南下 ―違える帰路―
前回この世界を訪れた時も、そうだった。アリスの果たすべき「役割」は最初から決定していて、線引きも済まされていた。だから、予定調和と言えばそれまでだが、決してそういうワケでもなく、アリスがどのような形で「役割」を全うするかは、その場その時のアリスに委ねられている感じだ。
「私、地下森林に戻ります。あと、オズがどんな風に裁かれるか、見届けなくちゃ」
「エメラルドシティの愚かな住民たちが、骨の髄まで大臣サマを信仰しているワケじゃないことを祈るばかりだねぇ」
「王女さん、フランケンを預かってくれんのは構わねぇが、場所はどーすんだ?」
「城に運んであげたいわ。このまま野晒しというのはあんまりだもの。それに……城内であれば、起きた時にすぐ話ができる。目覚めたときに誰もいないのは、とても寂しくて怖いでしょう? 私は、その寂しさや怖さを知っているから」
エリーザはフランケンのことを慈しみ深いと評価していたが、それはそのままエリーザにも言えることだとアリスは感じる。彼女がフランケンに注ぐ視線は、まるで古くからの友人に別れを告げられた時のような、切なさと優しさを含んでいた。
***
誰かの声が聞こえる。聞き覚えのあるような、無いような、女の人の声。しかし、何を言っているのかわからない。耳の周りに綿が敷き詰められているような、ぼわわんとした響き方が、聞き取りの邪魔をする。
「大変な苦労をかけ――……」
それだけ、聞こえた。ここは何処だろう、と目を開ける。真っ白な空間。以前、マレフィセントの涙を返した時に導かれた空間に似ている。
「…………アリス」
呼ばれて振り向くと、白い空間の中に、ぼんやりとした人型の輪郭が一人分、かろうじて認識できた。誰ですか、と尋ねようとしたアリスの音声は、喉の奥から出てこない。口は確かに動くのに、音声にならない。妙な感覚に戸惑うアリスに、途切れ途切れの言葉が届く。
「今は――――ないが、いずれ――――呪いに――――――」
全くわからないです、という訴えもまた、音声になってはくれなかった。焦るアリスの様子を知ってか知らずか、女の声はぼわんとしたまま続けられる。
「願わくば我が伴――――を、時計と――――――……」
さっぱり意味が分からないのに、アリスの意識は遠のいていく。というより、この真っ白な世界の外側へ引きずられていく感覚。
貴女は誰? ここは何処? 喋れないのは何故? 何を伝えたいの?
全ての疑問を置き去りに、アリスは眠りに落ちていく。何も聞けなかったけど、聞かされたことは覚えておかなくちゃ……。呪いって、誰が誰を呪ったんだろう……。我が伴って、誰のことなんだろう……。私はこれから、何をすべきなんだろう……。
次々に浮かぶ疑問を反芻しながら、再び目を開けた時、アリスは首に鈍い痛みを感じた。不規則に揺れる車内、隣にもたれかかったまま眠ってしまったようだ。
「あ。起きた」
斜め上から降ってきたのは、チェシャ猫の声だった。もたれかかっていた相手がわかり、飛び跳ねるように距離を取るアリス。すると彼はふっと鼻で笑って大きなため息をついた。
「もしかして、何時間もの間もたれかかって爆睡して、俺の右半身に不必要な重みを与え続けてたことを今更になって申し訳なく思ってるのかい? お察しの通り、お陰様ですっかり血流が悪くなった俺の腕は、現在進行形でしびれて動かせない状態なんだけどさ」
「そっ、そんな風に言うなら起こしてくれれば良かったのに……」
「あーあ、折角空気読んで起こさないでいてあげた俺の思いやりに対して、そう返してくるとはねぇ」
純粋な思いやりで起こさずいたのなら、起きた瞬間に嫌味を言うのもどうかと思う。が、ムッとして言い返そうとしたアリスは、ふと、言い返すべき相手以外が車内にいないことに気付いた。
「ねぇ、ジャックさんや伯爵は? この車、魔力で動いてるんだよね? 運転席にジャックさんいなくて大丈夫なの?」
「大丈夫さ。お弟子サマ曰く、生成時に燃料の代わりとして魔力を積んでたようだから。とりあえず俺達は地下森林の隠居庵に向かってて、お弟子サマと伯爵サマは、大臣サマ連れてエメラルドシティに行ったよ」
「えっ!? だったら私も一緒に街へ……」
「必要ないよ」
オズの目的と本性を知ってしまった身として、市民がオズを裁く場には立ち会わなければと思っていた。しかし実際は、アリスが車内で疲労のあまり眠っている間に、伯爵とジャックが別ルートでオズを搬送し、どうやら裁判の話も進んでしまっているという。
「何でそんな……そりゃあ、私がいたところで手伝えることなんて少ないとは思うけど、」
「ああ、そうじゃなくて。大臣サマについてはお弟子サマが一般市民を装った告発文をしたためて、ほぼ全ての家庭に投函してるんだよ。勿論、変わり果てた大臣サマの姿を映した写真なんかも同封してね。市民はそれ見て大慌てってワケさ。ちなみに大臣サマは気絶したままでいつもの演台に括るって伯爵サマ言ってたから、告発文読まない市民もすぐ事態を把握できるんじゃないかなぁ」
「告発文……じゃあ、フランケンのことも?」
「いいや、こっちから伝えるのはあくまで大臣サマが自分の身体にメス入れてたってだけ。伯爵サマ……つまり吸血鬼の細胞を分析して自分を不老不死に改造しようとした、なんて、それだけでとてつもないインパクトになるだろ?」
つまり、オズが不老不死の研究をしていたことは公開するが、散々街を荒らしに来ていたフランケンがオズの創作物だったことは伏せておくらしい。フランケンのことを明らかにしても、現段階でいつ起きるかもわからない深い眠りについてしまっている以上、何も出来ないからだ。
と、ここまではアリスの脳内で情報を整理できたが、一つ疑問が残った。
「ねぇチェシャ、伯爵が一緒に行っちゃったのってジャックさんだけだとオズが万が一目を覚ました時のためだったりする?」
「察しはいいけど正解じゃないな。伯爵サマは伯爵サマで、外せない用事があるのさ」
「用事?」
聞き返すアリスを前に、チェシャ猫はややわざとらしく悩む素振りをしてみせた。
「口止めされてるんだけどなぁ」
「どうして?」
「アリスちゃん、絶対反対するだろうから」
そう言われてしまってはいっそう気になる。チェシャ猫は間違いなくその心理を分かってて情報を小出しにしているんだろう。何だか少し悔しくなって、アリスは自分で予想できるだけしてみようと、考えた。
伯爵が、アリスの反対を想定して口止めするようなこととは、どんな用事なのか。逆に言えば、伯爵に何かを提案されたとして、どんな内容だったら自分は反対したくなるだろうか。自他ともに認めるフェミニストな伯爵が、アリスの嫌がる提案なんて……
「……もしかして伯爵、エメラルドシティから帰ってこないつもり、なの?」
「おっ、70点かな」
全身の血液が一瞬冷えて、またどくんと熱を取り戻した。チェシャ猫が高得点をつけてきたということは、予想した方向性は間違っていないということ。
「ま、待って、じゃあ……ホントにそういう感じなの!? 私、まだ伯爵にちゃんとお礼言ってないのに……。やっぱり私も今からエメラルドシティに、」
「別れがつらくなるだけだから、見送られたくないんだってさ」
焦りを隠せないアリスの言葉を遮り、窓の外を見ながら話すチェシャ猫。もう車は地下森林の入口をくぐったようで、地上の森とは違う、「根の森」が景色として流れていた。




