、アルフェールはそれを手で制止させる。
すると、アルフェールは笑顔を崩さずに掴みかかる冒険者の腕をいとも簡単に捻りあげると、いつもより少しだけ声色を低くして口を開く。
「他の冒険者さんもこの人と同じ意見だとおっしゃいましたよね? それなら貴方達は今このギルドに居る必要はない筈です、ギャーギャーとわめき散らしたいなら後にして下さい。あいにく私達は貴方達が暮らすこの町を守る為に忙しいので」
「ギルドスタッフ風情が、調子にのるなッ!」
逆上した冒険者はアルフェールに捻りあげられた腕とは反対の手で腰のナイフを抜き取って彼女に向けた。
周りにいた冒険者達もやたらと騒ぎ始め、中には「やっちまえ!」などと野次を飛ばす輩も現れる。
しかし、アルフェールはそんな状況だというのに慌てる様子も怯む様子もなくただ笑顔を作る。
一方ナイフを向けた冒険者は武器を出したというのに物怖じすらしない彼女に戸惑いの色を浮かべた。
けれど彼もここまでしたのなら引込みなどつくわけがない。
迷った挙句に彼は頰にかすり傷をつけて牽制をすれば彼女が焦燥をすると踏み、すこし大げさにナイフを振り上げた。
それを後方から見ていたオリヴィエは次の瞬間に起こるであろう惨劇にたまらず目を伏せた。
だが、ギルドの建物内に響いたのはナイフを振り上げた冒険者の悲鳴だった。
それもそのはず、七十キロは超えるであろう巨体は宙に浮き、カウンターのはるか後方の出口の辺りまで吹き飛ばされていた。
「ガッ!? な………なにが」
あまりの痛みに悶える冒険者は揺らぐ視界の中で顔を上げると、そこにはやたらと大きい両刃剣を装備した重装備の凛々しい男が眉間に深いシワを寄せて立っていた。
「おい、貴様誰に武器向けてるんだ、殺されたいのか?」
「………えっ、いや、あの受付嬢が生意気な事言うから」
「生意気を言ってるのは貴様だろ。今ギルドは貴様らが住むこの町を助けようとして動いてるのだろう。文句を言いたいなら俺の所に来い、相手をしてやる」
ドスの効いた声に加えて相手を恐怖させるオーラを放つ男の言葉に冒険者は「ひっ!?」と声を上げると、捨て台詞すらも言う事なく外まで逃げ出した。
それを満足気に確認した男は、残った冒険者にギロリと睨みを効かせる。
「大規模クエストを受ける気がないのなら貴様らもさっさと帰れ。邪魔だ」
男が放つその一言で先程まで騒いでいた冒険者達は静かになり、ある者はギルドから出て行き、またある者は酒場の方に歩いていく。
そして、それでもその場に残ったクエストを受ける気のある冒険者達はその男に歓声を送る。
「おぉ!? アンタ本当にカッコいいな!」
「まさに男の中の男だ!」
「正直憧れるぜ、これから兄貴って呼んでもいいですか!?」
などなど。
その一部始終を見ていたオリヴィエは一瞬で最悪の状況を打開してくれたその男を頰を上気させて見つめていた。
そんな彼女の視線にも気が付かずに男は湧き上がる歓声を無視してカウンターまで歩いてくる。
オリヴィエは自らの鼓動が高鳴るのを感じながらアルフェールの袖を掴んだ。
「あ、アルフェールさん、あの人こっち来ますよ!? 誰なんでしょうね、あの素敵な男性の方は!」
「え、えと、クライトさん? あの人はその………」
思わず気分が高揚するオリヴィエにアルフェールは苦笑いを浮かべながら言い淀む。
オリヴィエはそんな微妙な反応をする先輩の顔を見て首を傾げた。
だが、その理由は次の瞬間に聞こえて来た気色の悪い声によって理解する事になる。
「やん、アルフィちゃん大丈夫だった!? もう悪者は私が退治したから大丈夫よ………ってオリヴィちゃん? どうして驚いた顔して固まってるの?」
「な、な、なッ!? もしかしてアーレスさん!?」
「そ、そうだけど?」
オリヴィエは下手をすれば先程吹き飛ばされた冒険者の悲鳴よりも大きな声をギルド内に轟かせる。
そう、彼女が一瞬にして心を奪われた相手はオカマだった。
衝撃的な事実を知ったオリヴィエは一瞬にして散った儚い恋心に心を病み、涙目になりながら床に体育座りをする。
「こんなのって、こんな事ってあるの………ひぐっ、ぐす」
遂には独り言を言いながら泣き出してしまう彼女にアルフェールは乾いた笑いを浮かべた。
「アーレスさんのこの姿を見るのが初めてなら誰か分からなくても仕方ないかもしれないですね」
「あぁ! そういえばオリヴィちゃんに私のスッピン姿を見せるのは初めてだったわね! あらやだ、そう考えたらなんか恥ずかしいわ。せめていつも通りカツラは被ってくるんだったわね」
クネクネと身体を動かして頰を染めるアーレスにオリヴィエは怒りの視線を向けると、立ち上がって声を上げた。
「やめて下さい、これ以上私の心の傷を広げないでぇーッ!! うわぁぁぁん! 少し休憩してきます!」
「ちょっとオリヴィちゃん!?」
「はーい、いってらっしゃい」
号泣しながら走り去っていくオリヴィエに何が何だか分からずに驚愕するアーレス。
そしてアルフェールは苦笑いを浮かべながら彼女の心を案じて手を振った。
冒険者達も含めて沈黙が続く中でアーレスは呆気にとられながらアルフェールに問う。
「ねぇ、どういうことかしらアレ」
「あー、えっと、つまりクライトさんは乙女をしているという事です」
「乙女、羨ましいわぁ………」
両手を前で組んで惚けた顔をするアーレスにアルフェールは盛大なため息をついた。
そんなどうしようもない会話が繰り広げられる中で、先程とは全く別人のようなアーレスを見た冒険者達の士気は着々と下がっていく。
このままではせっかく残ってくれた冒険者までも居なくなってしまうと心配したアルフェールは、未だ惚けた顔をしながら天井を見つめるアーレスの肩をポンポンと叩いて耳打ちをする。
「アーレスさん、少し悪いんですけど今はその乙女の心を隠しておいてくれますか?」
「何を言ってるのアルフィちゃん。私は正真正銘の乙女よ?」
「えぇっと、今ここにいる冒険者達は先程のアーレスさんの姿を見て奮い立った人達なので。その、乙女のアーレスさんを晒してしまうとみんな帰ってしまいますから………ね?」
「男達が………私を相手に奮い立つ………」
アルフェールが諭すように説得を試みると、アーレスはワナワナを肩を震わせてぶつくさと呟き始める。
「ちょっと、アーレスさん?」
彼の尋常じゃない様子にアルフェールは冷や汗を流しながら問いかけるも返答は帰ってこない。
やがて、どこか困ったような顔をするアルフェールを傍目アーレスは唐突に立ち上がると、真剣な顔で彼女を見やる。
「私は決して浮気をしているわけじゃないわよ? ドーナちゃん一筋だけど……男達が私を求めるなら仕方がないわ」
「…………はい?」
息を荒くしながらそんな事を言い出す彼にアルフェールは困り笑顔を向けながら小首を傾げる。
しかし、彼はアルフェールの反応を気にする事もなく凛々しい表情に戻ると、騒めき始める冒険者達に向き直って低い声を張り上げた。
「ここに残った奴らは全員大規模クエストに参加する奴でいいのだな?」
唐突に威圧的な声を上げるアーレスに冒険者達は呆気にとられて戸惑うと、
「まぁ、そうだけど」
「ってかさっき兄貴クネクネした気持ち悪い動きしてなかったか?」
「もしかしてあんたゲイなのか!? それなら俺も同じなんだ!」
などと様々な声を上げる。
それを腕を組みながらしばらく無言で聞いていたアーレスはまとまりがない彼ら冒険者達に心の芯まで響くような大声を上げる。
「声が小さいぞッ! 俺は今お前らが大規模クエストに参加するのかどうかを聞いているッ!」
その問いに冒険者達はそれぞれに参加の意を示す。
そんな状況を側から見ているアルフェールはというと、何がアーレスをやる気にさせたのかが分からずにただ大人しく押し黙っていた。
ややあって冒険者達の答えに満足がいったらしいアーレスが大仰に頷き、その強面な顔を歪めた。
「貴様達は冒険者だ、命を懸けて戦える強さを持った者達だ。そんな実力を持ちながらゴブリン風情にこの町を好き勝手にさせるのを良しとするか………否ッ! 戦え、勝ち取れ、自分たちの居場所を! この対竜戦士、アルシウス・ノルヴァルクと共に戦って勝鬨を上げるのだ!!」
アーレスが士気を高める為に自己理論と自らの本名を名乗ると、途端に冒険者達が騒めき出す。
それと同時にそれを聞いて居たアルフェールまでも驚きに瞳を見開いた。
それもその筈、王都を含めこの町で対竜戦士『アルシウス・ノルヴァルク』の名を聞いた事が無いという人間は指折りで数えられる程にしかいないだろう。
それ程までにその名前は人々に知れ渡り、語られている。
対竜戦士、これはこの世界で相当に危険視されるモンスター、『ドラゴン』を討伐した者に送られる称号だ。
まずドラゴンはかなり凶暴で攻撃的な上に、滅多に現れないモンスターである。
しかし、一度その姿を人前に見せた時には必ず町一つをまるまま消し去る程の破壊を繰り広げる。
そして、五年ほど前にその人々が恐怖の対象とするドラゴンを一人で討伐したという強者が現れた。
それが今も尚その強さを語り継がれるアルシウス・ノルヴァルクなのだった。
想像していた人物像とは違いすぎて驚きを隠せないで固まるアルフェール。
一方冒険者達はそん言葉を聞いて再び大きな歓声を上げる。
アーレスはそんな状況の中で冒険者達の騒めきを手をあげる事で制すると、アルフェールの居るカウンターへと戻っていく。
アルフェールは椅子に座って黙り込む彼におずおずと声を掛ける。
「アーレスさんが対竜戦士だったって本当ですか?」
「えぇ、アルシウス・ノルヴァルクの名前は私が女になった瞬間に封印したんだけどね。ただアルフィちゃんが男達がみんな私を見て奮い立ってるなんて言うから……」
「えぇっと?」
「あぁんもう! ドーナちゃんには悪いけど、やっぱり奮い立っている冒険者達が私を見ているなんて興奮するじゃない! だからつい本名まで出しちゃったのよ!」
「あはは……………」
頰を手で押さえてブンブン顔を振る巨体の男を前に、アルフェールは乾いた笑いを浮かべる。
彼女はそれから気を取り直すように小さく息を吐くと、冒険者達に視線を向けた。
「クエストに参加してくれる冒険者達の数はざっと十六人ってところですね。ゴブリン五十体に対して冒険者がアーレスさんを含めて十七人…………やっぱり少し無理がありますね」
「これでもよく集まった方だと思うわよ。やっぱり冒険者って拝金主義者だもの。例え助けを求めているのが自らの街だとしてもお金がなければ動かないわ。もちろん私は違う考えよ、もう冒険者でも無いし」
ふてくされたようにジト目を作るアーレスの言葉に彼女は顎に手を当てて考えを巡らせる。
今回のギルドサーチを務めるのがドーナである以上冒険者が死亡するリクスはかなり減る事は確かだ。
なにせ彼が今までに大規模クエストのギルドサーチ行った際に一人も死人が出ていないのだから。
しかしそれに甘んじてしまい、もしもの事態が起きて冒険者が命を落としたならそれこそ目も当てられない。
絶対的な安全をとるならせめてあと二人程の人数が居なければ厳しい。
必死に黙考しながらアルフェールは窓の外に視線を送る。
すると、窓の外は少しだけ暗くなり始めていた。
もうそろそろ陽も落ちてくる頃合だろう。
時間的にもそんなに余裕がない……か。
彼女が現状をどうしようかと考えあぐねていると、突然にギルドの入り口が開かれて少し生真面目な雰囲気を纏った黒い髪の青年が入って来る。
腰に剣が下げてある所を見ると冒険者なのだろうが、装備が極めて軽装だった。
「あらやだイケメンが来たわよアルフィちゃん!」
アルフェールは青年を見て興奮するアーレスを軽く笑顔で流していると、その青年はカウンターの方に向かってまっすぐに歩いて来る。
「あの、ここで働いているヘレナ・アーチボルトに頼まれて大規模クエストに参加しに来たんですが」
「アーチボルトさんにって事は貴方が彼女のお兄さんなんですね。今一人でも人手が必要なので助かりました、ありがとうございます」
軽装の青年、フレン・アーチボルトは丁寧に頭を下げるアルフェールを見てホッと息を吐いた。
「良かった、いざクエストを受けに行って『冒険者なら沢山居るしお前なんかいらないよ』みたいな顔をされなくて。あ、いや、状況的には全然良くはないんですが」
「そんなまさか、本当に助かりましたよ」
安堵の息を吐くフレンにアルフェールは優しげに笑みを浮かべて答える。
普段は生真面目で人見知りであるフレンがアルフェールのような美女に対して気後れする事なく話せているのは彼もまた冒険者であり、この町のギルドの常連だったからだ。
ともすれば毎日のようにクエストを受けている彼は何度かアルフェールとの面識があった。
無論、彼に女性を口説くような勇気など微塵に存在しないので事務的な会話しかした事はないが。
そしてアルフェールもまたフレンの事を覚えているようで、笑顔の後に「いつもありがとうございます」と頭を下げる。
そんな二人のやりとりを見ていたアーレスは驚きに表情を歪めて割って入った。
「ちょ、うそ、アナタがヘレナのお兄さんなの!?」
「へっ!? あぁ、はいそうです。ヘレナの兄、フレン・アーチボルトと申します」
唐突に強面の巨体の男が言い寄って来るものだから一興するあまり数本後ずさりをするフレンは目の前の男自分の妹の上司だと理解して頭を下げる。
フレンはいつもギルドの受付を勤めるアルフェールの事は知っていたが、普段はギルドサーチをしているアーレスの事は知らず、まさに今回が初対面だった。
なのでもちろんのことフレンはアーレスが同姓を好みとする人間である事を知らない。
目の前にいる男が狼である事を知らずに社交的な笑みを浮かべるフレン。
するとアーレスは苦々しい顔をして爪を噛みながら、
「そうよね、あの女顔だけはいいものね。悔しいわ、貴方がヘレナの弟じゃなければ相手にしてあげたんだけど」
「はい? えっと、相手してあげるってなんの話ですか?」
「あはは、まぁ彼の言う事は気になさらないで下さい」
頭上にいくつものクエスチョンマークを浮かべるフレンにアルフェールは乾いた笑みを笑みを浮かべる。
一間置いてアルフェールは気を取り直すようにコホンと咳をして口を開く。
「それでは今回のクエストの詳しい内容は後ほど説明しますが、一応酒場のボードにも貼り付けてあるのでそれと見ておいて下さい。申し訳ないんですが、報酬の方は出ない事になっていて」
「あぁ、それなら妹から聞いているんで大丈夫ですよ。それと、ヘレナって今どこにいるんですか? 見た感じここには居ないようですけど」
「アーチボルトさんなら今はギルドマスターと一緒にクエストの下見に行っていますよ?」
「そうですか、大丈夫かアイツ」
心配そうに呟くフレンの言葉にアーレスは呆れながら半眼を作る。
「もしかして貴方って妹大好き系お兄ちゃんなの?」
「ははは、まさか。あんな憎たらしい妹を大好きだなんて正気を疑いますね」
その問いにフレンは鼻で笑いながら答える。
もしこの発言をヘレナが聞いていたとしたら激怒しながら飛び蹴りの一発か二発が飛んで来るだろう。
フレンはもう一度ヘレナがギルド内に居ない事を自分の目で確認すると、二人に頭を下げてクエストボードまで歩いて行ってしまう。
アーレスは彼の背中を見ながら盛大なため息を吐いて一言。
「本当に勿体無いわね。イケメンなのに」
「アーレスさんドーナさんはどうしたんですか?」
「勿論ドーナちゃんも大好きよ!いくらアルフィちゃんでも絶対に渡さないわよ!?」
「あー、どーぞどーぞ、全然私をお気になさらず。ドーナさんもアーレスさんの事大好きって言っていましたよ、両思いですね」
「あらやだホント!? それじゃあ今日の夜大規模クエストが終わった後にでもアタックしてみようかしら」
「凄くいい考えだと思いますよ」
その美しい顔にあいも変わらず笑顔を浮かべたまま平然と嘘をつくアルフェール。
かくしてドーナは今日の夜に地獄を見る事が決まったのである。
それからしばらくして心を病むあまり一時休憩に行っていたオリヴィエが帰って来る頃、アルフェールは冒険者達の前に立って声を上げる。
「それでは皆さん、そろそろクエストの決行時間が迫って来たのでゴブリンが集落を作っている山道まで向かって下さい。その付近に行ったら既に派遣されているギルドスタッフが二名居るので、場所の詳細はそちらから聞いてもらう形でお願いします」
冒険者達皆が真面目に話を聞いている中でアルフェールはスゥッと浅く息を吸うと、この日初めて笑顔ではない真剣な表情を作る。
「正直このクエストの危険度は高いです。もしかしたら此処にいる全員が絶対に安全に帰って来れる保証はありません。でも、私達ギルドスタッフはアナタ達冒険者に危険がないように最善を尽くします。なので皆さん、どうかご無事に帰って来て下さい」
そう言って深く頭を下げるアルフェールに続いて横に立っていたオリヴィエもまた頭下げる。
冒険者達はアルフェールの真摯な言葉を聞いて一様に笑顔を作ってそれぞれに声を上げた。
「信じてるぜギルドの嬢ちゃん!」
「俺を含めてここに残ってる冒険者達はアンタ達ギルドに恩があるからな!」
「そう簡単に死んでたまるかってんだよ、必ず帰ってくるぜ!」
そんな暖かい冒険者達の言葉を聞いてアルフェールとオリヴィエはお互いに目を合わせると、二人は微笑みを浮かべて彼らに再び頭を下げた。
それからぞろぞろと冒険者達がギルドを出て行く中でアーレスが二人の前で立ち止まって笑顔を見せる。
「いい結果持って帰って来るから待っててちょうだいね」
アーレスの言葉に二人はそれぞれに頷くと、彼は気合いを入れるように拳を鳴らしながらギルドを出て行く。
先程とは打って変わって静まり返るギルド内で、オリヴィエは扉を見つめながら、
「無事に帰って来ますかね」
「他ならぬドーナさんがギルドサーチをやっているんだもの………きっと大丈夫よ」
そんな独り言にも近いオリヴィエの呟きにアルフェールは、まるで自分にも言い聞かせるかのように呟くのだった。
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