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(息苦しい)牢屋の中と外

「……アリスは、怖くない?」

「え?」

「だって私たち、もう此処を出られないんだよ。あの化け物は、いつも殺さない程度に血を吸って、気絶したら此処に戻して、回復するのを待って、その間は他の人の血を吸って……。アリスが来て周期は伸びたけど、それでも……」

「怖くないよ」


 言葉を遮ったアリスに、カーレンは目を丸くする。


「……変わってるね」

「あ、えっと、そうじゃなくて……私は、あの吸血鬼に、元の優しさを取り戻して欲しくて……。知ってるんだ、優しかった伯爵のこと。だから、」

「バカなこと言ってんじゃないよ!!」

「あんた、正気かい!?」


 アリスの言うことに異議を唱えたのは、すすり泣いていた女性たちだった。彼女たちの首元には、伯爵によって付けられたであろう噛み痕がくっきりと残っている。


「優しくなんかあるもんか! あんな化け物、早く殺されちまえばいいんだ!」

「オズ様が、きっとパイパー様の軍隊を向かわせてくれてる!」


 ここで反論しても、何の効果も無い。アリスは一瞬でそう悟った。その代わり、ふと浮かんだ疑問を投げかけてみる。


「どうして、オズが対処してくれるって思うんですか?」

「この国では問題があればすぐにオズ様が解決して来てくれた。私たちの生活を便利にしてくれたのも、みーんなオズ様だ。今回だって、きっとそうなる」


 これほどまで国民の信頼を得られるのは、すごいことなのだろう。オズは、きっとこれまで多くの国民の希望や期待に応えてきたのだ。もしかしたら、不老不死の研究もいずれは公開するつもりなんじゃないか……アリスの中で、ますますオズの人物像が分からなくなっていく。


「言い争っても仕方ないよ。オズ様が来るなら、待とう」


 (うずくま)ったまま呟いたカーレンに、女性たちは何も言わずそっぽを向く。ここで声を荒げて伯爵を刺激しても何のメリットも無いと思ったようだ。


「ありがとう、カーレン」

「別に。もうすぐ死ぬのに、無駄に体力使うこともないと思っただけだよ」


 視線を落とし続けるカーレンの瞳には、希望や絶望どころか、何の感情も映されていない。少しゾッとしたアリスは、話を逸らしてみた。


「カーレンは、何処から連れてこられたの? 家族は?」

「小さい村だよ。家族はみんな、もういない。だから私も死んだって平気」


 そう言いながら、カーレンは胸元のブローチを握る。


「これをくれたおばあちゃんも、いない」

「形見、なんだね……」

「アリスは? その、ネックレス」


 くすんだガラス玉のようなカーレンの瞳が、その時初めて真直ぐにアリスへ向けられた。ただし、アリスの顔ではなく、首にかかるクラウ・ソラスに。


「剣の形してる。武器なの?」

「これは……形見でも武器でもなくて、預かった物なの。大切だから、いつか返したいんだけど……」

「……そう。返せると良いね。ここから出られたらの話だけど」


 瞬きの少ないカーレンの両目は、まるで冷たい光を発しているようで、視線がぶつかっているワケでもないのに、アリスは蛇睨み状態に似た感覚を抱く。緊張のあまりごくりと唾を呑んだ、その時。


「来たみたい」

「え?」


 ランタンの灯が届く範囲の向こうに、闇が広がる。石で造られた建物だということしか、アリスには分かっていなかった。この牢が地下にあるのか、地上の室内にあるのかすら。

 その闇の奥深くに目を向けたカーレンは、スッと立ち上がる。


「どうしたの? 一体……」

「私が行くね。アリス、まだ貧血でしょ。他の人たちみたいに(すみ)っこにいれば」

「ま、待って……!」


 カーレンの言う通り、続いて立ち上がろうとしたが、アリスは自分の頭部をいつもの何倍も重く感じた。直後に響いたのは、ガシャンという乱暴な音。開閉口付近の灯の中に、黒いマントと褐色の肌、白く鋭い牙が浮かび上がる。


「だ……だめ、」


 アリスの制止も(むな)しく、最も近い場所で待つように(たたず)んでいたカーレンは、伯爵に引っ張り出され、闇の中へと連れていかれてしまった。


「カーレン……!」


 自分を呼ぶアリスの声を聞き流し、振り向くこともなく、別室へと引っ張られていくカーレン。その瞳に生気はほぼ無く、不遇(ふぐう)を享受しているようだった。


 しかし別室に移り、アリスや他の女性の目がなくなった途端、彼女の様子は変わる。いざ伯爵が首筋に牙を立てようとすると、するりと(かわ)し、代わりに左腕を噛ませたのだ。まるで、声を出すため喉を守ろうとするように。


「慌てなくたって、ちゃんと私の血はあげるよ」


 吸血され、痛みに襲われているにも関わらず、カーレンはゆるりと口角を上げる。


「貴方は、大事なお土産だもん」


 貧血によって薄れゆく意識の中、カーレンは空いている右手でブローチを強く握りしめた。


「こちらカーレン……先程6人目のエサが到着……勇者アリスです……至急、討伐軍を……」

「五月蝿い!!」

「痛っ……!」


 吸血に夢中になっていた伯爵が、突然叫び、カーレンの右手の甲を爪で裂く。与えられた痛みに耐えられなかったカーレンは、思わずブローチを握る手を緩めた。すると、伯爵はそのブローチを見るやいなやむしり取って、遠くに投げ捨てる。


「この……化け物」


 カーレンの目は静かな怒りに染まり、伯爵を睨みつけた。



  ***



 クラウ・ソラスの「(シールド)」によって強制的にアリス(および暴走した伯爵)から距離を取らされたチェシャ猫は、噛まれた傷もそのままに、マーリンの隠居庵(いんきょあん)へと戻った。当然マーリンも傷だらけで帰還した彼の姿を見て驚いたが、記憶を読んで伯爵の復活を知った。


「では、アリス嬢は今、理性を失った状態で力を解放し続けているドラキュラ伯爵の元にいるのですな」

「そうだよ。連れてかれた時は気絶してただけ。でも、いつ血を吸い尽くされるか分からない。早く……早く追わなくちゃ」

「お待ちくだされ、森番殿。何か策がおありで?」

「クラウ・ソラスが戻ってった方向に古城がある。潜伏場所はそこだ。とにかく、伯爵サマがちょっとでも自分でストップかけられる状態になってくれれば……」

「ならば、あちらを持って行きなされ」


 ベッドに座っていたマーリンは、杖で向かいの棚を指す。その2段目の引き出しを開け、チェシャ猫は目を見開いた。そこには、見覚えのあるアイテムがしまわれていたのである。


「これって……ずっとマーリンが持ってたのかい?」

「もう、使うことも無いと思っていたのですが……不思議な巡りあわせですな。病に倒れたヘルシング卿から、万が一の時にと譲り受けたのです」


 キャメロットの王宮専属医ヴァン・ヘルシングが制作した、吸血鬼の暴走を止めるための薬と、その注射器を装填できる銃――今のチェシャ猫にとって最も有難い装備品だった。


「アリス嬢を、頼みますぞ」


 言いながら杖を一振りし、チェシャ猫の全身の傷を治したマーリン。


「また魔法使って……あんまり無理しちゃダメじゃないか、マーリン。お弟子サマに怒られるよ」

「直接動けない歯痒さを晴らす自己満足に過ぎませぬ」

「……ありがとう、助かるよ」


 背を向けたままの礼に、マーリンは穏やかに微笑んだ。


「どうか無事で。アリス嬢が唯一の勇者であるように、貴方も唯一の案内役なのですから」

「まさか。俺ほど適してない案内役も居ないと思うけどねぇ」


 鼻で笑ってからチェシャ猫は退室し、伯爵が潜伏していると思われる古城へと向かった。

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