イモ虫の講義(知識譲渡)
ワイズ・ワームは語った。桃色の煙をくゆらせながら。
この世界の生物には魔力が内在しており、ただ、「足が速いか否か」と同じく「魔力を使えるか否か」に個人差があること。始祖というのは「初めて魔力をコントロールした者達」であること。そして、4つの系統の特徴と序列について。
最高位の系統は、フェアリー・ゴッド・マザーを始祖とする【無限と調停の系統】――これに属する魔力保持者は非常に少ない。使用できるのは「予知魔法」だが、どれほど鮮明に見通せるかには個人差がある。限りなく続く時の流れを先読みし、世界の調律を行う使命が課せられる。
第2位の系統は、マレフィセントを始祖とする【有限と保全の系統】――マーリンも属している。使用できる「記録魔法」は、保持者によって効果が異なる。限りあるものを保つための魔力と言われる。
残り2つの系統は序列が等しい。ゴーテルを始祖とする【革新の系統】は「創造魔法」を、ロットバルトを始祖とする【破壊の系統】は「支配魔法」を使用できる。
「系統を理解することは、魔力の作用を理解するということだ。たとえば、治癒魔法といっても系統が異なれば『治し方』が異なる」
「治し方?」
「君の知っている魔法使いで説明すると、こうだ。記録魔法を使うマーリンによる治癒は『肉体の再現』――すなわち元通りにすることであり、支配魔法を使うモルガンによる治癒は『細胞への命令』――すなわち活性化させることである」
「同じ結果になってても、過程が違うってことですね」
「さすがだな、理解が早い」
大きく頷いてから、ワイズ・ワームは続ける。
「さて、話を戻さねばなるまいな。マーリンが大魔法使いと謳われる所以は、3種の魔法を操れるという彼の特異体質にある。キャメロットのアーサー王に仕えていた頃には、記録魔法だけでなく、創造魔法、そして微弱だが予知魔法も扱えた」
「すごい……でも、どうして衰えてしまったんですか?」
「魔力の根源は、その存在への信仰であるからだ。科学の発達ゆえに、人々の心は魔力の存在を否定し、その奇跡は失われつつある」
「みんなが、魔法があるって思わなくなったから、魔力保持者たちの魔力も弱くなってるってことですか?」
「左様。魔力とは、時に強く、時に儚い力なのだ」
無意識に、首にかかるクラウ・ソラスに触れた。この魔法具は、魔力の信仰が失われているこんな時代でもきちんと発動するのだろうか。アーサー王は、「祈りの魔法具」だと言っていた。思い出して目を細めるアリスに、ワイズ・ワームは言う。
「クラウ・ソラス……それは遠い昔、ゴーテルの生成した魔法具だな。あらゆる形を『創造』できよう」
「あらゆる? 私、ドームみたいな盾以外の形を見たことがないですが……」
「簡単なこと。その時の君が、最も欲していたものが『盾』だったのだ」
なるほど、とアリスは納得した。クラウ・ソラスが発動したのはアリスがモルガンと対峙し、攻撃を受けそうになった時。もしくは、怪我をしていたアーサー王を守りたいと思った時だった。
ならばもっと別の願いが強く現れれば、クラウ・ソラスも形を変えるかも知れない。もっとも、魔法が否定される時代で機能すれば、の話だが。
「……オズは、この世界から魔法を消し去って、何がしたいんでしょうか……」
「かの者の思考は、小生の有する知識にあらず」
「そう、ですよね……」
オズとの問答を思い出すアリス。あの時確かに、マーリンがいると不都合があると言っていた。科学によって積み上げた実績と地位を、魔力保持者が揺るがしかねない、と。
「ワイズ・ワームさん、私……マーリンさんに会いに行きたいです。居場所とか、手がかりありませんか?」
「手がかりか……ふぅむ。この森はマーリンが自らの身を隠すために再構築した森らしい。元は女王ロゼの私有地・キノコの森であったと」
「この辺りが、ハートキングダムだったってことですか!?」
「左様。それゆえこの地の木々と草花は、エメラルドシティで煙たがられる者達を保護する意思を持つそうだ。小生のような生物も然り」
「植物が、意思を持って動いてるんですか?」
「無論それはマーリンの意思の投影であると見て間違いない。となればアリス、君がマーリンとの再会を望むのであれば、植物が応えてくれるのではないだろうか」
ゆっくりと空を見上げる。屋根のように重なるたくさんの葉の影と、その隙間から覗く宝石のような星々。
近代化が引き起こされたとは言え、この世界の魔法は消えていない。この森のどこかに、マーリンはいる。彼に会えれば、アリスが元の世界に帰る条件も分かるかも知れない。
「あの、最後に一つだけ……この時代では、石碑って何枚見つかってるんですか?」
「7枚だ。全てオズが保管していると聞く」
「そんなに……」
アリスが魔法石を捨てに行った冒険が5枚目に刻まれている、とオズは言っていた。そこからまた二回、この世界に危機が訪れ、勇者が現れ、伝説を残していったようだ。
その中に、自分と同じく2回やって来た勇者はいるのだろうか。そもそも、他の「勇者アリス」はどんな冒険をして、どんな風に帰還したのか……。黙ってぐるぐる考え込み始めたアリスの前に、バターフライが降り立った。
「レディ・アリス、今宵は冷えます。早めに休みなさい」
「あ、はい」
バターフライがアリスを連れてきたのは、ネモフィラの咲き乱れる広場だった。開きかけた瑠璃色の蕾にアリスを降ろし、「明日の朝、迎えに参ります」とお辞儀する。
「あの、バターフライさん! ありがとうございます」
「よい夢を」
月明かりを反射する金色の蝶を見送ってから、花びらをそっとくぐり、蕾の中で横たわる。瑠璃色の花弁に包まれた空間と、漂う花の香りが、浸み込んでいく気がした。
たくさん走って、たくさん考えて、たくさん怖い思いをした日だった。眠りについて、起きた時、自分の部屋のベッドの上に戻っていればいいのに。背中を丸めて膝を抱え込むと、泣きそうになった。
***
「…………なさい、起きなさい。レディ・アリス!」
「ん……?」
「急ぎなさい、出て来なさい、早く!」
「う、わあっ……!」
ぐわんぐわんとアリスの入った蕾が、揺らされている。目を覚ました途端、アリスはその振動のままに後転し、前転し、咄嗟にその辺にあった雌蕊につかまった。
「お、起きました! バターフライさん、揺らさないで……!」
「出て来なさい、早く!」
目覚めたばかりで頭が働かない。分かったことは、まだ元の世界に帰れていないということ。未だ縮んだサイズのままネモフィラの蕾の中にいるということ。そして、バターフライに急かされているということ。
「どうしたんですか……?」
瑠璃色の花びらを押し上げてみると、まだ陽が昇る前の空色が見えた。紺色の中に差し始める桃色や黄色の光に、アリスは目を細める。寝起きの頭と体を何とか起こそうと、背伸びをする。が、全身を伸ばしきる前に、バターフライの一言がアリスの眠気を切り裂いた。
「追手です! 未明にオズの屋敷から捜索隊が出たのです!」
ハッとして思い出す。ハンプティ・ダンプティが、処刑の前にアリスに会いに来ようとしていたこと。きっとそれで脱走が発覚したんだ……。青ざめるアリスを背に乗せて、バターフライはワイズ・ワームの元へ連れていく。
「すまなんだ、アリス……。オズの派遣した捜索隊は武装しているという。小生では君を匿いきれないことは明白」
「謝らないでください。むしろ、一晩泊めてくださって、この時代のことも教えてくれて、ありがとうございます」
ワイズ・ワームに一礼したアリスは、バターフライの方に向き直った。
「バターフライさんが牢屋から出してくれたから、私は今ここにいます。ありがとうございます」
「いいのですよ、レディ・アリス。さぁ、私の羽をお食べなさい」
「え?」
「貴女の身体を元のサイズに戻さなければ」
「……はい」
元のサイズに戻れば、きっともうワイズ・ワームやバターフライの声は聞こえなくなってしまう。それでも、より遠くに逃げるためには必要なことだった。
「追手がこの森に接近した場合、しばらくは花の香りで攪乱できる。だがそれも、もって数分なのだ。捜索隊は恐らく、君の持つクラウ・ソラスを目印にしている」
見つかって追いつかれるのは時間の問題。だからその前に、何としてもマーリンとコンタクトを取り、合流しなければならない。
「マーリンの、そして、森の加護がありますよう」
「勇者アリスよ、君の無事と、疑問の解決を祈願する」
「お二人も、お元気で」
サクッと、バターフライの羽をかじる。フレンチトーストの優しい甘さを感じた直後、アリスの目の前に広がる景色は、ガラリと変わった。
足元に広がるのはクローバー畑と、そのすぐ隣にネモフィラの花畑。
「行かなくちゃ」
花畑の奥に、林が見える。拓けたところを進むよりは、木がたくさんあった方が見つかりづらいはず。そう考えたアリスは、覚悟を決めて走り出した。