双子
「みっちゃん。こんな所で寝ていたら風邪引くよ?」
誰かが僕の肩を優しく揺すり、微睡みに落ちていた僕を起こした。
この柔らかく丸みを帯びた声は、母さんでも、恋人の沙夜でもない。双子の姉の美星だ。
「……う~ん……姉ちゃん?」
「こんな所でよく寝られるね」
美星はフフッと笑い、そう言った。
こんな所……?
何だか背中やお尻が痛いなと感じて周囲を見回すと、石がごろごろ転がる川原に横たわっていることに気づいた。レジャーシートを敷いてはいるが、我ながらよくもこんな所で眠れていたものだ。
ああ、そうだ。ここは家の近所の川原だ。近くに民家の灯りがなくて車もほとんど通らないこの場所なら星がよく見えるという理由で、僕と美星は天体観測をしていたのだ。
美星という名前の影響か、美星は星が大好きで、晴れた夜はよくこうやって星空を眺めている。僕は星なんてあまり興味がないのだが、夜にひとけのない田舎の町を姉が一人でうろうろしているのが心配で、美星について来ているのだ。
「ごめん、寝ちゃってた……」
「いつもならもう寝ている時間だからね。そろそろ帰ろうか」
美星は別に怒ったりせずにそう言い、立ち上がって「うーん」と声を上げながら伸びをした。
「いや、姉ちゃんがもっと星を見ていたいのなら……」
「無理しなくてもいいって。寝不足だと、明日の学校辛いでしょ」
美星はそう言いながらレジャーシートを片づけようとした。しかし、僕はシートの上にまたゴロリと寝転んだ。
「どうしたの? 帰るよ」
「まだ星を見ていようよ。少し寝たから目が冴えちゃって。家に帰っても眠れそうにないよ」
「そうなの?」
「うん。だから、姉ちゃんも寝転びなよ。ちょっと背中が痛いけれどさ」
美星は僕が「こうしたい」と言ったことは、「いいよ」といつも頷いてくれる。逆に言うと、自分がやりたいと思っていることでも僕が嫌がりそうなことなら、美星はそれを諦めようとする。甘ったれな弟の面倒をずっと見てきた姉の癖なのだ。
小さい頃に比べたら、僕だって少し成長した。美星がもっと星を見たいと考えていることぐらい分かる。何でも弟優先で行動する美星にやりたいことをやってもらうためには、僕が美星のしたいことを自分のしたいことにするのが一番だ。ただし、勘のいい美星は僕の考えなんて簡単に見破り、
「みっちゃん、無理しているでしょ?」
と、言う時があるから油断できない。
今回に関しては本当に目が冴えてしまって、まだ家に帰りたくない気分だったのが幸いしたようだ。美星はしばらくの間、僕の顔を覗き込んでいたが、
「みっちゃんがそう言うのなら、そうしようかな」
と笑い、僕の右隣に体を横たえた。
「みっちゃん。星空はね、ギリシア神話の壮大な物語を楽しめるんだよ」
美星は、五角形に結ばれたケフェウス座、その近くのカシオペア座、秋の大四辺形の星の一つのアルフェラッツが頭の部分となるアンドロメダ座などを指差し、ケフェウス王とカシオペア王妃の間に生まれたアンドロメダがその美貌が災いして海の神ポセイドンの怒りを買い、化け鯨に食べられそうになったのだと語った。しかし、アンドロメダは運命の王子様ペルセウスに助けられて二人は結婚したそうだ。
「私にもペルセウスみたいな王子様が現れたらなぁ~」
星について語っている美星は生きいきとしていて、僕は星よりも美星の笑顔をじっと見ていた。
僕と美星の幼馴染である沙夜がいつか言っていたことを思い出す。
「美星はね、私にとって希望のお星様なの。たとえ辛いことがあっても、あの子の星みたいにキラキラと眩しい笑顔を見ると、心が救われるのよ」
キラキラの笑顔。
沙夜の表現が、美星の笑顔には一番ふさわしい。美星の微笑みには人を元気づける不思議な力がある。この笑顔をずいぶんと長い間見ていなかったような……とても懐かしい気がして、僕の胸は不思議と熱くなっていた。
……美星の笑顔がなぜ失われていたのか?
頭の中でずうぅぅぅんと鈍く重い感覚がして、何かを思い出しかけたが、深く考えようとするとなぜか急激な眠気に襲われた。
何だ、これ……?
僕が困惑しながら頭を振って眠気を必死に追い出そうとしていると、
「みっちゃん。やっぱり無理してたんだ。眠たいのなら帰ろう?」
と、美星が僕の顔を覗き込んで言った。
美星は僕が何を考えているのかを顔色から読もうとして、こうやって僕の顔を覗き込む癖がある。そして、百発百中で僕の考えていることを当ててしまうのだ。
「もしかして、調子悪い? 風邪?」
「いや、僕は大丈夫……」
「でも、大事をとってもう帰りましょう。星はいつだって見られるんだから」
「うん……」
あまり意地を張って姉を心配させるのは良くないと考えた僕は、大人しく従うことにした。そして、
「今度は毛布や温かい飲み物を準備して来よう。そろそろ寒くなってくるから」
と、美星に提案するのだった。美星は微笑み、
「冬になったら、また一緒に星を見ようね。澄み渡った冬空は、星々の瞬きがとっても綺麗だよ」
そう言うと、僕に小指をそっと差し出した。
「約束」
僕は美星に笑みを返し、姉の白くて細い小指に自分の小指をからめた。
美星の笑顔を目に焼きつけようとしている僕の胸はなぜか苦しかった。
☆ ☆ ☆
僕と美星は、川沿いの道を歩いて家路を急いだ。
さっき美星がケータイで時間を確認したら、知らない内に日付をまたいでしまっていたのだ。
「姉ちゃん、もっと急ごう。母さんと父さんが心配しているよ」
僕はそう言い、星を見上げながらのろのろと歩いていた美星の腕を少し強引に引っ張った。
「え? あの二人が……?」
美星は意外だとばかりに怪訝な顔をした。何か困惑している様子である。
病気だった頃の母さんは薬の影響で夜の九時くらいには眠ってしまい、父さんは仕事が忙しくて家庭を顧みることがない人間だった。でも、母さんの病気はすでに治り、父さんも最近では仕事が落ち着いて少しは家庭的な父親になりつつある。
母さんの病気が重く、入退院を繰り返していた頃、ブラックな会社の激務に父さんの精神はすり減っていて、病気に苦しむ母さんに愛情や同情を示すこともなく、とても冷淡だった。母さんはそんな父さんといつも口論をし、離婚寸前にまでいった時期もあった。
あの頃、我が家はとても苦しかった。両親がいさかい、子どもに愛情を向ける余裕がなかった長い年月、美星だけが僕の心の支えだった。美星は、不器用で頼りない弟の世話を焼くだけでなく、両親が喧嘩を始めると、二人の間に入って仲裁もしていた。僕は美星の背中に隠れて縮こまっていたが、美星は、
「二人とも喧嘩はやめて!」
と、必死になって二人の口論を止めようとしていた。姉の美星ががんばっているのに、それに比べて自分はなんて情けないのだと、当時の僕は弱虫な自分が大嫌いだった。
……いや、今でも自分が好きではない。たぶん、僕はあの頃と何も変わっていない。強くなんかなれていないのだ。
こんなにも頼りない弟で美星に対して本当に申し訳ない。
僕は、美星の困惑した表情をじっと見つめながらそう思った。
……もしかしたら、美星は怒っているのだろうか? とても苦しかったあの頃……美星が両親の不仲に心を痛めていた時に、僕が何の力にもなれず、美星にすがって姉の心の負担を余計に増やしていたことを恨んでいるのでは……。
僕は、時折そんな不安に襲われてしまう。
「早く帰ろう、姉ちゃん」
不安をかき消すように、僕は少し唇を震わせながら笑顔を作って言った。
「うん……。そうだね」
美星は表情を和らげ、いつもの温かな笑顔を僕に見せてくれた。
美星は難しい顔をしていても僕が話しかけると、必ず笑顔を見せてくれる。それを分かっていて美星を無理に笑わせ、姉ちゃんが笑ってくれたと喜んでいるのだから、やはり僕は愚かな弟なのである。
☆ ☆ ☆
「お帰りなさい。こんな時間まで星を見ていたの? 明日も学校があるんだから、歯を磨いたらすぐに寝なさい」
僕と美星が家に帰り、玄関で靴を脱いでいると、母さんの優しい声がキッチンから聞こえてきた。……良かった。怒られなかった。
「うん、そうするよ」
「でも、その前に味噌汁を飲んで体を温めなさい。外は寒かったでしょう?」
僕と美星がキッチンに行くと、残業をして帰って来た父さんがテーブルで遅めの晩ご飯を食べている最中だった。
「母さんが味噌汁を作ってる……」
美星は目をまん丸にしてそう呟いた。
「何を大げさに驚いているんだ、美星は。お前も毎朝母さんの味噌汁を飲んでいるじゃないか。ほら、美味しいぞ。お前たちも食べなさい」
父さんがそう言い、以前なら絶対に見せることはなかった笑顔を僕と美星に向けた。
僕は母さんが作った少しワカメが多めの味噌汁が大好きだ。だから、嬉々として「うん」と頷き、テーブルに腰を落ち着けた。
美星も僕の隣に座り、味噌汁をずずっと小さな音を立てて吸った。
「美味しい。本当に久しぶり……」
美星は感慨深そうに言い、ほうっとため息をついた。
僕と美星は、あっと言う間にお椀を空にした。
「ごちそうさま。僕たち、もう寝るよ」
僕はそう言いながら立ち上がり、美星と一緒にキッチンを後にした。
……と思ったら、美星はキッチンの入口から動かず、父さんと母さんをじっと見つめていたのである。
「どうしたの、姉ちゃん」
僕がそう聞くと、美星はハッとなり、
「う、ううん。何でもない……」
と、歯切れの悪い返事をした。
……いつもハキハキしている美星らしくないな。
「どうして……」
美星がそう呟いた。
何が、どうして、なのか。美星は何に疑問を抱いているのだろう。僕は首を傾げたが、美星はそれ以上何も言わなかった。
☆ ☆ ☆
僕と美星は歯を磨き、おやすみの挨拶をすると、それぞれの部屋に入った。
「あ……。ケータイ、部屋に置きっぱなしだった」
机に自分のスマホを見つけ、僕は着信履歴を慌てて確認した。
恋人の沙夜は、毎晩メールを送ってくる。
今夜観た恋愛ドラマの感想だとか、数学の宿題が難しいだとか、他愛もない内容ばかりだが、沙夜は僕と付き合い始めてから夜のメールを一度も欠かしたことがない。僕はその長いメールの文章を読むと、返信して眠るのが日課なのだ。
沙夜は、僕と付き合うようになってからは親友の美星みたいに明るくて元気な性格になったが、元は暗くて自分に自信がない気弱な子だった。だから、彼女は、メールのやり取りで僕との絆が確かなものであることを確認したいのだろう。
「沙夜、怒っているかな?」
そう呟きながら、僕は沙夜のメールを確認した。
『今、どこにいるの?』
僕は三秒ほど言葉の意味が分からず、スマホの画面を見つめながら固まってしまった。だが、すぐに、メールを送ったのにいくら待っても返信がないから僕がどこかに出かけていてメールの着信に気づいていないのだと沙夜は思い、もう一度メールを送ったのではと思い至った。それで、「今、どこにいるの?」なのだ。
「心配させちゃったかな……」
電話の不在着信が十件。全部、沙夜からだ。沙夜は留守電にはメッセージを残さない。
『ピーッという発信音の後にメッセージを残してください』
と、言われると、沙夜は慌てて電話を切ってしまうのである。
「私、機械音痴だから……」
と、本人は言っているが、機械音痴と留守電にメッセージを入れるのは関係ないと僕は思う。
「今から返信しても沙夜は寝ているだろうけれど、一応メールを送っておくか」
翌朝、「メール返信できなくてごめん」と謝ればいいような気もしたが、彼氏としてそれはちょっと冷たいがする。
僕は、病気の妻に冷淡な態度を取っていた父さんのことを今でも恨んでいる。今の父さんは反省して変わったが、それでも僕は父さんのことを心の奥底では許しきれていない。だから、自分の大切な人を僕は粗略に扱いたくないのだ。
僕は、メールの着信履歴を遡り、今夜、沙夜が最初にどんなメッセージを送ってきたのか確認してみた。
『会いたい。今どこにいるの?』
……夜に会いたいって、何かあったのか? 緊急の用事?
でも、本当に大切な用事で僕にどうしても連絡したいことがあって、僕が返信してこないのならば、美星に連絡するはずだ。
以前はケータイを家に置き去りにしてしまうことがよくあった(今回は久しぶりに忘れた)僕とは違い、美星は外出時にちゃんとピンクのガラケーを持ち歩いている。美星に電話をすれば、美星といつも行動を共にしている僕に連絡がとれると幼馴染の沙夜なら分かるはずだ。
美星は「沙夜から電話だよ」と僕に言わなかった。ということは、美星にわざわざ連絡をしてまで僕と会わなければいけない緊急の用ではないのかも知れない。
……しかし、遠慮深い沙夜にしては、夜に「会いたい」なんて……。
しばらく考えた僕はスマホを操作し、返信の文章を作成した。
『ごめん、今メールに気づいた。大切な用事があって今も起きているのなら、電話してくれ。僕もしばらくは起きているから』
文章を打ち終わると、僕はベッドに腰掛けて小さく溜息をついた。
「沙夜……。何か、忘れているような……」
沙夜の名を口にすると、チクチクと胸が痛む。
罪の意識を僕は沙夜に対して感じていた。沙夜のことで、僕はずっと前から悩んでいた。……そのはずなのだが、具体的にどんな悩みなのかというと、なぜか思い出せない。
何だろう、この感覚。よく分からない……。
僕は沙夜の返信を待つため起きていようと努力したが、思っていたよりも疲れていたらしく、知らぬ間に眠りに落ちてしまうのであった。
☆ ☆ ☆
<天使の呟き(1)>
涙が出るほど懐かしい記憶だった。
でも……。
自分は、終わりを迎えたはずだ。
それなのに、自分はなぜ最愛の片割れのそばに再びいるのだろう?
そして、記憶の中の大きな違和感……。
長い間眠っていたせいか、頭がぼんやりとして考えがまとまらない。
この世界には、何か意味があるのだろうか……?




