ユアルの入家
ある日、一人の小奇麗な初老の男性がクラロ孤児院の玄関先のブザーを鳴らした。
「・・・本当にこんなところにユアル様がいらっしゃるのだろうか。」
手入れのされていない草木や磨かれていない窓を横目で見ると、思わず溜息が漏れた。
「いくら身を隠さなければいけなかったとはいえ、何もこんなブラック孤児院のようなところに入れなくても良かったではないか。あんまりだ・・・お可哀相なユアル様。」
悲劇を嘆いている初老の男性の名はマルクというキリア家の筆頭執事だ。
マルクはユアルを迎えにくる前にちょっとクラロ孤児院ついて調べてみた。
どんな生活をしているのか気になったのだ。
クラロ孤児院を調べた結果、お世辞にも今は良いといえる場所ではなかった。
経営者の代わる5年前までは良い孤児院だった。
モエナという優しく穏やかな女性の経営者が死に、その後釜に入ったファンスという銭ゲバのような女により全てが変わりだした。王府から出る助成金に手を出し、遊郭の男に貢いだり宝石を買い漁ったりしているらしい。財政崩壊も甚だしい状態で噂では孤児院の子らを人身売買にかける予定のところまでいってしまっているらしい。その調査結果を見て心臓が止まるかと思った。
「・・・あのユウリ様の子が人身売買で売られてしまう?」
あの気高くも優しかったユウリ様の子が?聖女のようなユウリ様の子が?
・・・ダメだ、そんなこと決して許されるはずがない。
目を閉じ少し唸った後、マルクは机の引き出しからペンとレターセットを取り出し、今までの経緯とユアルをどうしても早急にキリア家に入れたい旨を祖母にあたるナリア様に訴えた。
きっとナリア様なら了承してくださるはず、その想いで早馬を走らせた。
そして今に至る。
何も反応がないので再度ブザーを二度程鳴らして待つ。
暫くすると薄い扉の向こうからコツコツと靴の音が近づいてきた。
「誰だい?!そんなに何度も鳴らさなくたって聞こえているよ!うるさいね!」
マルクは彼女のバンっと扉を開け不機嫌丸出しの態度に思わず呆気にとられた。
まったく無作法にも程がある。
マルクは思わず目を細め見下した視線をした。
筆頭執事にあるまじき態度だがしょうがない。
「ユアルという娘がここにいるだろう?引き取りたいのだが。」
訝し気にマルクを見ると「いるが、あの娘はもう引き取り先が決まってるんでね。」と言う。
「どこが引き取りたいと申しているのか聞かせてもらおうか。」
「あんたにゃ関係ないだろう。帰っておくれ。」
「いや、関係は多いにある。・・・いくら払えばいいんだ?」
銭ゲバのような女には金が一番手っ取り早い。
ユアル様を物のように金銭でやりとりしたくはなかったがしょうがない。
「・・・そうだね、100デラくらいなら考えても良い。」
恐らく100デラでユアル様を売る予定だったのだろう。
そんな安値なわけないだろう!と怒鳴りたくなったが、ぐっと我慢した。
「では500デラで譲り受けよう。」
「500デラも?!あんな子にそんな価値があるとは思えないが・・・。あの子、何かあるのかい?」
「あなたに関係はない。100デラが500デラになるんだから良いだろう?」
「ああ、もちろん。さっさと連れて行ってくれ。食い扶持が一人でも減ってくれると楽なんでね。」
なんて最低な女だろう。
女の手に金貨の入った小袋をのせながら思う。
何故こうなってしまったのか、と。
「今連れてくるから待ってておくれ。」
「今すぐか?急だが、良いのか?」
「どうせ明日にでもやってしまうつもりだったのさ。一日くらい早くなってしまったって変わらないよ。」
「・・・ああ、ではお願いしようか。」
声が上擦るように出た。
危なかった、急いで来て本当に良かった。
まさか明日にでも売買が行われるとは思ってもいなかった。
「ユアル、あんた此処からさっさと出ていきな。迎えが来たよ。」
「・・・やっぱり出ていかなきゃいけないでしょうか?もう少しだけでも、ここにいたいのですが」
あの子たちのために、という言葉を遮り「うるさい!さっさ来な!下で待ってるからね!」と怒鳴られ追いやられるように部屋を出る準備をする。
別にこの孤児院のことなんてどうでもいい。
だけど、此処には私を実の姉のように慕ってくれる幼い子達がいる。
唯一無二の大事な大事な親友のミネがいる。
だから心配でしょうがない。
あの子達の未来が不安でしょうがない。
「ミネ、お願いがあるの。」
「分かってる、ユアル。任せて。私はまだここに暫くはいるわ。あの女の食事を作らされているうちは利用価値があるもの。」
同い年のユアルとミネ。
ユアルは家事があまり得意ではなく利用価値が無いと判断された。
一方でミネは手先の器用さや家事が得意なことで利用価値があると判断された。
「私、あなたに手紙を絶対書くわ。何があっても、ずっと友達よね?」
「もちろん。ユアル、何とか生き延びて。生きてさえいれば、きっとまた会える。」
お互いの存在を確認するようにきつく抱きしめあった。
涙がポロポロと流れ落ちた。
涙によってお互いの肩が冷たくなってきた頃、「早く来な!」という怒鳴り声が廊下から響いた。
カラカラと馬車に揺られながら私の過去について簡単に説明を受けた。
彼は私の母の味方だったと、すまなかった、と目を潤しながら言う。
そして今後の生活がどんなに苦節でも、私を出来るだけ守る盾になると言った。
私の罪は一体何だろう。
「まさか妾腹のあんたが本当に私の妹だと思ってるの?同じ空気を吸うことさえ嫌気がするのに。お母様なんて話を聞いて寝込んでしまったわ。」
ふん、と鼻で笑う姉だという人。
「そうよ、お婆様がお情けであんたを家系に入れなきゃ良かったのにね。ね、お姉様。」
舌打ちをしながら言う妹だという人。
何故、初対面の人達にここまで言われなければならないの。
皆が羨むような豪勢なお屋敷は、今日から私の新しい監獄になったきがした。