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変わらぬ嫌味(唇)

 真っ白な空間の中で、「彼女」はゆっくりと瞬きをする。


 音のない世界。「彼女」以外の生き物はおろか、物体と呼べるものが何一つ存在しない空間。

 そこが「彼女」の居るべき場所だった。そこで「彼女」は、ただ全てを見ていなければならなかった。


(ごう)ある魂……導くか」


 スッと前方に手をかざせば、「彼女」の前にはスクリーンに映されたような映像が流れ始める。映し出されるのは森の中、ハンプティから逃げるアリスとチェシャ猫。


「勇者とて未熟、か……。だが、気付いてやらねば変えられぬ」


 願いのこもるその指先が触れた瞬間、スクリーンは消滅する。時が流れているかも定かでない白の世界で、銀河で織られたような輝きを持つドレスを纏い、「彼女」は憂う。


「我が(とも)よ、どうか無事で……」



  ***



 あの日と同じだ。柔らかくて、ほんのり熱くて、葉っぱの香りに包まれて……。ゆっくりと(ついば)まれた後、(かす)かなリップ音が聞こえて、離れる。

 それは間違いなく、あの時と同じキスだった。

 違うのは、その直後。突然の再現に対してオーバーヒート状態になったアリスは、先ほどよりも強く、チェシャ猫の腕の中に閉じ込められた。


 ワケが分からない。文句を言ったのに、伝わってなかった? 急にキスするなんて、しかも報酬代わりって、理解できないしあり得ないって。ついさっき怒ったのに、何で、どうして、また同じこと……。

 混乱から抜け出せずに呼吸するので精一杯のアリスに、チェシャ猫は静かに告げた。


「俺さ、会いたかったんだよ。ずっと、君に会いたかった……」


 表情が見えない中で、アリスに与えられる情報はチェシャ猫の言葉と声色のみ。それだけで、ここまで脈が落ち着かなくなるのだ。冷静に考えることができなくなるのだ。

 どの言葉に対して、どんな言葉を返せばいいのか……パニックに陥ったアリスだったが、先ほどの自分の「怒りの主張」がスルーされたことをふっと思い出した。

 謝んなくていいとは言ったが、もう一回していいとは言ってない。どう解釈すればそんな結論に持っていけるというのか。おかしい、どう考えてもおかしい!


「い、意味わかんないっ……!」


 気紛れに混乱させるのも、いい加減にして欲しい。そんな訴えも込めてチェシャ猫を見上げる。すると、十数秒前の甘い声色から一転、わざとらしい溜め息がつかれた。


「こんなに明瞭な言い回ししてんのにまるで伝わらないなんて、ほんっとアリスちゃんの(とぼ)しすぎる理解力には何度驚かされればいいんだろうね。むしろ俺の選んだ言語に問題があったってことかい? それとも、乏しすぎる状況判断力を持っているのは俺の方で、アリスちゃんの理解力向上を待たずに口にしてしまったことが間違いだったってことなのかなぁ」


 つらつらと流しそうめんのように止まらない嫌味に、アリスの精神は限界を迎えた。


「なっ……何なのよっ……信じらんないっ! チェシャのバカぁっ!!」


 自分でもどうしてそんな力を出せたのか、とにかく、怒りのままに叫んだアリスはチェシャ猫の腕から逃れ、思い切り突き飛ばしていた。ガタンと音がしたのも無視して扉の外へと駆け出す。

 早く、早く忘れろ。忘れてしまえ。この心拍数の上昇は、運動量のせいだ。ドキドキしたワケじゃない。しちゃいけないんだ。だって、そうでなくては、本当に……――。


 根の森という表現がぴったりな地中の空間を一心不乱に駆け抜け、ハチャメチャな呼吸で心拍を乱していく。自分の中で納得のいく理由がつけられなかった。この世界における数少ない味方である、チェシャ猫の傍から逃げ出したくなった理由が。

 どうして、泣いているんだろう。涙がこぼれる原因は分からないけれど、涙を見られたくないから飛び出したんだと、自分に言い聞かせることはできた。ひときわ太い根に腰かけて、膝を抱える。

 顔の熱が、下がらない。どう考えたって、意味がわからない。アリスが構築できる行動論理に、チェシャ猫の行動は何一つ当てはまらなかった。会いたかったからって、突然キスするのだって考えられない。予告されれば良かったのかと聞かれても、そういうワケではないのだが。

 しかしそれ以上に、自分の涙が止まらない理由も、論理的に説明できなかった。悲しいのか、悔しいのか、ムカつくのか……そして、何を思えば止まるのか。必死に目をこするが、キリがなかった。

 と、その時。


 ガサガサッ


「え?」


 根の陰から突如姿を現したものに対し、息を呑むアリス。人面イモ虫のワイズ・ワームを見た時もそれなりに驚いたが、その比ではなかった。

 鎌のように鋭い(あご)と、黒い碁石のような目と、長い胴体と、無数の足……巨大ムカデだった。端的に言えばその大きさは、アリスを丸呑みにできそうなほど。


「あ……あ……きゃああああっ!!!」


 泣き面に蜂、ならぬ「泣き面にムカデ」状態。この場所が地中ならば、当然その手の虫が住んでいる。考えるまでもない大前提を、失念していた。悲鳴をあげて駆け出すアリスを、ムカデは捕食対象としたらしく、追い始めた。そして、二本脚のアリスの走力では、ムカデの速さに敵わない。(パッと見た感じ)毒を含んでいそうな顎が、アリスに触れるか触れないかのところで、


 ザシュッ


「大丈夫か!? 嬢ちゃん!」


 一本の投げ槍がムカデの脳天を貫き、その動きを制止させた。恐怖も相まって再びぽろぽろと涙をこぼしてくアリスの前に、大きな体の猟師が現れた。


「初めましてだな、勇者の嬢ちゃん! 怪我ねぇか?」

「あ……はい……ありがとう、ございます……。あの、貴方は?」

「おっと失礼した! 俺はジャック。ジャック・ビーンズってんだ。宜しくな!」


 ガタイの良さと雰囲気や口調から、アリスは何となく円卓の騎士・ガヴェインを思い出す。だが彼は、仕留めたムカデの脳天から長槍を抜くと、腰のベルトにぶら下げている袋から豆粒を一つ取り出し、ムカデの側に放り投げた。そして、手をかざして唱える。


「ここに捧げん。新たな命の力となるもの」


 すると、ムカデの身体がライトグリーンの光に包まれ、粒子となり、ジャックの投げた豆粒に吸収された。直後に豆粒からぴょこんと新芽が出て、アリスは目を丸くした。


「すごい……」

「まぁこんなもんだろ。嬢ちゃん、武器(エモノ)も持たずにこの地下森林(アンダーフォレスト)をふらふらすんのは危ねーぜ。地上の動植物と違って、こっちにはまだ師匠との関係構築が終わってねぇヤツが多いんだ」

「師匠?」

「ああ、俺はこー見えて結構特殊な魔力保持者だからよ、大魔法使い・マーリン様の一番弟子、名乗らせてもらってんだ」


 ニカッと笑ったジャックは、腰を抜かしたアリスの腕を引き、ひょいっと立ち上がらせた。

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