二十九話 モグラ族
腕を組み、斜面を眺める生物。
背後からコルタの少年が近づいてくる。
モグラ族もコルタの子供というのは好奇心が旺盛なのを知っているので、ある程度の距離までは気にも止めないでおこうと思っていたのだが、少年の足音はモグラ族のテリトリーを平気で踏み越えて進んでくる。
流石に無視出来なくなったその生物は体を反転させ、少年のやって来る方に向き直った。
「あの~こんにちは」
ベルカンプは姿が目視出来るようになった少し遠目から声をかけた。
「コルタの少年か。何か用かな?」
腕を組んだまま返事をする生物は、容姿はハリネズミとモグラの中間のような顔をしており口元には立派な髭を蓄えている。
瞳は黒目で可愛らしく、背中にはアルマジロのような光沢の鱗があり、手と足には土を掘るのに都合の良さそうな鉤爪がついている。
「僕はつい最近ここに引越して来た者で、コルタ以外の知的生物を見るのは初めてなんです。少し会話が出来ればなぁと思い…………うっ」
ベルカンプはモグラ族の5mまで近づいた所で鼻に刺激臭を感じ、立ち止まる。
モグラ族はやれやれと言った感じで、
「少年よ。親にでも聞いて来なかったのかね? コルタが我々に近づかない理由がそれだと言う事に」
激しいアンモニア臭と糞の匂いに面食らってしまったベルカンプは、
「すいません。コルタに危害を加えない温厚な生物って聞いただけで来てしまいました」
それを聞いたモグラ族が破顔する。
「なんとも好奇心旺盛な少年だな。まぁ我々はコルタを襲っても何の得も無いからな。コルタを襲っても、仕返しで損をするのはいつも我々モグラ族だ」
モグラ族の男は少し遠い目をして答えた。
「それにしても凄い匂いですね。モグラ族というのは鼻は敏感では無いのですか?」
「そんな事は決して無いぞ。我々は土を掘りながら1000ディスタ先の鉱物の匂いや餌の匂いを嗅ぎ分けられる。単純に、モグラ族は糞尿の匂いをなんとも思わないだけだし、コルタが己や他の動物の出した糞尿の匂いを嫌うだけだ」
モグラ族に言われてベルカンプは目から鱗が落ちた。
確かに、地球上の生物で糞尿を異様に嫌うのは人間だけであると言える。
「今、凄い勉強になった気がします。コルタの常識で異なる生物の常識を推し量るのは争いの種になり兼ねませんもんね」
モグラ族の男の瞳がキランと光り、
「少年よ、深い見識で恐れ入る。名はなんというのだね?」
「ベルカンプです。暫くこの砦で暮らす事になるのでよろしくお願いします」
「モグラ族アハリ一家の長だ。名前を〔チウ〕と言う」
チウと聞こえたのは動物の鳴き声のようで、〔チウ〕としか聞き取れなかった。
ベルカンプはアハリの家長の鉤爪を掴み、ブンブンと縦に振り回すと、匂いに我慢出来ずにまた3m程離れる。
「モグラ族は体を洗うのは苦手なんですか? 土の匂いが消えちゃうから好まないとか?」
「いや、そんな事はない。洗体は好きなのだが何せこの爪だからな、自分の体をうまく洗えない、と言う方が正しいのかもしれんな」
ベルカンプは不意に今朝届いた荷物の事を思い出し、
「どうでしょう? お近づきの印に、僕が体を洗ってあげましょうか?」
「それは本当か? 助かる。おい皆の者、この少年が我らの体を洗ってくれるみたいだぞ!」
え? と思ったベルカンプの回りからボコボコと5つの穴が出現し、5匹のモグラ族が現れた。
半笑いのベルカンプの前に計6匹のモグラ族が現れ、紹介する、こちらがチウ、そしてこいつがチウと、全員チウとしか聞き取れない自己紹介が始まる。
「ちょ、ちょっと待ってください。モグラ族のアハリ一家まではマチュラ語で聞き取れるんですが、その後は全員チウとしか聞き取れません!」
「お、そうか。コルタに個人で名を名乗る事なぞ無かったものでな、では少年、コルタでも聞き取れる名前を付けてくれ」
「え? 僕が? いいんですか?」
「うむ、構わんぞ」
そう言われてはと、う~んとしばし考え、水場から綺麗な水が落ちてくるのが目に止まる。
「決まりました。家長は、シグレ、その横から、サミダレ、ツユ……ミナヅキ……え~…………ゲリラ、ゴウウ」
一匹だけ仲間はずれの名前があるのも気にせず、それぞれ自分に付けられた名を反復し出すモグラ族達。
「良い響きだな。これで我らもコルタに名を名乗れる。礼を言うぞ」
6名のモグラ族が一斉に〔チウ〕と発音する。恐らくお礼の言葉でも言っているのであろう。
ベルカンプは咄嗟にでてしまったゲリラの名前にモヤモヤしつつも、
「それでは準備してきます。そこの水場で落ち合いましょう」
そう言って西門に駆けていった。




