同伴要請 ―一方通行―
だるさを気合いで押し退け、かぎ針と編みかけの一枚を手に取る。あと少し、あと、袖が一本分だけ。集中すればすぐに終わる。終わったら、またあの日々に戻れる……――。
「今、スープ持ってきてもらうからね」
階段を駆け上がって帰って来た女の子……アリスは、そう言って微笑んだ。食べている時間など無い。勿体ない。けれど、コンソメの香りが漂ってくる。食べたい、一口だけ。温かいものが飲みたい……。
コンコン、
「開けてもらっていいか、嬢ちゃん」
「はいっ」
「ん、二人分な」
「ありがとうございます」
入口でおぼんを受け取ったアリスは、鏡台に一旦置いて、木の器を一つ、こちらに差し出した。
「ジャックさんが作ってくれたの。ちょっとでもいいから、一緒に食べよう」
受け取らなければ失礼だ、というのは建前で、空腹感に突き動かされて手を伸ばす。温かい木の器と、沁みこんでくる湯気。初対面の人間から渡された物を口にするなんて、父に怒られるに違いない……そんな風におもいながらも、そっと一口すすった。
「おいしい? おかわりもあるからね」
こちらが一切答えないのを知った上で、話しかけてくるアリス。喉を走っていく程よい熱が、体の奥でじわりと広がる。ああ、おいしい。とてもおいしい。そう言えたなら、どんなに良いだろう。これほどのもどかしさを感じたのは、約二ヶ月前「あの出来事」があって「こんな境遇」に陥って以来、初めてだった。
沁みこむ温かさが、喉から目元にも伝わっていく。気付けば私の視界は滲み、スープを飲む手も止まってしまっていた。
「きっと、大変なことがあって、必死なんだよね」
答える代わりに、スープの器をそっとテーブルに置き、編み物を再開した。熱い目元を袖でこすって、震える手元をゆっくり動かす。
そう、最後まで頑張らなくちゃ変わらない。きちんと成し遂げなくちゃ。早く終わらせて、皆に伝えたい。こんな態度の自分に優しく接してくれて、温かい言葉をくれた女の子がいるんだって。
「編みながらでもいいから、聞いて欲しいことがあるの。私と、ジャックさんっていう魔法使いと、吸血鬼のドラキュラ伯爵は、ずっと南にあるエメラルドシティって街の、オズっていう大臣の命令でココに来た。目的は、貴女と一緒にこの小屋にいる、フランケン・シュタインに会って、話をすること」
情報量が多くて、困惑する。魔法使い? 吸血鬼? オズ? 全部が全部、初めて聞く単語だった。表情から汲み取ったのか、アリスは「急に色々話しちゃってごめんね、混乱するだろうけど許してね」と眉を下げ、真剣味を増した声色で続けた。
「フランケンはね、オズの所から脱走してきたの。詳しい理由は聞けてないけど……とにかくオズは、フランケンを攻撃するためにこの場所に軍隊を送ってくる。もう、一日も猶予がない。だからね、私はフランケンをもっと遠くに逃がしてあげたい。それで、貴女をこの小屋に一人で残すのは危ないだろうから、一緒に私たちの車に乗って欲しいの」
軍隊が攻めてくるなんて、祖国ではあり得ないことだった。何人も侵攻させない高い高い壁が国をぐるっと囲んでいたから。手が止まってしまったのに気付いたアリスは、頭を下げる。
「勝手なこと言ってるのは分かってる。けどこれは私だけの気持ちじゃなくて……フランケンも、貴女を危険な目に遭わせたくないって……まぁ、私たちといても追われるとは思うんだけど……でも、一緒にいたら貴女が怪我しないように助けることもできるし!」
沈黙が流れる。こちらの答えがアリスの求める答えであろうとなかろうと、返答できなければ意味はない。そんな無気力な視線を送ることしかできなかった、その時。
「アリス嬢、緊急事態だ」
ドアがノックされ、アリスは入口に駆けてく。黒いマントに身を包む褐色の肌の男性は、眉間に皺を寄せながら状況を端的に告げた。
「私の眷属が欺かれた。方法は不明だが、現在オズの軍がこちらに迫っている」
「そ、そんな! どの辺りですか? 近いんですか!?」
「先程察知した距離は、ここからおよそ70キロ。一時間以内には着くだろう」
「まだ三日経ってないのに……どうして、」
「派遣を早めた合理的な理由があるのだろうが、考えている時間はない。彼女も含め、急いで出立の準備を」
「はいっ!」
「ひとまず林に停めた車に向かおう。彼女の持ち物も積める」
「そうですね、じゃあ進路はそのまま西で」
「分かった」
伯爵が階段を下りようとした、次の瞬間。
ドガァン!
小屋の外から聞こえてきたのは、結構な規模の爆発音だった。
「一体何が!?」
思わず窓を開けて外を確認したアリスは、広がる光景に目を見開き、息を呑んだ。
「どうなってるの……」
アリス達のいる小屋は既に、360度エメラルドシティの軍隊に囲まれていた。小屋正面のやや奥に配置された軍用車両から姿を見せているのは、指揮官を務めるペーター・パイパー。その視線の先には、ひび割れの見える荒野から立ち上る煙。僅かに残った草木さえも風化させてしまう残虐さを表すような、濁った黒が散漫する。その黒い煙の元を辿った先に、蹲るフランケンの姿があった。
「フランケン!」
「アリス嬢、私が行こう」
呼びかけるアリスの肩を抑え、伯爵が窓から飛び立つ。が、降り立とうとした伯爵に向かって、フランケンは声を荒げた。
「着地するな!!!」
咄嗟に反応して黒い翼でのホバリングに切り替えた伯爵は、フランケンの左脚、その膝より下の布が黒く焼け焦げていることに気付く。
「……これは、」
「怪物ごときが、一丁前に危機通告とはな。化物同士、仲間意識でも芽生えさせたか」
パイパーの冷たい嫌味に、フランケンは答えずただ睨み返す。
「罪深い勇者、そこでよく聞け。オズ様は貴様の契約違反を大変残念がられていた」
「違反? それを言うならそっちでしょ!? こんなに早く来るなんて、」
「派遣の前倒しは報復だ。貴様が、約束の朝8時を待たずして吸血鬼を連れて屋敷を出ていったことに対する、な」
「わ、私はちゃんと8時に出立して、」
「それをどう証明する? 貴様が地下森林で夜を越し、出立時刻を守ったと」
「そ、それはっ……」
何かしらを仕掛けてくるとは予想していたが、こんな屁理屈をこねてくるとは思っていなかった。言葉を詰まらせるアリスに、パイパーは畳みかける。
「怪物フランケンおよび、忌々しい勇者一味に告ぐ。降伏しろ。その小屋は我々エメラルドシティ軍と、我々が仕掛けた無数の地雷に包囲されている」
「地雷!?」
フランケンが蹲っている理由と、伯爵に「着地するな」と警告した理由を、アリスもようやく理解した。しかしまだ一つ、分からない。彼らがどうやって伯爵の眷属であるコウモリの「超音波レーダー」を逃れたのか。そんなこと、気配を消す魔法でもない限り……
……いや、あり得ないことでもない。オズは不老不死の研究に魔力の使用も視野にいれていた。マーリンの居場所を突き止めたがっていた理由もそこにある。つまり、魔力をオプションとして使えるようになる技術の開発をしていても、何も不思議はない。そして、ここに来ているペーター・パイパーという軍人は、オズの取る方針こそ絶対的正義だと考える人物。仮に魔力保持者になる被検体に選ばれたとしても、名誉と感じて喜んで身を差し出すだろう。
「さぁ、選択の時間だ。とは言え……」
(屋敷で義手だと知った)パイパーの左手が、禍々しく赤黒い光に包まれた。
「抵抗は認めない」




