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崩れる夢

            <天使の呟き(4)>



 はい。何でしょう、神様。



 え? この夢から出て行けと?



 夢の中であの子と再会できるように取り計らってくれたのは神様なのに、なぜですか?



 ……私が中に入っていたら邪魔? 幸福な夢の上映を妨害するな?



 でも、私は死ぬ時にこんな夢を見せてもらっていませんよ?

 ひき逃げされて、じわじわと苦しみながら死んでいきましたが、死ぬギリギリまで私の意識はハッキリしていました。



 ……はぁ。私は天使にしてもらえたのだから、ありがたく思えと。



 そうは言っても、神様。私、天使になってからも、あの事故があった川原にずっと放置されていて、神様は迎えに来てくれなかったじゃないですか。



 ……ふむふむ、なるほど。私の片割れが六年後に同じ場所で死ぬから、偽りの夢のキャストとなった私と対面させてあげるためにここに置き去りにしていたのだとおっしゃるのですか?



 それは、はっきり言って、有難迷惑ありがためいわくの慈悲というやつです。はい。



 神様の苦しみも分かります。あなたは、生きている人間には何もしてあげられず、お悩みなのですよね。命ある内に私を救うことができなかったのと同じで。



 でも、それでいいんです。人は苦しみながら、それでも希望を捨てずに生きていくしかないのだから。その時に、あなたが人間のささやかな希望になってくれたらいいんです。夜空に瞬く星々が夜道を行く旅人を導くように……。



 そんなことより、あの子を偽りの夢で包み、安からな死に誘うのはやめてください。あの子にはまだ生きて欲しいんです。あの子には死の運命に抗うだけの力がまだ残っています。



 お願いです、この夢を私に壊させてください。



 罰として天使じゃなくなってもいい。あの子がまだ生き続けるという希望さえあれば……!




            ☆   ☆   ☆



 最近、美星は市立図書館によく出かける。


 前から天文の本を借りてくることは多かったが、近頃は休みのたびに図書館に行く。


 何だか、怪しい。


 沙夜もそう考えていたようで、十一月半ばのある日曜日、僕と沙夜は家を出た美星を尾行することにした。


「絶対、好きな子ができたんだよ。それで、図書館でこっそり会っているんだわ」


 ひどく憤慨ふんがいした様子の沙夜は、電柱に隠れるというとても古典的な身の隠し方をしながら(そう言う僕も同じ電柱に隠れている)、そう言った。


 今日の沙夜は、明るい沙夜でも大人しい沙夜でもなく、嫉妬のあまりプリプリと怒っていた。自分の素顔を表に出し切っているようだ。


 親友が見ず知らずの男子に取られるかも知れないとヤキモチを焼くなんて独占欲が強い奴だなと思いつつも、姉が自分以外の男といるのは面白くないと思っている心の狭い僕とは似た者同士かも知れないと妙な親近感を抱いた。


「あんまり顔を出したらダメだよ。美星が振り向いたらバレちゃう」


 電柱から少し顔を出した僕を沙夜がそう言って叱った。


「わ、悪い」


 ……何だか、昔にも二人でこんなふうに誰かの後をつけて、スパイごっこみたいだねと笑い合ったような気がする。それって、いつのことだ……?


「あっ、美星が消えた!」


「え?」


 さっきまで目の前を歩いていた美星が忽然こつぜんと消え、僕と沙夜は驚いた。


「どこに行ったんだ?」


 僕がそう言った時、近くの細い路地からニャーニャーという声が聞こえてきた。


 猫の声ではない。人間の声である。


 不思議に思って顔を見合わせた僕と沙夜は、路地の奥をこっそりのぞき込んでみた。すると、美星が猫の声真似をしながら、嫌がっている子猫を抱いてもてあそんでいたのだ。


 美星はぶちゅーと唇を尖らせて、猫を自分の唇に引き寄せる。


 猫は大人しい性格なのか、二つの前足をピンと伸ばして抵抗はするものの美星の顔を引っ掻こうとはせず、結局、ひたいにキスをされて「にゃー……」と不機嫌な声で鳴いた。


 その光景を隠れて見ていた沙夜と僕は、どちらからともなく笑い出し、


「姉ちゃんらしいな」


「そうだね。美星らしい」


 と、二人の共通の宝物を愛でてそう言い合うのだった。




 その後、美星は、今度は公園で小学生たちとサッカーを始め、尾行している僕と沙夜はじれていた。道草大好きな美星は、なかなか目的地にたどり着かないのだ。


「図書館に先回りして待っていたほうがいいんじゃない?」


「ダメだよ。図書館に行くとか言って、本当は別の場所で会う約束しているかも知れないでしょ?」


 公園の木の裏側に隠れて僕たちがそんなことを言い合っていると、サッカーをやっていたはずの美星が知らぬ間に公園から消えてしまっていた。


「あ、しまった……」


「どうしよう……」


「こうなったら、やっぱり図書館に先回りしていようよ」


 さっきは僕の提案に反対した沙夜も、完全に見失ってしまったものは仕方ないと思ったのか、「分かった」と言ってうなずいた。


(最初からそうしていたほうが良かったかも)


 そう思ったが、沙夜と一緒に美星を尾行していたのは楽しかったというのも事実だ。徒労に終わったけれど、無駄な時間ではなかった。


「じゃあ、図書館に行こう」


 僕と沙夜は、図書館に向かった。



      ☆   ☆   ☆



 地元の市立図書館は僕と沙夜もたまに利用するが、美星は昔からここの常連である。


「あら、美星ちゃんの弟さんとお友達ね。こんにちは」


 女性の司書さんが、僕と沙夜に愛想のいい笑顔で迎えてくれた。僕と沙夜も「こんにちは」と挨拶あいさつを返す。


「あの、姉ちゃんは来ていますか?」


「今日は見ていないわねぇ」


 ……姉ちゃん、まだどこかで道草を食っているのか?


「美星ちゃんがどうかしたの?」


「い、いえ……。あの……」


 司書さんの問いに沙夜は口ごもった。


 沙夜は、幼馴染の僕や美星とは普通に会話できるが、他の人間に話しかけられると緊張して固まってしまう。美星がいたら沙夜のフォローをしてあげるのだが、今は美星がいない。仕方ないから僕がフォローしてやろうと思い、司書さんに何て説明しようかと考え始めた時、沙夜が意外な行動を取ったのである。


「じ、実は……!」


「え?」


 沙夜は、緊張と恥ずかしさのあまり早口になりながらも、自分たちが美星を尾行していたこと、美星が図書館で男の子と会っていることを司書さんに話した。美星をたぶらかそうとしている(?)男子をどうしても見つけ出そうと、沙夜は必死だったのである。


「はぁ。なるほどねぇ……」


 司書さんは苦笑していた。


 しかし、司書さんも美星にボーイフレンドができたかも知れないという話には興味を持ったらしく、


「そういえば、最近、眼鏡をかけた男の子と美星ちゃんがいるところを何度か見かけたわね。ずいぶんと熱心に星について語り合っていたみたいだけれど」


 という情報を僕たちに教えてくれた。


「眼鏡……」


 沙夜は館内をぐるりと見回し、眼鏡の人物がいないかを探した。獲物を狙う鷹のような目つきになっている。


「眼鏡の人が、九人もいる……」


「美星と会っている現場をおさえないと、特定はできないよ」


 僕はそう言いながら、美星と急接近している男子を発見したところで僕たちに何ができるのだろうと考え始めていた。


 美星が恋をしているのならば、邪魔してはいけないと思うのである。美星がそいつのことばかり考えるようになって僕との時間を疎かにするようになってしまったらと思うと、ちょっと……いや、かなり寂しいが、美星は僕の姉であって母親や恋人ではないのだ。独占なんて弟にする権利はない……はずだ。


「沙夜、もう帰ろうか」


 沙夜の色んな面が見られたのだし、それだけで満足するべきだ。ここらへんで切り上げよう。そう考え、僕は沙夜に言った。



 しかし、その時、眼鏡をかけた一人の少年が図書館に入って来たのである。



 温厚そうな穏やかな眼差し。常に微笑んでいるような唇。


 僕は、彼のことを知っている。彼は、


「薫じゃないか」


 ひいらぎ薫。

 僕の親友。


 そう、この時点ではまだ知り合っていない、未来に出会う友。


 あいつは×んだ美星と同じく星が好きで――。


 …………何だって?


 誰が、×んだって?


 どうして、僕は、今の僕が知るはずがない柊薫を知っているんだ? どうして、美星が×ぬなどと……。


 ずぅぅぅん……。ずぅぅぅぅぅぅん……。


 意識が、何かに、引っ張られて――。



「みっちゃん。堕ちたら、ダメ。しっかりして。過去の事実から目を背けないで」



 美星の声がした。


 周囲を見回しても、どこにもいない。


 美星どころか、誰一人として僕のそばにはいない。


 僕は図書館にいたはずなのに、いつの間にか真っ白な空間がどこまでも広がる場所に立っていた。


「姉ちゃん! 沙夜! どこにいるんだよ!」


 僕は、必死に叫んだ。


 一人は嫌だ。恐い。


 姉ちゃん、そばにいてくれ!


 今まで、美星がそばにいてくれたから僕は生きてこられた。

 両親がいさかい、荒んだ家庭の中で、美星だけが僕のお星様だった。希望だった。大切な姉だった。母親だった。恋人だった。僕という人間の根源だった。


 それなのに、×んだなんて! ×んだなんてっ!


 僕は、そんな事実、受け入れない!


 早く、早く、元に戻してくれ! 美星がいて、家族が仲良しで、沙夜が恋人でいてくれる、幸福な世界に戻してくれ!



「光明……行かないでよ……。私を一人にしないでよ……。一人は嫌だよ……」



 白い闇の中で混乱していると、声が聞こえて僕はハッとなった。


 あの声は沙夜だ。さっきまで一緒にいた沙夜よりも少し大人びた声をしているが、あれは沙夜の声に間違いない。白い闇が覆うこの空間の外から、僕を呼ぶ沙夜の声が聞こえてくる……。


「沙夜……。でも、僕は……」


 ここから出たくない。出るのが恐い。僕はそう思った。


 僕が沙夜の呼びかけに答えることを躊躇ためらっていると、今度は別の声が聞こえてきた。


「光明くん。このまま幸せな夢にかったままでは、死んでしまうよ」


 振り返ると、そこには薫が立っていた。



      ☆   ☆   ☆



「……死ぬってどういうことだ?」


「言葉そのままの意味さ。君は死にかけている」


「悪い冗談はよせ」


「冗談なんかじゃない。君は夢を見せられているんだよ。美星さんがそばにいて、山本さんが恋人になっていて、家庭も平和で、幸福な中学時代を送っている、現実にはあり得なかった偽りの夢を」


「偽りの夢……?」


「だって、そうだろう? 美星さんが存命中、君の両親は険悪な関係で離婚寸前だったはずだ。美星さんは、円満な家庭の温かさを知ることなく×んで――」


「や、やめろ!」


 僕は大声で怒鳴った。しかし、薫は動じることなく、言葉を続ける。


「都合のいい偽りの記憶にだまされたらダメだよ。君の両親がお互いに歩み寄り、夫婦仲を修復させたのは、美星さんの×がきっかけじゃないか。君はずっと思っていたんだろう? 美星さんにも、家族の温もりを知って欲しかったと。だから、こんな夢を見ているんだ」


「そんな……ことは……」


「頑固だなぁ。だったら、これを見てよ」


 薫がそう言うと、今まで白い空間にいたはずの僕たちは、僕の家の前に立っていた。しかも、図書館にいた時には昼間だったのに、今は夜である。


「え? ええ!?」


 僕がパニックになりかけていると、二つの話し声が近づいて来た。


 美星ともう一人……あれは僕だ。


「姉ちゃん。このまま二人で家出しようよ。家になんか帰りたくない」


「そんなことをしたらお母さんが心配をして、病気がひどくなっちゃうよ?」


「……うん。そうか……。でも、父さんは絶対に心配しないだろうな。僕は父さんのことが大嫌いだ。あの人は、病気の母さんに冷た過ぎる。家族よりも仕事が大切だなんて、あの人こそ病気だよ」


「みっちゃん。お父さんも仕事が辛くて、それで……」


「姉ちゃんは、なんでそうやって父さんのことをかばうのさ」


「庇っているというわけじゃ……」


 僕は、自分が美星に八つ当たりして困らせている光景を見て、胸に釘を深々と打ちこまれたかのような痛みを覚えた。


 これは、秋の星座を一緒に見て、家に帰って来た時の……。


「君は、父親だって仕事に苦しんでいることを知りながら、家庭がすさんでいる原因を全て父のせいだと決めつけていた。そして、家族の人間関係を悪化させまいと一人で苦心していた美星さんを困らせてばかりいたんだ」


 そうだった……。


 美星は、喧嘩ばかりしている両親の仲裁に入るだけでなく、父親への不満をつのらせる僕の怒りのはけ口になっていたのだ。僕が父さんに生意気な口をきいて喧嘩にならないように、美星が僕の全ての不満を聞いてくれていた。


 美星は、何でも受け入れた。姉としてだけではなく、母の代わりとして僕を守ろうとしていたのだ。そうでなければ、いじけてばかりいた弟のことを途中で突き放してしまっていたに違いない。その美星の優しさは、バラバラな家族一人一人の不満や怒りのはけ口となり、彼女は全てを飲みこもうとして疲弊していったのである。


 あの頃は、自分の心を保つことでやっとだった僕は、美星にどれほどのストレスを与えていたかなんて、考えもしなかった。美星がいなくなって、僕がもう少し大人になってからあの時の自分の言動を振り返り、僕は美星の重荷にしかなっていなかったのではないかという激しい自責の念を抱くようになったのである。



      ☆   ☆   ☆



 また、場面が変わった。


 美星は、キッチンで朝ご飯を作っている。


 時計を見ると、時刻は午前五時。

 この頃、美星は病気の母さんの代わりに、朝早く出勤する父さんのために毎朝早起きして朝食を作っていたのだ。


「あ、お父さん。もうすぐご飯できるから、ちょっとだけ待っていて」


 キッチンに父さんが入って来ると、美星はわずかに怯えを含んだ声で慌てて言った。あの頃、ブラック企業で働いていた父さんは、仕事に忙殺される毎日で苛立っていて、些細ささいな事で家族を怒鳴る恐い人だった。


「そんな時間はない。今日は二十分早く出勤すると、昨日言っただろ」


「え? そんなこと私には……」


「言ったのは愛美にだったか……。まったく、あいつはそんなことも美星に伝えていなかったのか。仕事に出かける夫の食事も作れないくせして!」


「ご、ごめん。私が悪かったんだよ。私がお母さんにちゃんと聞いていなかったから……」


「とにかく、朝食はいらん。急がなければ……」


 そう言うと、父さんは家を出て行った。キッチンに取り残された美星はフライパンに視線をやり、つくりかけのスクランブルエッグを悲しそうに見つめる。


「……これは、私の朝ご飯にしようかな」


 そう呟く美星の顔を見た僕は、驚いた。


 さっきまで泣き出しそうな顔をしていたのに、美星はもう笑顔に戻っていたのである。いつものまぶしいキラキラの笑顔だった。


「なんで……」


「美星はね、自分が笑顔でいることで光明たち家族にも笑ってもらおうと、がんばっていたんだよ」


「さ、沙夜……?」


 今さっきまで薫がそばにいると思っていたのに、僕にそう言ったのは沙夜だった。しかも、僕と付き合う前の内気な少女の沙夜である。


「いつも恐い顔をしている家族に笑顔になって欲しいから……。せめて自分だけは笑顔でいて、美星の笑顔につられて家族がいつか笑ってくれる時を待っていたんだよ」


「美星のキラキラの笑顔にそんな意味があったなんて……。沙夜はそのことを知っていたのか?」


「……うん」


「そうか……。結局、美星だけが家族と真っ直ぐ向き合っていたんだ。それなのに、姉に守られてばかりいた僕が、美星が望んでいた円満な家庭の幸福を今まで味わっていたんだな……」


 僕は、だんだんと思い出してきていた。


 美星が、「死んだ」こと。


 美星の「死」という大きな衝撃が、皮肉なことに家族の絆を取り戻すきっかけとなったこと。


 僕と沙夜は、美星を失った悲しみを互いに理解し合う存在として求め合い、恋人になったこと。


 高校に進学し、美星と同じ天体観測の趣味を持った薫と出会って親友になり、沙夜、薫と共に一見幸福な高校生活を送ったこと。


 しかし、間接的に美星を死に追いやってしまった、僕を含めた家族を心の奥底では許せず、ずっと苦しんでいたこと。


 大学に入ってから沙夜と距離をとり、孤独を深めていったこと……。


「姉ちゃんを失ってからの六年間、僕はいったい何をしていたんだ。家族を恨み、恋人を傷つけて……。誰に対しても不寛容な僕がなぜ生きていて、全ての人間に寛容であろうとした姉ちゃんがなぜ死んだんだ? やっぱり、逆であるべきだったんだよ。姉ちゃんの命日に事故に遭ったのは、きっと姉ちゃんが迎えに来てくれたんだ。だったら、僕は姉ちゃんと偽りの夢の中でずっと……」


「私は、そんなこと望んでいないわ」


 目の前の沙夜が、白いワンピースを着た美星に変わり、怒った口調で僕にそう言った。


 背中には小さな白い翼がついていて、まるで天使のようだ。


「姉ちゃん。僕は……」


「みっちゃん、起きなさい。あなたはいくつになっても寝ぼすけなのね」


 美星は声を和らげ、生前と変わらぬ優しい眼差しで僕に微笑みかけるのであった。

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