十四話 盛潟よし乃の半生
バコッ。
幸太は2段ベッドの床を外す。
栄太がそこで寝なくなってから2年半もの間、掃除すらされなかった空間から埃が勢いよく飛び出していく。
「うわっ、懐かしい~」
栄太が子供の頃父親に買ってもらった、お子様用ドラキュラ棺桶がベッドの下から出てきた。
「すぐ飽きるかと思ったけど栄太の奴、3年弱はこれで寝てたもんなぁ」
変な趣味だったなぁと思い返すが、幸太は幸太で同時期、押入れで寝るのが趣味だったのは変な趣味に入っていない。
幸太は無造作に棺桶を開けてみる。すると、中身は空であった。あれ? と幸太は眉を潜める。
中身が空なのはまだいいとして、中が綺麗すぎるのだ。いくら密閉空間だったとはいえ、埃ぐらいは積もってても良いはずなのだが、塵一つ積もること無く、ピカピカの空っぽであった。
変なの? と思いつつも、丁度良い入れ物を手に入れたと、辺りの物を無造作に放り込んでいく。
小柄な小学生一人が余裕ですっぽり入る棺桶はそこら辺のガラクタを放り込むのに非常に都合がよく、実にバラエティに富んでなんでも収まり、2箇所を紐できつく縛るとガラクタとガムテープで記入して引越し荷物のダンボール箱と一緒に隅に置かれた。
そのタイミングでコンコン。と扉がノックされ、大山が入ってきた。
「幸太、大家さんに挨拶してきたぞ。事情を話したら敷金半額返してもらえるってさ」
「あ、すんません。さすが先生、交渉上手っすね」
「まぁその辺りは、人生経験の差って奴かな」
全額は返ってこないんやな。皮肉屋の部分が頭をもたげたが、最近世話になりっぱなしなので流石に冗談でも言う気になれなかった幸太は、
「ラスト1回分の茶葉が出てきたんで、まぁお座りくさだいな」
と言い、狭い台所に立った。
悪いなと大山はちゃぶ台の前に座るが何気なく、
「卒業式の時も色んな奴に声かけられてたな。おまえ自分が思っている以上にみんなに愛されてるんじゃないのか?」
と、大山は当時の事を振ってみた。
「みんな栄太の事を知った直後だったからね。言葉を選びながら気を使ってくれてたのがよく伝わりましたよ」
「皆、幸太を気にかけてるって証拠だな。どうにかして元気づけたかったんだろうきっと」
「まぁ……その辺は素直にありがたく受け止めておきます」
普段栄太が使ってた湯飲みを大山に差し出すと、自分もちゃぶ台の対角に座り、ズズズ、と茶を啜る。
「よし乃さんとの連絡はどうなってるんだ? 明後日引越しの旨はちゃんと伝わってるんだろうな?」
「その辺は抜かりなく。ばぁちゃんの方の家財も整理済みだってさ。ありがたいこって」
「きっちりしてるんだなぁよし乃さん。実は、彼女に会うまでは孫の世話を放棄するただの鬼婆かと思ってたんたが、葬式の時に実際に会ってみると単純に冷たいのとはちょっと違う感情を抱いたな俺は」
大山はそう言うと幸太に続いてズズっと茶を啜る。
「ばぁちゃんはね、自分の娘……俺達の母親の事が俺達の100倍ぐらい憎いらしくてさ、全ての行動の起因はそこからだと思うのよ」
幸太は大山に自分らの身の上話しを始めた。
盛潟よし乃は現在の土地に昔から住む百姓の一人娘で、父親はあまり教養のある男性では無かったらしい。
男子に恵まれなかったよし乃の両親は、土地を守る為に婿養子を貰おうと奔走したらしいが、よし乃の父が手配出来る範囲でよし乃が妥協出来る男性がいなかった為、最後は押し問答の末に強引にお見合い結婚に持ち込まれてしまったらしい。
よし乃はなんとか感情を殺し一女を授かるのだが、結婚生活を5年も過ぎた辺りから旦那の悪癖が目立ち始め、度々自宅から姿を消すようになる。
そんな生活に辟易しながらも娘に罪は無いのだからと厳しく愛情を持って娘を育てあげたつもりなのだが、娘には愛情を感じるセンスが足りなかったのか、たまに帰ってきては無制限に甘やかしてくれる父親の方を溺愛するのであった。
生活の基盤は全てよし乃一人が支えてるのにも関わらず、飴とムチの飴の部分だけを多分にほうばる娘の性格に段々不信と不安を抱くようになったよし乃ではあったが、それでも自分が生んだ娘なのだからと懸命に育てあげ、やがて成人した娘が里帰りの際に連れてきた男がよし乃の旦那とそっくりの性格だった時は眩暈がした。
よし乃の旦那の不手際で、山二つ売らなければならなくなった例を挙げ交際に猛烈に反対したのだが、よし乃は娘の方から勘当を言い渡され、その男性との間に生まれた双子が幸太と栄太なのであった。
二人が小学生低学年の頃まではごく普通の生活を送れたのだが、幸太の母、洋子の女としての若さに陰りが見え始めた頃に比例して父のいわゆる〔つまみ食い〕の回数が増えていく。
そしてとうとう二人が小学6年になろうかという頃、父、翔太の名の通り羽を羽ばたかせ、どこかへ飛んで行ってしまったのである。
母子家庭になった双子はそれでも親に迷惑を懸けずに暮らしてきたつもりだが、男に寄り添う形でしか生きられない洋子は二人が中学2年の頃とうとう男を作り蒸発してしまい、二人はわずか14歳にして身寄りがいなくなったのである。
行政から洋子の一連の行動を聞いたよし乃はまさに怒髪天を貫き、どうしたら洋子に遺産を残さないで済むか、あの娘を事実上の他人に出来るかに情熱を燃やすようになってしまうのであった。
「俺達もあの人が蒸発して保護者が無くなった時、役所から祖母に保護を拒否されたと聞かされた時は、あぁあの母にしてその親か、と思ってたんだ。でも栄太の事故があって連絡先がわかるようになったある日、思い切って電話してみたら、彼女目線での一連の事情を教えてくれたんだよ。ばぁちゃんもばぁちゃんで、洋子と翔太の息子なぞどうせろくな人物じゃないとタカをくくってたようだったけど、いくらか話す内に、孫目線での会話が増えたように感じたなぁ」
ズズズと胡坐をかきながら茶を啜る幸太に、
「俺の解釈だけどな、よし乃さんは、心血注いで育てた一人娘がそんな人道に外れた行動をとったもんだから、きっと子供の教育、というのにえらく自信を無くしてしまったのかもしれんな。自分は立派に養育できる。と自信を持ってる人ほど、子供に裏切られた時のショックは大きいと聞くし、一人娘に蒸発されて孫の面倒を見ろと行政に言われた時のよし乃さんは、〔おまえだけは子供を育てるな〕モードだったのかもしれないな」
大山は話しを続ける。
「長年、教育者として色んな子供を見てきた目線から言わせて貰うとな、子供にも〔センス〕みたいなものは感じるな。こちらが投げかける言葉や態度をどうしたらそうやって屈折して受け止めれるんだ? って頭を抱える子供ってのはどうしてもいる。最初は幼児期の親の教育のせいなんだろうと諦めるんだが、三者面談でご両親と会うと、何故この両親からあんな性格の子供が生まれるのかとますます疑問を抱えるんだよ。人間ってのは幼児期の、ほんの一言でも人格の根幹を形成してしまう生き物なのかもしれん。教育者として言わせてもらうとね、人間は難しいよ」
「そうそう。あんなクソ両親に育てられた子供でも、PTA相手に原因を履き違えるなと言える人格者もいますしね」
すると、大山が胡坐を解き正座になりなりながら「あの時はほんとうに……」と言いかけた所で、
「わあああああああストップストップ。冗談ですってごめんなさいごめんなさい」
幸太も何故か正座に座り直す。
「はははははははははは。わかってるわかってる。今のはやり返しただけだ」
幸太のパターンに慣れて来た大山の見事なカウンターであった。
「くそぅ。そういう下手に出られるとやりづらいったらありゃしない」
笑顔で大山が幸太を見つめると、
「よし、それじゃ明後日4tトラック借りて来てやるから、ちゃんと引越し準備終わらせとけよ」
そう言いながら大山はのそっと立ち上がる。
正座のままだった幸太は、
「……この度はほんとうに……」
と頭をさげる動作を始めるのだが、大山はごく自然と振り返り、
「ほんとうに……なんだね?」
牛歩作戦でノロノロと頭を下げ続ける幸太を悠然と待ち構えた。
チッ、と舌打ちが聞こえ
「引越しを手伝って頂き、ありがとうございます」
「おぅ、じゃぁ明後日な!」
そう言うと、大山は扉を閉めた。
本日は幸太の完敗であった。




