微笑みの大魔法使い ―マーリン―
数秒の間でオズが何をどこまで考えたのか、やはりアリスには推測できなかった。
もしかしたら、一時的な約束かも知れない。全て終わってアリスが元の世界に帰った後に、また過剰な弾圧が始まるかも知れない。それでも、僅かだとしても、マーリンやその仲間に穏やかな時間を用意できたのなら、上出来だ。拘束された状態で、クラウ・ソラスを使うこともなく、オズと渡り合えたのだから。
「さて、お前が申請した吸血鬼を同伴させる件だが、私としても研究が長期間滞るのは避けたい。よって、貸出期間を設ける。明日の午前8時より、きっかり72時間だ」
「それまでにフランケンを倒して、伯爵を返せってこと?」
「明日、お前と吸血鬼には先遣隊としてノザンに発ってもらう。怪物の情報が必要ならば、今晩のうちに頭に入れておけ。全ての資料は門外不出としている。また、もし討伐できず72時間を過ぎるようであれば、私が軍を派遣し……お前たちごとあの怪物を処分する。不死の吸血鬼であれば、軍の攻撃に巻き込まれても死に至ることはないだろう」
つまり、オズから与えられた任務を期限内で完了できなければ、アリスもフランケンと一緒に処分されるということらしい。
「取引成立、異論はないな?」
「……分かった」
***
地下森林の隠居庵にて。専用の長い杖を握り、マーリンはベッドに座った状態で固く目を閉じる。刹那、その瞼の奥に過ったのは、遠く離れたワラキアの古城近くで瀕死の重傷を負って横たわる、チェシャ猫の姿だった。
「……潮時なのでしょうな」
自らの魔力が最盛期の三割にも満たないことは、マーリンが一番よく理解していた。だからこそ彼は、決断をする。この命に時間が残されていないのであれば、最大の効果をもたらしうる足掻きをすべきだ、と。
筋力が低下しているため、隠居庵内でも転移魔法で移動するしかない。マーリンは杖を握って念じた。急激な魔力の消耗によって眠っている、愛弟子ジャックの部屋へと。
ベッドに横たわったままのジャックだが、その寝顔を見て、マーリンは微笑んだ。エメラルドシティからの帰還直後より、だいぶ顔色は良くなった。フランケンに負わされた怪我も大したことはなく、もう二日も経てば魔力も含め完全復活できるだろう。しかし、今はその二日すら惜しい状況なのだ。こうしている間にも、ワラキアの地にて、チェシャ猫の呼吸は細くなってきている。アリスの安否も分からないため、マーリン自身がチェシャ猫を迎えに行ってやりたいが、移動に魔力を消費してしまっては、その後の治癒まで成し遂げられない。
「できることなら、もう少しだけ、待ってやりたかった」
ジャックの額に手をかざし、マーリンは目を細めた。
初めて会った時を、思い出す。ジャック少年の内に、とても大きな魔力量を感じた。だが、とても寂しそうに仔犬の亡骸を抱えていた。溢れ出る彼の哀しみが負の魔力となり、周りの草木を枯れさせ、疫病神だ、忌み子だと大人たちに遠ざけられていた。誰も、ジャック少年の肩を抱いてやらなかった。誰も、仔犬の弔い方を教えてやらなかった。誰も、必要な別れだと頭を撫でてやらなかった。心優しい彼に訪れる未来は、マーリンから見て些か酷だった。
魔力への信仰がゼロに等しくなった世界で、奇跡的に魔力保持者として開花し始めているジャック少年は、いずれオズに捕えられ、研究対象とされる……。見つかる前に、保護してやらねばと思った。
―「命の繋がりを、止めてはいけない」
―「つながり? かなしいのが、つづくの?」
―「いいや、君の哀しみの正体は深い慈しみだ。命を繋げるということは、慈しみを絶やさないこと。君の抱えている仔犬は眠りについている。そのままでは寒かろう」
―「どうすればいいの?」
―「大地の熱で、温めてやるといい。その仔犬が愛した地で、命を繋がせてやりなさい」
ジャック少年に最初に教えたのは、転生魔法の一種だった。生を終えた肉体から新しい命のためのエネルギーを生成する、最高難度の記録魔法だ。仔犬の肉体はその地の養分となり、ジャックが哀しみによって枯れさせた草花を瞬く間に甦らせた。
―「すごい……こんなこと、できるなんて」
―「万人が為せる所業ではない。君は特異体質だ。その力を讃える者もいれば、羨む者、僻む者、奪おうとする者、畏れる者もいるだろう」
受け止められるだろうか、自らの境遇と運命を。オズによる支配が盤石となったこの時代でなければ、もう少し多くの味方と出会えたかも知れないが、それも叶わない。憐みを抱くマーリンに、ジャック少年は尋ねた。
―「あなたは?」
丸い瞳に影はなく、マーリンは思わず微笑んでしまった。あの時は、ただ一言「付いて来なさい」と言っただけだった。今、このような形になってしまったが、きちんと答えを渡しておきたいと思う。
「ジャック、私は……君の力を美しいと思っている」
純粋な感情に呼応する魔力。感情の導くままに成長できる魔力。それが、ジャック・ビーンズという魔力保持者が特異体質である所以だ。物心ついた時から「使うことができた」自分とは違い、抱いた理想に応じて「開花させていった」ジャック。湧き水のように清らかな魔力は、これから先も、ジャック次第であらゆる系統に染まることができるのだろう。
そして今、彼は勇者アリスの力になりたいと思い始めている。
「親愛なる我が最初で最後の弟子よ、よく聞きなさい」
ジャックの額にかざされたマーリンの掌に、オレンジ色の淡い光が灯る。
「お前は、お前が望む大抵のことをその手で為せる。ゆえに強く、ゆえに脆い。力を使わんとする時は、己の心とよく相談しなさい。己の心が返す、真直ぐな答えに従いなさい」
眠っていたジャックが、うっすらと目を開けた。
「師、匠……?」
「頼みますぞ……大魔法使い、ジャック・ビーンズ」
直後、ジャックの耳に、バサッという音が飛び込んでくる。同時に、彼は自分の中に大きな魔力が巡っているのを感じた。全ての生き物に安らぎを与える、月光のような……――
「……あ、あれ……? 何で、俺……」
込み上げてくるままに、涙を流すことしかできない。右腕で目元をこすって拭いながら、ゆっくりと起き上がる。と、ベッド脇の床、丸椅子のすぐ傍に、見慣れた茶色いローブが落ちていた。拾い上げなくても分かる、間違いなく師匠・マーリンの愛用しているローブだ。
「うそ、だ……」
止まらない涙が、ジャックの見つけた答えだった。ローブを拾えば、温もりが残っている。
「嘘だ、嘘だよなぁ……師匠っ……」
魔力も体力も回復している。が、立ち上がることができなかった。自分が、エメラルドシティで考えなしに魔力を使い過ぎたから……自分が、とっとと回復しなかったから……自分が、もっと早く力加減を覚えていれば…………いくつもの後悔が押し寄せ、ジャック自身を痛めつける。
―「早く動きなさい」
頭の中に響いたのは、マーリンの声だった。ハッとして顔を上げ、毛布を蹴り飛ばし、マーリンの部屋へ駆けこむ。
「師匠っ!!?」
そこに、マーリンの姿はなかった。だが、空っぽになった室内を見て、ジャックは思い出す。
「哀しみの正体は、慈しみ……。今度は……俺が、」
グッと拳を握り、持っていたローブを羽織る。マーリンのしたことには、意味がある。自分にしか出来ないことがあるから、残る全ての魔力を……命を、託されたのだ。哀しみに暮れている暇などない。自分を受け入れてくれた仲間を、助けに行かなくてはならないのだから。




