十二話 よし乃の機転
「ところで幸太」
今まで一切口を挟まず聞き役に徹していたよし乃が発言し、その声の主の方向に幸太が向き直った。
「アンタ卒業後の進路、何も決めていないんだってね。卒業したらどうするつもりなんだい?」
一気に現実に戻された幸太の瞳の色が褪せていく。
「あぁ、栄太の病院の近くでどこか住み込みで働ける所でも適当に見つけて、その後は栄太次第って漠然に思ってたんだけどね。……今回いいタイミングでこういう事になったもんだから、ちょっとふらっと一人旅でもしようかなって思うんだ」
「あんたねぇ、そんな濁った目をしながら一人旅とか嘘ついてもこっちはお見通しなんだよ」
「嘘じゃないよ。どこか東南アジアとかインドとかで新しい自分を見つけるというか……」
「未成年が外国で一人旅なんか出来るもんかい。何するにも保護者の許可が必要になって面倒で仕方ないんじゃないのかい?」
「……じゃぁ国内でお遍路さんとか……北海道一周とか……」
「つまり、漠然と旅がしたい、誰も知らない所に行きたい、って思いだけ強いんだね。誰も知らない土地で何したいんだかねぇ」
ハハハ……。灰色の瞳をさらに濁らせて幸太は黙る。
「幸太、まさかおまえ!!! 変なこと考えてるんじゃないだろうな?」
大山が怒気をはらんだ声で問いただした。
7秒ほど沈黙が流れ、幸太が何か言いかけたところで、
「幸太、ちょっとしたビジネスなんだが、乗ってくれんかね」
よし乃が横から会話をかっさらった。
「………………なによ? ビジネスって」
言いかけた事を飲み込んだ幸太が仕方なしに乗ってくる。
「実は私ね、どうやら初期の認知症みたいでね、この際だから早めに老人ホームのお世話になろうかと思ってんのよ」
「へー。そうなんだ。……それで?」
「それでなんだけど、おまえが二十歳になるまでの約2年、私の家で暮らしてくれないかね」
「いいよ、了解しました」
さして間も持たずに即答する幸太に、
「おい、真剣に考えてるんだろうな?」
大山が突っ込みを入れる。
「どうせ卒業しても住むとこ無かったし、丁度良かったぐらいだよ」
まぁ、確かに。と大山は思ったが、
「幸太、おまえの母親が失踪してから、随分と色んな人や慈善団体に世話になったんだろう? 奨学金の支払いも二十歳から始まるんじゃないのかい? いわば人の善意の上でおまえは生かされてたわけだ。おまえに人の道理があるのなら、そういうのを支払い終わってからでないと、おまえの体は自分の思い通りにならないんじゃないのかい? おまえが当時、PTA相手に大立ち回りしたのと筋違いになってしまうねぇ」
「…………確かにその通りでした。さきほどビジネスって言ってたけど、俺がばぁちゃん家に2年住んだらどのぐらいの報酬が頂けるんで?」
幸太の瞳の輝きが普段通りに戻ってきたのを確認したよし乃は、
「立場上、今の私とおまえの関係は祖母と孫になってるが、私の養子として組み直させてもらうよ。それで2年間、おまえが成年になるまでその家と土地を守れたら、私が持ってる土地を全部おまえにくれてやる。そしたらその土地を売って金に換えようがわたしゃなんも文句は言わないよ」
「つまり、2年間ばぁちゃん家で過ごすだけで、ばぁちゃんが持ってる土地が貰えるのが報酬?」
「そうなるね、現金は私がどんだけ生きるかわからないからいくらも置いていかないよ。そうだ、高校の卒業祝いに普通免許代ぐらいは包もうかね。庭に軽トラがあるから勝手に使ってくれて構わないよ」
「ありがとうございます。では2年間、よろしくお願いします」
「はっ、2年経ったらどうにかなっちまいそうだけど、まぁ仕方がないね。それでも生き甲斐を見つけられなかったら成人した人間にとやかくいうもんでもないからね。世話になった人へのけじめさえしっかりしてあればわたしゃ何も言わないよ」
食後のお茶を啜りながらよし乃は告げると、細かい事は後日詰めるよと、そう言ってまた気配を消し始めた。
「幸太、俺はおまえの住む所に物凄く興味がある。定年で暇になるし、ちょいちょいお邪魔させてもらうが勿論いいよな?」
強い意志を込めて発言する大山に幸太は、
「成人するまではご勝手にどうぞ。確かばぁちゃん家ってドが付く田舎だったと思うし、新鮮な空気でも吸いに来たら?」
よし! と膝を叩く大山は、
「どうです? 渡辺先生も一度ぐらい行きませんか?」
へ? 不意に振られて慌てる渡辺は、
「あの~…………空気が美味しそうで魅力的ではあるんですが……虫とか出ます?」
「出るねぇ。この間は居間にムカデが這ってて危なく噛まれるところだったよ」
会話の外にいたよし乃が質問に答える。
「冬とか……どうでしょう?」
「天候に恵まれた冬なら普通に暮らせるね。天候が悪いと、毎日屋根の雪かき、豪雪で道路が塞がれて4日間家から出られなかった事があったねぇ」
「春とか……は?」
「2つ向こうの山からスギ花粉が飛んでくるね。去年は花粉で庭がまっ黄色だったよ」
「秋も虫ってまだ出ます?」
「時期によるね、それよりもたまに猪や熊が里まで降りてくるから、秋は食べ物の管理場所に少し注意が必要になるね」
頭をごつんと机に着けた渡辺が、
「ごめん幸太君。先生、無理かもしれない」
爆笑する幸太。
「いいっていいって。今のは無茶振りした大山先生が悪い」
「なんかすいません。……幸太、思ったより大変そうだな。幼少期田舎育ちの俺の指導が必要かもしれんぞこれは」
「そうだね、さっきよりもウェルカムな気持ちになってきたかも」
現金な奴め! と大山は突っ込み、つつがなく式はお開きとなった。




