地下の一番弟子 ―ジャック・ビーンズ―
「マーリンさんの、お弟子さん? ということは貴方も」
「その通り! ガキん時からちぃっと特殊でよ。師匠いわく、俺は師匠と同じく数百年に一度の特異体質で、複数系統の魔力が使える保持者なんだ」
「すごい方なんですね、ジャックさんも」
「いやぁ、まだ全然、師匠の足元にも及んでねーよ。俺はこの豆粒を媒体にして魔法を使うんだけどな、テキトーに念じて魔力使っちまうからさ、加減っつーか、何したらどんだけ魔力が消費されるか、サッパリわかんねぇんだよな」
「それって危ないことなんですか?」
「どうやらそーらしい。知らねぇうちに自分で自分の寿命縮めちまったりするんだってよ。だから、師匠みてぇに魔力のことや自分のこと、分かって使えるようにって、勉強させてもらってんだ」
ジャックは「帰り道はこっちだぜ」とアリスの手を引く。が、アリスは足に力を入れて抵抗した。
「嬢ちゃん?」
「……私、まだ帰れません」
ムカデへの恐怖とジャックの朗らかさで気が紛れていたが、戻ろうという話になった途端に、胸の中のぐちゃぐちゃした感覚がぶり返す。
それだけじゃない。原因不明の涙もまた込み上げてきて、顔の熱もじわじわ上がる。アリスは、先ほどと同じく、自分で自分が分からなくなっていた。
「んじゃ、しょーがねーな」
豆粒を一つ地面に投げ、手をかざすジャック。
「ここに創らん。二人掛けのベンチ」
溢れ出すライトグリーンの光の中で、豆粒は芽を出し、シュルシュルと蔓が伸び、絡み合っていく。そして、綺麗に編み込まれたベンチが作り上げられた。
「立ち話は疲れちまうだろ? 座って話そーぜ」
「はい……」
ジャックに促されて座ると、豆粒から出来たベンチは予想より丈夫に感じた。
「んーと……何があったんだ、って聞くのは、さすがに野暮だよなぁ」
「……聞かないんですか?」
「どーせあのチェシャ猫だろ?」
正直なところ、自分でも涙の理由や胸の中のぐちゃぐちゃについてどう説明していいか分からなかったアリスだが、(見るからに大雑把で鈍感そうな)ジャックの察しの良さには驚かされた。
「あの、どうして……」
「簡単な話さ。チェシャ猫のヤツ、笑っちまうほど分かりやすかったからよ。師匠が1年前に予知してから、ずーっとな」
マーリンは、アリスがこの世界に再び来ることを、1年ほど前に予知していたらしい。ただし正確な日時や場所は分からず、しかもオズによる魔力保持者への弾圧が加速していたため、表立って迎える準備をすることもできなかった。
よって彼は、俗に「マーリン一派」と呼ばれる協力者たち――獣人や森の動植物――に向けて、勇者アリスを見つけた場合は可能な限り手助けするよう、依頼したのだった。
「ちょうど同じ頃だったな、チェシャ猫が師匠を訪ねてきてよ。予知の内容を聞いてから、探しに出る日も少なくなかったぜ。アイツ、よっぽど嬢ちゃんに会いたかったんだろーなぁ」
***
アリスが飛び出していった後、チェシャ猫はゆっくりと起き上がる。
「いってて……」
「大事ないですかな?」
ススキ色のカーテンの向こうからかけられた声に、チェシャ猫は耳をピクッと動かす。
「起きたんだ、マーリン」
「あのように大きな音を出されては」
マーリンはまだベッドから起きて来れないようで、カーテン越しに会話が続けられる。
「短い眠りだったけど、少しは回復したのかい?」
「お陰様で。もうしばらくすれば手製の夕食も振る舞えるかと」
「あんまり無茶することないと思うけど」
「いいえ、折角アリス嬢がお越しになったのです。もてなさなくては」
淑やかな語り口の中垣間見える意欲に、チェシャ猫は「マーリンのそーゆートコ、女王様そっくりだと思うよ」と笑った。
「……にしても、伝わんないもんだねぇ」
「不躾ながら、森番殿のなせる最大限だったと思いますぞ」
「それはどーも。てゆーか、今の俺の脳内読んだだろ」
「失礼。悩まし気なお姿は珍しかったもので」
普段から他人をからかっているチェシャ猫だからこそ、分かった。マーリンは本気で心配をしているのだ、と。
「まぁ、俺の性質がある限り無理なんだろうとは思ってるよ」
「致し方ありませんな。課せられた呪いでありますゆえ」
「呪い、か……。そー言えば、前に記憶辿ってもらったんだっけ」
「はい。しかし、力不足ながら、術者の面影すら見つけられませんでした……」
「マーリンが気にすることじゃないさ」
チェシャ猫の記憶は、前にアリスに話したように「ハートキングダムに来る5年ほど前」までしか残っていなかった。それ以前のことは、写真の燃えカス、あるいはノイズだらけのラジオのように、細切れな断片が点在しているだけ。
「きっと、俺が小さい頃のことをすっぽり忘れてるのと、何かしら関係があるんだろ?」
「恐らくは。以前辿った森番殿の記憶には、途中から靄がかかっているようでした」
「数百年の時を生きる大魔法使いサマでも突破できない靄なんだから、俺は相当マズい人の怒りを買ったんだろうねぇ」
「笑いごとではございますまい…」
大きく溜め息をついて、マーリンは続ける。
「森番殿のお心深くには、非常に強い畏れと反発が居座っています。それらを辿ると……いずれもが無限と調停の系統が始祖、フェアリー・ゴッド・マザーに向けられているのですぞ」
「会った覚えもないけどねぇ、そんな偉大なお方」
「そもそも始祖のご活躍は1枚目の石碑と共にあった『創世記』に記されているのです。森番殿が接触できるはずがないのですが」
「まして反発だなんて畏れ多いって言うんだろ?」
「推測の域を出ませぬが、呪いや靄をかけたのも、あるいは……」
「俺はかつて始祖と大喧嘩したってワケかい? 笑えるねぇ」
「ですから、笑いごとでは……」
マーリンの耳には、チェシャ猫が再びクッキーをボリボリと食べ始める音が聞こえてきた。どうやら彼は、心底自分の過去に興味が無いらしい。
「しかし、始祖が呪いをかけたとなれば一体いつ、そして何故……」
「どっちの答えも俺の中には無いよ。在るのは……ヒントだけ。俺にはアリスちゃんが必要だっていう、唯一絶対のね」
「でしたら、そろそろ迎えに行かれてはいかがですかな?」
「…………夕飯、何にする予定?」
「そうですな……ポトフにしようかと。腕によりをかけますぞ」
「分かった。行ってくるよ」
軽く背伸びをしてから、チェシャ猫は地下隠居庵をあとにした。