八話 大賢者ピエトロの告白
王宮の堀にかかる橋を渡り、エスタ城の入り口までやってくる3人。
袖の下が嫌いな兵士と言っても兵士長、3人の身だしなみを整えるぐらいの給金は貰っているので決して身なりが貧しいという事はない。
オットーが城門の兵士に自らを告げるとさしたる時間もかからず通行の許可が出た。
「さすが父さん、顔パスじゃないですか」
まぁ兵士クラスならなと少し顔がほころぶが、これから起こる事を予想してか緊張の色が拭えない。
「城内かぁ。兄さんが兵士長昇進の授与式以来よね」
授与式には親族の参加が認められる為妹のソシエは参加出来たのだが、当時3歳で拾い子のベルカンプはアンナに預けて不参加であった。
城内に入ると内官が一人待ち構えており、こちらへ、と3人を誘導する。
案内された場所は授与式があった王の間の更に奥の、重臣が会議に使いそうな豪華な部屋であった。
こちらで少々お待ちをと内官は退席し、3人は大きな会議室に残されてしまう。
「兄さん、この部屋に通された事ある?」
ソシエは目の前の椅子の滑らかな手触りに興奮しながら言った。
「いや、こんな部屋が……あるんだろうとは予想してたが、実際に入ると凄いもんだな」
ベルカンプはぐるっと部屋を見渡す。
かなり天井が高く、建物でいうと2階部分を吹き抜けにした感じだろうか。
その2階部分の石壁に、人の顔が十分突っ込めそうな大きめの穴が3つ4つ空いており、そこから人の気配がする。
「父さん、あの穴は?」
ベルカンプが指を差した。
「あぁ、あれは多分、身分の高い人が覗いたり、上から射掛けたりする穴なんじゃないかなぁ」
オットーも何分始めての経験なので想像での答えなのだが、恐らく間違ってはいないであろう。
ベルカンプがその穴を暫く眺めているとぴょこん、と美しい女性の顔が飛び出した。
わお! と声には出さないが反応するベルカンプ。
その美しい女性と目が合うと、その女性の頭が引っ込み今度は先程の女性を5歳程若くした少女が顔を覗かせる。
先に準備が出来ていたベルカンプが手を振ると、わっ! と一瞬引っ込み、すぐまた顔をだして、今度は厳かに手を振り返して来た。
あ、いけないと思ったベルカンプは手を振るのを止めると少女に向かって頭を垂れた。
隣の穴から先程の女性も顔をだし、同じ動作で手を振り返す。
ベルカンプの仕草に気づいた二人も目線を追い、美しい女性に気づくと胸に手を当てて深く一礼する。
「オットー。あれは、この国のお姫様?」
ベルカンプは小声で問いかける。
「私も遠くからしか拝謁した事がないので確信は持てないが、状況から見て恐らくそうだろう。王には3人の姫様がいらっしゃる」
へーと思い、まだ少し幼さの残る少女のいた穴を眺め続けた。
小用と給水を理由に3人それぞれ一度づつ退席し、やがて位の高そうな内官がぽつぽつと入室し始めた。
最後に品の良い傭兵みたいな男が入室するといずれも上座に着席し、ベルカンプは中程、付き添いの2人は少し離れて下座を薦められた。
上の覗き穴は、気配がしたり、無くなったり、色んな人が往来しているような感じがする。
「では始めよう、待たせて悪かった」
司会というか、一番の上座に陣取っている大臣らしき髭の男性が発言する。
「……お招きに預かり、参上致しました」
ベルカンプは上座に向かって頭を下げる。
集まった人数は警護の近衛兵を除くと6人であった。
「クリスエスタの治安を統括する左大臣、ビキアヌスである。今回、審問と称して呼びつけたが硬くなる事はない。歓談という気持ちで臨んでもらって結構だ」
そう告げるとビキアヌスは着席する。
ベルカンプもつられて着席した。
すると、入れ替わりで別の内官の一人が発言する。
「財務次官のハタロスだ。呪文の少年というのが街中で噂になってるらしいが、私がおまえの報告を受けたのは小学の教員からでな、その年で既に卒業試験の問題をスラスラ解けるらしいじゃないか。計算に強い人材は財務には欠かせなくてな、能力次第では若年からの登用も考えておる」
下座に控える2人の眉が上がる。
無表情のベルカンプ。
「だがその前に、少々詮議しなければならない事もある。おぬし、捨て子だそうだが、出仕のヒントになりそうな物、事などは覚えてはいるか?」
無表情のままベルカンプは答えた。
「私の覚えている一番古い記憶なのですが、母親と思われる女性にまさに捨てられる瞬間の記憶です。心地よい上下振動にウトウトしていた私を床に置くと、一言残して去ってしまいました。私は眠くて瞼を開けていられませんでしたが、やがて誰かに抱え上げられる所まで覚えています。おそらくその人物が、後ろに控えているウッドアンダー家のソシエ嬢だったのでしょう。持ち物と言えば、当時体を包んでいた毛布以外何も無かったそうです」
ハタロスは後ろのソシエに声をかける。
「間違いないかね?」
「はい、事実です。毛布も市場で売られているどこにでもある素材のものでした」
なるほど、とハタロスは言うと、
「それで、その母親が残した言葉とは?」
尚、無表情のベルカンプが答える。
「グルシ ヴァッサ ボルグゥ です」
お願い 私を 呪わないでという意味だった。
「……そうか。それは辛い思い出だったな。すまなかった」
いえ、大丈夫ですとベルカンプは答えると、次の質問を待っていた。
「街中で色々な人に声をかけて回るのは楽しいかい?」
続いて傭兵風の男が声をかける。
「はい、自分の知らない事、知らない土地の事を知るのはとても楽しいです」
フフ、と男は笑う。
「そういえば興奮すると呪文のような言葉を呟くんだってね。何か一つ、唱えてくれないかな」
ハハハと表情を崩すベルカンプ。
「唱えるようなモノでもないんです。僕に何故か異国の記憶がありまして、その言語が興奮するとつい口に出ちゃうだけなんです」
ほぉ~と唸る内官達。
「どれ、ひとつ話してみてくれないか? その言語がどのようなもんか興味がある」
う~んとベルカンプは少し思案して、
「『お尋ねしますが、もしかして貴方は大賢者ピエトロ様ですか?』」
ピエトロ、という単語で反応するがやはり理解していないようであった。
顔を見合わせる5人の内官達。
「全く聞いたこともない言語で驚いたよ。もしかして今、私はピエトロかと質問したのかね?」
「そうです。大賢者様と聞いていたので、てっきりローブをかぶった老人のイメージだったのですが、やはり『百聞は一見にしかず』ですよね」
「……なんだね? そのヒャクブ……ってのは?」
「その言語の国の諺なのですが、百回読み聞きする事は、一回見る事と同等ぐらいでしかない。と言った意味です」
ほーと納得するピエトロ。
「まさにその通りだ、うむ。まさに」
何か感じ入るものがあったのだろう? しきりに頷いてみせる。
「あの~ピエトロ様? どうしてそんな傭兵の旅衣装みたいな格好でいらっしゃるんですか?」
ベルカンプが質問してみた。
「あぁ、実はな、この世界がどうなっているのか、この土地を隅々まで歩いている途中なのだよ」
え! と表情を輝かせるベルカンプ。
「あ、あの…………この世界の地図、なんて見せて頂くわけには参りませんか?」
「ん? 見たいのかね?」
試すようなピエトロ。
「ぜ、是非、どうしても、どうしても見たいです」
同時に深く頭を下げるベルカンプ。
「ここまで出張ってくれたお礼だ。本来簡単に見せれる物でもないが、特別にお見せしよう」
「ありがとうございます!!!」
『よっしゃ!』と口走ったベルカンプは今日一番の笑顔を見せた。
一端部屋を退室すると肩幅の2倍ぐらいの丸めた羊皮紙を持って帰ってくる。
「さ、そちらの2人もこちらへ」
促されてソシエとオットーものろのろと上座付近まで近づいてきた。
内官に指示すると、一定間隔で重りを乗せていく。
「これがマチュラの全地図だ」
そういうとピエトロは注意深くベルカンプの表情を眺め続ける。
ぱぁっと瞳が輝くベルカンプ。
しかし、2分も眺めると瞳の色は急速に褪せていく……。
「ここがクリスエスタで……あぁ、ガライはこんなに離れてるんだ。……大きな都市はこの二つだけなのか」
ぶつぶつと口ずさむベルカンプ。
「ピエトロ様、いくつか質問させて貰ってもよろしいですか?」
「答えられる事は、答えよう」
「……これは本当にこの世界の、マチュラの全地図ですか?」
「そうだが、何かおかしなところでもあったのかな?」
「この茶色の大陸がマチュラでそれを囲っている青が海ですか?」
「そうだ。間違いない」
「例えばここから船で海に漕ぎ出すと、この……反対側の海岸線に着くのですか?」
ピエトロ以外の全員が、ん? と首を傾げる。
「おまえの発する言語の国はなんと言う名前なのだ?」
「私は、地球という世界の日本、という国に住んでいました。島国です」
ソシエとオットーの二人は日本という国の名は聞いていたのだが、初めて聞く地球という言葉に驚いている。
「そうか、島国なのか。そこでは船で海を渡る、というのはよくある事なのか?」
「はい。毎日、幾千の船が物資を積み込み、他国へと貿易の為に出航します」
失礼、と内官の一人が部屋を出て行く。
「そんなに日常の出来事ならば理解しがたいかと思うが、マチュラで海を船で渡る技術はない」
え! と絶句するベルカンプ。
「失礼を承知でお聞きします。確かに僕の記憶の日本、よりは文明レベルは多少劣りますが、地球の歴史に照らし合わせると、このぐらいの文明だと造船技術は確立されていても全くおかしくはないと思うのですが」
「勿論、造船技術はあるぞ、河川の上り下りで使われている。船で海を渡る技術がないのだ」
「……そうなんですか?」
そんなに違うもんなのかな? と、どうもしっくり来ないベルカンプ。
すると、ドアがノックされ、先ほど退室した内官に加わり新たに4人が入室する。
「途中から失礼、会話を続けて頂きたい」
一人の位の高そうな男が告げた。
「逆に聞きたいのだが、どうやったらあの海を渡れる船が作れるのだ?」
え? どうやったら? 質問の意味がわからないベルカンプが黙っていると、
「おぬしはマチュラの海を見たことがあるのかね?」
「いえ、ありません」
答えながら少しピンと来たベルカンプは、
「もしかして、海には海獣の類が出没して、通る船を片っ端から沈めてしまう、とかでしょうか?」
「確かに海には巨大な生物が潜んでいるが、違う」
「では、海とは水に塩が混ざった液体ではなくて、船を浮かべた瞬間に溶け出す……とか?」
「海水はおぬしが言うように、水に塩が混ざった液体である。よって船は多少錆びるが、溶けない」
「では…………わかりません」
降参です、とベルカンプは両手をあげた。
「地球の海では、潮の満ち引きはないのかね?」
「ありますけど…………あっ!」
「どの程度だね?」
もうほぼ答えは出ているのだがベルカンプは答える。
「干潮と満潮の差は150ディスタ程度だったと思います。半日から一日にかけてゆっくり水位が変動するので潮の満ち引きで被害が発生する事はまずありません。マチュラの潮の満ち引きはそんなに激しいものなのですか?」
「マチュラでは、まるで巨人がグラスの水を飲み干すように海から水が無くなる。そして、同じ勢いで戻ってくるのだ。その水位の差は2500ディスタに及ぶ時もある」
「2500ディスタ…………もう大津波以外の何者でもない」
一人で呟くベルカンプは、
「それでしたら、地球の技術を以ってしても船で交易は不可能かと思います」
と答えた。
「ここで一つ、告白させて頂こう」
視線を内官、二階部分の石窓、そしてベルカンプに視線を戻し、
「私はマチュラ……マチュラ大陸の外から来た、元冒険者だ」
驚きを隠せない内官達。
既に話しについていけないソシエとオットー。
余力があるのはベルカンプだけとなっていた。
「海の向こうの別の大陸、サチュラと呼んでいたが、そこで私はあるモノが見たくて仕方が無かった」
ピエトロは近衛兵に目配せし、飲み物をねだる。
「この世界の端がどうなってるのか」
黙り込んで先を急かす一同。
「それから、色々な研究と準備をした。数学者に毎日潮の満ち引きを記録させ、天文学と連携させて、どの時期が一番波が穏やかなのか調べさせた。どうしたら荒波にも転覆しない船が作れるのかと、何度も実験と失敗を繰り返した。命知らずな同志を募り、仲間の吟味と信頼関係を築くのに神経を注いだ。そして、全ての用意が整ったのは4年後の事であった。完成した船は計算では1400ディスタまでなら転覆しない船を作りあげる事に成功した。潮が一番緩やかな時期を選べば、20日の航海が可能な所までなんとか漕ぎ付け、文字通り命知らずな88人の同志と共に、サチュラを発ったのだ」
近衛兵が持ってきたグラスの水を一気に飲み干すと、話しを続ける。
「航海は順調だったが、行けども行けども海に終わりは見えなかった。やがて波が絶望的な高さになり、一波迫るごとに死を覚悟し、いよいよ船が耐えられない程になった頃、目の前に陸が見えたんだ。我々は最後の力を振り絞ってなんとか陸に乗り上げたのだが、とっくに危険な高さになっていた高波に乗ってきた船はあっという間に浚われてしまい、船からは10分の1程の私財も持ち出せないまま、ここ、マチュラに放り出されたのが25年前といったところだ」
大賢者ピエトロの告白に、静かに興奮して聞き入る一同。
「だから当初、呪文の少年の噂を聞いたとき、私と同じ、マチュラに流れ着いた者かと思ったのだ」
ソシエとオットーはベルカンプを見つめる。
「だが、違うようだ。マチュラでもサチュラでもない別の大陸のコルタではないようだ。この世界の住人なら潮の満ち引きを知らない筈はない。どこか、根本的に違う異世界のような場所なのであろう」
ベルカンプは無言であった。
「少年よ、先ほど気になる発言をしていたな。こちらの海岸から出航すると、反対側の海岸に着く、と。それは、世界の端の答えと捉えてよいのか?」
ピエトロが詰め寄る。
やがて、熟考したベルカンプが重い口を開いた。
「先程から、つい後先考えずなんでも質問し、答えてしまいました。私はマチュラの世界でいうとまだ5歳ですし、この世界の常識を知りません。これから話す事が王の逆鱗や禁忌に触れるような発言があったとしても、子供の戯言として許して頂けるのでしょうか?」
そう言いながら色々な人の顔を見て回る。
返事に困る内官達。
「許していただけるのですかな? エスタ王よ」
見上げると、いつの間にか石窓の隙間が取り除かれ、もうこちらからも顔を窺い知れるぐらいに広がっていた。
王と見られる人物や、王子、姫、側近や従者など、錚々たる顔ぶれが揃っている。
「本来なら禁忌は子供でも処罰、と言いたいところではあるが、今回は不問とする」
「宰相も、よろしいかな?」
「王が良いと言っているのだ。聞くまでもない」
ピエトロはこちらを向いて頷いた。
ベルカンプはソシエとオットーに向き直り、
「僕の記憶の全てをここで話すけど、いいね?」
と告げると、
「それは構わないけど、家に帰ったらもう一度わかりやすく話してね」
二人はとっくにお手上げ状態であった。