第三話
『留守電ですけど入れておきますね。包帯、明後日に取ることになりました。なので、次に羽佐間さんが病院に来るって言ってた日には、羽佐間さんの顔が見れますね。で、メールで連絡が取れるようになります。包帯がとれたら初メール、送っちゃいますね』
それから二週間ほどしてから、官舎に戻って聴いた留守電には彼女の嬉しそうに弾んだ声が入っていた。留守電にメッセージを入れるのが苦手だと言って、なかなか残さなかったが今回は別だったらしい。
「俺の顔もだけど、そっちの顔も見ることが出来るんだがなあ」
恐らく彼女は自分の顔が包帯のせいで分からないままだってことに気が付いていないのだろう。それを知らせてやるべきか否か。時計を見ると既に十時、消灯時間はとっくに過ぎている。しかし相手は個室。一昨日も夜中に話したが、それでも巡回の看護師に見つかったら叱られるので布団の中に潜り込んで話していたらしい。そういう話を聞くとやはり世代の違いを感じることも確かだ。
―― 出なかったら留守電に入れておけば良いんだしな ――
せめて良かったねぐらい入れておこうと発信ボタンをタップした。そして2コール目で声を潜める風花さんの応答があった。
「こんばんは。もしかして今、看護師さんが巡回中かな」
囁き具合からしてまだ看護師は警戒空域にいるとみた。
「こんばんは。いま部屋を出て行ったところです」
「そうか、よかった。留守電、聞いたよ。いよいよ不便な生活から解放されるね、おめでとう」
「ありがとうございます。場合によっては暫くはメガネ生活らしいんですけど、多分、前と変わらない視力のままだろうって」
ゴソゴソと音がして話し声が少し大きくなった。布団に潜り込んだらしい。こういうところが今時の子らしくて何とも可愛らしい。
「そのまま退院じゃなかったんだね」
「はい、もう少し経過観察をしたいらしくて、それと検査も色々とあるみたいなので。羽佐間さんが来る次の日が退院みたいです」
「そうか」
これで一佐のところに顔を出しても彼女に会うことはなくなってしまう訳だ。
「そうだ、俺が行く日、外出許可ってもらえる?」
「外出ですか? たぶん大丈夫だと思いますけどどうして?」
「初顔合わせ記念にデートに誘おうと思って。どうかな。ほら、昨日話していた基地の近くまでのドライブなんてどうかな~なんて」
「さっそく連れて行ってもらえるんですか? 行きたいなあ、絶対に許可もぎ取ります!」
とても嬉しそうな返答に誘ってよかったと思う。とにかく風花ちゃんは素直で可愛い。本当に癒される。
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風花ちゃんの包帯が取れた日、経過報告と外出許可をもぎ取ったという報告が今時の子らしい絵文字満載のメールが届いた。
それまでは彼女がメールを打てなかったから音声での通話だったのでこれからはメールでのやり取りが主流になりそうだ。声が聴けなくなるのは少し残念な気はするが、まあそれは仕方のないことか。
「なんだか楽しそうだな。気持ち悪いぞ、メール読みながらニヤニヤしやがって」
食堂で昼飯を食いながらメールを読んでいた俺に、一緒に飛んでいる相棒の社が声をかけてきた。
「そうか? まあお前と違って頭の中がちょっとした春だからな、俺」
社は現在色んな意味での絶不調の真っただ中にいる。
原因は一年ほど前に配属されてきたれいの整備員のお嬢さんで間違いないのだが、本人はそれを認めたくないらしく未だにジタバタしていた。傍から見ている分には愉快なものだったがまったく往生際の悪い奴だと本心では呆れているのも事実だった。
「次の休暇、デートだし。ふははは、羨ましいだろ、正直に羨ましがれ」
本人が認めようとしない傷口に塩を塗りたくってやったら心底嫌そうな顔をした。
「どこで引っかけた?」
「引っかけただなんて人聞きの悪いこと言うな。葛城一佐の入院先で知り合った子だ」
「看護師か?」
「いや、学生さんだ。言っとくが女子高生じゃなく女子大生な」
「分かっとるわ、そんなこと」
いや、こいつならギリギリ女子高生でも引っかけそうだから俺のこともそう思っているに違いない。
「どんな子だ?」
「横から要らんちょっかい出さないと誓えるなら教えてやる。若干、天然の気のある可愛い子だよ。顔はだな、実はまだ見たことが無い」
「は?」
社が首を傾げた。
「病院で会ったって言ったろ? 包帯をしていてだな、顔が半分見えてなかったから未だにどんな顔つきなのか分からんのだ。ま、次の休暇には分かることだがな」
「怪我人を引っかけたのか、お前」
呆れた奴だなと呟く相棒。
「だから引っかけてなんかいないっつーの。今はまだ電話でお喋りするだけの清く正しいお友達だよ。で、次の休暇が初デートな。年甲斐もなくワクワクしてるぞ、俺」
普段から女に不自由していない相棒が悶々としている今のうちにせいぜい惚気てやろう。社はこちらの魂胆に気がついたのかますます嫌そうな顔をしている。
「お友達からそれなりの地位に昇格できるように祈っておいてやるよ」
「おう。ただし変な祈り方すんなよ。あ、藤崎一等空士、ちょっとちょっと」
食堂に入ってきた相棒の絶不調の原因となっている整備員の姿が見えたので手を振って声をかける。
「おい、なんでそこであいつに声をかけるんだ」
慌てろ慌てろ。まったく眺めている分には愉快でならん。
「なんでって、藤崎さんはお前の乗っているF-2の整備員だからじゃないか。チームは仲良く、相棒のチームとも仲良く、何か問題があるのか?」
ん?と逆に聞いてやったらムスッとした顔をする。
「それと姫ちゃんには頼みたいことがあるんだよ」
コソッと囁くと社が諦めたように溜め息をついた。
「どうされました?」
相棒の愛機の整備を担当している班に所属している整備員。彼女が来てからうちの相棒の様子がおかしくなったと気が付いたのはいつ頃からだったか。
「いやね、今度の航空祭の話なんだけどさ。確か社は地上で待機なんだよな?」
「地上で待機じゃなくて見物客のお相手だよ」
「ああ、なるほど。じゃあ藤崎さんも同じってことでOK?」
「そうですね、何事もなければそうなると思います。それが?」
彼女が横に立った途端に体を硬くしている社。硬くなっているのは体だけなのか?とからかいたくなるがそこはもう少し進展するまで我慢だ。
「その日にね、俺の知り合いが見学に来るんだ。俺は展示飛行に駆り出されているから案内できないし、民間人でまったくその手のことは知らない人だから、出来たら藤崎さんに案内して欲しいなと思って」
「もしかして女性の方なんですか?」
「当たり。学生さんだからね、変におっさんとかにエスコートされても困っちゃうだろ?」
藤崎さんはしばらく考え込む様子。恐らく手が空いている時間を利用して何か別の雑務を入れていたのだろう、それを頭の中で調整しているようだ。
「いいですよ。羽佐間さんのお知り合なら。来る時間が分かったら教えて下さい、案内させてもらいます」
「助かるよ。あ、社、お前は来るなよ? 俺の大事な友達がお前の武勇伝の一部にされたら困るからな」
「誰が!」
相棒の彼女予定に手を出すかと声を出さず口パクだけしながらこっちを睨んできた。そんな社を藤崎さんは呆れたように眺めている。うんうん、こいつの武勇伝を耳にしていたら俺の釘は当然って考えるもんな。
だがこの時の俺は知る由もなかったんだ、この三日後に社と藤崎さんの間柄が劇的に変わることになる出来事が起きるなんて。




