表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/71

逃げ惑う勇者(逼迫)

  ***



 そこは、とても不思議な林だった。まるで木が、アリスを避けて道を作っているかのように見える。決して整備された道があるワケでも、登山道のように人の足が入っている様子もないのに、アリスには進むべき方向が見えていた。


 どうか、どうかこの木々の示す道がマーリンの元へ繋がっているようにと願う。どうか、すっかり変わってしまったこの世界に残る唯一の味方が、この先に居てくれるようにと祈る。そして、元の世界に戻る条件が見つけられると信じる。


 走れ、もっと遠くまで。息切れを気にしている場合じゃない。走れ、その場所が見えるまで。後ろを振り返るヒマなんてない。大丈夫、必ず希望はある。味方はいる。助かる方法はある。魔法は生きている。きっと辿り着く。きっと、きっと――……



「見ぃつけたぁ」


 懸命に走りながら、少しずつ自分で育ててきた希望が、パリンと割れる音がした。アリスの頭上を飛び越えて前に降り立ったその姿と、身の毛がよだつほど悪意に満ちたその声に。

 木々に導かれて動いていた足が止まる。止めざるを得なかった。


「脱獄するなんてヒドいじゃないか、アリス。ボク、言わなかったっけ? 処刑の前に会いに来るよって」

「な、何で、ココに……」

「キミは随分この森に愛されてるみたいだねぇ。木の葉がキミを隠そうと動く姿は滑稽(こっけい)だったよ。けど所詮、その程度のカモフラージュじゃ、下っ端のヤツらは騙せても、オズ様お墨付きの優秀な隠密であるボクは誤魔化せないってコト」


 黒装束に身を包んだ彼――弾んだ声色だけでアリスの背筋を凍らせるハンプティ・ダンプティは、灰色のストールを緩めてニタリと笑う。


「どうする? アリス。今回ボクはオズ様に、キミを連れてくるように命令されてるワケだけど、キミが望むならもう少しだけ、鬼ごっこに付き合ってあげてもいい。とは言え……結果は目に見えてるけどね」


 一歩一歩、圧力を加えるように近づくハンプティに対し、アリスは一歩一歩後退する。が、木々が導く「マーリンへの道」は、ハンプティが立ちふさがっている方向だ。迂回(うかい)してでもそちらに向かわなければ……だがもしも、自分が近付いたことがキッカケで、マーリンまでハンプティに見つかってしまったら……?


 アリスに、熟考する時間など与えられていなかった。

 一言も返さず、後退していた足を止める。捕まって処刑されるオチを回避する方法は見つからない。けれどこのまま後退りしていても、絶対に状況は良くなりっこない。アリスが取るべき行動は一つ――別方向へ走り出すことだった。


「……ふふ、往生際(おうじょうぎわ)が悪いトコも好みだなぁ」



 こんな時だというのに、視界が滲んでくる。嫌だ、ハンプティに捕まりたくない。昨日のことを思い出すだけでゾッとして鳥肌が立つぐらいだ。

 木々はもう、案内をしてくれなくなっていた。アリスがハンプティに追い付かれたことで、マーリンの元への誘導がされなくなったのだろう。それを悲しいとは思わない。ただ、不安だった。


「どっちに行けばいいの……私……」


 道標のない森の中、振り向かなくても分かる追手の足音。

 振り切ろうと足掻いてみるが、無情にもアリスの手は、ハンプティに捕まれた。


「はい、ボクの勝ち」


 強く引っ張られて、大樹の幹に追い詰められる。「壁ドン」ならぬ「(みき)ドン」とでもいうべきか。ちっともときめかないのは、妖しく光る深緑の瞳のせいか、興奮気味な彼の息遣いのせいか。不安と恐怖に全力疾走の疲労も伴って、身体が動かない。


「残念だったね、アリス。……ほら、またボクに可愛い声を聴かせて」


 ハンプティの掌がアリスの髪を撫で、頬を包む。恐ろしくて、耐えられなくて、相手の思うつぼと分かっていても跳ね除けた。


「いやっ……!」


 ところがその手はガシッと掴まれ、ハンプティはニタリと笑って言う。


「ダメダメ。キミはボクとの鬼ごっこに負けたんだから。もう、逃がしてあげないよ」


 ギリッと強まるハンプティの握力が、アリスの手首に痛みを与える。思い通りになるもんか、とアリスは悲鳴をグッと堪えて歯を食いしばった。


「ふふ、アリスはボクを興奮させるのが上手だねぇ。いいよ、もっと抵抗してごらん」


 ますます強くアリスの手首を掴むハンプティ。骨が軋む感覚というか、周りの皮膚や血管が捻り潰されていく感覚というか、とにかく、無言で耐えられる許容範囲を超えた。


「あっ……」


 細身のハンプティに対して、パワータイプの殺し屋ではなくスピードや意表を突く類の殺し屋である印象を、勝手に抱いていた。

 しかし今、彼の腕力を体感して確信する。見るからに打算的で完璧主義な支配者オズが、そんな一面だけに特化した者を裏仕事のトップに据えるワケがない。


「放、して……」

「まだまだ元気いっぱいのようだね、そうこなくちゃ。けど、さっき言ったハズだよ、もう逃がしてあげないって。キミはココでボクとたっぷり遊んだ後、オズ様に処刑されるんだ」

「……いやっ」

「まぁボクとしても、せっかく出会えた好みど真ん中の声が失われるのは惜しいから、処刑の前にオズ様に頼んでみようかなぁ。アリスの声帯の模倣品(コピー)を作ってくれませんかって」


 冗談じゃない。処刑されてなおヘンタイの嗜好品にされるのも、処刑の前にヘンタイを愉しませるのも、断固拒否だ。


 逃げなくちゃ、でもどうやって? どこへ? がっしりと掴まれた手首が放される見込みはゼロだし、万が一解放されても追いかけっこの勝算もゼロ。考えろ、ハンプティの動きを止める方法を。見つけろ、自分が持っている数少ない選択肢を。

 俯いて痛みを堪えていたアリスの目に、「それ」がキラリと映った。


「…………お願い、」

「ん?」

「クラウ・ソラス……!」


 強く、強く祈る。少しでもこの人の動きを制限出来たら、少しでも離れることができたら……。一時的でもいい、抵抗する選択肢があるって思いたい。クラウ・ソラスが自分の元に在ることにも、きっと意味があるはずなんだ……!

 固く目を閉じ叫んだアリスは、次の瞬間、手首の痛みがなくなったことに気付く。ハッとして顔を上げれば、虹色に輝く大きな布でグルグル巻きにされたハンプティの姿があった。


「何だコレ、魔法具……!?」


 さすがのハンプティも、首から足首まで動かせなくなっては、地面に倒れるしかなかった。アリスは咄嗟に走り出す。あの布は間違いなくクラウ・ソラスが変化したもの。つまり、ハンプティを固定させられるのにも時間制限がある。

 単純に考えて、「(ドーム)」と同じ持続時間だろう。となると、アリスの走力では確保できる距離に限度がある。下手に物音を出して走り続けるより、静かに隠れるべきか……いや、相手は凄腕の隠密、一般人のアリスがどれだけ息を潜めたって凌げる気がしない。


 考えながら走るものの、コレだと思う策は何も浮かばず、ふと気付けば、クラウ・ソラスが霧散した後の光の粒が、アリスの首元に戻って来ていた。

 そんな、早すぎる。これだけの距離じゃ、ハンプティに追い付かれるまで……



「一瞬の抵抗だったじゃないか。ボクを舐めてるのかい?」


 枝を飛び渡ってきたらしく、ハンプティはアリスの行く手をふさぐように現れた。


「どうやらキミは相当鬼ごっこが好きなようだね、弱いのに」


 妖しく微笑むハンプティの前で、アリスは考える。

 もう一度あの拘束する布を使って、逃げるべきか。けれど同じことの繰り返しでは、いずれ走るための体力が尽きる。ダメだ、どうしよう、他の方法は、何かヒントは、ダメだ、何も…………何も、ない。


「とっても良い瞳の色だ……ゆっくりと恐怖に染まっていってる」

「こ、来ないで……」

「そんなに拒絶されたら、もっともーっと欲しくなるなぁ」


 口をついて出てくる言葉だけが、かろうじて反発をしていた。でもそれは、あくまでただの条件反射であって、アリスの胸中に抵抗を貫ける精神力はほぼ残っておらず、また、その脳内に突破口を探す思考力も残っていなかった。

 脚が震えて、動かない。走り続けた疲労と、ハンプティの与える圧迫感が、アリスを金縛り状態にさせていた。


「逃げられないなら、好きにしていいよね?」


 ハンプティが恍惚(こうこつ)の表情で舌なめずりをした、その直後だった。



 ヒュッ……ボトッ、


「なっ……!」


 アリスとハンプティの間に、何かが落ちた。パッと見、何処かから飛んできた手のひらサイズの黒いボールだったのだが、ハンプティは目を見開いて後退する。

 途端に、その黒いボールから爆発のようなおびただしい光が溢れ出て……――


 ああ、帰れるのかな……あの時の光の渦に似てるもん。眩しい世界を抜ければきっと、自分の部屋のベッドに戻っているはず。


 ……でも、どうして? この香りは、知ってる。何度も何度も助けてくれた、慰めてくれた……森の香りがする。



「そこら辺にしといてくれるかなぁ?」


 幻聴まで聞こえてくるなんて、いよいよ夢オチが確実になってきた。だって、アーサー王が亡くなってから300年も経ってるのに、そんな時代に居るワケない。

 しかし、うっすらと開けた視界の中、逆光のシルエットには猫耳がついている。さっきの(多分)閃光弾のせいで、まだ目が眩んでて、ハッキリと見えない。分かったことは、自分が誰かに抱きかかえられている、ということ。


「この子は君のオモチャじゃなくて、この世界の大切な勇者サマなんだからさ」


 そんなハズ、無いのに。あり得ないのに。どくんどくんと、期待で心拍数が上がる。ごしごしっと目をこすって、息を呑んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ