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沙夜

「美星……?」


 あれは、たしかに美星だった。

 目の錯覚や人違いではない。私が、美星を見間違えるわけがない。



 クリスマス・イヴの今日、私は大学で西洋史の補講をずっと受けていた。必修科目だったため、たとえ疎遠になりつつある彼氏から今日一緒に映画を観ないかと誘われても残念ながら断らざるを得なかったのである。


(残念? ううん、少しホッとしているのかも知れない……)


 私はそんな後ろ向きな考えを打ち消し、真面目に講義を受けようとしたが、今回誘いを断ったことで私と光明はさらに疎遠になってしまうかもと思うと気が気ではなく、講義の内容は半分も頭に入らなかった。


 講義が終わると、私は悶々《もんもん》としながら大学の二号館から出た。私のそばには誰もいない。大学は二年目だが、友達はゼロだ。


 私は幼い頃から、女手一つで私を育ててくれたママや幼馴染の美星、美星の双子の弟の光明みつあきとしかまともにコミュニケーションがとれない根暗な人間である。


 六年前の冬に誰よりも大切な親友の美星を失い、お互いの心の傷をなめあうようにして一緒に生きてきた光明とも距離ができてしまい、新しく友達を作ろうとしない私は大学で完全にぼっちだった。


 父の不倫によって両親の離婚を経験した私は人間不信に陥り、ママ以外では美星しか私の心の中に踏み込ませなかった。そして、美星を失ってからは光明だけだった。今の私には、ママと光明しかいない。


 だから、光明と別れたくなかった。光明と一度ちゃんと話したい。このままでは恋人の関係が自然消滅してしまう。


 ……でも、光明と会う時の私は「私」ではなく、「美星」にならなければいけない。美星のように明るくて、優しくて、包容力のある女の子にならないとダメなのだ。


 それは……とても、とても、疲れることで……。





 美星を見たのは、私がそう葛藤しながら歩いていた時のことだった。


 夕暮れ時。正門へと続くなだらかな坂道。大学生たちの大きくのびた影に紛れて、中学生くらいの小さな影が見えた。


 大学の敷地内になぜ中学生が……と思いながら、じっと立って動かないそのセーラー服の女の子を私は目を細めて見つめる。


 あれは、私が通っていた中学校の制服だ。女の子は短めのポニーテールで、赤く染まる夕空を見上げている。その横顔は夕陽に赤く染まり、とても美しかった。


 何を見ているのだろう。私も空を見上げると、一番星が輝いていた。そうか、この子は一番星を見つけて――。


 私はそこまで考えると、


(この子は美星だ)


 そう直感したのである。美星は学校の帰り道で一番星を見つけたら、


「いーちばんぼーし、みーつけたぁー!」


 と歌い、大喜びしていた。


「美星……?」


 私が驚き、そう呟いて一歩彼女に歩み寄ると、美星の姿は忽然こつぜんと消えてしまったのである。


 美星は死んだ。美星は二度と私の前に姿を現さない。そう分かっているはずなのに、さっきのは間違いなく美星だったという確信があった。


「どうして……?」


 私は立ち尽くしたままそう呟いた。


 仮にあれが私の心が作りだした幻覚だったとしても、美星を失ったショックのあまり茫然自失ぼうぜんじしつとしていた時期ですら見なかった美星の幻をどうして今になって見たのだろうか。光明のことで思い悩んでいたから……というわけでもないはずだ。私は光明の彼女になって以来、彼との関係について悩まなかった日はない。


 だったら、何が原因なのだろう。美星はなぜ私の前に姿を現したのか……。


 やはり、弟思いの美星のことだから、光明がらみかも知れない。


「もしかして、光明に何かあった……?」


 考えすぎかも知れない。でも、今日、十二月二十四日はあの事故があった日だ……。


 急激に嫌な予感が私の胸を走り、震える手でスマホを握って光明に電話しようとした。しかし、この数か月間、光明とはメールのやり取りだけだったのだ。私は久々に彼と言葉を交わす勇気が出ず、仕方がなくメールを送ることにした。



『会いたい。今どこにいるの?』



 私は汗ばむ手で文章を打ち、送信した。


「会いたい……か。言葉を交わす勇気すらないのに、会ってどうしたいんだろう、私……」


 私は自嘲ぎみに笑い、二十分ほどかかる駅への道を歩きだした。


 光明はメールに気づいたら返事をすぐにくれる。光明の身に何か起きていないかぎり、私が駅に着くまでの間には返信が来るはずである。


 付き合い始めた頃、ケータイを家に置きっぱなしにする癖があった光明は私のメールに半日以上気づかないということがよくあったけれど、一度そのことで喧嘩になって私が最終的に泣くと、光明は謝って、以降はケータイをちゃんと持ち歩くと約束したのだ。


 思い返すと、私と光明が本気で喧嘩をして本心を打ち明けあったのは、あの時の一回きりだ。私たちは、お互いに交際相手に対する罪の意識を持ち、遠慮をし合いながら付き合っていたのだ。



      ☆   ☆   ☆



 返信がない。


 駅に着くまでの間、光明からの連絡はなかった。


 デートの誘いを断ったから、怒って無視しているのだろうか?


 ううん、光明はそんな当てつけをするような性格ではない。やっぱり、何かあったのかも……。美星の幻影が頭から離れない私は不安で仕方がなかった。


「やっぱり、電話しよう……」


 光明と久しぶりに口をきくのが恐いなんて言っている場合ではない。

 電車が来るまでの時間、私は駅のホームのベンチに座り、恐るおそる光明の番号に電話をした。しかし、長い間呼び出し音が鳴った後、


『ただいま電話に出ることができません。ピーッという発信音の後にメッセージを残してください』


 という、機械的な女性の声がして、私は慌てて電話を切った。


 私は話すのが苦手だ。自分みたいにつまらない人間が何か話題をふるよりは、相手の話題に付き合い、相槌あいづちを打っているほうが、人間関係が円滑にいくと考えている。


 話し上手であり聞き上手でもあった美星は、そんな私から話を引き出すことができる唯一の人で、美星とおしゃべりをしている時だけは、私は自分の考えていることを自由に言い、美星がそれに対して面白い反応を返してくれたため、私は美星の前では饒舌じょうぜつになれた。


 光明は、私みたいに無口で根暗というわけではないが、少し引っ込み思案な性格である。美星の死後に光明の彼女となった私は「美星」の役を演じ、光明が今どんなことを考えているか必死に考えて、彼が愛していたお姉さんの代わりになろうと努力した。だから、光明と一緒にいる時だけは、私は別人のように明るくてよく気が利く女の子になるのだ。


 しかし、いくら光明のケータイの留守電でも、機械的な声を発する女に対して明るい女の子を演じる気にはなれないのである。


「お願い。早く電話に出て……」


 私は、電車が到着するまでの間に何度も電話をし、留守電の女の声を聞くたびに顔をゆがめながら切り、またかけ直すということを繰り替えした。しかし、結局、光明が電話に出ることはなかった。


(こうなったら、電車を降りたらその足で光明の家に行こう)


 そう決めた私は、



『今どこにいるの?』



 というメッセージをメールでもう一度送ると、電車に乗った。



      ☆   ☆   ☆



 私のスマホが鳴ったのは、電車を降りて地元の駅の改札口をくぐった直後のことである。


 スマホの画面には、「久方ひさかた光明」と表示されていた。


 光明からの電話だ!


「は、はい! もしもし!」


 私は慌てて電話に出た。しかし、聞こえてきたのは光明の声ではなく、少し神経質そうな男性の声だった。


「もしもし。山本沙夜さんですか?」


「え? あ、は、はい……」


 私はいっきにパニックになり、しどろもどろで返事をした。


 な、なんで、光明のお父さん……光太こうたさんが私に電話を? しかも、光明のスマホを使って……。


「何度も息子に連絡をしてくれていたみたいだね」


「え、ええ……」


「今から私が言うことを落ち着いて聞いて欲しいのだが……」


 光太さんは沈痛な声で私にそんなことを言った。


 落ち着いて聞いて欲しい。


 聞く相手が絶対にショックを受けるであろう内容を伝える時につけられる前置き……。何の効果もない、絶望を呼び起こす、不吉な言葉。


 ……そういえば、美星の時も、美星のケータイを使って私のケータイに電話をかけてきて「落ち着いて聞いて欲しい」と私に言ったのは光太さんだった。


 落ち着いて聞いて欲しい。

 光太さん。

 大切な人との永遠の別れ。


 この三つのキーワドがつながり、私は光太さんが次の言葉を言う前から吐き気をもよおしそうになっていた。


 しかし、無情にも、光太さんは、言うのである。全ての終わりを告げる言葉を。


「光明が……六年前の例の場所で……」


 六年前の例の場所。そう言われて、私は「えっ」と声を上げた。


 六年前の冬、美星は家の近所の川沿いの堤防の道路で車にはねられ、亡くなった。


 あの場所で、光明も姉と同じように事故に遭ったというのだ。



      ☆   ☆   ☆



 私は駅前でタクシーを拾い、光明が搬送はんそうされた病院へと向かった。


 あまりにも慌てていたため、タクシー代のことなんて考えておらず、病院に到着した時、運転手さんに、


「三千八十円です」


 と言われて、財布の中身を確認したら、千円札三枚と小銭がほんの少ししかなくて冷や汗をかいた。ぎりぎりで支払うことができたけれど、お金が足りなかったら大変なことになっていたところである。


 病院の集中治療室前の廊下には、光明のご両親の光太さんと愛美まなみさん、そして、光明の高校時代からの親友であるひいらぎかおるくんがいた。


「山本さん。汗、すごいよ。大丈夫?」


 興奮すると汗が噴き出す体質の私を心配して、柊くんが言葉をかけてくれた。彼は、光明がこれまでに持った同性の友人の中で最も心優しい性格をしている。


「う、うん。大丈夫。みっちゃんは……?」


「集中治療室に入ったきりだよ。……意識は回復していない」


「そう……」


 人見知りの激しい私だが、彼氏の親友である柊くんとは緊張しながらも会話することができた。柊くんは、美星と同じ天体観測の趣味があり、そのことが彼に対して好意的になれる大きな要素となっていたのだ。


「沙夜ちゃん」


「お母さん……」


 愛美さんは憔悴しょうすいしきっていて、立っているのもやっとという様子だった。


 愛美さんは、亡き娘の親友で息子の恋人の私のことを実の娘のように可愛がってくれて、私も昔はよく久方家に遊びに来て愛美さんから料理を教わっていた。


 しかし、光明と別の大学に進学して、二人がどちらからともなく距離をとるようになると、私は久方家を訪れなくなったのである。そのことに対して後ろめたさを感じていた私は、愛美さんに何と声をかけたらいいのか分からず、


「あの……私……」


 と、言葉を詰まらせた。


 しかし、愛美さんは、久方家から遠ざかっていた私のことを責めることはせず、


「よく来てくれたわね……」


 涙ぐみながら微笑んでくれたのである。美星に似たその優しい笑みを久しぶりに見た私は、安堵感と嬉しさのあまり、ぽろぽろと大粒の涙を流した。


「美星に続いて、なぜ光明まで……。しかも、美星が事故にあった同じ日、同じ場所で車にはねられるなんて……」


 光太さんが青ざめた顔をして、恨めしさがこもった声でそう呟いた。すると、私に笑みを向けてくれていた愛美さんは、悲しげな表情になって目を伏せ、


「美星が光明を連れて行こうとしているのかも知れないわ……」


 と、恐ろしいことを言った。


 私や柊くんだけでなく、光太さんも驚き、愛美さんをとがめた。


「愛美。変なことを言うんじゃない。美星は……あの子は、天使のように優しい子だったじゃないか。喧嘩ばかりしていた俺たちの間に入って、泣きながら仲裁してくれて……。それに、病気で家事ができなかったお前と、家庭を半ば放棄していた俺に代わり、弟の光明の面倒を小学生の時からずっと見ていたんだぞ。そんな美星が弟を死なせるようなこと……」


「ええ。そうね……。あの子は本当に天使みたいだったわ。聞き分けもよくて、無責任な親の分まで弟に愛情を注いで……。でもね、そんな天使のようだった美星はきっと辛かったと思うわ。あの子は、人に与えるばかりで、誰かに心の安らぎを……愛情を与えてもらえなかったのだもの。

 美星が死んだ後、最愛の姉を亡くしたショックで心神喪失の状態になりかけていた光明のために、私とあなたは離婚を思いとどまり、家族を一からやり直すことにした……。仕事のことしか考えていなかったあなたは、社員を家畜のように働かせていた会社を辞めて転職し、家族に目を向けるようになってくれた。私も、光明が高校に入る頃には病気がようやく治って、光明に母親らしいことをできるようになった。

 ……でもね。天国の美星はどう思っているかしら……。小さい時から家庭が荒れていたせいで自分だけ苦労をかけさせられて、自分が死んだら全てが丸くおさまって普通の家庭になって……。自分は何て損な役回りをしたのだろう、みんなは私がいないのに楽しくてやっている……。そんなふうに恨めしく思っていても不思議ではないわ」


 愛美さんの言葉に、光太さんは「う……」と唸ったきり、黙りこんでしまった。自分たちが美星を追いつめていたという罪の意識が二人にはあるのだ。


 そういえば、光明も愛美さんと同じようなことを私に言っていたことがある。

光明は、両親が不仲で家庭が荒れていた時期、姉の美星にずっと守られ、時には苛立いらだちを姉にぶつけていた当時の自分の未熟さを嫌悪し、円満な家庭の温かさを知らずに死んだ美星のことを忘れられずにいた。


「僕が姉の代わりに死ぬべきだった。……たまにそう考える時があるんだ」


 私にそう語った光明の表情はとても苦しげだったことを今でもよく覚えている。


「……そんなこと、ないと思います」


 私は、光明の言葉を否定した時のように、愛美さんと光太さんにそう言った。驚いた二人は私の紅潮した顔を見る。


「美星は、本当に天使だったんです。演じていたわけではなく、弟のことも心から愛して、何の見返りも求めずに愛情を与えていたんです。喧嘩していたお二人のことも、泣き虫でいじめられっ子だった私のことも、美星は愛してくれた。無償の愛だった。それが、あの子の当たり前だったんです。だから、恨んだりなんて絶対にしていません。私はそう思います」


 美星は、事故で死ぬ数日前、自分は疲れているのだと私に告白していた。

 そんな弱音を美星が吐いたのは初めてのことだったから私はとても驚いたが、彼女は精神が摩耗まもうしてもなお家族の悪口は一言も言わなかった。両親の仲が悪化していくのを悲しみ、弟の光明のことを心配して、自分が一番かわいそうだなんて考えてもいない様子だった。


 たしかに、美星を追いつめたのは家族だったろう。でも、家族を愛して、一家の行く末を案じながら死んでいった美星のことを家族が、


「あの子は、天国で家族のことを恨んでいる」


 などと考えるのは、美星があまりにもかわいそうだと私は思うのだ。


「美星は、本物の天使になった今でも、みんなのことを愛していると私は信じています」


 それは、生きている人間の勝手な解釈なのかも知れない。でも、あれだけ優しかった美星が死後に負の感情を抱いて生前に愛した人たちを恨んでいるなんて、あまりにも悲しい想像ではないか。


「山本さんの言う通りだと思いますよ」


 そう言ってくれたのは、柊くんだった。


「僕は美星さんがどんな人だったのか詳しくは知りませんが、光明くんからお姉さんの話を聞いて、美星さんがどれだけ光明くんのことを大切にしていたか分かるから……。だから、山本さんの言う通りだと思います」


「お母さん、信じましょう。必ず助かるって。美星がきっと守ってくれます」


 柊くんの言葉に背中を押され、私は無神経であることを承知で、光明は必ず助かると断言した。今は、光明の無事を信じることしか、私たちにできることなんてないのだ。


 愛美さんは、わっと泣きだし、


「美星、ごめんね。ごめんね……」


 天国の娘に謝った。それは、生前に愛情を注いであげられなかったことに対する謝罪か、美星が光明を死に引きずりこもうとしていると疑ったことに対する謝罪かは分からなかった。もしかすると、両方なのかも知れない。


 私は愛美さんを抱きしめ、一緒に泣いた。


「二人とも……ありがとう」


 光太さんは、私と柊くんに礼を言うと、祈るような目で集中治療室のドアを見つめるのであった。

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