悪趣味な暗殺者 ―ハンプティ・ダンプティ―
聞きたいことはいくつかあったが、とりあえず最初に浮かんだ疑問を口にした。
「……550ポンドってどのくらい?」
「あれ? そこから通じないんだ。ふーん……ざっと250キロぐらいかな」
「そんなに……じゃあ、フィートは?」
「30センチちょっとだね」
アリスの脳内で、ようやく「馬力」のイメージができてくる。毎秒30センチで関取を二人引きずって運ぶ……なかなかシュールな画が浮かんだ。その20万倍なら、フランケンの怪力は軍事車両並なのだろう。
しかし問題はここからだ。何故ハンプティがこの部屋にいるのか、目的は大体察しがつくが、どうすれば追い払うことができて、心置きなく安眠できるのか……残念ながら、パッと思いつく策は無い。
「何か、用があって来たんでしょ?」
とりあえず背後を取られるのは嫌なので、アリスはサッと立ち上がり、入口から一番離れた窓に背中をくっつけた。その警戒心を汲み取ったハンプティは、愉しそうに笑って歩みを進める。
「大事な約束、果たしてもらいに来たんだ。忘れたとは言わせないよ?」
約束、と言われて思い当たることはたった一つ。古城近くの森にて、チェシャ猫への暴行をやめさせるためにアリスがハンプティを脅迫し返した時のアレだ。
―「ねぇアリス、もう一度呼んでよ、ボクのこと」
―「タダじゃ呼ばない」
要望通り、ハンプティはアリスをオズの所へ連れてきた。だから今度は、アリスが約束通り彼の名を呼ばなければならない。ただ、一言呼んで済めばいいのだが……どうしてもそれだけで退室してくれるとは思えないのも事実。また何か言われたら、臨機応変に対応しなければ……そう考えると面倒くさくて仕方なかった。
「もしかして、忘れちゃった?」
「わ、忘れてない! よ、呼べばいいんでしょ……ハンプティ」
警戒心たっぷりで、お世辞にも愛情のこもった呼び方ではなかったが、彼にとってはその方がご褒美だったらしい。
「良かったぁ……覚えててくれて」
与えられたご褒美を噛みしめているのか、胸元でぎゅうっと拳を握って目を瞑るハンプティ。とは言え、退室してくれる気配はない。
「ところでアリス、」
「わっ、」
「どうして自ら退路断ったんだい? ボクにこうして追い詰められるの、待ってた?」
「な、何言ってるの! 退いてっ!」
満足して出て行ってくれる可能性を数%でも感じていたアリスは、数秒前の楽観的な自分を蹴飛ばしたくなった。
名前を呼ばれたことを噛みしめていたハンプティは、パッと顔を上げたと思いきや、次の瞬間にはアリスの正面にいて。彼の両手がアリスの両側をふさいでいた。状況的には「窓ドン」と言ったところか。
「退いてって言われると、近付きたくなるなぁ」
「わ、私は明日早いの! オズの指示でノザンに……」
「知ってるよ。キミが先に向かうから、ボクやパイパーが72時間待機しなくちゃいけなくなった。早くアレを壊したいのにさぁ」
「だからもう出てってよ! 明日に備えて少しでも眠っておきたいの」
まともな理由を並べてみるが、ハンプティに通用するはずがない。アリスが迷惑そうに訴える様子も、自分を煙たがっている空気も、彼にはご馳走でしかないようだ。嬉しそうな愉しそうなハンプティに対して、アリスの方が疲弊していく。
「けどアリス、失敗したらフランケンと一緒に処分されるんだろ? そうだ、もしボクがキミを軍の攻撃から守ったら、ボクだけのオモチャになってくれるかい?」
「絶対イヤ!!」
「死んだ方がマシってこと?」
「軍が派遣される前に、何とかするつもりだから」
絶対に屈しない……その思いだけで、アリスはハンプティを睨みつけた。たとえハンプティを喜ばせる反応だったとしても、曲げたり折れたりした瞬間、負けたことになる。仮にこのまま徹夜する羽目になったとしても、抵抗をやめてはいけないと、アリスにも意地が働いていた。
「……キミって、どういう風にできてるんだい?」
「は……?」
何の脈絡もなく吹っかけられた質問に、アリスは拍子抜けする。が、直後にハンプティが髪を撫でてきたので、反射的に払った。
「触らないでっ! 意味わかんない……てゆーか、私だって貴方の神経疑う。どうして相手が嫌がることばっかりするの? そういう教育受けたの?」
「ボクのこと知りたいの? アリス」
「言いたくないなら聞かない。私には理解できないってだけだから」
目を逸らしながら、考えた。自分の両側を塞いでいるハンプティの両腕。その片方をくぐったら、うまく抜け出せるだろうか。アリスが動こうとした瞬間、彼は察知してしまうだろうか。
それと……もし、アリスがハンプティに対する「拒絶」と「抵抗」をなくしたら、彼はどうするんだろうか。興味をなくして退室してくれるだろうか。
「アリス、好きな食べ物は?」
「え?」
色々と思案していたアリスには、ハンプティの反応が意外に思えた。彼がアリスの持ちかけた話題にのって、対話が始まるという展開は、予想外だったのだ。
「えっと……杏仁豆腐、かな」
「何だいソレ? 聞いたことないよ」
「私のいた世界の食べ物だから」
「ふーん……まぁいいや、じゃあ、どうしてソレが好き? いつから?」
次々と投げかけられる質問に、アリスは戸惑いながらも答えを探す。好きな食べ物と言われて杏仁豆腐が浮かんだのは、ほのかに甘みがある感じが急に恋しくなったから。いつから好きなのかと言われても、初めて食べた時にビビッときた、としか答えられない。
「ボクも不思議に感じたことあるんだよね。けどさぁ、好きなものって、そうだろ? 食べ物なら口にした瞬間、音楽なら聞いた瞬間、色合いだったら見た瞬間に、ソレが好きだって、本能的に直感するんだ」
アリスが返答する前に、ハンプティは同意を求めてくる。
「……じゃあ、気付いたら嫌がらせが趣味だったの?」
「というより……そうだなぁ、初めて嫌悪を向けられた時のゾクゾクする感じがね、忘れられなかったんだぁ……。僕に向ける高圧的で、どこか諸刃の剣みたいな、得体の知れない何かを見る目が」
やっぱり理解できないし、したくもない。そんな感情のこもる視線を向けると、ハンプティは「そうそう、そんな目だよ、アリスは上手だね」と妖しい笑みを向ける。ゾッとして目を逸らせば、その反応も嬉しいようでご機嫌に語りを続けた。
「キミに会えて、ボクは心から神に感謝したんだよ。初めてだったんだぁ、キミみたいな娘。今まではね、ボクに嫌悪を向ける娘はいても、向け続けてくれる娘はいなかったから」




