忘我の果て ―光―
恐ろしいペースで魔力を消費しているのではないか……そんな不安がアリスの脳内に過る。けれどジャックはこれまでのように倒れる気配もない。
ひょっとしたら、彼自身を包むライトグリーンの光は、ジャックが自分を強化するために使っている魔力なんじゃないか。だとすれば、超回復させながら魔力を使い続けることも……。
だがアリスの希望的仮説は、即座に否定される。
「芸がないねぇ。これって、避け続けたらボクの勝ちってことじゃないかい?」
四方八方から迫る土、というよりもはや岩の塊を最低限の動きでかわすハンプティ。その挑発によって、ジャックは新たな魔法を使った。
依然、岩のミサイルはハンプティに放たれ続ける。同時に、今度は植え込みの枝がまるで意思を持っているかのように自ら伸びて動き始め、タイミングを見計らってハンプティの足に巻きついた。
「何だコレ……ぐっ、」
足首に絡まった枝に一瞬気を取られ、ハンプティは岩を避け損なう。急所は避けたが、先の尖った岩によって、腕、脚、そして腹部が切り裂かれていく。痛みによって動きが鈍ったところで、ついに枝がハンプティを羽交い絞めにした。
「まさか……今までの詠唱が、フェイク……?」
口の端から血を流すハンプティに、ジャックはやはり何も答えない。右手を伸ばしたまま、一歩一歩近づいていく。そして、ジャックの全身を包むライトグリーンの光が、吸い寄せられるように右手に集まっていく。アリスは、本能的に恐怖した。これではまるで、ジャックの方がハンプティをいたぶっているようだ。
「ジャックさん待って! オズの研究や、今回の討伐作戦のことを聞き出さないと……」
駆け寄ってみるが、目線が合わない。違う、これは違う。いつものジャックじゃない。少なくとも、さっきまでアリスを守ろうと戦ってくれていたジャックじゃない。もっと別の何かがジャックを動かし、魔力がジャックの意思とは関係なく高まっている……。
この状態になる直前、ジャックはハンプティに対して「消えろ」と言った。今のジャックは、その目的のためだけに動いているのではないか。とすれば、この魔法が行き着く先は、導く結果は……?
「だ……ダメ!! ジャックさんやめて!!」
ライトグリーンの光……すなわち、ジャックの魔力が集まりつつある右手に、アリスは飛びついて叫んだ。
「絶対ダメ! ジャックさん! そんなことしちゃダメ!!」
アリスの声など聞こえていないのか、ジャックは目の前で羽交い絞めになっているハンプティから視線を逸らさない。そのハンプティは、枝によって四肢を固定されながらも、半笑いで皮肉を言った。
「やっぱり、オズ様のおっしゃる通りじゃないか……魔力保持者は、単なる危険因子だ。従属させ、コントロールしなくちゃ、価値がない」
「違う! ジャックさんは優しい人! 誰かの役に立とうとする真面目な人! 無理なことも笑って引き受けてくれるおおらかな人! 信念を持って戦える、強い人なの!!」
「いいや……これが現実さ。アリス、そいつはね、そーやって感情を暴走させて、殺戮兵器になってくんだ。諦めなよ」
「目を覚ましてジャックさん!! ジャックさんの魔法は、とっても綺麗なんです! だから、あんな奴のために、その手が汚れるのはイヤ!!」
喉から肺まで連鎖していく痺れと息苦しさの中、涙の粒が見えた。涙など流させたくない存在が、心臓を潰されたように追い込まれて。こんなことは、あってはいけない。自分がいるのに、悲しませてはいけない。
―「どうして、ですか? 私には、そこまでしてもらう理由なんて、」
理由を説明した所で、きっと完全には理解されないのだろう。だが未熟な魔法使いだったジャックにとって、以前マーリンから聞かされた「夢物語のような説」は、アリスの到来によって「実際に証明された事象」となったのだ。魔法を信じる存在が多ければ多いほど、そしてその信じる気持ちが強ければ強いほど、魔力保持者の力は増す、と。
アリスがこの世界に来たことで、ジャックの体感で言うと自分の魔力量が倍増したかと思うほどの変化が起きた。マーリンの元で魔力の消費コントロールを学んできた成果かと考えたが、実際にアリスと対面してそうではなかったと確信する。
しかし同時に、疑問も生まれた。どうして彼女は魔法の存在を信じるのだろう、と。遠い昔に魔力が浸透していたこの世界の住民が魔力保持者を毛嫌いしているというのに、異世界から来た彼女は何故こんなにもあっさりと受け入れるのか。更に彼女は、怖がることも避けることもなく、魔力保持者であるジャックを称賛する。もちろん、師匠のマーリンのことも。
未だに理由は聞けていない。だが、長らく忌み子として扱われていたジャックにとっては、信頼を寄せてくれるだけで、笑顔を向けてくれるだけで、充分だった。アリスの力になりたい。温かい感情を向けてくれたアリスに、同じように返したい。
だから……アリスを悲しませる存在は、消さなくては。
彼女の涙を見て、そう感じた瞬間に、ジャックの中で何かが弾けた。一体自分は今、どんな魔法を使っているのだろう……。目の前の存在を消さなくては、アリスが傷ついてしまう。今すぐにでも、跡形もなく消し去らなければ。
―「力を使わんとする時は、己の心とよく相談しなさい。己の心が返す、真直ぐな答えに従いなさい」
懐かしい声が、頭の奥に響いてきた。相談って何だ、どういうことだ。自分を殺そうとしてきた奴は、この世界にとっても有害な奴に違いない。だから消す。絶対に消さなくてはいけない……はずだ。
―「ジャックさん! そんなことしちゃダメ!!」
右手が引っ張られる。誰だ、邪魔するのは。正しいことをしようとしているのに、どうして止められる? 新しい敵か?
―「ジャックさんの魔法は、とっても綺麗なんです!」
…………いや、違う。敵じゃない。この声は……大切な人だ。守りたい存在だ。不思議だな、師匠が去り際に言ってくれたことと、おんなじように褒めてくれるなんて。
ずっとずっと、自分のことが嫌いだった。周りに出来ないことが出来て、それを知られるたびに白い目で見られる。人と関わるのが怖くなって、捨てられた犬と遊んでた。けどある日、犬は車にはねられて動かなくなった。大切な存在がいなくなり、胸の奥が裂けるように痛んだ。もう、失いたくない。もう、二度と……――
「お願い、ジャックさんっ……こんな魔法、使わないでっ……!」
しがみつくように右手を抑え込もうとするアリスの姿が、ようやくジャックの視界に入った。その目の端に、光る物がある。まさか、自分の魔法によって彼女が悲しんでいる……?
「…………嬢ちゃん、俺は、コイツを消さねぇと……」
「そんなことしなくていい!」
ハッキリと告げる彼女の瞳はとても強く、美しい。
「私は、大丈夫。どこも痛くないし、何ともないですよ、ジャックさん」
向けられる笑顔は、最初に会った時と同じく温かい。
……そうだった。この笑顔のために、できることはしたいと思ったんだった。
ジャックの全身から右手に集まりつつあったライトグリーンの光が、すぅっと引いていく。緊張状態が少し解けたアリスは、ゆっくりとジャックに抱きしめられた。
「えっ、あの……ジャックさん?」
正確には、寄りかかられていると言うべきか。先程の魔力の使い方は、やはりジャック自身に負担をかけるものだったに違いない。疲弊が感じられる呼吸をしながら、彼は言う。
「嬢ちゃん……アンタは、俺の……光だ……」
日陰で蹲っているべきだと思っていた自分を、照らしてくれた存在。地下で暮らし続けるしかないという考えを、取っ払ってくれた存在。だからこそ、ジャックにとってアリスはかけがえのない……――
ザシュッ、
「ボクのアリスから離れろよ」
鈍く重い痛みが、ジャックの脇腹から全身を巡った。横目で確認したアリスは、目を見開いて青ざめる。数秒前まで植え込みの枝で羽交い絞めにされていたハンプティが、その拘束を破り、ジャックの脇腹にダガーナイフを深く刺し込んでいた。




