第四十九話 わかったふうなこと
③,
べったりとした重い空気が
部屋のなかに満ち足りていて呼吸が苦しいです。
いったん出ようかなと考えましたが
ここは意地で残ることにしました。
わたしは悲しいとき、
誰かが側にやってきてわかったようなことを
言われるのがとても嫌いです。
わたしを知らない人が何度かそれをやって
わたしをとても怒らせました。
そうやって怒って怒って、怒り疲れて眠るまで
怒ってやがて静かに眠り、次起きたころには
原初の悲しさもその副産物的な怒りも忘れていたりします。
だから今回はなにも言わずに二人の
側にただいることにしました。
二人が自力で悲しいところから抜け出す気になれたとき、
わたしがひっぱりあげるのです。
二人のあいだに体育座りになります。
はじめは正座かなと思いましたが、
これは持久戦になるなと感じたので
足を崩して体育座りに切り替えました。
暗い雰囲気がわたしの気分も滅入らせます。
本田さん流に言えば「ダウナる」です。
昔の嫌なことを思い出しました。
頭を物理的に振って別のことを考えようとします。
しかし、気分は暗いままなのです。
自然と思考はネガティブな方向へ進んでいきます。
マリーちゃん。
あっけなく死んでしまいました。
あのこは一体、何をしてきたのでしょうか。
門限を越えて家に帰ってきて、
いきなりの家出宣言でした。
『家出を宣言する』こと自体がもうかなりの
ピンチなのだと私は思いました。
なぜなら家出をするとき、人は普通、黙って
出ていくからです。
本当にその家から出ていきたいなら、
誰かに止められる可能性を無くすためにも、
人知れず姿を消すことを選ぶはずなのです。
なのにマリーちゃんは出ていくと言ったのです。
言った。つまり伝えたのです。
『わたしは出ていかなければならない』のだと。
これは決して出ていきたいという願望を示しているわけではありません。
むしろ逆です。
出ていきたくないからこそ、
そのように言うのです。
これはある意味救難信号なのです。
『わたしはそんなこと思ってもないけど
ここから去らざるを得ないの、どうしよう!』
そういうメーデーだったのです。
しかし結果として、
誰もマリーちゃんを救うことはできませんでした。
世の中、救われるべきものが
救われないということはそりゃあるよ、と言わざるを
得ませんが、それが自分の目の前の人のこととなると
簡単に割りきるわけにはいきません。
わたしよりずっと子供なのに
なにかとても重いものを抱えることになってしまった。
そして、抱えたそれのせいで
命を失うことになってしまった。
『可哀想』なんてありきたりで、
こんな言葉こそわたしが嫌う
『わかったふうなこと』なのですが
やっぱりこう思ってしまいます。
真っ暗な部屋でずっとこんなことを考えていました。
誰も言葉を発しないので当然、
わたしから何かをいうこともありません。
体育座りの背中が丸まります。
目は開いているけど何かを意識して
見ているわけではありません。
焦点があっていないのです。
決して心地よくはありません。
ただどうしようもない無力感と絶望感が
わたしの頭を満たしています。
もう、わたしは、こうして、いるしか、ない、
そんな、かんじで、……
「ミドリ」
名前を呼ばれて意識が引き上げられました。
深い海からやっと海面上に顔を出せたような
解放感があります。
さっきまでちゃんと呼吸をできていたのか
心配になるくらいの圧迫を受けていた気がしました。
気づけばわたしはマカさんの部屋ではなく
その部屋のそと、廊下に座らされていました。
目の前には心配そうにわたしをみる
本田さんと庄司くん、そしてお父さんがいます。
「この部屋は松戸くんの『共感覚』の
射程範囲のようだ。部屋のなかにいると
同調してしまうんだよ、彼に」
お父さんが説明をしますがまだ
意識がはっきりしないのでいまいち理解できません。
「この部屋に長時間入るのはよしたほうがいい」
お父さんがわたしたちに言います。
「そのようですね」
庄司くんも賛成のようです。
「ミドリ、朝御飯を食べよう
それからみんなでどうするか考えよう」
お父さんがわたしを諭すように言いました。
わたしだってここでごねたりするほど、
ばかではありません。
わたしたちは食堂に向かいました。




