第6話 昔々の出来事
それからヘレナが自宅に帰る頃には既に日が沈んでおり、今日一日だけで蓄積された疲労のせいで服も着替えずにそのまま椅子に腰を下ろした。
まったく、今日は散々だった。
どうしてこうも自分が関わっている時にばかり面倒事が訪れるのか。
頭を抱えながら机に突っ伏す彼女は、部屋に置いてある姿見に写る自分の姿を確認してポツリと呟いた。
「昔を思い出す……………か」
ギルドを出る前にオリヴィエに言われた言葉を思い出した様に口に出す。
かつて、ヘレナは俗に言う勇者や英雄に本気で憧れを抱いていた時期があった。
その当時はヘレナとて懸命に鍛錬に励み、同じ夢を持つ兄と共に楽しく夢を語ったりもした。
事実ヘレナは剣の才能に恵まれていた、皆が口を揃えてそう言う程彼女には確かな実力を保持し、自身がいつかは英雄になるという確信が存在していた。
しかし、ヘレナはあえなくしてその夢を嫌悪するようになる。
いつからだろう、それは確かヘレナが商人である両親の荷物にまぎれ込み、先代の勇者と対面した時だった。
「貴方が先代の勇者様なんですか!?」
幼き頃のヘレナは両親の荷台から飛び出すや否や、先代勇者を見つけてそんな事を口走っていた。
ヘレナの両親は商品の取引先でもあり、王都の皇帝である勇者の前に立つ娘を慌てて引っ込める。
先代の勇者である女性はそんな少女を見てくつくつと笑うと、少女を抱く両親に下がれと命令を下した。
おもむろに立ち上がる先代勇者はゆっくりとヘレナの元に歩いていく。
その相貌は神々しさを感じる程に美しく、長くて特徴的な耳からエルフである事が確認できる。
エルフとは長寿である事に加えて魔法に長けている人種だ。
恐らく、五十年も前に魔王を倒したであろう勇者が未だに美しくて若々しい姿をしているのはその為だろう。
「元気の良い娘だな。いかにも、私は魔王を討伐した先代の勇者であり、この王都の皇帝を務めるネルヴィオ・エルアンドルフだ」
王の威厳という奴だろうか。
そんな彼女の重い言葉にヘレナは純粋な瞳を輝かせると、両手を力一杯握った。
「わ、私も勇者に、英雄になりたいです。私が十七歳になる頃にまた魔王が復活すると聞きました、だから今度は私が魔王を討伐します!」
「ほう、私を相手に啖呵を切るとは見上げた度胸だな。貴様の名前を聞こうか」
「ヘレナ・アーチボルトと申します!」
精一杯の声を張り上げるヘレナ。
そんな少女に対して先代勇者は笑顔で頷くと、先程までの笑顔がまるで嘘だったかの様に表情を硬くする。
「ではヘレナ、貴様が私の様な勇者になると語るのならそれによって命を失う覚悟はあるのか? それに伴った実力はあるのか?その発言は子供の戯言としては済まされないぞ」
残酷だが、どこまでも正当な問いに対してヘレナは一旦言い淀むと、眉間に深いシワを寄せる。
「その夢の為に死ねるのなら本望です。それに私は努力だってしてます、実力も伴っている筈です!」
「そうか……………」
先代勇者はヘレナの発言を聞いて心配そうな顔をする両親を見て、少しだけ悲しそうに表情を歪める。
やがて何かを決心した様に立ち上がると、彼女は腰に刺した剣を引き抜いて幼い少女に向けた。
そんな彼女の行動を見たヘレナの両親は、慌てて止めに入ろうとするが、
「悪い様にはしない。貴様らはそこで黙って見ていろ!」
彼女が叫ぶも一向に動きを止めない両親は王室の端に立っていた騎士によって取り押さえられる。
突然に剣先を向けられたヘレナは、怯えながらも先代勇者を睨んだ。
「ヘレナよ、そんなに死に急ぎたいなら私に掛かってこい。腕が鈍っているとはいえ今の私でも魔王に匹敵する程の力は残っている筈だ」
先代勇者はそう言いながらヘレナに短剣を投げる。
それを受け取ったヘレナはしばらく呆気にとられた後に、確かな闘志を燃やして構えをとった。
「その短剣で私を殺してみろ。それが出来なければその夢は諦めるんだな」
「……………ッ!!」
少女が攻撃体制に入るのを確認した先代勇者もまたそれに合わせて構えをとる。
時にしたら一瞬なのだろうが、先代勇者と睨み合うヘレナにとっては一生のように長い時間だった。
先代勇者の瞳には確かな殺気が込められており、今のヘレナの状況を表すなら正に蛇に睨まれたカエルだ。
身体中を這うように恐怖が蔓延し、身体が勝手に一歩、また一歩と後退していく。
逃げたい………けどダメだ。
ここで逃げたらきっと自分はこれからも逃げ続けるだろう。
だから、立ち向かわなきゃ。
やがて、心の中で決意をするヘレナが睨み合う中で先に動いた。
短剣を強く握って先代勇者の元まで深く踏み込み、もし当たったなら確実に致命傷になるような突きを放つ。
しかし彼女とてデクノ棒な訳ではない。
ヘレナの一撃を赤子をあやすかの様に軽々と弾き飛ばすと、その剣の柄でヘレナの左肩を思い切り殴りつける。
「………………がぁッ!!」
バキリと嫌な音が鳴り、痛さのあまりヘレナは短剣を離して膝をつく。
「断言しよう、こうして軽々と私に膝をつかされている時点でお前には才能がない。魔王を討伐するなんて仕事は他に才能のある奴に任せておけ。わざわざ貴様が勇者やら英雄やらを目指して死に近づく理由が一体どこにある?」
「わ、私は…………カッコいいと思ったから………魔王から世界を救ってみんなに笑顔を与える貴方のような勇者になれたらどんなにいいかって、そう思ったから」
「思うのは勝手だ。なにを目指そうが私の知った事でもない。けれど、それを目指すが故に身勝手に死んでゆくお前の家族は一体どれだけ悲しむのか分かっているのか!?」
「私は死にませんッ!」
ヘレナは叫ぶ。
しかし、先代勇者は必死になる少女に悲しげな顔をした。
「そうか、諦める気は無い………と?」
「ありませんッ!」
「それなら仕方ない。無理矢理にでも諦めさせてやろう」
先代勇者はそう言って膝をつくヘレナの元に歩いていくと、鋭い蹴りでその小さな身体を転がした。
呻き声をあげる少女を無視して彼女は剣の柄を振り上げて、少女の左肩に無慈悲で強烈な一撃を放った。
バキャリ、
更に嫌な音が王室に響き渡る。
それは紛れもなく、ヘレナの左肩が粉々に砕けた音でもあった。
まるでその音は、儚い少女の夢が壊れる瞬間の音だったのだとも言える。
痛みのあまり叫び声を上げる少女を一瞥すると、先代勇者はポツリ、
「辛いとは思うが、これもお前の為だ。現実が分かったなら、自らの命をもう少し大切にしろ」
切なげにそんな事を呟いて去ってしまった。
それからヘレナは日常生活には支障をきたさないが、剣を振るう事ができない身体になってしまう。
幼い頃から一途に抱いていた夢が壊れたと知った少女は、いつからか簡単に命を賭ける冒険者や、魔王を倒すべく勇者を目指す人間を嫌悪するようになっていった。
当然の事、勇者に憧れていた兄とは意見が合う事がなくなり、喧嘩が耐えない毎日を送る事になる。
そんな事件から数年が経過して歳を重ねたヘレナは先代勇者が何故あの時自分にあんな事をしたのかが理解できた。
恐らく先代勇者は魔王を討伐するまでに沢山の人を失ったのだろう。
人の命の重みを知り、命があるという事がどれだけ尊いかを身をもって体験している。
だからこそ軽はずみに命をなげうつと言い張ったヘレナを強制的に止めたのだ。
やり方はどこまでも乱暴で怨みを買うような方法だか、そんな何処までも正しい先代勇者の行動を前にいつしかヘレナは考えを改めていた。
命を落とす危険性が高い冒険者をやっている人間や、英雄とか勇者を目指す人間の気持ちが分からない。
その言葉はヘレナにとって過去の夢を諦めた証でもあり、そうして生きていかなければならない理由でもあった。
だから彼女は、ヘレナ・アーチボルトは何よりも自らの命、存在を重視する。
◆
ヘレナが過去を思い出して思想に耽っていると、冒険者の勤めを終えたフレンが「つかれたぁー」などと口にしながら扉を開ける。
そして彼は机に突っ伏すヘレナを見るや目を丸くした。
「お前、その格好どうしたんだ? なんか血塗れだしよ。トマトジュースでも頭からかぶったのか?」
「ちょっとギルドで色々あってね………そういうお兄ちゃんこそこんな時間まで何やってたの?」
「俺はソロパーティーでオークを討伐するクエストをやってきたんだが、なにやら最近はギルドに人が多いいもんでな。 完了報告をした後に装備を買い揃えていたらこんな時間になっちまった」
「それはどうもご苦労様。なんか魔王が復活して今は騎士団が忙しいから依頼が全部ギルドに回ってくるらしいよ」
「それマジか!?」
フレンは気怠そうに身につけた装備を外しながら呟くヘレナの言葉に対して飢えた魚のように食いつく。
多分今の彼なら釣り針に餌ではなく石を付けていたとしても普通に食いついてくるだろう。
そんな事を思いながら浅く息を吐く彼女は眉をひそめるが、それから一間置いて神妙な面持ちで問う。
「お兄ちゃんってまだ勇者になりたいって思ってんの?」
「あぁ、思ってる」
ヘレナの質問に彼は曇りのない瞳で恥ずかしがる様子もなく答える。
そんなフレンの言葉にヘレナは苛立たしげに歯噛みして一言、
「ふーん、あそう。 精々頑張って下さいよ」
「なんなんだお前は……………」
「それじゃ私はもう水浴びして寝るから、晩御飯は自分で作って食べてね」
そう言い残してヘレナは自らの部屋に歩いて行く。
その背中をフレンが呆れ顔で眺めていると、一旦出て行ったヘレナが何かを思い出したような顔をして戻ってくる。
「そういえばお兄ちゃんって明日暇なん?」
「明日は適当にクエストを受けるつもりだが、どうしてそんな事を聞くんだ?」
「明日はギルド一つのクエストしか張り出してないよ。ゴブリン討伐の大規模クエストなんだけど、お兄ちゃんそれを無償で受けてみる気ない?」
「無償か、装備新調したばっかで金がない分それはキツイが…………無償でクエストを張り出すって事はギルド側で何かあったのか?」
「まぁそんな感じ。一応冒険者を集めてくれって言われたから声掛けたんだけど」
フレンは顎に手を当てて少し悩んだ後にやれやれと行った様子で頭を縦に振った。
「お前の頼みだしな。しょうがないから受けてやるよ」
「本当はギルドに他のクエストが張り出してなくて暇だったから受けたクセに、ここぞとばかりに格好付けてますよこの人は」
「元も子もないような事言うなよお前! ただでさえ無償でクエストを受けてやったんだから格好ぐらい付けさせろ!」
「いや、そもそもそのセリフがカッコよくないよ、私は今残念な兄を前にしてドン引きだよ」
ヘレナがジト目を作って深いため息を吐くと、フレンはげんなりとした様子で今日買ったのであろう装備の点検を始める。
それを確認したヘレナは水浴びをしようと身に付けた装備を外しながら部屋を出て行こうとする。
すると、未だ装備を点検しているフレンが背を向けながら
「その格好なんつーか、ギルドスタッフの格好よりお前って感じがして似合ってるぞ」
「なんか複雑なんだけど、褒めてんのそれ?」
「…………一応な」
釈然としない態度の彼にヘレナは眉をひそめると、少しだけ頬を緩める。
冒険者は嫌いだけど、この格好を褒められるのは別に悪い気分じゃないかな?
「そ、ありがとお兄ちゃん」
不器用な兄の言葉に素っ気なくお礼を言うヘレナは上機嫌な足取りで水浴び場まで向かうのだった。