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暴かれる勇者(自覚)

「……どういうこと?」

「さぁ? ボクには理解できないなぁ。初めは嫌がってくれてるのに、何でだろうね? いつの間にか鬱陶しい好意に変わっちゃうのさ。人間の慣れとか愛着、っていうやつ、ホントに邪魔な性能だよねぇ」


 恐らくハンプティは、一種の少女漫画的展開のことを言っているだろう。出会いは最悪だったけど最終的には好きになった、そんなストーリーはテレビドラマでもよくある。

けれどアリスはハンプティに対して、この先どれだけ接したとしても、友好関係を築けそうにはない。


「つまんなくなっては捨てて、不毛な繰り返しだったよ。でも神はボクをキミに出会わせてくれた! キミは絶対にボクに好意をもたないって、確信してるんだ。そうだろう?」


 狂気で輝くハンプティの瞳が、恐ろしい。(もちろん好意を持つつもりはないが、)ここまでハッキリと言い当てられて、アリスは息を呑んだ。どうしてハンプティが、そんな確信を持っているのか。アリスの胸中に宿る恐怖と疑問を見透かして、ハンプティは「ふふっ」と笑った。


「そうかぁ。アリスも、オズ様と同じタイプの人間なんだね。自分の内なる本能すら、考えないと(・・・・・)分からない。脳内で思考して、論議して、咀嚼して、理解しないと、受け止められない」

「て、適当なこと言わないで! 私は、自分のことくらい自分で、」

「本当かなぁ? じゃあ試してみようか。キミはこの先、何があろうと、ボクに嫌悪を向け続けてくれる……ボクがそう確信してる理由を、キミは分かってないよね?」


 ハンプティが目を細めて微笑み、それこそ本能的にアリスの中で警鐘が鳴らされた。

 聞いてはいけない、この話を最後までさせてはいけない。聞いたら何かが壊れる気がする、元に戻れなくなる気がする――……。

 でも何故そんな危機感が働くのか、理由が掴めない。これが、ハンプティの言っていることなのか。


「教えてあげるよ、ボクは嫌悪にも好意にも敏感なんだ。アリス、キミがボクに向ける絶対的嫌悪の根源はね、とってもカンタンな話さ。ボクがアイツ(・・・)を殺しかけたからだ」


 自分の脳に、亀裂が走る音がした。聞いちゃダメだ。この先は危険だ。聞いたら戻れない。そんな気持ちは、自覚しちゃいけない……。


 反射的に耳を塞ごうとしたアリスの手は、ハンプティに抑えられた。


「ほら、やっぱり分かってなかったじゃないか。ボクへの嫌悪の理由は、アイツへの好意だ」

「ち、違う……」

「キミはボクを許せない。キミの愛する者を傷つけたから」

「いや……やめて、」


 あり得ない。あってはいけない。こんな気持ちは、知られちゃいけない。


「アリス、気付かないフリはよしなよ」

「やだ、」

「キミは、あの猫に……恋してるんだろう?」

「違うっ……!!!」


 ハンプティに阻まれて、アリスは自分の耳を塞ぐことも、零れた涙を拭うことも、できなかった。どうして泣けてきたのかも、わからなかった。

 自覚しちゃいけないと、本能的に判断していたのだ。その気持ちを認めてしまったら、叶わないことが確定してしまう。これまで通りに話して、笑いあうことだってできなくなってしまう。それに何より……元の世界に、帰りたくない理由ができてしまう。

 その全てが嫌だった。受け入れたくなかった。


「何が違うんだい?」


 アリスの手を放し、俯いていたその表情を確かめるように顎をあげさせるハンプティ。振り払おうにも、力が入らなかった。


「……放して、」

「涙声も可愛いね」


 話が通じないことに苛立つ余裕すらなくなっていた。無意識に抱いていた好意、それを必死に隠して見ないようにして引いてきた一線……全部が弾けて一気に押し寄せて、息苦しい。

 好きじゃない。好きになっちゃいけない。好きなわけない。好きになるはずない。好きになってもどうしようもない。自分の理性はそうやって、ちゃんと機能しているはずだった。

 それなのに、心の奥で燻っていたものは、アリスの想定よりもだいぶ大きくなっていて。好きかもしれない、どころじゃなくなっていたらしい。


「さぁて、ボクが教えてあげたおかげで内なる恋愛感情を自覚できたんだ。ねぇアリス、今度はボクの要望を聞いてよ」

「いや……」

「そう言ってもらえると心が弾むねぇ」

「出てって……出てってよっ!!!」


 反発すればするほど、抵抗しようとすればするほど、ハンプティの視線は恍惚とする。その性質を逆手に取った策を練れればいいが、引っ掻きまわされたアリスの精神は限界を迎え、それどころではなかった。


「キミの悲鳴を聞くと、もっともーっとイジめたくなるなぁ」

「ふざけないでっ……」

「大真面目だよ。心の底からボクは、キミの声が好きなんだ」


 せめてもの抵抗でハンプティの肩を押すが、びくともしない。

 涙で視界がぼやける中で、どうしたらいいのか分からなくなったアリスの耳に、ふと、第三者の声が聞こえてきた。


「とてもそうは見えないが」


 聞いたことのある声だと思った、次の瞬間、アリスの前からハンプティの姿が消えた。正確には、ドサッと彼が床に倒れたのだ。


「え……?」


 茫然とするアリスの滲んだ視界に、黒くて背の高い人影。


「アリス嬢、怪我は?」


 優しい声。マントのはためく音。涙を拭う指の温かさ。


「伯爵……?」

「先刻意識が戻ったんだが……君の叫び声が聞こえたものでね。私自身、何やら拘束されていたようだが、破壊して飛んできてしまった」


 穏やかじゃないことを穏やかに語る彼の姿に、アリスは大きく安堵の息を吐く。恐怖と緊張が、じんわりとほぐされて、溶かされていく。


「良かった……伯爵、戻ってくれて……」

「積もる話もあるだろうが、今この場所は好ましくない。私の追手も来たようだ」

「わっ、」


 突如アリスを抱えあげ、伯爵は窓から離れた。と、その窓を突き破って入って来たのは、身長と変わらない長さの斧を持ったカーレン。入室してすぐ、床に倒れているハンプティに気付いた。


「あれ? (かしら)?」

「君の上司だったか、すまないね。私の大切な女性に危害を加えようとしていたから、少し眠ってもらっている。命はあるから安心していい」

「……逃げるつもり?」


 カーレンの視線は、アリスに向いていた。オズとの契約のことについて、彼女は知っているのだろうか。知らなかったとしても、カーレンの立場上、捕虜を脱走させるわけにはいかないのだろう。


「カーレン、オズに伝えて。契約は守るって」

「では、失礼するよ。追跡は不可能だと思った方が良い。見張りのお嬢さん」


 伯爵は黒い翼を羽ばたかせ、一声啼いた。と、超音波によって部屋の窓が枠もろとも割れ、カーレンは思わずそちらに目をやる。その隙に伯爵はアリスを抱えた状態で、室外へと飛び立った。

 街明かりによって作り出される夜景は、近代ヨーロッパの雰囲気に近い。当たってくる風にやや肌寒さを感じるが、伯爵の温かさが相殺してくれるようだった。


「オズとの契約とは?」

「明日の朝8時に……ノザンへ出発しなくちゃいけないんです。フランケンを、何とかしなくちゃ……」


 話したいことがたくさんあった。伯爵は、この街の事情を知っているのだろうか。三百年の眠りから覚めたばかりで、どこが安全かなんて把握できるんだろうか。伝えなくちゃ、今までに分かったことを。けれど、瞼が重い。


「アリス嬢?」

「伯、爵……キノコの、森に……」


 心の疲れか体の疲れか、アリスは為す術なく意識を手放した。

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