目覚め
僕が美星と別れを告げ、死の淵から脱して目を覚ました時、そばには母さんと父さんがいた。
「光明! ああ、良かった……良かった……。沙夜ちゃんの言う通りだったわ。美星が守ってくれたのね!」
母さんは僕の手を強く握りしめて嗚咽した。その横では父さんが肩を震わせ、無言で涙を流している。
父さんが泣く姿なんて初めて見た。美星が死んだ時も泣いていたのかも知れないけれど、あの頃のことは美星を失ったショックのせいでほとんど覚えていないのだ。
美星は生前から僕と父さんの仲を心配していた。僕の命を助けてくれた美星のためにも、これからは父さんともちゃんと向き合わないと……。
「母さん、心配をかけてごめん。……父さん、見守っていてくれて、ありがとう」
僕は、掠れた声で両親に礼を言った。
僕は病院の個室のベッドに寝かされているようで、部屋の窓からは星々が僕を見下ろしていた。僕が生死をさ迷っている間に雪が降っていたのか、窓ガラスに雪の結晶がはりついている。
「そうだ、愛美。ナースコールを。光明が目覚めたことを知らせないと。それから、沙夜さんと柊くんにも連絡してあげなくては」
「え、ええ。そうね」
僕が目を覚ました喜びに浸っていた父さんと母さんは、自分たちがするべきことを思い出し、急に慌ただしく動き始めた。僕はそんな二人を目で追いながら、父さんと母さんとは違う別の気配を感じていた。
美星が、どこかで見ているのだ。
姉ちゃんは約束通り、僕を見守ってくれている。そう分かっただけで、これからの人生、心細くはないと思えた。
そうだ。たとえ死別しても、その人との絆が失われるわけではない。美星とは、今でも家族の絆で結ばれているのだ。それなのに、僕は今まで美星を失ったことに絶望し、僕のそばにいる生きている人たちとの絆を疎かにしてきた。
今ある命もいつかは失われるのに、美星の時と同じように別れは必ず来るというのに、生きている隣人を大事にしていなかった。そんな生き方を続けていたら、僕は大きな後悔を生きている内に何度もしなければいけないだろう。
沙夜と、ちゃんと話をしよう。僕はそう決意した。
☆ ☆ ☆
夜明け前、僕の元に一番に駆けつけてくれたのは、病院から家が近い薫だった。
「美星さんが、君を守ってくれたんだね。山本さんの言っていた通りだ」
病室に現れて僕の顔を見た薫が最初に言った言葉がそれで、僕は「え?」と驚いた。そういえば、母さんも僕が目覚めた時にそんなことを言っていた。
「美星さんが光明くんのことを必ず守るから大丈夫だって、山本さんがみんなを励ましていたんだよ」
「そうか。沙夜が……」
さすがは美星の親友だ。誰よりも美星のことを理解している。
美星は沙夜を信頼し、家族の色んな悩みを打ち明けていたのだろう。そして、美星の悩みを聞いていたからこそ、沙夜は僕や両親のことを本当の家族のように心配してくれていたのだ。
「なあ、薫。僕は眠っている間に夢を見ていたんだ。姉ちゃんが生きていた頃の夢を。その夢で、お前と会った。姉ちゃんが、星が好きな男の子といつも会っていた図書館で、ばったり会ったんだ。もしかして、薫は姉ちゃんと生前に……」
「ばったり会った」のではなく、あれは美星が、僕に偽りの夢の矛盾を気づかせるため、中学時代には面識がなかった薫と故意に遭遇させたのだろう。でも、そんなことを薫に言っても理解できないだろうから、僕はただの夢として語った。
薫は僕の話に非常に驚いた様子で、目を大きく見開いた。
「それは不思議な夢だね。……たぶん、君のお姉さんと会っていた男子というのは、僕だと思う。僕は、美星さんと中学時代に出会っていたんだ。……今まで黙っていてごめん」
「謝ることなんかないよ。美星にも、死ぬまでに仲のいい男子がいたんだって思うと、僕は嬉しいんだ。ありがとう、薫」
「……うん」
何となくそんな気はしていたのだ。僕をあの夢から引きずり出すのなら、偽りの夢の矛盾を何でもいいから僕に突きつけてしまえば良かったのに、美星はわざわざ薫の幻を使った。それは、美星が薫に対して特別な想いを抱いていた証拠だろう。
「体はもう大丈夫なの?」
「ああ。右足が骨折しているけれど、頭は異常ないそうだ」
「それは良かった。今、こっちに向かっている山本さんには連絡してあげた?」
「うん。母さんが電話してくれたよ。……でも、沙夜とは直接会って、大切なことを話し会わないと」
「大切なこと?」
僕と沙夜が最近お互いに距離をとっていることを知っている薫は、ちょっと心配そうな顔をした。
「沙夜に、僕の気持ちをちゃんと伝えないといけないんだ。これからのために……」
僕が決意をこめてそう言うと、薫は表情を和らげ、
「そうか。がんばってね」
と、僕を励ましてくれた。
「うん」と僕が頷いたちょうどその時、窓から光が差しこんできた。
朝が来たのだ。
☆ ☆ ☆
日が昇りきった後、沙夜が憔悴した顔で病院に駆けつけた。一晩中、雪の街をさ迷い歩いていたらしい。
「みっちゃん……」
僕が事故に遭ったと聞いてから、ずっと泣いていたのだろう。病室に入って来た沙夜の目元は腫れていた。
「僕は外に出ているから」
薫が気を利かせてそう言い、病室を出て行った。父さんと母さんは、僕がしばらく入院するため、僕の着替えなどを取りに家に一旦帰っている。
「沙夜。こっちにおいでよ」
沙夜が部屋の入口から動かずにじっと立っていたため、僕はそう言って微笑んだ。沙夜は、おどおどと僕のベッドに歩み寄る。僕と久しぶりに顔を合わせることができた喜びよりも、
「このまま一緒にいてもお互いに不幸になるだけだから別れよう」
と、切り出されるかも知れないと恐れているようだ。
僕も昨日まで同じで、沙夜と会いたいと思いながらもそれを避けていたのだから、彼女の気持ちは痛いほど分かる。昨日、事故に遭う前に映画に誘ったのだって、沙夜が断るだろうと予想したうえでの誘いだったわけで……。
でも、今の僕は美星のおかげで迷いを捨て去っていた。今なら、新しい一歩を踏み出せる。
「沙夜。僕は、眠っている間に姉ちゃんと会っていたんだ」
「え……?」
美星を失った苦しみを共に味わってきた沙夜ならこの話を理解し、信じてくれると思い、僕が偽りの夢に溺れてあの世へと堕ちそうになったことと、美星に助けられたことを僕は沙夜に話した。
その間、沙夜は何も口を挟まずに僕の話を黙って聞いてくれた。
そして、全てを語り終えた僕は、
「沙夜の言う通り、姉ちゃんは天使になった今でも僕たちのことを見守ってくれていたよ」
と、締めくくった。
沙夜は、僕が話し終えた後、「美星……」と小さく呟き、微笑んだ。久しぶりに亡き友と会えたような、そんな懐かしい気持ちになったのだろう。
「僕は姉ちゃんのおかげで、沙夜とまた会うことができた。もしもあのまま死んでいたら、沙夜との関係に決着をつけないまま死ぬところだった……」
僕がそう言うと、沙夜は悲しげに目を伏せた。
「やっぱり……私たち、別れたほうがいいよね」
震える声でそう言い、沙夜は僕が「そうだね」と言葉を返すのを青ざめた顔で待つ。しかし、僕の返事は違った。
「沙夜。僕は君が好きだ。たとえ、君が『美星』じゃなくても」
沙夜は、僕の言葉をすぐには理解できず、呆けた顔をして僕を数秒じっと見つめ、やがて、「え……?」という疑問の声を口にした。
「で、でも、みっちゃんが私を好きになってくれたのは、私が『美星』みたいな明るい女の子になったからで……」
「沙夜は覚えてる? 昔、姉ちゃんが市立図書館で趣味の合う男子と仲良くしているらしいと知って、姉ちゃんがどんな男子と会っているのか知るために二人で尾行した時のこと」
「う、うん……。結局、美星を見失って、図書館に行ってみてもそれらしい男の子も現れなくて、残念だったねって二人で笑って帰ったよね」
「その時の出来事を偽りの夢の中でもう一度体験したんだ。嘘ばかりの夢の中で、姉ちゃんを沙夜と一緒に尾行した部分だけは現実の記憶とほとんど一緒だった。たぶん、姉ちゃんが、あの時に僕の胸で初めて芽生えた感情を思い出させるために、見せてくれたんだと思う」
「初めて芽生えた感情……?」
沙夜が首を傾げると、僕は少し照れながら言った。
「あの日、僕は沙夜のことを可愛い奴だなって初めて思ったんだ」
「か、可愛い……」
沙夜は直球でそんなことを言われたのが恥ずかしいのか、顔を真っ赤にさせた。……そういえば、僕は沙夜に「可愛い」と今まで一度も言ってあげていなかったような気がする。
「見知らぬ男子に親友をとられるかもってヤキモチを焼いてさ。すごく必死だったじゃないか。口にはしなかったけれど、可愛かったよ、あの時の沙夜。
それに、沙夜と一緒にいて、とても楽しかった。あの日、性格が明るいとは言えなかった僕と沙夜が、いつもと違って生きいきしていたよな。それは、大好きな姉、そして、親友の秘密を探るという共通の目的があったから……。
僕たちは、やっぱり似た者同士なんだ。僕たち、姉ちゃんがあのまま生きていたとしても、お互いをいつかきっと求め合っていた。そう感じたんだ」
「で、でも、私が光明を苦しめた罪は一生消えないわ……」
「それは僕も同じことだ。恋人を姉の身代わりにしてきた僕の罪は絶対に消えることはない。でも……二人の六年間を全て否定することはないじゃないか」
僕は、夢の中で美星に言われた言葉を沙夜に言った。
「沙夜は……姉ちゃんが生きていた頃から、僕のことを好きでいてくれたんでしょ」
「え? どうしてそのことを……。美星が夢の中でそう言っていたの?」
沙夜にそう問われ、僕はこくりと頷いた。
「姉ちゃんに教えられなくても、沙夜の気持ちに気づいていたよ」と言ってあげたかったが、沙夜は僕の嘘をあっさりと見抜く。たぶん、生前の美星が「みっちゃんはこんな表情をした時に嘘をついている」などと、沙夜に教えていたのだろう。
「うん。好きだった……。あなたがさっき言っていたように、私たちはどこか似ていたから……」
「僕は正直言うと、泣き虫で僕の姉ちゃんにベタベタしている沙夜のことが昔は苦手だった。でも、姉ちゃんを一緒に尾行した日、沙夜とはじっくり話し合ったら色んなことを共感できる仲になれるんじゃないかって思ったんだ。。一緒に笑い合って、とても楽しかった。僕は、あの時、沙夜に惹かれ始めていたんだ」
「本当……?」
「沙夜なら、僕が嘘をついているかどうか分かるだろ? 僕の顔をよく見て、判断してくれよ。そして、嘘じゃないと分かったら、やり直そう」
「でも、私たちの六年間は嘘だらけで……」
「さっきも言っただろ? 今までの僕たちをなかったことにはしなくてもいいんだ。たしかに、お互いの気持ちをきちんと確かめず、悲しい現実から目を反らし続けた六年間だったけれど、こうやって二人が思い合う気持ちを作って来られたんだから無駄な六年間ではなかったはずだよ。どんなに過ちだらけでも、人生に全てが無駄だったと言い切れる時間は一つもないんだ」
「…………」
沙夜は、長い間沈黙していたが、やがて、「分かった……」と呟き、ベッドに横たわる僕の顔に自分の顔を近づけた。昔、美星が僕の嘘を見抜くためにやっていた仕草だ。
(姉ちゃん。やっぱり、僕の嘘の見抜き方を沙夜に教えていたんだな)
沙夜に顔を覗き込まれている僕は苦笑した。
「美星のマネをするのは、これで最後にする」
沙夜はそう言い、さらに顔を近づけて、僕の目を見つめた。
沙夜の綺麗な瞳の中に、僕がいる。
その瞳に映る僕は、自分でも意外に思うほど優しげな顔をしていた。
眼差しと、眼差しが、重なり合う。
僕の心と、沙夜の心が、触れ合う。
この世界には、僕と沙夜しかいない。
「光明が、私のことを好きでいてくれて嬉しい……。一緒に、新しい二人になろう?」
沙夜の囁き。
僕は「ああ」と言おうとしたが、途中で沙夜の唇に口を塞がれたため、できなかった。
だから、言葉の代わりに、沙夜の柔らかな髪をそっと撫でた。




