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人面イモ虫 ―ワイズ・ワーム―

 金色の蝶が降り立ったのは、美しい花々とみずみずしい草や葉が生い茂る、森の中の野原だった。


「我が子はあちらに」

「はい。ありがとうございます、チョウチョさん」

「いいえ、我が子の役に立てたのなら、本望ですから」


 謙遜する蝶にもう一度だけお辞儀をしてから、草花をかきわけていく。

 と、大きな切り株に突き当たった。右と左どちらから迂回(うかい)しようか迷っているところに、上から声が降ってくる。


「君は、何者だね」

「ひゃっ」


 見上げた先には、平たく言うと「人面イモ虫」がいた。その姿にゾクッとしたが、黄緑色の寝袋をかぶってるおじさんだと思えばあまり怖くない。深呼吸してから返答する。


「私は……アリスです」

「なるほど、小生(しょうせい)はこの世界の君を『アリス』と呼べば良いのだな」

「はい……あの、私は貴方を何て呼べばいいですか?」

「ふぅむ……小生の呼び名は数知れぬ。が、悠久の時を経て受け継がれてきた膨大な知識と知恵を(たた)え、多くの生物は小生をこう呼ぶ……『賢い(ワイズ)イモ虫(・ワーム)』と」


 細いキセルの先から漂う桃色の煙。一体どんなフレーバーなのだろう……疑問に思いながら見入るアリスに、イモ虫はふぅっとその煙を吹きかけた。


「うっ……けほっ、けほっ」

「ツツジを含む嗜好品(しこうひん)だが、君にはまだ早い。……さて、これまでの君の応答を踏まえて、再度問おう。君は、何者だね」


 (むせ)るアリスに投げかけられた質問は、約1分前と全く同じものだった。さすがに「今さっき答えたんですけど」と言い返したくなったが、相手はただのイモ虫ではなく賢い(・・)イモ虫だ。ほぼ間違いなく、表面上にはない何らかの意図を含ませている。

 しかし、今のアリスは「この世界」において、(統率者オズのことも知らないのだから)最も無知な人間と言っても過言ではない。ワイズ・ワームがどんな意図で2度目の質問をしたのか、欠片も汲み取れなかった。


「その質問は……私からどんな答えを引き出すための質問ですか? 貴方が、私の何に関して知りたいのか……申し訳ないですけど、私には分かりません」


 質問に質問で返すのは、あまりやりたくなかった。というのは、自分がそうされるとすごく嫌だからである。情報が欲しくて聞いているのに、結果的にこちらが情報を与えるなんて、違和感を覚えずにはいられない。

 ところが、質問で返されたワイズ・ワームは、少し目を丸くしてからゆるりと口角を上げた。


「結構だ、実によく理解できた」


 アリスが拍子抜けしたのは言うまでもなく、また、ワイズ・ワームもそれを察していた。


「小生が知りたかったのは君の性質である。君は、言葉に込められた奥深くまで読み取ろうとすることができるが、時間を要する。即決が不得手であるがゆえ、即決を求められると直情的になる」

「直情的……ヤケになるってことですか?」

「あたらずとも遠からず。矛盾するようだが、君の直情的とは『無関心』である。これまでに、思考または察知を放棄し、結果、状況が悪い方へ転がっていった経験があろう? もっとも、君はそれを時折起こさねば(・・・・・)ならない。いわば、一級品の思慮深さを有するが故の反動だ」

「我が子よ、レディ・アリスが困っていますよ」

「おや」


 俯くアリスは、ワイズ・ワームの言葉を脳内で繰り返していた。

 心当たりなど、探さなくたっていくらでも思い浮かんだ。自分がトラブルを呼びこむときは、「面倒くさい」「もうどうでもいいや」から始まるのだ。


「優先すべきは彼女の分析ではないでしょう」

「失敬。かのマーリンやマッド・ハッターに見初められた勇者の人物像には、興味があったのだ」


 知っている名前が出て来て、アリスもハッと顔を上げる。突きつけられた分析が正しいかどうか確認している場合ではない。


「あの、どうして……いえ、マーリンさんのお知合いなんですか?」

「左様。大魔法使いマーリンとは、小生とその先祖の恩人である。変わりゆくこの世界において小生が迫害を受けずに生を繋げられるは、マーリンの助力あってこそ」

「ハッターさんとは、どんな……?」

「小生の、というより……かつて、我が一族の生き方を示したのがマッド・ハッターであった」


 懐かしみながら桃色の煙をくゆらせるワイズ・ワーム。まさかハッターの名前まで出されると思っていなかったアリスは、思い切って聞いてみる。


「この世界は……私がマレフィセントの涙を処分してから、どのくらい経ってるんですか? どうしてここまで変わってしまったんでしょうか?」


 数ヶ月前にアリスが冒険した世界は、魔法と奇跡に満ち溢れていた。特にハートキングダムやキャメロットでは、魔力保持者もそうでない者も、獣人も普通の動物たちも、共存していたのに。アーサー王の馬で駆け抜けた王都の様子を思い出すと、拳が震えた。


「あの場所は……どこに、いっちゃったんですか……?」


 しぼり出した声は、上ずっていた。ワイズ・ワームが溜め息のように吐き出した桃色の煙が、ゆっくりと空気に混ざり、色を失っていく。


「アリスよ、君が救ったキャメロットおよびアヴァロンは、既に亡んだのだ。偉大なる王アーサー・ペンドラゴンがその生を終え、この春でちょうど310年目となる」

「さん、びゃく……?」

「混乱せず受け入れる方が無理な話だろう。15年前のことだ、とある科学者が多くの画期的な発明によってその名を轟かせ始めた。機関車、電話、録音機、レントゲン……誰もが彼を天才と崇め、支援し、彼の理想とする政治制度に賛同した。その人物こそ、現エメラルドシティが大臣、オズ・シュタイン」


 産業革命――アリスの脳内にそのワードが浮かぶ。しかし聞く限り、オズが引き起こしたのはそれ以上の爆発的な技術革命のようだ。一般人の少年からも「オズ様」と呼ばれていたのも納得がいく。


「世の中全体の思想に変革が訪れるのにも時間はかからなかった。科学技術で現象を説明できるようになるということは、奇跡とも呼べる魔力は不可解な現象として敬遠され、廃れてゆく。また、拍車をかけたのが、オズの制定した『魔力・魔法具撤廃法』である」

「だから、私は捕えられたんですね……」

「左様」

「でも、そんな発展した時代に私が呼ばれる要素って、あるんでしょうか? ちょっと独裁者ぽかったですけど、オズに頼めば解決してくれそうなのに……」

「オズに助けを()えない者が、君を呼び寄せたのかも知れんな。皆があの者を崇めているが、謎も多い。小生にはとても、短期間に単独であれほど画期的な発明を為せるとは思えないのだ。人間が理想を描き、知識を得てから知恵に昇華させ、実現させるまでに要する時間は総じて長い。小生から見れば、オズこそが異常である」

「我が子よ、彼女への伝達に主観を混ぜてはなりません」

「……そうであるな」


 (かたわ)らでワイズ・ワームに注意する金色の蝶を見て、アリスはふと思い出した。


「あ、あの、チョウチョさん、さっき私がかじった貴女の羽、大丈夫なんでしょうか?」

「不思議なことを言いますね、レディ・アリス。私の命はもうすぐ尽きるのですよ」

「え……?」


 呆気にとられるアリスとは対照的に、いたって冷静に語るワイズ・ワーム。


「憐れむ必要はない。それが小生らの生き方である。小生もいずれ蛹となり、母のようなバターフライとなる。そして卵を産み落とす瞬間に、小生は自らの生の中で得て来たあらゆる知識と知恵を全て卵に託す。つまり今、小生が保有する情報の大部分も、そうして受け継がれてきた宝なのだ」

「欲を言うのであれば、チューリップの蕾の中で眠りたいですね」


 自分の終わりについて穏やかに語れる彼らの客観的過ぎる感覚が、アリスには分からない。その戸惑いを察したワイズ・ワームは言う。


「アリス、君がこのタイミングで小生らに接触した意味は、必ずある。そうして、世界の全ては繋がっているのだ。バタフライ・エフェクト――この時代にはそう呼ぶ人間もいる。マーリンを介し、小生らと君は出遭った。悠久の知識と共に生きる小生が君に与えられるものは何であるか。君が受け取るものが、この先の世界に如何(いか)なる影響を与えるのか。まさに神秘である。見えない未来のピースが、このワイズ・ワームとアリスに握られているのだ」

「……そう言われると、緊張しますね」


 きっと、遅くとも朝になればアリスの脱獄が発覚し、オズによる捜索が始まるだろう。そうなれば、この場所に滞在できる時間も限られてくる。つまり、膨大な知識を持つ彼にどんな質問をすべきなのか……アリスは選ばなければいけない。


「マーリンさんは、生きているんですよね?」

「行方は知れぬが魔力は残っている。小生らが守られているのがその証拠である。しかし魔力が否定される時世、大魔法使いと言えどその力の衰えは必至。今や記録魔法しか使えぬのではあるまいか」

「記録魔法?」

「マレフィセントを始祖とする、有限と保全の系統に属する魔力である。アリス、君には魔力系統に関する知識が?」

「いえ……4つの系統があるってことくらいしか……」

「よかろう。ならば小生が授けよう。受け継がれてきた知識の枝を」

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