表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Magie - Noir  作者: 斑鴉
4/7

3 ザイドリック  <幽霊>

 靴音が残響高く、薄い藍光に消えていく。

 セリアはしばし足を止め、また先生の声が聞こえないかと耳を澄ませた。

 あの声は“ナイアス”中庭の井戸から、地下水道に降る途中で切れてしまった。

 まるでセリアを追い返そうとしていたように。逆にセリアを呼び寄せてしまい、あわてて口を閉ざしたように。

 なおさら引き返せない。再びセリアは歩き始めた。

<ナイアス>に住まう代行領主や有力者たちが、いざという時に街の外まで落ちのびるための抜け道が存在すると聞いたことがある。ありがちな作り話だと思っていたが、どうやらここがそれらしい。落ちのびるどころか、迷った末に野垂れ死にしそうであるが。

「先生? 先生!」

 呼びかけに応える声はない。

 セリアは黙って歩調を上げた。

 脱出路以外にも、城から伸びる地下道の噂があった。

 水道の一部を利用した、特別の牢がある。そこには城の住人たちに都合の悪い、しかしどこかに使い道のある者たちが幽閉されているとのことだ。

 たとえば私生児。容貌を崩したが、放逐するには城の内情を知りすぎた貴族の妾。

 そして白黒を問わず、反抗的だが優秀な魔導士。

 あくまで噂だ。貧窮ににあえぐセリアが強盗団の首魁であるというような、誰も責任を執る必要のない流言である。

 しかし、もし本当にあるならば、そこに先生がいるかもしれない。

 獄死したと聞かされているが、直接死体を見たわけではない。

 ――妙な物音がした。

 声ではない。少なくとも、先生の声ではなかった。

 続いて耳に届いたのは音。ひそめるような人間の息づかい。

 頭を巡らす。広い視界に人影はない。

 セリアは叫んだ。

「誰かいるなら、隠れてないで出てきなよ!」


「…………?」

 遠くの声を聴いた気がした。

 深閑とする暗い通路に、新たな気配は感じない。

 前をゆくシドックが振りかえり、目線で急げと促してきた。

 幻聴だったと胸に言いきかせ、また歩く。

「もたもたするな。はぐれるぞ」

「オレっちの台詞だ。それは」

 変わらずの地下水道である。

 ウルザンドの魔導士としての知覚は、こは本来、無数の道が水流にそって直角に交差する構造であると訴えている。それが桁から外れた『力』で歪む空間に引きずられ、一本路のように見えたり、離れた通路がつながっていたりする。

 おまけに歪みが不安定なので――だから歪みというのだが、どんな弾みで遠くまで飛ばされるかも判らない。飛ばされた時に察知できなければ、待っているのは死ぬまで地下を徘徊し続ける運命である。だから、否が応にも慎重に進まなくてはならないのだが。

「兄ちゃん足遅い――――カメ――ナメクジ――!」

 ひたすら無神経に、フィミは視界の限界上を驀進していく。

 歩幅の悲しさか、普通に歩くウルザンドとの差はあまり開いていないが。

「シドック。あのガキ、なんであんなに元気なんだ?」

「子供だからかな」

「なんであいつは迷わないんだ?」

「知らん。あんな生き物は見たことがない」

「それと、いちばん重要な疑問なんだが」

「言ってみろ」

「どうしておれがナメクジなんだ?」

「白いからだろ。覚悟しとけよ、そのうちクラゲとか呼ばれるぞ」

「ジャコウノミ――――ミノムシ――――シャカイノダニ――――――!」

「……身ぐるみ剥がして海に捨てるぞ」

 呪文の詠唱と同じ語調が口をついてでた。

「大人げないな」

 呆れた声でたしなめるシドックだったが。

「そっちの兄ちゃんもノロマ――――ッ!」

 こちらも続いたフィミの一言に雰囲気を変える。

「ニンゲンモドキ――――キタイトオナジ――――ジョウハツシチャエ――――!」

「バラしてサメに食わせるぞ。ちょうど近くに港があるしな」

 言い捨てて移動する速度を上げた。

 足も翼もないくせに速い。あっというまに手の届かない距離を開けられる。

 ウルザンドも走り出す。しかしシドックとの差は減らない。

 むしろ、どんどん広がっていく。ぼやける視界に幽霊と子供の後ろ姿が遠く小さくなっていく。

 いくらなんでも速すぎないか?

 異常に気づいた時、目の前がくらりと揺れて、知らないうちに両手を床に付けていた。

「転んだか? …………まさか」

「平気だ。すぐに治る」

 頭上からの問いかけにそう答えたかったが、自分のものでないように身体が脳の指令を拒絶する。

 がんがん傷む脳髄が、すぐ原因を突きとめる。血が足りない。

 同じく理由を察したらしいシドックが言ってきた。

「それにしたって早すぎるだろうが」

 荒い呼吸の合間に答える。

「さっき、あんたに無理やり運動させられた」

「馬鹿言え。あのくらいでガタくるタマか。今朝補給したばっかだってのに」

「実は飲んでない」

「なんだと?」

「気が進まなくてな。この街ではやりたくなかった」

「てめえ、まさか本気で色ボケか……」

 昨日から数度にわたって血を流し、筋肉に刃物を入れて関節の血抜きをし、一度も補給していないのだ。後から傷を塞いでも、ガタのきて当然である。

 話しながらも、苦しさと腰に吊るした結晶を体力に変えていく。

 力すなわち苦痛の存在しない場所など、黒魔導士には夢想だにできないだろう。現にウルザンドも予期しなかった。どんな場所にも生物がいて、苦しみながら生きている。それが常識というものだ。

 もう治ったと手振りで示し、壁にもたれて立ち上がる。

 誰も追ってこないので不審に思ったのだろう、フィミが駆け寄ってくる。

「――まずい」そのとき、魔法につられて空間に新しい歪みが生まれた。

「おいガキ、そこは……」

 叫ぶより早く、フィミの気配はかき消えていた。



「いかがなされた」

「……………………」

「ネーバス殿?」

「……なにか聴こえませんでした?」

「いえ、なにも。どちらに参りましょうか」

 同時刻、イズリッド=クレイアムは仇敵と肩を並べて蒼暗の地下水道を闊歩していた。

 中庭から消えた、セリアとかいう娘を探すネーバスに同道してのことである。

『女性が一人、危険な迷路に入っていくのは見過ごせない』とは嘘八百の建前で、本当の目的はタルムードへの援護を兼ねた牽制だ。見張りともいう。

 怪しいことは一切させない。成果のでるまで大人しくしていればよし。部下に連絡をつけうとすれば徹底的に邪魔してやるし、一般人の仮面を捨てて魔法や魔具を使うようなら問答無用で叩き斬る。

 そうなればイズリッドも無傷ですまないだろう。肉体的にも社会的にも。

 しかし覚悟はできている。

 ネーバスと目が合った。

「いかがなされた」

「別に。何でもございませんわ」

 いつもの緊張感が欠けた笑顔に、目尻のたれた細すぎる双眸のネーバスが、不機嫌な子供のように顔を背ける。

 紛いようのない苛立ちが、ネーバスのそんな動作に見てとれた。

 イズリッドは暗がりのなか、唇の端を笑みの形につり上げた。

 

 

「気のせいのはず、ないんだけどな」

 落ち着きもなく周囲に視線を注ぐセリアが、ようやく諦めて肩を落とした。

「待つべきだったんだよね、ネーバスを」

 腰を下ろしてセリアは足元を流れる水に語った。

 足音と反対に肉声はあまり反響しない。だからつい独り言が多くなる。

 彼女らしくない。丸めた背中にのしかかる心細さが目に見えるようだ。

「話せば協力してくれたって思うんだ」

 声からにじんでくるものは後悔の響き。膝を抱えてうずくまる姿のなかに、孤児院の悪ガキどもを戦慄させた肘鉄セリアの面影は、どこにもなかった。

「先生……」

 やがて立ち上がり、うなされるように、再びふらふら歩き始める。

 丸い背中が離れるのを待って、それまで隠れていた物陰から、耐えかねたようにオズケスとゼメーギンが飛びだしてきた。

「おい、なんでセリアがいるんだよ」

 オズケスが坊主頭をかきむしる。

 呆然した顔でゼメーギンが天井を見た。

「相変わらずメチャクチャな勘してるよな」

「オレらさ、隠れる必要あったわけ?」

「ツラ会わせるよりマシ」

 ――先生。先生。先生、どこ?

 遠くから届くつぶやきを聞き、ゼメーギンが鬱陶しげに舌打ちをした。

「それにしてもセリアさ。まだあのオヤジにこだわってるわけ?」

「だろうさ」ため息まじりにオズケスが受けた。「あのオヤジ、いつもセリアばっか甘やかしてたもんな。やってらんねぇよ」

「悔しかったよな。オレらがなにしても、いっつも褒められるのはセリアだしな。なんつうの――――」

「えこひいき?」

「ああ。悔しかったよな。欲しいよな、こう、力ってやつ? 腕力じゃなくて、人に言うこと聞かせられるさ」

「だよな。聞かされるだけなんて冗談じゃねえよ」

「でもなあ」憂鬱そうに、ゼメーギンが足を組みかえた。

「実際にいるんだよな、生まれた家がいいってだけで、そういう力があるヤツがさ」

「いるよなあ」

「オレらさ、実はどこかの貴族の子供ってことねえ? 暗殺されそうだったから、あんな孤児院に預けられたとか」

「ありそうだよな。でもオヤジくたばって家もなくなったし……」

「すごい損してるよな」

「なんつーか、平等じゃない」

「血筋だけで威張ってる奴ほどムカつくのってないよな」

「あー問題外。そういうのっこそ、オレらの下で働くべきだよな。タルムードみたいに、人生の厳しさを教えてやらないと」



 話し声がする。

 本能的な不快さに押され、イズリッドは声の聞こえた方角を強く睨んだ。

 不用意すぎる。思った時には遅かった。

 どうしようもない。

 それでも……と、すがる希望を嘲るように。

 目を離さないと誓ったはずのネーバスは、すでに横にはいなかった。

「……チッ!」

 慌てて周囲に見回すが、彼女の姿はどこにもなかった。

「あ、前にザンクさんと酒してた隊長さんスか」

 イズリッドの存在を認めたらしく、暗がりから二人の男が近づいてくる。

 気安い声をかけたのは坊主頭だ。すぐ後ろには長髪が甘たれた顔をのぞかせている。軍に入れば二日目の夜に脱走する類の手合いだ。よほど感覚が鈍いのか、イズリッドのまとう怒気にも気づかない。

 彼は二人に詰めよった。

「ネーバスの部下が、なにをしている」

 それも今、絶妙のタイミングでだ。返答次第で斬り捨てる。

 そう眼光にこめた言葉も、二人の耳には聞こえないらしい。

 あるいは自然ならざる青い光にかき消されたのか。

 自慢するように、坊主頭が口を開いた。

「オレらスか? 朝からの仕事終わったんで、捜し物してんだけど」

「まあ物っていうか、ある場所なんスが。朝からずっと見つからなくて」

「貴様らのような人間が、この水道で二人きりでか? どうやって帰るつもりだ」

「それが、なんとかなるんだなぁ」

 長髪が袖から楕円の小石を出して、宝石のようにかざしてみせる。

 あんたにこれの価値が分かるか? とでも言いたげに。

 イズリッドはむろん、小石の価値を理解していた。

 タルムードから預かった、空間の歪みから身を護る魔具とまったく同じものである。

「……あのデブめ」

 この魔具があれば地下水道を経由して、ギルゼリアのどんな場所にも……ナイアスにさえ潜りこめる。万能鍵と同じで、身元の知れない凡夫凡愚に与えてもいい代物ではない。

「で、探してたらセリアっていう、今朝ザンクさんと捕まえた女がいて――」

「そうそう。昨日、南区で騒ぎ起こした――」

「どうしようかなと、相談したんスけどね」

「ほう」

 イズリッドは、腰から下げた剣の柄に手をかけた。いつでも抜けるよう、左半身を後方にそらす。

「え? 嘘じゃないですよっ?」

「なんで、オレらなんかしましたか?」

 百年生きた岩亀級の無神経にも、さすがにこれは通じるようだ。面白いほど取り乱してくれる。二人から目を離さずに、イズリッドは黙考した。

 ネーバスが、そのセリアに並々ならぬ関心を持っているのはザンクに聞いた。そして彼自身の目で確かめてみた。間違いはない。いま地下水道にネーバスがいるのも、セリアという娘を追ってのことだ。

 ネーバスの部屋に侵入しているタルムードの存在が脳裏をよぎった。

 だが彼は白魔導士である。自分の身くらい守るべきだろう。

 ならば、イズリッドのするべきことは――

「その女性、私も用がある」

 有無を言わせぬ強い口調で二人に言った。

「案内してもらう。どっちに行った?」

「なんで、オレらがそんな――」

「さっさとしろ」

 抗弁をさえぎると「こっちですよ」と言い捨てて、しぶしぶ二人は反対側に進み始めた。イズリッドに背をむける瞬間、二人の目に反抗的な色が浮くのを見逃さなかった。

「くだらない男どもだな」

 そして鼻先で笑い飛ばした。彼らの耳にも届いたはずだが、ぴくりと肩を震わせただけで、なにも反論してこなかった。またイズリッドは鼻を鳴らした。



 どこまで歩いても変わらない地下水道を、あてもなく探索していた。

 魔導士としての知覚を最大限に活用しても、感じられるのは周囲数メートルのみ。まるで目隠しされているような状態で、誰かを探すどころではない。偶然ばったり――に期待するしかないのが現状だ。

 やがてウルザンドが曲がり角を折れたとき、息を荒らげて走る人影に突き飛ばされた。

 思わず宙を舞いそうになり、相手の肩をつかんで耐える。細さからして女性のようだ。

「悪いな。急いでた」

「わたくしこそ、とんだ御無礼を」

 フィミに劣らない間のびした顔で、女が応えた。

 細い目を頬の上まで垂らす美人が、見上げるように眼をのぞきこんでくる。

「しつこい殿方に追われてましたの。お怪我はございません?」

「ん……まあな」

「本当に?」

「それよりも、人を見なかったか?」

「さあ、どなたとも逢いませんでしたが。どんな方ですの?」

「二人いる。両方とも、一応は女だ。片方は原材料の半分が図々しさの金髪で元気なクソガキで、もう片方は――――」

「……………………ネーバス?」

 呆然とシドックが口を挟んだ。

「あら、わたくしをお探しでしたの? ……え?」

 ウルザンドは女と顔を見合わせる。両手を伸ばせば、いつでも首を絞められる距離で。

「離れろ! そいつがネーバスだ」

 シドックの警告が飛ぶ。

 先に事態を把握したのはネーバスだった。

 首筋めがけ、閉じた扇を水平に薙ぐ。

 一間遅れてウルザンドが背をそらす。身長差と回避行動が幸いし、鉄扇は白い前髪の先を落とすに留まった――首ではなくて。

 弾けるように距離を取る。

「ネーバス!」

 その空隙に、半ば実体化したシドックが割って入った。

 幽霊の右腕が軟体物のように伸び、頭上からネーバスを襲う。ネーバスは一歩踏みこんで、閉じた鉄扇で受け止める。雷光が周囲に散って、シドックの右腕が弾けとぶ。

「あああああ!」

 肩口からまた右手が生える。同時に左の腕も鞭と変え、大きく横に振りかぶる。

 その先端を掴み止めたのは、ネーバスではなくウルザンドだった。

「落ち着け。最初から判ってるだろう。あんたじゃ無理だ」

「そう……だったな」

 消滅させられた右腕のぶん希薄になったシドックが、完全な霊体にもどって占めていた空間を譲る。

 霊体と肉体は、互いに影響を及ぼしにくい。魔法や実体化などの手段はあるが、どうしても効率は悪くなる。そして実力の近い相手が敵ならば、効率の差が勝敗すなわち生死と直接関わってくる。

「だが、この顔を見て冷静でいろってのが無理だ」

 シドックが幽体のあごをしゃくった。

 促されるまま目を向けた先に、ネーバスが無表情で立っている。

「貴様がネーバスか。探したぞ」

 ウルザンドが一歩、間合いを詰めた。

「死んでもらうぞ。貴様に恨みは――なくもない」

「奇遇ですわね。わたくしも、少々遺恨がありますの」

 ネーバスが確実に魔具である鉄扇を開く。

 応えるように、ウルザンドはマントから三条の輝く銀弧を抜き出した。

 不意を突かれたようにネーバスの顔が固まる。

「ナイフ?」

 そして静かに嘲笑う。

 刃のある物は、絶対に魔具にならない。どれだけの『力』浴びても、内部にたまらず刃から流出してしまうのだ。だから魔導士は刃物ではなく魔具を持つ。斬るだけの刃は、千変万化の能力を持ちうる魔具に適わない。若干ながら身に帯びるだけで魔法にも影響するので、魔導士は切物を毛嫌いするのが一般である。

「ミクジースの末裔ウルザンドが、貴様の生命を引き受けてやる!」

 委細構わず、ウルザンドが小さな動作で銀光を放つ。

 ――疾い。動作の途中で加速の魔法を自身に使い、視認できないような速さで武器を飛ばす。

「もう少し、魔導士らしく戦いなさいな!」

 だがネーバスも疾い。扇を一閃。生じた風が三つのナイフがでたらめにそらす。

 ウルザンドは新たなナイフを右手に構え、ネーバスにむけて駆けだした。

「醒めよ! 刺命は未だ果たされざらば!」

 魔法に備えて扇を構えたネーバスを、弾かれたはずのナイフが軌道を変えて再び狙う。

「!」

 ネーバスは背後に跳んで射線を避けた。そこにウルザンドが肉薄する。

 薙ぎ払われる鋭い刃を鼻先で見切り、更に後ろにネーバスが跳ねる。

「醒めよ!」

 勢いを落としながらも、三つのナイフがさらに鋭角の軌跡を描く。

 迎える閉じた鉄扇が、今度は刃を粉々に砕く。

 放ったナイフの命運を確かめもせず、ウルザンドは手元のナイフを足元の河に投げ入れた。巨大な岩でも落としたように、肩に届くほど高々と水柱が立ち上がった。

「整流の綿々と食む生の運命が同胞を呼ぶ! 舞え、青弾破!」

 ウルザンドの手が、柱を横から打ち崩す。

 塔が無数の水と散り、散った水滴が涙弾となり、ナイフより遥かに疾く、閉じた扇を振りきっていたネーバスに襲いかかった。

「……稀人の炎!」

 ネーバスが凛と叫ぶ。ウルザンドは初めて彼女の業を目の当たりにした。

 彼女の魔法で半数を超える水の弾丸が蒸発して消える。

 さらに一挙手で扇の魔具を拡げ、要を軸に旋回させる。残る水弾が磁石のように鉄扇の羽根に吸いよせられて、音もなく扇が閉じる。

 ネーバスが扇を振ると、水弾は無害な露となって扇の先から地面に落ちた。

「刃物の柄が魔具ですのね」

 猛攻を受けきったネーバスが、涼しげな顔で言う。

“不死身”の渾名は伊達ではないといったところか。

「ナイフは『力』を流すから魔法では干渉できず、下手に壊せば爆発ですか。さすが姑息なミクジースですこと」

「ふふふふふふふふ」

 ウルザンドは笑ってみせた。

 ただの空笑いである。

 ナイフを見せて油断を誘い、そこから不意打ちの連打。速さ、キレ、威力、どれも生涯で最高の業だった。 

 それらがすべて魔具だけで、転移もなしに凌がれたのは、現場を見ても信じられない。

 こちらでは大きめの結晶二つ、吹き飛ばしている。

 ――人間じゃないな。

「あらあらあらあら」

 心の声を聞きつけたのか、ネーバスが天使のように微笑んだ。

「ミクジースの吸血鬼モドキが、今さら何様のおつもりですの」

 色素を欠いたウルザンドの肌が、激情に粟だっていく。跳ね上がる血圧で今にも血管が切れそうな顔で、食いしばる奥歯から怨嗟がもれる。

「畜生が……誰の呪いだと思ってやがる」

「落ち着けってんだ」

 当然だろう、と冷静な声音でシドックが間を取った。

「地の利で負けてる。それだけだ。業ならお前も劣らない」

「そう願いたいね」

「……愉しみですこと」

 ネーバスが二つ目の鉄扇を出し、逆手に構える。

「おのれら、さっさと消えやがれな」

 結晶の残りを計算し、ウルザンドも新しいナイフを逆手に抜いた。

 

 

「セリア殿。こんな所でいかがなされた」

 呼ばれて始めて、誰かがいるのに気がついた。疲れのせいか、単調極まる風景に当てられたのか、かなり滅入っているようだ。すでに道中、知り合いにでも見られたら自殺するしかないような醜態を曝しているし、自覚のないのがおかしいのだが。

「セリア殿」

 背中から呼びかける声には聞き覚えがある。中庭で会った、イズリッドという嫌な笑い方の男だ。

 面倒なので無視したかった。

 得体の知れない……というよりも、目的があれば手段は問わない人物とセリアは見ていた。今こうして呼び止めているのにも、なにかの腹意があるに違いない。城に連れ戻してやるから、ネーバスやウルザンドとの関係を残らず吐けというような。一度抱いた不快の念は、並大抵では拭えない。

「セリア殿」

 それでも肩に手を置かれては、立ち止まざるを得なかった。

 振りかえる――――と、

「ちょっと」

 優男の顔が間近にあった。

 イズリッドは肩口の手に力を入れて、うろたえるセリアを抱き寄せる。

 唇を奪われるかと思われた。

 しかし実際に訪れたのは、腹部への強引な当て身。

「――――っ!」

 力加減を間違えたのか、当たり所が悪かったのか。そもそも、そんな技量がないのか。

 気絶しそこない、セリアは激しい鈍痛に身体を折った。そこを無理やり立ち上がらされ、二発、三発、四発と固い拳を受ける。息苦しい痛みにうめきながら、イズリッドの腕の鈍さを無言で呪った。

「……重いな」 

 よっこらせ、と失礼なことを言いながら、うめくセリアを肩口に乗せる。打撲の跡に鎧があたり、新しい痛みが生まれた。

「貴殿の身柄を預からせてもらう。なに、しばらくの辛抱だ」

 耳元に囁いてくる。

「拷問にかけたりはしない。専用の客間を用意しておいたから、静かにしていてもらいたい。“ナイアス”とまではいかないが、居心地はきっと悪くない。鉄格子さえ気にしなければな」

 セリアは黙って運ばれていた。揺られる度に多数の痛みが渾然と混ざり、増幅や相殺をくり返しながら、次第に遠くなっていく。

 ようやく朦朧としはじめた意識の中で、再び先生の声を聞いた気がした。



「もっと頼れよ。先生はみんなの父親だ。でも先生だ」


「いや、呆れてたんだ。まったく情けない先生だってな。だから女房に逃げられるんだ。でも、守ってやれないのは…………。なあシフォル……ネーバス」


「まいったな、おれが…………と同じ黒魔導士か。実際、純粋な…………ないんだよな。どうやって…………を証明するか。セリア、いい知恵ないか?」



 絶望的に勝算がない。

 自明だった。経過を見守るまでもなく。

 ウルザンドは戦う前から倒れるような満身創痍。使える『力』は手持ちの結晶に内包される量だけで、補給源もないため慎重にならざるを得ない。

 数の利を活かそうにも、戦場が狭すぎて、手伝うどころか代わってやれる余地もない。

 もう一方のネーバスは、実質無限に『力』を駆使する。集中による増幅が必要ないので疲労もない。仮に攻撃を受けたところで、即死さえしなければ瞬時に癒せる。まして八千年も生き続け“不死身”の二つ名を冠する魔女だ。身を護る術が不得手であろうはずがなく、そのことは浅からぬ因縁を持つシドックもよく知っている。

 予期できたことだ。予期していたまま解決策を考えなかった。

 月並みな隠喩だが、ツケが回ってきた。すぐ支払いを果たせなければ、取られるものはウルザンド=レン=ミクジースの生命。

 シドックは思索を巡らせた。

 ウルザンドが地上でシドックの攻撃を避けた小転移を使わないのは『力』の量が限られるためだが、あり余るほどの『力』が背後にあるネーバスも、同じく転移を使わないのが鍵である。

 経験はないが、歪んだ空間内での転移は、さまざまな弊害が考えられる。

 まず肉体と精神にかかる負荷。これは普通の瞬間転移でも結構きついが、狂いまくった空間ならば倍増は確実である。

 そして転移先。可視内の移動さえ怪しいのだから、下手に地上に出ようとすれば、果たして何処まで飛ばされるのか判らない。転移してみたら雲の上でもおかしくはない。

かといって知っている場所、たとえばフィミに引かれて通った水道の『入口』にまで戻ろうとしても、賭けたっていい、絶対に違う場所にでる。

 反対に言えば、飛んでしまえば追いかけられる心配がない。気配を読むなど論外で、この空間でそれができれば、ネーバスと鉢合わせなど死んでもしない。

 あとは運だけ。転移先が材質不明の壁中や、ネーバスの前方3メートルでないことを祈るのみ。決まれば早いほうがいい。

 シドックは、片膝をついてネーバスを睨むウルザンドに取り憑いた。

「!?」

 予期しなかっただろう事態に、二人の行動が止まった。

 ウルザンドの知覚を経由して、残った結晶の数を調べる。

 もし使い切っていたら、命運も尽きる。しかし反応があった。やや小さめの結晶が二つ。

 ネーバスが呪文を唱える。だが、もう遅い。

 結晶の一つを開放。その『力』をウルザンドの身体で制御、空間を渡る。

 はずだった。

「……!」

 勘がにぶったか場所のせいか、転移は発動しなかった。

 正確にいえば、発動しつつある。

 それまで――あと五秒。

「咎人の水!」

 ウルザンドと、視界を共有しているシドックの眼前に、ネーバスの放った光箭が迫る。

 避けきれない――――!

「させるかっ」

 ウルザンドが自力で右手の憑依を破った。

 袖から抜いたナイフを放つ。見当違いの方向へ

 数条の光箭が急激に角度を変えて、銀光へ収束していく。ナイフは次々に光を飲みこみ、最後の一条を吸収すると同時に自壊。

 さらにウルザンドの右手が閃き、迫るネーバスに新しいナイフを放つ。

 ナイフにどんな効果があるのか見切れなかったのだろう、ネーバスはどちらの扇で受けるか悩むそぶりを見せ、周囲に半透明の結界をめぐらせる。

 ナイフは結界の表面に当たり、そのままあっさり突き抜けた。

 声もなく頭を倒すネーバスの右頬を深々と刺す。

 次の瞬間、ウルザンドが驚愕に息を飲みこむのを感じた。

 ナイフを抜いて血の流失する傷を押さえるネーバスの手が、すさまじい速度で縮み始める。骨格がしぼみ、艶のある表面をみるみるしわが埋めつくしていく。

 手だけではない。愛嬌と美を両立させていた顔が急激に痩せ、老婆のようになっていく。目が落ちくぼみ、髪は縮れた白に変わりながら抜け、顔全体が収縮していく。

 命に関わる傷を癒すため、永続的に集中の必要な若化の業を解いたのだと、シドックにはすぐ見当がついた。

「なにしてる! もう一発だ」

 借りものの口でそう叫ぶ。しかしウルザンドは動かない。憑依しなおそうとしても効かない。自失ではない――迷っているのか?

「ならオレっちが殺ってやる!」

 シドックが体から出ようとしたとき、遅すぎる転位が始まった。

 

 

 神経をねじ曲げたように五感が歪む。そして独特の、酩酊に似た感覚に圧倒される。

 ――――久しく忘れていた感触である。

 押し縮められ、そのまま消滅するような。

 引き伸ばされて、そのまま消滅するような。

 空気に溶けて、そのまま消滅するような。

 世界のすべてを詰めこまれ、そのまま消滅するような。

 魂が燃えつきて、そのまま消滅するような。

 生命が凍り、そのまま消滅するような。

 消滅し、そのまま消滅するような。転生もできず、そのまま消滅するような。

 

 ……数百年ぶりの魔法で、気を失っていたらしい。

 幽体の総量がほとんど減っていないのを見ると、そう長い時間ではない。消滅させられた右腕をふくめ、遠からず回復するだろう。

 まだ揺らいでいる視界を回し、シドックは転移先を確かめる。

 そして言葉を失った。

 最悪ではない。最悪ではないが、かなり悪い。

 水路の上だ。

 予告抜きの強制転移で気絶したウルザンドが、河中に顔をつけたまま流されている。

 シドックの念動力では小瓶を持ち上げるのが精一杯で、人体を反転させるのは無理だ。霊体を凝縮させて半実体化してみたところで、純粋な膂力になると、念動力と大差ない。

 だが、やるしかない。まずは頭を水から上げる。寝ている時と変わらない顔。鼻が呼吸を再開するのを確認し、そのまま直立させてみる。無茶だった。詳細は認識したくない。

 頭を戻し、今度は肩を押してみる。少し沈んですぐ浮きあがる。タイミングを見て何度も押すと、振幅の角度も次第に増していく。

 あとわずか。思った瞬間、ウルザンドが水中に沈み始めた。

 呼吸行動で水を飲んだためだ。

「勝手に沈むなっ?」

 言うだけ無駄であるくらい承知している。水圧で抵抗力が増えたため、もうシドックの力だけでは回せない。とにかく酸素を確保させようと、再度頭を水上に引く。

 しかし今度は持ち上がらない。肺や胃にたまった水だけ体重が増し、そのぶん身体が水中に沈み、いくら引き上げても鼻が水から出ないのだ。

 初手を間違えた。あの判断が的外れとは思わないが、結果がこれでは意味がない。悔やむ間にも沈む。意識がなくても苦しいのだろう。手足はもがき、口は小さなあがきを続け、それが余計にウルザンドを深く沈める。

 助からないなら、いっそ安らかに――――

 シドックの意志が危険な方角に向いたその時。

 どこからともなく伸びてきた子供の足が、ウルザンドの頭をつついた。

「川で寝てたら風邪ひくよ――――フィミはひかないけど、日ごろの行ないと性格がいいからだよ――――」

「うるせえ、すぐ引き上げろ!」


「今までどこで何してた」

 八つ当たり気味に、シドックがフィミに尋ねた。

 隣には、ずぶ濡れのウルザンドが静かな寝息を立てている。

「セリア姉ちゃん見つかったから、兄ちゃんたち探してたの」

「どうやって」

 ウルザンドとネーバスが曲がり角で体当たりした場面を思いだす。

 フィミはぽかんと大口を開けた。

「どうやってって?」

「どうして世界第一級の魔導士だって視界のことしか分からないような空間で、お前は道に迷わないどころか他人の居場所まで判るんだと、お兄さんは聞いてるワケなんだが」

「ああ」幼い顔に満面の笑顔が咲いた。

「フィミってほら、いい子ちゃんだから」

 沈黙のとばりが落ちる。シドックが胸中で静かな殺意を育てていると、

「ん?」フィミが首を反らせた。

「誰だれ誰が来てるかな……………………うん、魔導士さんだね。でもフィミの知らない人だからいーや」

「いいワケあるか ネーバスだったらどうしてくれる」

「でも、男の人だよ?」

 フィミの言葉を裏付けるように、小太りの――と形容するには太すぎる体躯の男が拡張された幽霊の視野に入った。

「誰かいるのか?」

 妙に音律の高い男声。

 見覚えがある。昨日、ウルザンドが腕を落とした白魔導士だ。当然ながら右手は元どおりつながっていて、魔具めいたガラスの球を持っている。

「イズリッド殿か? 早急に知らせることが……」

 彼もこちらに気づいたようだ。 

「イズ兄ちゃんなら、牢屋のほうだよ――――」

「イズ兄ちゃん? 誰がいるんだ?」

 怪訝そうに、どたどたと太った男が近づいてくる。

 そしてフィミを見て血相を変えた。

「あん時のガキ!」

 問答無用で飛びつく男を身軽にかわし、フィミはじりじりと後ずさる。

「え~と、え~と――――誰だっけ」

「本気で忘れやがったかっ! ぼくだ、タルムード・ウェイだ!」

「だって、フィミ知らないもん――――――!」

 脱兎のように逃げるフィミ。かつてクソガキが何をしたのか、ネーバスもちびりそうな形相で追うタルムード。

 シドックは呆然と、通路の先に消える二人を見送った。

「なにやったんだ、あのガキ……」

 やがて息を切らせて戻ってきたのは、タルムード一人だけだった。

「あのガキ……次に見た時は殺す……魔法使ってでも殺す」

 幽鬼のような剣幕をみなくとも成果は明白だ。この水道でフィミを捕まえるのは困難だろう。この体型ならばなおさらである。

「……殺して、生き返らせてからまた殺す……今は忙しい。ネーバスの『クロ』に感謝してくれよ……ひひひひひ……えあっ! こいつ昨日のクロ」

 体型に似て鈍いというか、ようやく床で伸びているウルザンドに気付いたらしい。

 シドックは別に、フィミとタルムードの行動に呆気にとられ、ウルザンドの姿を隠し忘れていた訳ではない。一度、彼の隠形は破られている。ならばウルザンドを囮にし、様子を見ようという判断である。

「こいつが倒れてるなら……あの人間以外もいるのかっ?」

 思考処理も遅い。今更ながら術の構えをとって、昨日と同じく気配を読もうとする男の背後に、シドックは静かに回りこんでいく。

 バレる前に殺る。左手の先を実体化。鞭でなく、剣でもない。硬くて鋭いナイフでもない。純粋に切れ味を求めたカミソリだ。

 空中に浮く。絶対に首筋を外さないように。

 狙いを定め、必殺の刃を振り下ろす。

 その直前にタルムードがつぶやいた。

「相変わらずの空気だな。何も読めない」

 こいつ……ここまで未熟か。殺気が抜けていくのを自覚しながらも、シドックはそれを止められなかった。

「昨日の幽霊、いるんなら聞け!」

 見当違いの場所を睨んで、タルムードが声を張り上げた。

「こいつの傷は治してやるから、しばらく二人で牢にいろ。ぼくたちは今、忙しいんだ。邪魔するな!」



「セリア……抱いていいか?」

 二人きりの部屋。

 だしぬけに先生が言ったのは、永別前日の夜だった。

 どんな時でも苦しさを我慢してきた先生が、弱音をもらした。

 言葉の内容よりも、セリアはそのことに驚いたのをよく憶えている。

 もともと三十代に見えないくらい老けていた顔が、家族に見捨てられた老人のように歪んでいく。セリアと同じ金髪に、灰色の筋が混じっているのに気がついた。

 男性にしては小柄だが、いつも堂々と張っていた胸が、肩を落とすと悲しいくらい小さく見えた。芯の強さに裏打ちされた誠実さを湛えていた目に、普段と違う、血走ったような光が見えて、セリアは思わず身を引いていた。

「セリア、頼むよ……なあ、いいだろ?」

 苦しげな顔で、先生がにじり寄ってくる。

 セリアは後ろに下がり続けた。下がり続けて、両肩が壁にぶつかった時、渾身の力でもって先生を突き飛ばしていた。

「ちょっと先生……ファンベルさん、なに考えてるんですか!」

 尻餅をついた先生――オーガスト=ファンベルが、心労にやつれた顔でセリアを見上げる。怒ったような、怯えたような面持ちが、何度か見かけた悔悟の色に塗りつぶされる刹那まで、恐怖でセリアは眼を離せなかった。

 やがてオーガストは立ち上がり、セリアに背を向けた。

「悪かった。先生、少し不安だったんだ。気にしないでくれ」

 とても“気にしないで”で安心できる声でなかったが、気味の悪さに促されるまま、セリアは部屋を立ち去った。

 しかしどうしても釈然とせず、自分で閉めた扉の前に立ち尽くしていると、部屋から床を蹴りつけるような物音と共に聞こえてきたのは、すすり泣きの声。

 こんな先生は始めてだった。

 いたたまれなくなり、逃げるように立ち去った。

 だが騒音はしつこく続く。

 重量物を投げ出すような音、鉄の扉が締まる音。そして錠の下りる音。


 鉄?


 どうも、壁に背をつけて寝かされていたらしい。

 意識を取り戻してすぐ、本当に牢屋にいると理解した。

 五つの面を鉄の板、残る正面を鉄の格子で囲まれていても、青い光と牢屋の先を流れる川から、地下水道の中だと判った。

 気がつくと、もう一つ川の向かいに牢がある。先程の音は、間抜けな誰かが投獄された時のものだろう。

 どんな間抜け。明かりに慣れてきた目を牢に注いだ。

「ウルザンド?」

 セリアの驚きに、向かいの牢で床に寝そべる男が片手で応えた。

「ひさしぶり」


 

「あたしの先生、ネーバスのこと知ってるみたいだったんだ」

 幽霊を交えて三人で近況を交換した後、セリアは言った。

 シドックは派手に驚いたものの、ウルザンドは壁にもたれかかったまま大した反応も見せず、セリアは軽い不満を覚えた。

 シドックも驚いただけ追求しないので、大鉈を下ろしたように会話が切れる。

 沈黙が嫌で、なんとなく聞いてみた。

「黒魔導士って、ペットとか連れてないの?」

「ペット?」応えたのはシドックだった。

「うん、危ない時に、生贄にするみたいな」

「だってよ。聞いたかウルザンド」

 含み笑いをするシドックに、セリアはむくれた抗議を上げる。

「あたし、また変なこと言った?」

「そうじゃない」シドックが言う。「連れてるのが普通なんだよ。それをこいつは……」

「言うな」

「やだね。後で殺すと判ってる生き物なんか、可哀相だから連れていけないってさ」

「捏造するな。世話が面倒なだけだ」

「ウサギの時は、ウルウルした眼で不安げに見上げられると手放せない。カエルやヘビは撫でた手触りに癒されるから殺せない。カメレオンの時は……」

「いつの話だっ」

「つい昨日だろ? お前が十歳か、そのころだ」

「充分昔だ。ジジイの尺度で計るんじゃねえ」

「そこから成長してないんだから、昨日の話でも問題ないわな」

 記憶に深く焼きついている、声高に呪文を唱えて血刃を振るう黒魔導士の印象と、幽霊に口先であしらわれている姿のギャップに耐えかねて、いつしかセリアは腹を抱えて笑いだしていた。閉鎖空間の魔術だろうか、本当に胸の底から笑い続けた。

 ウルザンドはセリアを見て、不貞腐れたように鼻を鳴らすと、いきなり身体を横に倒した。そのまま起き上がらない。

「ちょっと、大丈夫?」

「心配するな。寝てるだけだから」

 強がって見栄を張っても、身体のほうはズタボロだからな。あのデブ、死なない限界ギリギリを計算して治しやがって。

 そうぼやくシドックに、若干の勇気を出して訊いてみた。

「シドッチ、覚えてる?」

「オレっちをシドッチと呼ぶなと頼んだくらいはな」

「こだわるね。それより昨日、機会があれば話すって言ったじゃない。こいつのこと」

「なんで知りたがる」

「いいじゃない。退屈なんだし」

 シドックは渋ってみせたが、逃げようのない場所でいつまでも拒みすのは無理だった。あるいはシドックからすれば、あまり隠す必要もないのだろうか。

「昔、オレっちとミクジース――ウルザンドの遠い祖先と、ネーバスの三人で大喧嘩したんだ。覚えてないから詳細は聞くなよ。で、七日七夜をかけて、ついでに当時の大陸人口のほぼ全員に迷惑をかけて――」

「迷惑すぎるわよ」

「ほとんどネーバスとミクジースがやったんだ。で、一応の決着がついた時、オレっちは幽霊になってて――」

「シドッチ、昔は人間だったのっ?」

「…………。まあいい。シドッチじゃないがな。で、ミクジースは魂も残さずに消えて、血筋には呪いをかけられた。子孫の誰かが黒魔法、それも極めて強大な業を使えるかわり、数えるのも馬鹿らしいくらいの病気を背負わされる。このへんは話したかな? 色素欠乏や帝王病は特にひどいが、中でも最悪なのは、胃が動物の血じゃないものは消化できないってやつだ。

 さすがに口を挟めなくなってきたな。ありがたい。

 セリア嬢ちゃん、血を飲んだ経験あるか? 舐めたんじゃなく、飲んだことだぞ?

 オレっちもないが、あれは吐き気がするものらしい。それも生半可じゃない。できるだけ飲まずに済ましてるが、まったく摂らない訳にもいかない。

 他にも、ただ生きるってだけで不自由が山のようにある。全部、ネーバスが死なない限り消えない呪いだ。こいつも……」

 ウルザンドの苦しげな寝顔に目を向ける。

「そんな身体で長生きできるはずがない。もっていいとこ5年かな」

「なんでネーバスがそんな呪いかけるのよ」

 つい数刻前、楽しく言葉を交わした相手のすることじゃない。そんな気がしてセリアは言った。

「死んだら、それでおしまいだ」

 シドックの声は冷やかだった。

「だから永遠に、少なくとも血脈の続くまで苦しめる」

「……それって」

「ん?」

「その呪いって、本当にネーバスがかけたもの?」

「当然だ。八千年も前だから、本人が覚えてるのか保障できないが」

「じゃあ、あんたはなんでネーバスを殺したいのよ」

「言っただろ? 大喧嘩して幽霊にされたって?」

「それだけ? なんで喧嘩したの?」

「嬢ちゃんが相手だとやりづらいな。覚えてないし、詳細を話す気もない。覚えてないからな。それだけだ。他に聞くことはあるか?」

「一つだけ」

 ナイアスの豪奢な客間でネーバスと交わした会話を思い起こした。

 ネーバスは、ウルザンドの真ん中の名に興味を示した。それがどういった意味を持つのか。尋ねると、シドックは「そんなことなら」と請け負った。

「子供を作るには、なにが要ると思う?」

「それは……その……」とっさにセリアは口ごもっていた。

「男と女が……なに言わせるのよ」

「嬢ちゃんがなに考えたのか、よく判ったが」

 セリアは赤くなった顔を膝に埋めた。

「まあ、だいたいは正解だ。二親がなきゃ始まらん。ネーバスを探すミクジース一族は基本的に旅暮らしでな。旅路の途中で子供を作るが、常人に付き合えるような旅程でもない。だから別れる。血を分けてくれた片親の、せめての名残に名をもらうのさ」

 セリアはシドックのいるあたりを見た。

「一生苦しみ続けるって分かってて、それでも子供作るの?」

「人間なんざ誰だって変わるもんじゃない。吸血鬼モドキのミクジースだってな」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ