第4話 過負荷
一方その頃、冒険者で賑わうギルドのカウンターであいも変わらず受付をする少女、オリヴィエ・クライトは長蛇の列を作っていた冒険者のクエスト受注手続きを終えて疲労の息を吐く。
今はちょうど昼時の時間で、隣で経営している酒場もかなり混雑していて大変そうだ。
オリヴィエは心中で酒場の受付人に御愁傷様と呟くと、身体の各所に溜まった血を流す様に大きな伸びをする。
「とりあえずこれでひと段落かな。あとはクエストを終えた冒険者達の完了報告が待っているだけで…………はぁ、相変わらず忙しいな」
呟いて更に憂鬱な気分になる彼女は自らの頰を叩いて気合いを入れる。
すると後方から一言、
「お疲れ様オリヴェちゃん、後は私に任せてお昼ご飯食べて来ちゃいなさい」
「あ、お疲れ様ですアーレスさん。今日は非番の筈なのにわざわざ出てもらってすいません」
「いいのよこれぐらい。アルフィちゃんが体調を崩して休んでいるんだからこうゆう時は助け合わなきゃね」
アーレスと呼ばれた優しげな笑顔を作るギルドスタッフは、そのセリフだけを聞けば誰もが優しくて温厚な女性をイメージするだろう。
しかし現実はそれとは程遠く、ドーナよりひと回りもふた回りも大きくてガッチリした体格に目が合った者を恐怖させる様な強面ヅラだ。
けれどそんな背格好とは対照的に、身体をクネクネと動かし、口調はお淑やかで優しげだった。
つまり彼女ではなくこの人は彼であり、俗に言うオカマと定義されるカテゴリーに属する人間だ。
正直に言うとその見た目でその言動と行動はかなりギャップがあってイメージの相違に得体の知れない悪寒を感じてしまう所もあるが、オリヴィエはそんな彼の事を嫌いではなかった。
いや、むしろヘレナという同性の友達よりも女の子らしくて話しやすいと言ってもいいだろう。
端的に言えばオリヴィエにとってアーレスは同性の姉の様な存在であり、彼女が心を許せる数少ない知人でもあった。
「アーレスさん………ありがとうございます。それじゃあお言葉に甘えて昼食を済ませて来ますね」
「んもう、オリヴェちゃんたら礼儀が正しいんだからん。私の事はアーレスじゃなくてお姉様って呼んでいいわよ?」
「それは遠慮しておきます」
「どうしてッ!?!?」
アーレスの提案をバッサリと切り捨てるオリヴィエは席を立って自分の荷物が置いてあるテーブルまで歩いて行くと、その中から弁当箱を取り出して食事の準備を始める。
彼女は山羊肉を葡萄酒に漬けて焼いた簡単なおかずを食べながら反対側の手に握る硬めのパンを齧る。
疲れた表情をしながらパンを咀嚼する彼女は先程から心ここに在らずといった様子だった。
それもその筈、食事中だというのに彼女の頭の中にあるのは初のギルドサーチに向かった同僚であり親友であるヘレナの事だ。
「あの子大丈夫かなぁ、モンスターのエサになってないといいけど」
流石に元冒険者であるドーナが付いているのだからそれはないんだろうけども、それでも心配にはなる。
恐らくはヘレナの事だ、自分の力を過信して平気でモンスターの中に突っ込んでいったりとかしそうだ。
いや、もしかしたら面倒だからといって全てをドーナに任せているのかもしれない。
だとしたらキツイ仕置きをしなければなるまいと心に誓うオリヴィエが乱暴にパンを齧っていると、ガチャリーーーー
ギルドの分厚い木の扉が開かれて二つの人影が入ってくる。
通常なら冒険者は午前中にかけてクエスト受注を済ませ、日が暮れる頃合いにクエストの完了報告を済ませる為に再びギルドに戻って来る。
とすると、この時間帯に来るのはクエストの個人依頼だろうか?
そんな事を考えながら口一杯にパンを頬張る彼女はその二つの人影を視界に入れた途端、盛大に口の中の物を吹き出した。
あまりの驚きの所為でパン屑が気管に入り、ゴホゴホと涙目になりながら咳をしてオリヴィエは声を上げる。
「へ、ヘレナッ!? アンタその格好どうしたの!?」
オリヴィエが大慌てで駆け寄ってヘレナの身体を隅々まで見回す。
普段とは違うヘレナの格好を見て驚いたのもあったが、何よりもその身体にベッタリと大量に付着している血液が事の重大さを物語っている。
「あぁ、これは私の血じゃなくてゴブリンの血だから心配しなくて大丈夫だよ。物凄く臭いし汚いけど」
「そ、そうなの? よかった、私てっきりアンタがサーチで失敗してモンスターの餌食になったのかと…………って、じゃあなんでアンタがここに居るのよ? サーチするクエストは沢山あるんじゃ、」
「緊急事態だオリヴィエ。直ぐにでも王都の騎士団に向けて報告御状を書いて送ってくれ。内容はゴブリン討伐クエストの一任だ」
ヘレナの後ろからやってきて前に出たドーナは小首を傾げるオリヴィエに言い放つ。
ドーナの表情といえばいつもの様にだらしない感じではなく真面目な顔をしていた。
「ゴブリン討伐の一任って…………一体何があったんですか? そんなの一任されたって騎士団は断るだけだと思いますが」
「えっと、何から話したものか………」
「ドーナさん、私が説明するんで休んでていいですよ」
「悪いな、俺は喋るのが苦手なもんで」
後頭部を掻きながら椅子に座って深い息を吐くドーナをよそにヘレナは先程起きた出来事の全てをオリヴィエに話した。
ゴブリンがある一種の集落を作って生活をしていた事、その数が並ならぬ数である事、辺り一帯は小鬼の狩場になっており、大量の罠が仕掛けられている事。
それだけを聞いたオリヴィエは何故そのクエストを騎士団に投げるのかの全てを理解して目を見開いた。
「大方の事情は分かったけど、またどうして知恵なんて雀の涙程度にしか無いゴブリンがそんな事を………」
「さぁ、私が聞きたいぐらいだよ。こっちはその所為でこんな血塗れになったんだから勘弁して欲しいよまったく。初日でコレとかギルドサーチ過酷すぎるでしょ」
「いや、それは流石にアンタの運が悪いんだろうけど」
「ね、本当に運さえ悪くなければ私程の人間なら今頃大金持ちになって遊びながら暮らしてるんだろうけど。私は悪くない、全て運が悪い」
「……………悪いのはアンタの頭よ」
ボソリと呟いたオリヴィエの雑言が聞こえていないのか、ヘレナは得意げにフフンと笑顔を作る。
そんな彼女にジト目を向けるオリヴィエの後方から、先程まで何やら書類を書いていたアーレスがドスドスと足音を立てて椅子に座るドーナの元まで走っていく。
「あらんドーナちゃんこんな時間にどうしたの? 私最近はギルドサーチばっかでドーナちゃんに会えなくて寂しかったんだから!」
「ヒッ、アーレスさん!?」
ドーナは一瞬にして血の気が失せてビクンと身体を反応させるも虚しく、その巨体から逃げきれずにアーレスに抱き締められる。
そんな情熱的かつ攻撃的な彼の行動にドーナはさも『なんでコイツがここに居るんだ』と言いたげにオリヴィエの方を睨んだ。
「あぁ、なんか今日アルフェールさんが体調を崩しちゃったみたいで。一人で受付を回すのは無理なので非番のアーレスさんに出てもらいました」
「そう言う事は事前に知らせてくれ! このままじゃ俺の肋骨がぁぁぁあっ!? ちょ、やめ、アーレスさん、俺ホント死んじゃうから!」
「いいじゃないですかドーナさん。モテモテで羨ましい限りですよ」
悲痛な叫び声をあげるドーナにヘレナが悪戯な笑みを浮かべて茶々を入れる。
しかし、その言葉を聞いたアーレスは突然にドーナから手を離してその巨体でヘレナに向き直る。
ドーナはと言うと心底安心したように息を吐いた。
「ちょっとヘレナ、貴方またドーナちゃんに色目とか使ってないでしょうね? 言っておくけど貴方の取り柄なんて若いぐらいしか無いんだから諦めてドーナちゃんを私に譲りなさい」
「いや、そもそもいりませんから。そんなくたびれたおっさんに興味なんてある訳ないじゃないですか」
「まぁ、口の悪い。これだから誰彼構わず発情する若いメスブタは………もう少し慎みを覚えた方がいいんじゃない?」
「あ? 喧嘩売ってんのかオカマ野郎」
「オカマって誰の事だこの野郎、ぶっ殺すぞ!?」
「あらアーレスさん、その汚い口調が漏れていますよ? さっき言ってた慎みはどうしたんでしょーか?」
「こんの小娘めッ!」
「ちょ、ヘレナもアーレスさんもその辺にしてくださいよ。側から見たら大男が少女を襲っているようにしか見えませんから」
周りがドン引きするぐらいの言い合いの末に掴み合いを始める二人のを見かねたオリヴィエが割って入る。
しかし、鋭い切れ味を持ったオリヴィエの言葉にアーレスの心は深い傷を負ったようでフラフラと地面に膝を着いた。
「オリヴェちゃんまで私をそんな目で見てたのね、よよよ」
「いや、私は決してそんな悪意を込めて言った訳じゃなく、第三者として客観的に見た光景を代弁しただけで……」
「オリヴィエ、そんな酷い事言うなんて最低だよ。オカマさん泣いちゃったじゃん」
「誰のせいだと思ってるのよ!」
まるで他人事のように振る舞う彼女にオリヴィエは咎める声を上げる。
そんなやり取りをしている最中、やっとの事で息を整えたドーナがオリヴィエの方を向いて口を開いた。
「オリヴィエ、今回の件に関してお前ならどう考える?」
「私ですか? えと、そうですね………まず騎士団にクエストを投げるのは賛成です。ゴブリン五十体を討伐する程の数の冒険者をこちらで手配する事になったら金銭的問題でこのギルドは潰れますし。でも………」
「でも?」
考える仕草をするオリヴィエにドーナは食いつくように次の言葉を促した。
「何よりゴブリン達が何故そんな奇行に出たのかが気になりますね。考えるべき点としてはまずそこなんじゃないでしょうか?」
「ゴブリン達の行動理由か………一見あの低脳どもに考えなんて無いようにも感じるがな」
ドーナは一言呟きながらオリヴィエの後ろにいる二人になんとなしの視線を送る。
何があったのか、先程まで喧嘩をしていたアーレスが「もう、貴方顔が血と泥まみれじゃない」などと文句を言いながらヘレナの顔を濡らしたタオルで拭く光景に思わず頰が緩む。
ヘレナはというと、まるで身体を無理矢理洗われる猫のように不快な顔をしているが、渋々といった感じでされるがままになっている。
一間置いて、ヘレナの顔を拭き終わったアーレスにドーナは事の全てを説明して意見を求めた。
すると彼はいつになく真剣な表情で顎に手を当てて、
「小鬼達の行動理由なんてものは分からないけど、どんな行動にも必ず動機があるのは事実ね」
「まぁそれはそうなんだろうが」
「元冒険者の私から言わせて貰えば、ゴブリン達がそんな行動に出なければならない何かがあったんだと思うの。 小鬼達が集落まがいのものを作っているのは勢力を集めて何処かを強襲する為か、はたまた強大で強力な何かから身を守る為にそうしているかのどっちかね」
呟くアーレスの言葉は、彼が冒険者として生きた中で得た確かな経験を物語っており、信頼を置けるような深みのある発言だった。
もし仮にアーレスが言っているどっちかの理由で小鬼達が動いているのなら、その前者だった場合最寄りであるこの町がターゲットになる可能性は非常に高い。
たかがゴブリン、されどゴブリンだ。
普段は初心者冒険者から討伐されている弱い奴らだって数を纏めれば大きな戦力になる。
ともすれば騎士団に送る手紙はできるだけ早い方がいいだろう。
ドーナが頭を悩ませていると、ヘレナが驚愕に顔を歪めて声を上げる。
「え、オカマさん元冒険者だったんですか!? 職種は!?」
「職種は一応重装の剣士だったけど………ってアンタ今また私の事オカマって言わなかった?」
「剣士ですか………ついでにドーナさんの方は何をやってたんですか?」
「ん、あぁ、俺か? 俺は当時に魔導戦士をやってたな」
「「「はぁッ!?!?」」」
ポツリと言い放つドーナの言葉にその場に居た三人が驚きの声を上げた。
そんな状況を前に思わずドーナもビクリと身体を跳ねさせる。
「なんだよお前ら、その驚き方には悪意があるぞ?」
「え、だって魔法って使うにしても高度な知恵が必要で常人だったらすぐに挫折するって聞きましたよ!?」
「おいオリヴィエ、つまりお前は俺にバカだって言いたいのか、お?」
「そういう訳じゃないんですが………いや、でも、うん、そういう事になりますね」
「納得すんなよコラッ!!」
額に青筋を走らせて怒るドーナを気にもせずに今度はアーレスが言いにくそうに口を開く。
「ごめんドーナちゃん、正直私も意外だったかも。魔法を使う男の人ってヒョロくて生真面目そうイメージがあったから」
「わ、私もです。勤勉なおっさんとかキャラ崩壊もいい所です、誰もそんなの望んでませんよ」
「バッカお前、俺はこれでも昔はかなり真面目でそれなりに優秀だったんだからな?」
「いや、そんな腐ったツラ下げながらそんな事言われても」
「ツラは腐ってねぇよッ!」
声を荒げるドーナはその怒りを収めるために後頭部を描くと、一旦深呼吸をして脱線気味の話題を元に戻す。
「まぁ、とにかくだ。このクエストを騎士団に投げる事についてみんな異論はないな?」
彼の言葉に三人はそれぞれに合意の意を示す。
それを確認したドーナは納得がいったようで満足気に頷いた。
「それじゃあ直ぐに騎士団に宛に手紙を送ってくれ。こういった報告は早い方がいいからな」
「この時間だと急げばまだ配達の午前便がある筈だから今日中に返事が返って来ると思うわ。他ならぬドーナちゃんの頼みだし私がやっておくから」
アーレスはそう言ってドーナに破壊力のあるウィンクをプレゼントすると、カウンターまで戻って準備を始めた。
ドーナはというと、得体の知れない気色悪さに一瞬身震いをしたのち、引きつった笑顔を作って女性陣二人に向き直る。
「俺はこれから一人でサーチの続きをして来るが、夕暮れにはまた帰ってくるだろうからその時に騎士団から返事が返って来ているか否かを教えてくれ」
「え、私はもう行かなくていいんですか?」
「お前だって今日が初めてのサーチだ。例え今日はショボい働きしかしてなくても疲労は溜まる。だから今日は特別に休んでていいぞ?」
「むぅ」
そんな気遣いの言葉でヘレナという負けず嫌いの心が闘志を燃やす。
何故この私がくたびれたおっさんに気を使われなきゃいけないのだろう。
それに今この人ショボい働きって言わなかった?
なんなら自分は部下を置いて我先にと逃げようとしたクセに一体なにを言っているんだ。
苛立ちに肩を震わせるヘレナはダンッと音を立てて一歩前に出ると、盛大な啖呵を切る。
「えぇ、その安い挑発に乗ってやろうじゃないですか! 私も行きますよ、行けばいいんでしょ!」
「いや別に俺挑発したつもりはないんだが」
「うるさいですねごちゃごちゃと、いいから早く行きますよ! こんな所でダラダラやってたら日が暮れます」
「なにを一人で怒ってるんだお前は」
呆れながらも後をついて行くドーナ。
そして残されたオリヴィエは不機嫌そうに歩いて行ってしまうヘレナの背中に声をかけた。
「ヘレナ、その格好アンタの昔を見てるような気分になるけど、それでも似合ってるわ」
「…………」
ヘレナは悪びれもなく言い放つ彼女の言葉を聞いて振り返るが、なんとも言えぬ微妙な顔を残してギルドを出たのだった。