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工場見学 ―ジャックの勉強―

  ***


 教えてもらった工場にはあらかじめ電話で見学希望について伝え、快諾(かいだく)されていた。

 ケーキを食べ終わって向かったのは、中心街からバスで北に5駅進んだ地区で、港の近い工業地域のようだった。

 右に左に視線を揺らしながら歩くアリスに、チェシャ猫が「何か気になるのかい?」と声をかける。


「ううん、懐かしいなぁって思って。私の世界では、小学校……えっと、10歳くらいに学校行事で見学とか体験とかに行くから」

「ああ、子供に勉強させる施設があるんだっけ」

「それなら最近、オズが似たようなの建設してたぜ? 8歳で入って、順調に行きゃ15歳で一人前だとか言ってたな。けど、聞いた話じゃ部屋でコツコツ問題解くだけらしーぜ。皆で一緒に窮屈なトコで座ったままなんて、俺だったらボイコットしちまう」

「まぁ、見学や体験イベントがあるなら、閉じ込められてるより楽しめそうじゃないか」

「それが、あんまり覚えてないの。すごいって思ったり、勉強になりましたって感想文書いたはずなんだけど……説明してくれた人の名前とかも、全然」


 大人たちはきっと、子供のためを思って場所を選んで連れていってるはずだ。けれどアリス、もとい有澤鈴の記憶には、面倒くさかった気持ちが一番強く残ってしまっている。感心したことだって少なからずあったに違いないのに。

 そんな疑問を見透かすように、チェシャ猫は「当然じゃないか」と欠伸をした。


「行った場所に興味がなかったからだろ? 周りから強制的に湧かせられた興味や好奇心なんて一時的なモノ、糧になる確率低いに決まってるよ」

「……そっか」


 アリスが納得したところで、目当ての工場に辿り着いた。

 ジャックはそこで車の部品や組み立て方をじっくり眺め、展示されているサンプルに触れて材質まで確認していた。


「ジャックさんって、立派だよね」


 目の前の資料に集中するジャックの後方で、アリスはそっとチェシャ猫に言う。つまらなそうに工場のパンフレットをペラペラと眺めていたチェシャ猫は、首を傾げた。


「誰だって興味あればああいう感じになるだろ。アリスちゃんだって、キャメロットの書庫ではあの状態だったんじゃないかい?」

「あー……そうかも。けどジャックさんの方が立派だと思う。誰かの役に立つための勉強でしょ?」

「俺にはその評価基準、よくわからないなぁ。動機がどうあれ、結果として知識を得ようと行動し、実際に知識を得ているって事実にかわりない」

「うーん……どうなんだろ」


 立ち止まって黙々と考え込み始めたアリスに、チェシャ猫は静かに口角を上げた。別方向の考えをぶつけると、すぐにこうなる。やたらめったら反発をするのではなく、共感には至らずとも理解できるかどうかを審議しているようだ。


「……俺に言わせれば、立派なほど真面目すぎ」

「え? 何か言った?」

「別に。立ち止まったらお弟子サマに置いてかれると思うけど」

「あっ、うん!」


 パタパタと小走りするアリス。ジャックの高い身長のおかげで、はぐれることなく見学を終えた。



  ***



「いやぁ、さすがに結構複雑だよな。再現できっか微妙だぜ」


 来た道を戻る途中、メモを見返しながら眉間に皺を寄せるジャック。見学だけでは実際に(魔法でとは言え)製造するための知識が足りない、ということだろうか。

 かれこれ十数分もの間、通行人にぶつかりそうになりながら情報を整理するジャックを見て、アリスは提案する。


「もっと詳しい図面が載ってる本とか、縮小された模型とか、買っていきますか?」

「おう、そーだな! けど嬢ちゃんの方はいーのか? 街の様子、細かいトコまであんま見れてねぇんじゃ…」

「大丈夫です。また別の方法で、私を呼んだ人を探せないか考えます」

「ふぁーあ、だったら早く本屋に……」


 ドガァン!


「なっ、何!?」


 鼓膜だけでなく全身を震わせるような、爆発音。空気の震えと、地面の震えもアリスの心拍を上昇させ、心なしか風上の方から生温かさと焦げ臭さが漂ってきた。

 しかもそれは、つい先ほどまでアリス達が見学していた工場のある方向。


「チェシャ猫、反応は?」

「いや、特にないよ」

「だったら化学反応による爆発だな。工場の事故か?」

「事故……だったら怪我人が…!」

「アリスちゃん、まさかとは思うけど『様子を見に行きたい』とか言わないよねぇ? 人混みに突っ込んでって大勢の目を引くことになったら、俺達は三人が三人共、干される対象だよ」

「分かってる……でも、」

「このまま帰るなんて薄情な真似、できねーよな」


 チェシャ猫に反論しようとするアリスの肩を、ジャックがおさえる。


「どうやら案内役ってのは過保護みてーだし、代わりに俺が様子見てくらぁ」

「俺は安全に案内する使命を全うしようとしてるだけであって、保護だなんて管轄外の行動を起こすつもりはサラサラないよ」

「嬢ちゃんの判断のもとサポートすんのが、本来の務めなんじゃねーのか?」


 周辺の工場から溢れるように人が避難し、道はあっという間にごった返していく。爆発現場に近付こうとする野次馬の波と、少しでも遠ざかろうと逃げる者達の波が、入り乱れる。

 二つの波にもまれる中、アリスは睨み合うチェシャ猫とジャックを交互に見た。


「…………はぁ、分かった、見に行くよ。俺の方が小回りきくし。お弟子サマはアリスちゃんとココで待機しといて」

「おうよ!」

「チェシャ! あの、ありがとうっ!」


 街灯の小さな突起に足をかけて登り、そこから工場の屋根を伝って騒ぎの中心へと向かっていったチェシャ猫。ジャックはアリスの手を握り、人波に呑まれないよう道の脇に寄った。


「ん? どーした、嬢ちゃん」

「事故の規模も知らないのに、私、我儘だったな、って……。こういう時、ホントにダメなんです。いつもチェシャに無理なことばっかり言っちゃうから……文句言われるのも当然だなって……」


 興味が湧くと、つい思考が抑えられなくなる。気になったら確かめずにはいられない。直さなくちゃいけないと分かってはいるが、気付けば周りを振り回してしまっている。

 反省してしゅんとするアリスを見て、ジャックはぽんっと頭を撫でた。


「言わせときゃいーんだよ。アイツだって、それ覚悟で傍にいるんじゃねーか」

「いえ、チェシャは『任された天命だ』って言ってたので……多分、進んで引き受けた役目じゃないんだと思うんです」

「脅されてやらされてるってことか?」

「分かりません。そういう話は、聞いたことないんですけど……」


 チェシャ猫のとの間にそんな会話があったかどうか、記憶を辿るアリスが言葉を途切れさせた、その時。


「伏せろ嬢ちゃん!」

「へっ!?」


 ドゴォン!


 何かを察知したジャックが、押し倒すようにアリスに覆いかぶさる。突然のことに見開かれたアリスの目には、なびくジャックの髪越しに、青黒い何か(・・)が映った。

 誰かの瞳だと直感する。根拠はない。青黒いそれは閉じ込められたような鈍い輝きを湛え、周りを囲むのは象の肌を思わせるひび割れた皮膚。カーキー色をもっと暗くした色は、人間の皮膚というにはあまりに一般常識の範疇(はんちゅう)を超えていた。

 そんな「異形のモノ」の目元に気を取られるアリスに、背中から痛みが襲う。ジャックと共に地面に倒れたからだった。


「平気か!?」

「はい、何とか…………後ろ!」

「なっ……!」


 真横にあったはずの壁は倒壊していた。恐らく、「異形のモノ」が突き破って来たのだろう。

 しかし、破壊された建物に気を配る余裕など、アリスには与えられなかった。砂埃が収まらない中、アリスと一瞬視線をぶつけた「異形のモノ」は、その大きな図体からは到底想像できない速さで、ジャックとアリスに接近していたのだ。


退()ケ」


 目算でも三メートルは超えていると分かるほどの背丈。縫合痕(ほうごうこん)のある口元から放たれた低い声は、間違いなく聞き覚えのある声。だが、心の底から恐怖が湧き起こるのには充分だった。

 暗いカーキー色の皮膚が、はち切れそうな衣服をまとっている。丸太のように太い腕は、一振りでジャックを払い飛ばした。ジャックの身体は鉄砲玉のように飛び、道路を挟んだ向かいの工場の壁に激突した。


「ジャックさんっ!!」

「女…」


 起き上がってジャックの方へ行こうとするアリスの視界いっぱいに、「異形のモノ」が立ちふさがる。自分の全身が震えているのが分かった。が、震えを止める方法も、目の前の人ならざる何かの正体も、アリスには分からない。


「俺ト、来イ」


 ただ一つ言えること……錆びた声には、一切の感情がなかった。

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