第5話 アルフェール
満身創痍、まさにその言葉がしっくりくる程にヘレナの身体は疲れ切っていた。
二つ目に行ったサーチは荷運びの護衛クエストだったので、馬車が通る予定の街道をひたすら下調べをした。
その際にコボルトに襲われて逃げ回り、森から出て来たスライムに体液まみれにされ、運の悪い事にオーガと出くわす事になって再び逃げ回る。
初級者殺しのオーガが現れたとなったら流石にその護衛クエストの難易度ば中級まで格上げになったが、何よりもヘレナにはキツイ労働だった。
三つめのクエストは森の中に住む巨大トレントの討伐任務なのだが、これまたヘレナがドジを踏んで追い回される事になり、途中ですっ転んだり樹木に体当たりをしたりと散々な目に合っていた。
それからいくつものサーチをそんな感じで終えたヘレナはギルドに戻るや否や、まるで倒れ込むかのように椅子に体重をかける。
「だはぁー、本当にギルドサーチとか過酷すぎるでしょ。こんな事しなきゃお金が稼げないんだったら私もう死んでもいいよ」
「いや、なんつーか、お前って本当に運が無いよな、まぁ俺はこの通りピンピンしているんだが。なんでお前はあんなにもモンスターに好かれるんだよ」
「そんなの私に聞かないで下さいよ。ドーナさんだってどうしてオカマさんに好かれるかなんて聞かれても答えられないでしょ?」
「お前、流石にアーレスさんをモンスター扱いするとか酷すぎるぞ」
ヘレナの棘のある発言に難色の色を示すドーナはややあって彼女の肩をポンっと叩いた。
「でもまぁお疲れさん。お前なりに今日は頑張ってくれたな」
「……………っ!?」
労いの言葉をかけられたヘレナは一瞬目を見開いて嬉しそうな顔をするが、直ぐにその目を伏せて唇を尖らせる。
「き、気安く触らないで下さい。セクハラで突き出しますよ」
「はいはい、嬉しいんだね、だけど素直になれないんだよな? でも勘違いするな、俺の心にはアルフィちゃんがいるから別にお前にさしたる興味はない」
「あーうん、そうですね、残念だなぁ、ははは」
恐らく誰が見ても気付くであろう空笑いを浮かべるヘレナ。
こういった面倒なタイプの人に対して感情的になる程意味のない事はない。
だからこそ精一杯呆れ返り、尚且つ『え、ちょっとキモいんですけどやめて下さい』というガチな雰囲気をか持ち出した方が効果的だ。
案の定ドーナはヘレナの冷え切った反応に対して萎むように俯いた。
よしっ効果は抜群だ!
心中で両手を握るヘレナをよそに、二人が帰って来た事に気が付いたオリヴィエが目の下にドス黒いクマを貼り付けてやって来る。
「おうオリヴィエ、お疲れさん。騎士団から返事は……………どうしたんだお前?」
「いえ、ちょっとクエストの完了報告をしに来る冒険者達の数が異常に多くて。先程までそれを捌いていたので疲れが………」
「あー、その、それは御愁傷様だな」
呟きながらそろそろ本気でスタッフの増員をしないとな、と誓うドーナであった。
「それで、騎士団から返事は来たの?」
「あぁ、それならアーレスさんがあまりにも遅いからって走って配達人をお出迎えしにいったわよ。 もうそろそろ戻って来る頃だと思うけど」
「相変わらずパワフルだなぁ、オカマさん」
そんな苦笑いを浮かべるヘレナの後方、つまりギルドの入り口が突如として開かれた。
扉を開けた人物といえば今話題に上がっていたアーレスなのだが、どうにも俯いていて表情が読めない。
しかしなんというのだろうか、身体全身から溢れ出すオーラが怒りを表しており、それを目にした三人は思わず黙り込んだ。
やがて、アーレスは俯いたままドッスドスとドーナの元に歩いて行く。
予期せぬ事態にドーナは小さい悲鳴をあげた。
「ヒッ、あ、アーレスさん? 俺なんかしましたかね?」
「…………………ッ!」
語りかけるも返って来るのは沈黙と子供が一目散に逃げ出すような凶悪な表情のみ。
あ、もうダメだこれ………殺される。
沈黙に耐えかねたドーナが自らの死を悟った頃、アーレスはなにやら手に持っていた白い手紙を物凄い勢いでテーブルに叩きつける。
「騎士団の奴ら、魔王が復活した事についての捜査があるからこの町に割いている人材はない…………ですって」
「へ?」
予想していた死が遠ざかった事を実感するドーナは呆気にとられて素っ頓狂な声を上げる。
しかし、アーレスの言葉に最初に反応したのはオリヴィエだった。
「そんな、それじゃあ騎士団はこの町を放置するって事ですか? こんな事態になっているのに!?」
「えぇ、ヤツらはゴブリン数十匹を倒す功績よりも魔王の情報を掴む方の功績を優先したのよ」
「……………マジかよ」
ヘレナはそんな三人のやり取りを聞いて浅く息を吐いた。
こんなのは良くよく考えれば当然の事だ。
騎士にとって大事なのはお金ではなく功績である。
だとするなら、尚更このクエストには興味を示さないし、この町がどうなってもいいと感じているはずだ。
損得感情、みな全てはその為に動いているに他ならない。
例えば私たちギルドだってクエストそのものを騎士団に投げた。
これはどう考えてもこちら側が不利になるからした行動である。
それなら私はゴブリンがもしこの町に攻めて来るような動きをしたなら早急にこの町から立ち去ろう。
まず頭の固い兄を説得し、両親は職業が商人であるが故にこの町に帰ってくる事は滅多にない。
後で何かしらで連絡を取って移住した事を伝えてしまえばいい。
それで事態は万事解決という奴だ。
命はきっと何よりも尊い。
それは誰もが一つは持つ夢よりも、どれだけ大切にしている物よりも、安くて砕けやすいプライドよりも。
そう思うからこそヘレナは決して命を落とさないように努めなければならない。
そうでもしなければ、過去に諦めた物への示しがつかないからだ。
ヘレナが真剣な表情を作り意思を固めていると、ドーナの口から予想だにしなかった言葉が放たれる。
「それじゃ、コッチで集めるしかないよな。俺は知り合いの冒険者に無償でこのクエストを受けてくれないかを頼んで回る。もしお前らも冒険者へのツテがあるなら頼めるか?」
「私はドーナちゃんの為なら頑張って人を呼ぶわよ?」
「わ、私は知り合いに冒険者の方はいませんが…………それでもできるだけ手を回してみます」
彼の言葉を聞いて二人がそれぞれに考える中で、ヘレナは一人訳が分からないと言いたげな表情でドーナを睨む。
「ヘレナ、お前確か兄が冒険者をやってたよな、悪いけど頼めないか?」
「いや、あの、なんで無償でドーナさんはそんな事をするんですか? バカなんですか?」
「バカとは酷い言い様だなおい。俺だって無償でこんな事をやりたい訳じゃねぇーよ、だから騎士団にクエストを投げたんだろ」
「それでダメだったんなら逃げればいいじゃないですか。変にカッコをつけて、意地を張って意固地になればなるほど後悔しますよ?」
「別に俺は意地を張ってる訳じゃない、ただ俺は自分が作ったこのギルドを捨てて小鬼から逃げるのが気に入らないんだよ。だからみんなの為とか言ってカッコつけてる訳でもなんでもない、全ては自分の為だ」
「それでも………」
なおも納得のいかない表情で唸るヘレナ相手にドーナは一旦間を置いて深く息を吐いた。
「お前は逃げてればいいんじゃねーの? 別にお前が居なくなった所で大した損害にもならねーし」
少し投げやりにそんな事を言い放つドーナにヘレナはギロリと鋭い視線を向ける。
「あ、今なんつった?」
怒りを露わにするヘレナを見て得意げな顔をするドーナは、まるで彼女に語りかける様に、
「でも、正直逃げんのは悔しいよな、ムカつくよな? あんな低脳な小鬼共に俺達の町を汚されるのは我慢ならねぇよな? だったら立ち向かうしかねぇだろ。大丈夫だ、勝算はある」
「勝算………ですか?」
「あぁ、そういえばお前はまだこの仕事を始めてから大規模クエストを見た事なかったよな?」
「それは、ないですけど」
「大規模クエストのギルドサーチがどれ程冒険者達に貢献するのかを見せてやるよ」
あまりにも大仰な彼の物言いに対してヘレナは諦めた様に息を吐くと、不意に唇の端を上げる。
「分かりました、この私がダメな上司が思う存分カッコつける所を見ててあげましょう。兄には帰ってから話をしてみます」
「ありがとな………なぁ、今の俺カッコ良くなかったか? でも、惚れても後悔するだけだぜ、俺にはアルフィちゃんが………」
「あー、もういい加減うざいなこの人。自分がおっさんなの自覚してくれないかなー」
「ちょ、おま、俺が今まで言われたどんな言葉よりも傷付いたぞそれ!」
「今私の名前が聞こえてきた様な気がしたんですけれど?」
ドーナが彼女に盛大なツッコミを入れる最中、いつの間に現れたのやら栗色の長い髪の女性が立っていた。
その女性の相貌はとても整っており、何処と無くその風格から優しさが滲み出ている。
それに加えて慈愛のある優しげな笑顔を顔に貼り付けているのだから、この女性を目にした男性は女神と見間違えるんじゃないだろうか。
ドーナはというと、その女性を目にして驚きの声を上げる。
「アルフィちゃん! 今日風邪で休みなんじゃなかったのか?」
「あぁ、それは今日一日寝たら治りました。一応今日は皆さんに迷惑を掛けてしまったので、謝りに来たんですけど………揃いも揃って何かあったんですか?」
「あぁ、えぇっとだなーーーー」
ドーナが今日起きた出来事をできるだけ端的に分かりやすく省略して説明をすると、アルフェールは黙考をした後に顔を上げた。
「その件について意見はそれなりにあるのですが、それよりもまず皆さんに謝らなければなりませんね」
ポツリと呟く彼女はまず、緊張した面持ちで立っているオリヴィエの方に向かってコツコツと足音を鳴らして歩いて行く。
「今日は突然休んでしまってごめんなさいね、クライトさん」
「い、いえ全然! 代わりにアーレスさんに出てもらいましたし、事なき終えました!」
「そう、それなら良かった。アーレスさんも非番なのに私の代わりに出てもらっちゃってごめんなさい」
「いいのよアルフィちゃん、いつも貴方は頑張っているんだから、そのぐらいは許されるはずよ」
クネクネと体を揺らして答えるアーレスを見て安心した様に微笑みを浮かべるアルフェールは続いてヘレナの方に向き直った。
「アーチボルトさんも今日は初のギルドサーチを経験したって聞いたわよ? 頑張っているわね」
「はい、私はめちゃくちゃ頑張ったんですけど、そこに居るおっさんがモンスターから逃げるために私を置き去りにしました。それとアルフェールさんが居ないからって今日はセクハラ発言が多めでした」
「ちょ、ヘレナッ!? お前何を…………」
「ほう?」
ヘレナがまるで母に言いつける子供の様にドーナに指を向けると、アルフェールは笑顔を絶やさぬまま近づいていき、
ドーナの首をガシリと鷲掴んで宙に浮かせた。
「十歳近くも離れた若い女の子に貴方は一体何をしているんですか?」
表情と行動が全く一致していない彼女の口調は側から見ても寒気がするぐらいに冷徹だった。
一方ドーナは冷や汗をダラダラの流してガタガタと宙に浮いたまま身体を震わせ、誤魔化すように乾いた笑顔を作る。
「いや、別に俺はヘレナを置いて逃げた訳じゃないし、セクハラ発言なんてそもそもしてないよ? なぁ、ヘレナ!? おい、お前目を逸らすなよ、こっち向けこの野郎!」
「脅しまでするなんて、見兼ねたクソオヤジですね? 貴方には良心というものがないのでしょうか?」
「いや、オヤジって年齢的にいえばアルフィちゃんも俺とさして変わらーーーー」
バキャリ、
途端にギルド内にはそんな音が響き渡り、完全に白目を剥いているドーナはまるでゴミクズの様に投げ捨てられた。
仮にも元冒険者であるドーナをいとも簡単に気絶させる彼女の腕力は、果たしていかほどのものだろうか?
此処にいる三人が同じ事を考えていると、アルフェールは手をパンパンと叩いて三人に向き直った。
「さて、ゴミ掃除は終えました。此処にギルドの最高指揮者が居なくなった今、私が件の全てを決めさせてもらいます」
彼女はゆっくりと椅子に座ってワザとらしく咳をすると、一間置いて言葉を続ける。
「まずクエストの決行は明日の夕暮れにしましょう、事は一刻を争います。明日の午前中にはゴミクズ………もといドーナさんとアーチボルトさんにギルドサーチを行ってもらいます」
「えぇ、私もですか!?」
「ごめんなさいね、このゴミと一緒に居るのは臭くて不快かもしれないけれど、それでも彼一人じゃ流石にオーバーワークになってしまうから」
謝るのと同時に理由を説明して、更に気遣いまでするとは、やはりこの人できるな。
直感的にそんな事を感じるヘレナは渋々といった様子でそれを了承する。
「次にアーレスさんには冒険者と一緒にゴブリンの討伐をしてもらいます」
「貴方が言っている事だから言う事は聞くけど、まず理由を聞きましょうか?」
「こんな状況なら常に最悪を想定して動かなければなりません。 無償で動いてくれる冒険者があまり集まらない………なんて事になったら一人でも戦力が欲しいところなので」
「なるほどね、了解したわ」
「そして、私とクライトさんは朝からクエスト決行の夜に掛けて冒険者達の収集をしましょう。 なお、明日はそれ以外の全てのクエスト張り出しを中止します」
「わ、分かりました!」
唐突に現れるや否や、全てを頭の中で整理して状況を纏め上げるアルフェールは一仕事を終えてふぅ、と息を吐いて椅子に持たれ掛かった。
そんな光景を見ていたヘレナはこっそりとオリヴィエに耳打ちをする。
「ねぇオリヴィエ。なんでアルフェールさんってあんなにできる感じの女の人なのに結婚できないの? それともしてないの?」
「さぁ、分からないけど魅力的過ぎるから男の人が寄って来ないんじゃない?」
「……………もしかしてオリヴィエ、未だにアルフェールさんに憧れてんの?」
ヘレナの問いに対してオリヴィエは少しだけ頬を染める。
「まぁ、そうね、将来あんな人になれたらいいなって思ってるわよ」
赤面をしながらそんな事を語るオリヴィエに対して、ヘレナは訝しげに表情を歪めて自らの身体を守るように抱いて一歩下がった。
「……………もしかしてレズ?」
「ちゃうわッ!!」
余りにもアレな勘違いに彼女は否定の声を上げる。
そんなやり取りをしていると、話を聞いていたアーレスが神妙な面持ちで会話に割り込んでくる。
「貴方達、悪い事は言わないわ。アルフィちゃんの前で結婚の事に触れない方がいいわよ?」
「そりゃまたどうしてですか?」
ヘレナの問いにアーレスは過去の苦い思い出を抉り出すかの様に顔を歪める。
「その事について触れたドーナちゃんが過去に…………ウォエッ!」
「おっさんに一体何がッ!?」
「辛い過去があったんですねぇー」
突然吐き気を催したのか、口を抑えるアーレスの背中をオリヴィエが苦笑いをしながら摩る。
やがて、自分の話題で持ちきりな事をいざ知らずにアルフェールは、よいしょと口端に椅子から立ち上がる。
「それじゃあ皆さん今日はお疲れ様です、ここに落ちているゴミは私が処理しておくので帰っていいですよ。明日は頑張りましょう」
彼女の美しくて優しげな微笑みを合図に三人はそれぞれに帰り支度をして出口へと向かう。
やがてギルド内には泡を吹くドーナとアルフェールが残された。
「まったく、ほら、行きますよ?」
彼女は全員が居なくなって初めて笑顔を消し、ため息混じりに床に転がるドーナを見やる。
彼を見るアルフェールの瞳は透き通った紫色なのだが、どうにもその片方である右側の瞳は光を失っており、白く濁っていた。
アルフェールは物憂げに自らの右目の前に手を持ってくるが、何も見えない事を再確認して片目を閉じる。
「まだ視力は残ってるのか?」
倒れていたドーナがムクリと起き上がって何事もなかったかのように問いかける。
「誰が誰だか判断できるくらいには残っていますよ」
「そうか………」
アルフェールは正気を取り戻したドーナの問いに対してはぐらかす様に笑顔を作ると、帰り支度を済ませてギルドを出たのだった。