恋人
「光明……行かないでよ……。私を一人にしないでよ……。一人は嫌だよ……」
大雪の中をふらふらと歩きながら、私はそう呟いた。財布の中身は空っぽで、電車やタクシーには乗れない。仕事で忙しいママに迷惑をかけたくないし、家まで徒歩で帰ろうとしたけれど……寒さのあまり凍えそうだ。
「美星。光明を助けて……」
美星は私のたった一人の親友だった。お星様のようなキラキラの笑顔で周りの人間の心を解きほぐす美星の魅力をかけがえのないものだと私は感じ、美星も、
「沙夜は私なんかよりずっと優しい子だよ。沙夜は自分のことを過小評価しているよ」
と、私以上に私のことを理解してくれていた。
美星の死は、私の心を徹底的に打ちのめしたけれど、私よりもはるかにダメージを受け、憔悴していたのが光明だった。
私は、美星が光明のために色んな役を演じていたことを知っている。
姉として世話を焼き、母として甘やかし、父として叱り、友達として一緒に遊び、時には恋人のように寄り添った。両親が年々険悪な仲になり、家庭は崩壊直前で、美星が光明の欲する色んな愛情の形を与えてあげないと、光明の精神はもたなかっただろう。
光明にとって美星はただの姉で済む存在ではなく、彼女の死は光明の死に繋がりかねなかった。このままでは光明が自殺するかも知れないと危惧した私は、美星の代わりに光明のそばにいて彼の世話を焼き続けた。
それは、亡き親友への忠誠心からきた行動だったが、それだけでなく、私とどことなく同じ匂いを持った彼にほのかな好意を以前から持っていたからでもあった。
しかし、根暗な性格の私には、どう励ましたら光明が元気を出すか分からなかった。
(美星なら、どうしただろう……)
悩んだ挙句、私は光明の前で美星のように明るくてニコニコ笑っている女の子を演じてみせた。
最初、その演技はとてもぎこちなく、頭に描いた台本を棒読みしているようなものだった。しかし、光明は、
「沙夜。少し姉ちゃんに似てきた?」
と言い、美星が死んでから初めて笑ったのである。弱々しい笑みだったけれど、その時、私はとても嬉しかった。光明を笑わせることができて、本当に嬉しかったのだ。
翌日から、私と光明は放課後に手を繋いで帰るようになった。今、思い返してみたら、私と光明はどちらからも告白などしていない。知らない内にお互いを必要とする関係になっていた。あえて言えば、私が「美星」を初めて演じた時、今の関係がスタートしたのだ。
美星の死のショックでいまだ頭が混乱していた光明は、私が「美星」を演じているというふうには最初の内は解釈していなかったようだ。だんだんと姉に似てきた、姉の匂いがする私に惹かれていった……。私にはそう見えた。
一方の私はというと、「美星」を演じたら光明が微笑んでくれることに浮かれ、「美星」を演じることで亡き親友と一つになっているような錯覚を覚える喜びに酔い、光明の前では常に「美星」であり続けた。
二人とも、美星の死を受け入れられていなかったのだ。美星の死から目を背け続けたその結果が、私と光明の歪んだ愛の形だった。
高校に進学し、光明は柊くんという親友を得た。その頃には両親の仲も良好なものになっていて、「美星」を演じる私だけが彼の全てではなくなり、光明は冷静さを取り戻していった。そして、自分が恋人を姉の身代わりにし続けていたのだという現実に気がつく。
私には何も言わなかったが、光明が私に対して負い目を抱いていたことは彼の素振りから分かった。時折、私を見る目がとても苦しげだったのだ。
私がこの頃になると「美星」を演じることに疲れ始めていたのを見抜いてもいたようだ。
自分ではない人間を演じるという行為は、私がいったいどんな人間だったのか見失わせかけていた。頭の中で考えていることが、「美星」の思考なのか、私本人の思考なのか、混乱するようになっていたのである。
さらに、光明が「自分が沙夜を苦しめてしまっている」と密かに自分を責めていることを察し、私は私で光明の苦悩の種に自分がなっていることに罪悪感を抱いていた。
私が最初に始めたことなのに、光明は全てが自分の責任のように考えていたのである。
(光明を助けるために始めたことが、結果的には光明を苦しめてしまった。このまま一緒にいたら、私は彼のことを傷つけ続けるだろう……)
別々の大学に進学したのを機に、私は光明と距離を置くようになった。光明も二人が一緒にいることはお互いにとって良くないと考えたのだろう。昔は週に一回はデートに私を誘っていたのが、月に一回、数か月に一回、半年に一回になっていった。
私たちの恋人関係は自然消滅へと向かっている……。
そんなのは絶対に嫌だと心の中で叫んでも、そのほうが光明のためになるのならばそうするべきなのではと、私はずっと悩み続けていた。
(答えが出ないまま、こんなことになってしまうなんて……。もう一度だけ、光明と向き合う時間が欲しい。美星、お願い……。どうか光明を……)
私は亡き親友にもう何十度目か分からない懇願を心の中でした。
そんな時――。
私のスマホが、鳴ったのである。




