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最初の(危機的)確信

「あーもう!」


 鈴は走った。小高い丘を転がるように駆け下りて。

 学校から帰ってきた格好のままだったので、靴など当然()いていない。白い靴下が汚れていくのを若干不快に思いつつ、斜面が少し急で両足が絡まってしまいそうだと緊張した。


 逃げ切らなくては、何としても。商店街などに出れば多分、制服という格好も悪目立ちしてしまうだろう。ならば何処へ身を寄せるべきか、この状況で味方をしてくれる人なんているのだろうか……そもそもこの世界は一体……?


 追ってくるのは本当にパトカーのようで、風の音に混ざって(かす)かにサイレンが聞こえてくる。そうだ、走って車をまくなんて出来るワケがない。

 落ち着け、落ち着け、どうすれば追ってこれなくなるのか考えろ。


「……細い路地!」


 丘を下った先には、石畳(いしだたみ)の住宅街が広がっていた。所々にベーカリーやランドリーという文字も見える。

 やはり鈴の格好は道行く人の注目を集め、鈴自身も「この中で制服はさすがに浮くよね」と溜息。人混みに(まぎ)れることが不可能だと判断するやいなや、鈴はカフェと本屋の間にある路地に駆けこんだ。


「うわ、ひどっ……」


 人が一人やっと通れる程度の細さ。電灯などもちろんないため、頼れるのは真上から差し込む太陽光のみ。石の壁伝いに足を進めるが、時々靴下越しに湿った感触。

 何より強烈なのは、臭いだった。表側の童話みたいな街並みが嘘のようで、鈴は軽い立ちくらみさえ覚えた。

 でもとにかく、捕まることだけは避けなくては。緊急地震速報みたいな警報を鳴らしてしまったのだ、捕まれば(全く身に覚えがないが)とんでもない罪状を突きつけられるに違いない。



「どうしよう……」


 幸か不幸か、だんだんと嗅覚(きゅうかく)麻痺(まひ)してきて、蔓延(まんえん)する悪臭が気にならなくなってきた。適当に裏の小路を進んで、表通りに出そうになったら曲がる。

 何処かに隠れてジッとしていた方がいいのか、それとも動き回っていた方が捕まりづらいのか、それすら分からなかった。


 ただ一つだけ、これまでのやり取りをもう一度思い出し、鈴の中で確信をもって言えることがあった。それは、突然迷い込んだこの世界が、かつて「あの冒険」をした世界と同じ世界である、ということ。

 街並みや人々の服装は違うし、あの時は車なんて存在していなかった。けれど、警報が鳴る直前、あの少年は震えながら確かに言っていた。マーリン一派、と。


 もし、以前に鈴を助けてくれた大魔法使いのマーリンがこの世界にいるのであれば、今回も味方になってくれる可能性は高い。だが少年の口振りから察するに、どうやら社会的に歓迎されている立場ではなさそうだ。とすると、何処かに隠れ住んでいるのだろう。ただし、今の状況ではマーリンを探そうにも手がかりどころか突破口すら何一つない。


 大体どうして再び、しかもこんな突然、「この世界」に来てしまったのか。鈴には全く見当がつかなかった。念のため確認をしてみるが、前回のように首に魔法石がかかっているワケでもない。

 小さな溜息を一つついた、次の瞬間。ふっと頭上に影がかかった気がして、反射的に上を向いた。そこには変わらず建物で区切られた四角い空。


「気のせいか……」


 ホッと緊張を緩めた鈴だったが、残念ながら気のせいではなかった。

 いつの間に背後を取られていたのか、首筋にピタリと当てられた冷たい感触が走る。


「……え?」

「はい、ボクたちの勝ち。慎重で真っ当な重要参考人、確保」


 声を聞いて初めて「その人」を認識した。

 一体いつ、どこから、どうやって……いくら鈴が平和な日本で生まれ育った一般人でも、こんな接近されているのに気付かないなんて、おかしい。両手は後ろで絡めるように拘束され、右後ろから回された刃物によって左側の頸動脈(けいどうみゃく)(おびや)かされている。


「な、何で……」

「ふぅん、随分変わったカッコしてるなぁ。けど武器は……所持してなさそうだね」

「貴方、一体……」


 自分でも分かった。恐怖で声が震えている。鈴を拘束しているのは、声質から考えて男だった。が、彼は鈴の絞り出すような質問に答えることはなく。


「ボクは問答担当じゃないんだ、ごめんよ」


 そこで、鈴の意識は途絶えさせられた。



 ***



 ()てつくような寒さと、溺れるような息苦しさに襲われて、鈴は反射的に激しく咳き込んだ。叩き起こされる時の不愉快さが渦巻き、直後、自分の髪から首筋に伝った滴の冷たさに、肩がビクッと跳ねた。


 ……ここは、何処だろう。両手首を後ろで縛られているのは分かる。目の前の大理石が建物内の床ならば、自分は今うつ伏せで倒れている。つまり、罪人として捕まってしまったが、なかなか起きないから氷水を頭にかけられた……といった感じらしい。


 手を縛られたままのうつ伏せは想像よりも呼吸がつらく、鈴は横向きに倒れてから(ひじ)脇腹(わきばら)に力を入れて上体を起こした。

 最初に視界に入ったのは、(多分鈴に氷水をぶっかけた)軍服の男性。見た目は20代前半で、オレンジがかった赤めの短髪。軍服、というと「無表情・鉄仮面」なマーチ・ヘアを思い出すが、その人の雰囲気はどちらかというと「冷酷・非道」な印象。


 まだ頭がふらつくのを感じながら、鈴は口を開く。


「あの、貴方は……」

「名乗れ、罪人(ざいにん)


 率直に言って、イラッとした。

 仮に鈴がこの世界の法を犯すような真似をしていたとしても、発言を(さえぎ)って命令するのはあまりにも高圧的だ。百歩……いや、十万歩くらい譲って罪に問われる身だとしても、抵抗する権利はあるはずだし、氷水で意識を戻させるなんて、すでに拷問(ごうもん)レベルだ。行き過ぎている。


「私はどんな罪を犯したんですか?」


 意図的に(ムカついたから)名乗らなかったのが半分、どう名乗ればいいのか分からなかったのがもう半分だった。軍服の男は、名乗らずに問い返した鈴の態度に眼光を鋭くする。


「白々しい。このエメラルドシティにおいて最も崇高(すうこう)な理念を踏みにじっておきながら」

「崇高な理念って、どんなものですか?」


 間髪入れずに鈴は問う。氷水を浴びた頭部と上半身に鳥肌が立っていくが、そんなことは気にしていられない。ヒントを集めなくては。マーリンに会うための、もしくは、鈴が元の世界に帰るための。


 彼は言葉を詰まらせた。若干困惑したのだろう。鈴に向けられたのは「そんなことも知らない人間が存在しているとは」とでも言いたげな、驚きの表情だった。

 しかしそれ以上に、一歩も引かない鈴の態度が相当気に食わなかったようで、すぐに嫌悪感を(あら)わにして腰に装備していた短いムチを鈴に向ける。


「貴様、身の程をわきまえろ。俺は、名乗れと言ったんだ」


 ごくりと唾を呑む。本当は早くこちらの質問に答えて欲しいのだが、そう主張すれば向けられたムチで思い切り叩かれるのは容易に想像できた。

 仕方ない。本当はすごくすごくすごーく嫌だけど、鈴が「この世界」において名乗れる名前は、一つだけだった。


「……アリス」

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