(おかしな)敵意の矛先
青黒い瞳、象のような肌、丸太のような腕と脚、縫合痕だらけの顔、はち切れそうなボロボロの衣服、ジャックを払い飛ばすほどの怪力、一瞬で間合いを詰める瞬発力と反射神経――――あらゆる情報が、アリスの脳内で恐怖と焦燥に変換されていく。
「オ前、珍シイ」
伸ばされる手が、アリスの腕を掴もうとしている。パッと浮かんだ防御策は、クラウ・ソラスの使用だった。けれど発動時間は短めで、しかも、街中で発動させれば探知機に引っかかる。そうなればすぐにオズの部下に捕まるだろう。
だったらこのまま「異形のモノ」に付いて行った方がマシなのか。何が待っているか分からないが、たった一つ、確信できることがあった。
―「教えてくれ」
この怪物の放つ声こそが、アリスを夢で呼んだ声そのものだということである。
怖いけど、不安だけど、元の世界に帰るためのヒントになるのなら……。そう、覚悟を決めた、次の瞬間。
「ここに創らん……鋼の檻!!」
アリスと怪物との間で、眩い光が発せられる。シュルシュルと植物が伸びていく音がして、気付けば、怪物は鉄格子に閉じ込められ、それを壊そうと暴れていた。
まず間違いなくジャックが魔法で生成したものだろうが、そんなことをすれば多くの注目が集まってしまう。案の定、野次馬が騒ぎ始めた。
「な、何だ! あの檻は!?」
「突然出て来たわ、何処かに危険な魔法使いが!?」
「今、アイツが叫んでたぞ! 捕まえろ!!」
「オズ様への反逆だ!!」
先程ジャックは怪物の太い腕で払い飛ばされたせいで、全身を強打していた。意識を失ってもおかしくない衝撃を受けながら、アリスを守るために怪物を閉じ込める鋼の檻を魔法で生成したのだ。そんなジャックに、工場の人間が捕獲目当てで押し寄せていく。
「ジャックさん……!」
駆け寄りたいが、出来ない。魔力も武器も発言力もない自分に、一体何をどう解決できるのだろう。無闇に近付けば、足手まといになるに違いない。
「彼らを捕えん、特大ネット!」
アリスが迷う間に、ジャックはもう一つの魔法を発動させる。空に弾いた豆粒が、木の蔓で編まれた特大ネットになって、迫る民衆を覆った。
「やはり魔法使いだ!」
「捕えろ! 打ち首だ!!」
ネットに絡まり抜け出そうともがく民衆は、それでもまだジャックに敵意を向ける。また、幸運にもネットにかからなかった者達が、工場にあった鉄パイプなどを振り上げていた。
この光景に、アリスの中で違和感が芽生える。どうして、見るからに「異形のモノ」であるこの怪物には、民衆の恐怖や敵意は向かないのだろう。どうして、(オズが禁止している魔法を使ったとは言え)恐ろしい怪物を捕まえたジャックが追い込まれているのだろう。
こんなちぐはぐなことがあるのか。民衆にとっては、壁を突き破ってきた怪物よりも、ジャックの使った魔法の方が、畏れるべき未知の存在、ということだろうか……。
「……違う、間違ってる……こんなの、ダメ……」
ジャックは、こうなると分かっていたはずだ。魔力探知機に引っかかること、民衆のリンチに遭う危険が伴うこと。分かってて、魔法でアリスを助けてくれた。ならば、勇者の取るべき行動は一つしかない。
「クラウ・ソラス!!」
民衆とジャックを近付けさせてはいけない……その気持ちから現れたのは、ハンプティから逃げる際にチェシャ猫に注文されたものと同じ、巨大な『壁』だった。
「ここから離れてジャックさん!」
怪物によって叩きつけられたダメージは相当ひどいようで、ジャックはよろめきながら立ち上がる。
「けど嬢ちゃん、」
「いいから早く! 後で何処かで!」
アリスがクラウ・ソラスを発動させたことにより、民衆の狂気はアリスにも向けられた。
「あの娘も魔法を……」
「捕まえろ!!」
不幸中の幸いと言うべきか、怪物はまだジャックの生成した鋼の檻を壊せず、中で暴れていた。アリスは咄嗟に走り出す。ジャックを追い詰める民衆が少しでも分散するようにと、彼とは別の方向へ。
こんなことなら、爆発音なんて無視すれば良かった。追われる身だってバレないように万全の準備で来たのに、無意味にしてしまった。それに、3人がバラバラになってしまった。そもそも、「様子を見に行きたい」なんて言わなければ……チェシャ猫に「見に行って」と頼まなければ…………
「やっと見つけた、アリスちゃんっ!」
「チェシャっ……!」
「ったく、人がちょっと様子見に離れれば……一体どうしてこんな盛大な鬼ごっこが始まってるんだい? 俺が追いつかなかったらあと十何秒かで捕まってただろ」
屋根を伝って戻って来たチェシャ猫が、アリスをふわりと抱え上げる。
「えっと、どっから話せば……まず、追われてるのはバレたからで」
「知ってるよ。さっき魔力反応キャッチした」
「それで、ジャックさんが……多分、怪我してると思う。早く合流しなくちゃ」
「お弟子サマが? へぇ、工場地区の一般市民ってそんな強いんだ」
「じゃなくて、壁を突き破ってきた怪物がいて」
「ああ、そういうことか。爆発の原因もその怪物だよ」
「えっ?」
非常階段を駆け上ったチェシャ猫は、屋上を飛び移りながら辺りを見回す。ジャックの魔力反応を探しているんだろう、とアリスは思った。
「怪物の街荒らしは、今日に限ったことじゃないらしい。オズが近いうち討伐すると公言してるから、民衆はそれを信用しきってるみたいだけど」
「それで……」
民衆は自分たちで怪物を何とかしようという気持ちを持っていなかったのだ。そのため、ポッと現れた魔力保持者のジャックを優先して捕らえようと動いた。
「まぁその怪物についても、何だか妙なことが多いんだけどさ……おっ、見つけた」
「ジャックさん!」
屋上から街灯や看板を足場にして、路地に降り立ったチェシャ猫。アリスが思っていたように、ジャックは叩きつけられた際に背中と左足を痛めたようだった。
「さすがに俺、二人抱えて走るのは無理なんだけど」
「俺のことは気にすんな、嬢ちゃんを頼むぜ」
「ダメです! 元々私の我儘でエメラルドシティに来たから……一緒に帰らないと」
「工場地区に来たのは俺の我儘だ」
「責任の所在を明確にしたい気持ちは分かるけどさぁ、二人とも、揃って捕まるまでその議論続けるつもりかい?」
チェシャ猫の指摘に、アリスとジャックは口を噤む。
「お弟子サマ、そっちの追手は?」
「武器持ってようが所詮は一般人だぜ、少し前に全員まいてやった」
「さすが。こっちの追手は屋上飛び移るので苦労してるみたいだし……あとは、見つからない帰路を確保できればいいか」