第二話 ギルドサーチ
兄への制裁を終えたヘレナは気だるい身体を引きずってギルドまで戻ると、倒れ伏すかのように椅子に背をかける。
先程まで店仕舞いをしていた酒場の店主の姿は既に無く、今この場所にはヘレナとオリヴィエの二人だけが残っている。
未だコツコツとなにやら仕事を片付けていたオリヴィエは金色の髪から覗く碧眼を細めてヘレナに向けた。
「ちゃんと書類は届けたんでしょうね?」
「あー、はいはい、届けましたよ。ってかなんでオリヴィエまで残業してんのさ」
「今日はクエストの受注依頼と一般からのクエスト依頼が多かったから書類を纏めるのに手間取っちゃって。私からしたらアンタがこの仕事を既に終わらせてる事に驚きだけどね」
「まぁ私優秀だし可愛いし」
胸を張るヘレナを数秒眺めた後にオリヴィエはその整った相貌を訝しげに歪めた。
「アンタのその自信が一体どこから湧いて出るのか是非とも聞いてみたいわね。少しは謙遜を覚えなさい」
「その事について私いつも思うんだけどさ、謙遜は美徳として知れ渡っているけどそれって言ってしまえば自傷行為だからね? 自分を庇護せずに蔑むなんてダメだよ、もっと自分を大切にしなきゃ」
「なんだろう、言ってる事は間違ってないんだけど………なんだかなぁ」
「でしょ? だから私が自分の事を誇らしげに語るのはむしろ褒められる事だし、そここそが魅力的なチャームポイントなんだよ」
「それは流石に間違ってると思うわよ。自画自賛する人が魅力的だとか世も末ね」
ヘレナのあまりにもこじつけが過ぎる言い分にオリヴィエが頭を抱えていると、ガチャリ。
唐突に入り口の扉が音を立てて開かれる。
「なんだお前ら、まだ仕事してんのか?」
入って来たのは黒髪の無精髭を生やした中年ぐらいの男だった。
体躯はガッチリしていて顔もそれなりに整っているのだが、やる気の無さそうに細められた瞳がその者がダメ人間である事の全てを物語っている。
オリヴィエはと言うと、その男の存在を確認するや否や椅子から立ち上がって頭を下げた。
「あ、ドーナさん。お疲れ様です」
「おうお疲れ、今日はどうだった?」
「どうだったもクソもないですよ! 今日は私とオリヴィエの二人しか居なかったしめちゃくちゃ忙しかったんですから。給料上げてください!」
「あいっ変わらずだなお前は…………」
突然横から割って入って昇給を求めるヘレナに、このギルドのマスターであるドーナ・ガレウスは呆れるあまり目を細める。
オリヴィエもまた、とんでもない事を言い出すヘレナに半眼を向けた。
「いいかヘレナ。今日はアーレスさんがギルドサーチで一体何件分のクエストを整理したか分かってんのか? アルフィちゃんなんて今日は休みだが受け付けをさせたら右に出る者はいない。その二人に比べたら今日のお前の働きなんてこんぐらいだろ」
「……………あん?」
指で豆ツブ程度の大きさを作るドーナの言葉にヘレナは眉間に大きなシワを寄せると、一歩前に出て牽制の形に入る。
「そんな事言ってるとアルフィさんにドーナさんがこの前町で女の人を買ってたって言っちゃいますよ?」
「おいおいアホかお前は。こちとら毎日のようにギャンブルで金を擦ってる身だ、女を買う金なんてある訳がない」
ドーナはどうだと言わんばかりに胸を張って鼻から息を吐く。
それを半眼を作りながら眺めるヘレナは、
「それを誇らしげに言うのもどうかと思いますけど………まぁ捏造ですから。けれどアルフィさんはそれを信じますかね?」
「うぐっ、卑劣な手を!」
ヘレナの黒い笑顔を前にドーナがたじろぐ。
それもその筈、ドーナはアルフィと呼ばれたこのギルドで働く女性の事を憎からず思っており、アプローチしてはフラれの毎日を送っているのだった。
そんな状況を見兼ねたオリヴィエは「いい加減にせんかい」と再びヘレナの頭をスパァンと引っ叩いた。
ひゅぐッ、とおかしな声を上げるヘレナをよそにオリヴィエは話題の軌道修正の為に今日の仕事内容を話す。
「やっぱりここ最近は依頼の数が以前と比べてかなり増えてきていますね。多分あの事が原因だと思います」
「五十年越しの魔王の復活…………か」
「あくまでも噂ですけどね」
オリヴィエの言葉にドーナは先程まで緩んでいた表情を真剣な物へと変えて顎に手を当てる。
魔王が五十年に一度現れるという言い伝えは幅広く知れ渡っており、ちょうど今がその周期だ。
だからこそ王都の騎士達はいつ現れるか分からない魔王の存在を危惧し、対策を考えて必死になっている所為で本来なら騎士が受けるような依頼でさえギルドに回ってくる。
結果的に今のような状態に陥っており、ドーナが経営するパルゥムのギルドや他の町のギルドも今や多忙を極めているのだ。
依頼が増えて儲かるのは素直に喜ぶべき事だが、それにしてもこれは例外と言ってもいいだろう。
このギルドで働いているスタッフの人数を考えてもそろそろ仕事が回らなくなる。
スタッフを増やそうにもドーナにはそんな金銭的余裕などある訳がない。
「ふむ」
さて、どうしたものか。
ドーナが完全に黙考体制に入ると、先程オリヴィエに叩かれて大人しくなっていたヘレナがムクリと立ち上がって不機嫌そうに頰を膨らませる。
「むぅ、なんか私だけカヤの外って感じじゃないですかね。もしかしてこれはいじめか………いじめなんですか!? どうしようオリヴィエ、私なんか凄く悲しくなって来た。よし今すぐお家に帰ろう」
「何かと理由をつけてすぐに帰ろうとするのはやめなさいヘレナ」
「…………チッ、金髪乳袋め」
「なんというかアンタって本当にマイペースというか傍若無人ね。自己中心的思考もそこまでいくと賞賛に値するわ」
「いいでしょ別に。私はただ純粋で正直なだけなんだよ、思った事が口をついて出て来るの。それに、オリヴィエにそんな事を言われたら流石に私だって傷付くんですけど?」
「どういう意味よそれッ!」
声を上げるオリヴィエに対するヘレナは攻撃体制に入る。
やがて、そんな取り留めのないやりとりをする二人をよそに今の今まで黙考を続けていたドーナは唐突に『よしっ』と力の入った声を上げた。
ドーナの訳のわからない行動に二人はあっけにとられて動きを止め、彼の方を見やる。
「ヘレナ、お前には明日からギルドサーチに同行してもらう」
「ほえっ!?」
予期せずして矢面に立たされたヘレナは素っ頓狂な声を上げるが、それでもドーナは構わずに話の続きを始める。
「状況が状況だしそろそろお前も覚えておいた方がいいだろ。 ギルドサーチも色々な発見があって楽しいし捨てたもんじゃないぞ?」
「そんな探究心なんて犬に食わせておけばいいんですよ! いいですかドーナさん、私のように貧弱でか弱いくて可愛い女の子がギルドサーチなんてしたら一瞬でお陀仏になります」
「大丈夫だ、安心しろヘレナ!」
「何を根拠にそんな事を言ってるんですか!?」
なんとしてでもギルドサーチをしたくないヘレナは必死になって声を荒げるが、そんな彼女に対してドーナは白い歯を見せて親指を立てる。
「お前は図太い精神持ってるし何よりも貧弱じゃなくて貧乳だ」
彼の一言で空気が凍りつく。
やがて、
「あ、そうですか。それよりもなんでオリヴィエにギルドサーチを頼まないんですか? 私だけなんて不公平ですよ」
ヘレナの胸はさして大きい訳でもなければ貧乳な訳でもない。
なのでドーナに揶揄された所で何の気にも止めずに盛大なスルーをかました。
「なぁ、そこ普通女の子だったらムキーッつって怒るところじゃないの? おじさんオリヴィエから向けられる心から軽蔑したような冷たい視線を浴びて心が痛いんだけど」
「いえ、私は別に軽蔑してる訳じゃありませんよ、ただ………」
オリヴィエは少し悩んだ後にポツリ、
「少し気持ち悪いなと思って」
「それ意味同じだからな? 自由人で傍若無人なヘレナもヘレナだが、平気で高火力な発言を見舞ってくるお前もお前だな」
「なっ、何を言ってるんですか!私は真人間です、ヘレナと一緒にしないでください!」
「あん、喧嘩売ってんのか乳袋」
「だから…………誰が乳袋よ!」
取っ組み合いを始める二人を半眼を作って眺めていたドーナは呆れながら咎めるように咳払いをした。
「とにかくだヘレナ。オリヴィエをギルドサーチに行かせない最大の理由としては受付嬢として優秀だからだ。 その点お前は外回りで必ず成果を出してくれる人材ではあるけど、知っての通り今このギルドは多忙だから外回りをする必要もない」
「むぅ、つまり単純に言えば受付嬢として程度の低い私よりもオリヴィエをギルドに残した方が得策だって言いたいんですか?」
「まぁそんな感じだな」
肯定を示す彼の言い分に納得のいかないヘレナは唇を尖らせ、薄墨色の双眼を細めてオリヴィエに向ける。
オリヴィエはというとそんな視線に耐えきれず、居心地の悪そうにして斜め上を向いた。
「えと、と、とりあえず頑張ってヘレナ! 受付の事は私がやっておくから!」
任せろと言わんばかりに冷や汗を流しながらも豊かに育った胸を叩くオリヴィエを見てヘレナは浅く息を吐いた。
「分かりました、要領のいい私の事ですからギルドサーチもすぐに覚えると思います。ただ、私が普通にギルドサーチをこなせる様になったその時はオリヴィエにもやらせて下さいよ?」
「安心しろ、その時はしっかりオリヴィエにもやらせるから。それじゃあ明日はいつものようにギルドに来るんじゃなくて広場の噴水前に居てくれ」
「分かりましたよ、それじゃあお疲れ様です」
ヘレナは心底面倒臭そうに返事をして軽く手を振ると、カウンターから自らの荷物を持ってギルドの外に出た。
…………もう仕事辞めたい。
今日の過剰な労働に加えて新たな仕事まで増えてしまい、身心共に疲れ果てたヘレナは心中でそんな事を呟きながら帰路に着いたのだった。