四十話 ソシエの過去
神経が高ぶっていても、体は子供なのだろう。
ベルカンプはベッドの中で翌日のシミュレーションを繰り返すのだが、気がつくといつも起床する時間とさして変わらない程、日は昇っていた。
ベッドから起きて寝室の扉を開けると、いつもと変わらない背中が朝食の準備をしている。
「おはよう。オットーは?」
そう言いながらベルカンプはいつもの位置に着席する。
「おはよう。色々やる事があるから朝はいらないって。でも昼は3人で食べようって言ってたわよ?」
最後の晩餐か……。
3人で食べる最後の食事になるかもと、気を回してるオットーに心の中で頭が下がるが、
「そうなんだ? 夜から戦闘になるから、消化の良い物をお願いね」
と、普段通りの口調でソシエにお願いをした。
聞こえてはいるのだろうが、一向に返事のないソシエの背中を眺め続けていると
「ベル……。貴方にひとつ、聞いて貰いたい事があるの……」
こちらに背中を向けたまま、ソシエが発言した。
「ん? なぁに?」
ソシエの重そうな雰囲気に何か重大な告白があるのだろうと察するのではあるが、ベルカンプは普段通りに返事をする。
ソシエは無言でこちらを振り向くと天井に吊り下げていた子供用の腰ベルトを机の上に置き、再度背中を向ける。
ベルカンプはなんだろうと手元に手繰り寄せると、ベルトには柄があり、ナイフが一本入っていた。
「あ、ナイフだ。ありがとう丁度必要だったんだよね」
ベルカンプはお礼を言うと、
「約束して! お願いだから、カーンが戦闘不能になったら、間違いなくそれで私を殺して欲しいの」
昨日自ら宣言した事に念を押され、別の事情があるのだろうとベルカンプは察する。
「……今日、サルタの日なのよ……」
ソシエが絞るよう声でぼそっと呟いた。
その日の朝食の準備は実に長いものになった。
とてもベルカンプを直視して話せないソシエは、背中を向けたまま、朗々と過去の自分の身の上を告白しはじめた。
当時17歳のソシエはまだまだ遊びたい盛りで、連日連夜、夜遅くまで外出を繰り返していた。
比較的治安の良いクリスエスタで変な事も起こるまいと油断していたソシエは、自宅への帰り道に暴漢に襲われてしまう。
奇しくもその日はサルタの日であった為、ソシエは子供を身篭り、悩みながらも出産をした。
なんとか2年間育児を続けたのだが、子供の顔を見る度にあの時の出来事を思い出し、精神が不安定になったある日の夜、ソシエはとうとう子供を捨ててしまう。
一端は家に帰りこれで楽になったと思ったのだが、数時間が経ち、自分のしでかした事に気づいたソシエは子供を捨てた所まで戻ったのだが、既に子供の姿は無かった。
顔面蒼白で岐路に着く途中でふと気配を感じ、物陰を覗き込むと毛布に包まっている幼児を発見する。
懺悔の意味も込めてとソシエはその幼児を拾い上げ、自ら捨てた子の代わりとして育て上げたのがベルカンプなのだと言う事だった。
「私、もう二度とあの時と同じ事を繰り返したくないの……。もう一度暴漢に襲われて子供を身篭るくらいなら、10回死んだほうがマシ」
子供を捨ててしまった事、ベルカンプに告白しなければならなかった事、これから起こるであろうおぞましい恐怖にとうとう肩を震わせ始めるソシエ。
するとベルカンプは、
「ソシエは今年で何歳になるんだっけ?」
年齢をたずねてきた。
「22だけど……?」
素直に答えるソシエに、
「すると僕が成人する10年後は、ソシエは32か。マチュラだと確かに遅いけど、日本だと女性の32歳は普通に適齢期だね」
意味がわからず無言のまま背中を向けていると、ポン、と肩に手がかかる。
「10年待てよソシエ。……俺が、嫁に貰ってやるからさ」
思いがけない言葉に女の顔になり思わず振り向いたソシエは、椅子の上に立ち、ソシエの身長のやや上から肩に手を乗せている愛らしい我が子と目が合い、すぐに母親の顔に戻る。
「このマセガキッ! 大人をからかいやがって!」
半泣きのままベルカンプをきつくハグして振り回すのだが、その日のハグはいつもより、少し長めであった。