一対多 ―不戦戦法―
「さて、囲まれたままでは居心地が悪い。少し、人数を減らそうか。フランケン、君はそこで最小限、銃撃をかわしていてくれ」
「手伝いはいらないのか?」
「アリス嬢に君の保護を約束したからね。ひとまず私が露払いをしよう」
「恩に着る」
「約束だと? 人間の尊厳を捨てた愚かな化け物の分際で……」
「その化け物の力を、とくと味わうがいいさ」
「たかが吸血鬼一匹、ねじ伏せてやる!!」
パイパーの左手の甲から放たれる赤黒い光を、伯爵はサラリとかわした。まるで、初めから軌道もタイミングも分かっていたかのように。
「残念、遅すぎる」
屋根の上から見ていたフランケンには、伯爵の身体能力が格段に上昇しているのが分かった。先程アリスの血を吸ったのは、再生速度を上げるためだけではなかったのだと理解する。
「君程度の人間では……いや、この程度の軍隊では、私の相手は務まらないよ」
「貴様っ……調子に乗るな!!」
赤黒い光は、オズが開発したという吸血鬼弱体化のレーザー光線。その全てを華麗に避けながら、伯爵は小屋を囲む一般兵に噛み痕を残していく。
「ぐっ、」
「うわあ!」
「来るなっ!」
試しに少しずつ吸血してはみるが、彼らの血はあまり伯爵にとって「美味」ではなかった。女性の血か、強い者の血……その条件に当てはまっていない、ということであろう。
「我が兵の血を吸い、力を蓄えていくつもりか。浅はかな奴め」
「いいや、私が一人で体を張っても、限界があると思ってね」
攻撃を避け、高速で移動しながら、何人もの兵に噛み痕をつけ、少しずつ血を吸う。言うまでもなく、既にアリスから極上の血をもらっている伯爵にとって、彼らからの吸血に「増強」の意味はなかった。欲しかった事実は一つだけ。
「私はね、ヴァンパイアの体質と能力を譲渡することができるんだよ」
小屋の前に降り立った伯爵の薄い笑みに、パイパーは眉をひそめた。爆発で熱を持っていた周辺の空気が、吹き荒れる北風によって元の冷やかさを取り戻していく。
「さっき君が言っていた通り、私もかつては人間だった。その地では名のある家の生まれでね、立派な騎士となるため、日夜剣の修業に勤しんでいたよ。だが領地の存亡を賭けたある戦いに勝利するため、君がいう所の『人間の尊厳』とやらを捨てざるを得なくなってね……。さぁ、閑話休題、今ここで私は何人から血を吸っただろうか。適正があれば、その者はあと1時間ほどで私の眷属だ」
数箇所から、銃が地に落ちる音が聞こえた。どさっと尻餅をつく音も。それは、血を吸われた彼らが恐怖した証。それらの音は全て耳に入ってきてはいるが、そ知らぬふりで伯爵は続ける。
「眷属と言っても精神操作はされないから安心してくれていい。だが適性が無かった者は……残念ながらあと1時間の命だ。近親者に別れを告げに行くことを奨めよう」
伯爵の言葉の意味を軍人それぞれが咀嚼するのに、それほど時間はかからなかった。噛まれた事実と芽生えた疑念、未知への恐怖と湧き起こる絶望……完璧な統制が取れていた軍隊は、瞬く間に瓦解し始める。
「う……うわあああああ!!!」
「嫌だ! 嫌だ嫌だ!!」
「お前、さっき噛まれたよな!?」
「違う! 俺はまだ……」
「く、来るな!!」
「やめろ、やめろーっ!!」
噛まれた者は吸血鬼になるか、死ぬ。芽生えた疑念は驚くほど簡単に膨れ上がってゆき、病原菌のように蔓延し、軍人たちは、銃撃戦を繰り広げ始めた。
「な、何をしている貴様ら!! 持ち場に戻れ!!」
乱れる陣形を目の当たりにし、パイパーも思わず指示出しの声を荒げた。伯爵は、ふぅと一息ついてふわりと屋根まで浮上する。
「フランケン、この軍隊は引き受ける。彼女たちに合流するといい」
「しかし、俺が居ては向こうに軍が行く」
「彼らの頭からはもう、捕縛任務など抜け落ちている。心配ないよ。それより、ジャック君がアリス嬢達から離れてしまったようだからね、女性二人では不安も多いだろう」
「軍の他に不安要素があるのか?」
真っ直ぐ尋ねるフランケンに、察しがいいね、と伯爵は微笑む。そして、眷属のコウモリを二匹、フランケンの傍に遣わせた。
「続きは移動しつつ聞いてくれ。我々にも奥の手はあるが、まだその時ではないんだ」
「奥の手……」
「私はこれでも君を評価したいと思っているんだ。あの無口な女性を、こんな厳しい環境下で守り続け、支え続けてきた君の行動を」
小屋の周りで起こる銃撃戦は、パイパーの叱咤をもってしても収められなくなっていた。疑念という不確かな感情だけを引き金に、彼らは自ら混乱を創り出し、その渦へ陥り、溺れ、仲間同士で命を奪い合っていく。伯爵の知る三百年以上前の戦いでも、ほとんど同じ光景があった。ヴァンパイアの存在を知り、卑下しながら、その能力も性質も苦悩も知らずに喚く大衆。今も昔も変わらない。人の心の脆さも、強さも。
溜息をこぼしながら、伯爵はフランケンに言った。
「少なくとも、つまらないハッタリでここまで慌てふためく彼らより、君の方が何倍も信用できる。それに、君は確かに創られた機械であるようだが、まだ殺戮兵器にはなっていない。ならないで欲しい、というのは私の勝手な願いなんだがね」
「……分かった」
短い返事の後、フランケンは僅かな傾斜の屋根を駆け、空中へと飛び上がった。
「西方の林を突き抜けて直進すれば、壁に囲まれた古王国シグナスだ」
「距離は」
「正確な数値は不明だ。ジャック君が途中で転移魔法を使ってしまったようでね。直進距離で40キロ以上はある。走って行けるかい?」
「俺は疲労とは無縁だ」
「大変頼もしい」
呼吸一つ乱さず応答してくるが、フランケンは並外れた脚力をもって、尋常ではない速さで移動をしているのだろう。伯爵は未だ混乱の渦中にある小屋の周辺を眺めながら、コウモリを通じて語りかける。
「我々が懸念しているのは2点だ。一つは、現時点では姿が確認できていないオズのもう一人の側近。私は彼と数秒しか顔を合わせていないが、相当アリス嬢に執心しているようだった。ジャック君の話では裏仕事を任されているらしいんでね、私の眷属一匹ずつに細工を施していったのは、彼なのではないかと推測している」
「こちらへ来るのか?」
「オズなら向かわせるさ。君を捕獲する今回の作戦に全てを懸けていると言っていい」
そうまでして連れ戻したい理由は本人のみぞ知るところだが、と付け加える伯爵。フランケンは「分からないことがある」と一言。
「ならば軍隊など用いず、父が直接来た方が早い」
「オズの意志に背き脱走した君が無抵抗でいる保証がないだろう? と、ここで我々の二つめの懸念が関わってくる」
「父自身か」
「その通り。しかもその場合はやや戦況が厳しくなる覚悟をしなくてはならない。慎重なオズならば必ず、君の抵抗を抑圧する術を身に着けた状態でやって来る」




