空に近い場所
<天使の呟き(2)>
そうだ、これは夢なのだ。
懐かしくて偽りに満ちた夢。
終わりへと堕ちていく夢。
神様が、消えゆく者へ与える最後の夢。
ずるずると、神様が手招き、永遠の眠りへと堕ちていく。
いいの、これで?
終わっていいの?
☆ ☆ ☆
「みっちゃん、朝だよ~。早く起きて~!」
川原で天体観測をした翌朝、僕は美星の元気な声に起こされた。
(あれ? 目覚まし時計は……?)
寝ぼけた頭でそう考え、自分がスマホを握ったまま眠っていたのだと知ると、沙夜の返信を待っていて目覚ましをセットせずに寝てしまったことに気づいた。
「何をぼーっとしてるの? 早く朝ご飯食べましょ。沙夜がそろそろ家に来る時間だわ」
「う、うん」
僕と美星は、十二月二十七日生まれの双子なのだが、小さい頃から母さんが病気で、美星が僕の母親代わりをしてくれていた。だから、美星はたまに母親のような口調で僕に接する時がある。
美星が部屋から出て行くと、僕はスマホを確認した。沙夜からのメールはあれからない。というか、昨夜僕が打ったメールの文章……送信されていなかった。送信ボタンを押し忘れていたのだ。僕は顔を青ざめさせた。
☆ ☆ ☆
僕と美星が朝食を食べ終えてすぐ、家のインターホンが鳴った。
「あっ、沙夜が来たんだ」
洗面所で僕が歯を磨いている横で髪をセットしていた美星は、玄関へドタバタと走って行った。
美星と沙夜は幼稚園の頃から仲良しで、中学生になった今だって二人は無二の友である。恋人の僕なんかよりも、沙夜は美星にべったりだ。
「美星。後ろの髪はねちゃってるよ?」
「セットしている最中だったからねぇー」
「じゃあ、私がしてあげるよ。ブラシちょうだい?」
わいわいと話しながら、美星と沙夜は洗面所に入って来た。二人だけでも手狭な洗面所に三人……。ちょっと歯が磨きにくいんですけれど……。
美星からヘアブラシを受け取った沙夜は僕に遠慮ぎみに会釈をするとすぐに目を反らし、美星の緑なす黒髪を丁寧にブラッシングし始めた。
……昨日のメールに返信しなかったことを怒っているのだろうか?
そういえば、沙夜と付き合い始めた時、僕がケータイをよく家に置きっぱなしにするせいで連絡がつかなくて困ると沙夜に怒られ、最後には泣かれたことがあった。反省した僕はケータイを必ず持ち歩くと沙夜に約束したのである。
……彼女との大切な約束を僕はどうして今さっきまで忘れてしまっていたのだろう。沙夜が口をきいてくれないのも当然だ。ちゃんと謝らなくちゃ。
「……なあ、沙夜」
歯を磨き終えた僕は意を決し、沙夜に話しかけた。ちょうど美星のミニポニーテールが完成し、沙夜にうまくやってもらって美星がご満悦になっていた。
「え? は、はい……」
沙夜は小動物のように肩をピクッと震わせ、おどおどと返事をした。
美星はぎこちない僕と沙夜のやり取りをきょとんとした顔をしながら見守っていたが、すぐに、
「私は玄関で待っているね!」
そう言い残し、さっさと洗面所から出て行ってしまった。
(あっ、姉ちゃん! そばにいてくれよ!)
喧嘩になった時の仲裁役のために美星にいて欲しかった僕は、心の中でそう叫んだが、行ってしまったものはどうしようもない。
今の沙夜は、何だか、付き合い始める前の気弱で泣き虫だった沙夜のようだ。僕がメールを返さなかったせいで、心配性の沙夜は色々と不安になって精神的に弱り、昔みたいな気弱っ子に戻っているのかも知れない。もしそうなら、全面的に僕が悪い。ためらっていないで、早く謝るべきだ。
そう思っていたのだが……。
「どうかしたの? みっちゃん♪」
(へ……?)
美星がいなくなった途端、何かのスイッチが切り替わったかのように、沙夜は快活な笑みを浮かべた。
……いつもの沙夜に戻った?
僕はホッとしつつも、美星がそばにいた時はなぜ昔の沙夜になっていたのだろうという疑問を抱いた。
「……みっちゃん?」
僕が困惑した表情を浮かべて黙っていると、沙夜は小首を傾げて僕を上目遣いに見つめた。
「大丈夫?」
「え? あ、ああ……。大丈夫だよ。昨日はごめんな。姉ちゃんと天体観測に行っていて、うっかりケータイを家に忘れちゃってさ……」
僕はしどろもどろになりながら、沙夜に謝った。
「あはは。ぜんぜん気にしてないよ♪ 今度からは気をつけてねっ!」
輝くような笑顔の沙夜は、あっさりと許してくれた。
良かった……と思いつつも、僕は沙夜が無理をしていないか少し不安になった。美星を手本にして明るい子になろうと努力している沙夜は、
「私、怒る時は自分の執着深い性格が出ちゃって、美星っぽくなくなる……。美星は、怒る時は怒るけれど、怒った後は尾を引かず、さっぱりしているんだよね。私には到底マネできないなぁ……」
という理由で、なるべく怒らないように自分を抑えているのだ。それを僕に告白したのはケータイの件で揉めて仲直りした後のことだった。
僕は、「気にしてないよ」と言う沙夜の笑顔を見て、昨夜と同じように罪悪感が自分の胸を締めつけるのを感じ、この感情はいったい何なのだろうと困惑した。
「二人とも~。そろそろ出ないと、遅刻しちゃうよ?」
玄関から美星の声がして、僕はハッとなった。
「行こう、沙夜」
「うん!」
僕と美星、沙夜は三人そろって家を出ると、いつもの通学路を歩き始めた。
☆ ☆ ☆
昼休み。学校の屋上。
僕と美星は紅葉で赤く染まる街の風景を見下ろしながらお弁当を食べていた。沙夜は、図書委員の仕事があるとかで図書室に行っている。
天文部の美星は、顧問の先生から屋上の鍵をもらっていて、自由に屋上へ行くことができた。だから、美星はよくここで弁当を食べるのだ。
「ふぅ……。ここはいいねぇ~」
弁当を食べ終えた美星は立ち上がると、両腕を鳥みたいに大きく広げて、少し強めの風を体に受けながらそう言った。
美星は高い所……空に近い場所が大好きだ。本人いわく、
「ほんのちょっとでも星に近づくことができるから」
ということらしい。
星なんて、ずっとずっと宇宙の彼方にあるのに……などと僕は思うのだが、ロマンチストの美星はそう考えるのである。
僕は、どれだけ手を伸ばしても届かない星の輝きよりも、すぐそばにいる美星の眩しい笑顔のほうが好きだ。
……この笑顔がもしも失われたら……?
僕はそんな不吉なことを不意に考えてしまい、思わずぶるりと身震いした。なぜそんなことを考えてしまったのだろう……?
い、いや、僕と美星は双子だ。生まれてからずっと一緒で、離れることなんてなかった。そして、これからもけっして離れない。
美星の笑顔は、必ずそばにある。絶対、そうに決まっている。
それなのに、どうして、美星と離ればなれになってしまったらなどという想像を一瞬でも僕はしてしまったのだろうか?
「……姉ちゃん、どこにも行かないよな?」
無意識に、僕はそう言っていた。
高いたかい秋の透き通った青空を見つめる美星の美しい横顔は儚げに見え、急に美星が遠い存在に思えてしまう。
「え……?」
美星は僕の問いかけに驚いたのか、僕を不思議そうに見つめた。
「僕を置いて、勝手にどこか遠くへ行ったりはしないよな? 僕たちはこれからも一緒だよな? 高校に進学して、大学を受験して、一緒に大人になるんだよな? 一緒に年老いていくんだよな? 永遠に……」
自分でも何が不安なのか分からない。でも、溢れ出る言葉は止められず、呼吸をするのも忘れ、そう問いかけた。知らない内に、美星の制服の袖をつかんでしまっていた。
美星は僕を悲しませる言葉は言わない。それを分かっていて、姉に自分の不安な心を落ち着かせて欲しくて、救いを求めたのだ。
しかし、美星は寂しげに微笑むと、こう言うのだった。
「永遠なんて……ないよ。星にも寿命があるように、いつかは終わりが来るんだ」
☆ ☆ ☆
<天使の呟き(3)>
こんな夢、壊さないといけない。
この夢は、あの子には良くない夢だ。
偽りの幸福に包まれ、果てていく。
それが神様の慈悲でも、私は拒絶する。
あの子は、まだ生きないといけない。生きて欲しい。
このまま神様がくれた夢に浸かりきって、戻れなくなってはいけない。
お願いだから、目を覚まして。
あなたの大切な人は、まだあなたの手の届く場所にいるんだよ。




