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第一話:天狗のたまご・結

 土壇場で弟子になると誓ってしまった俺に、師匠ヅラした杉山僧正は早速修行を始めるなんてぬかしやがる。お前、今の状況分かってるか?

「これから素振りでもさせる気か? まこととキミの命は今夜の月が見頃になるまでなんだぞ? んな悠長なことしてられっか」

「ふん」

 いきり立つ俺を天狗の頭領は鼻で笑った。でかい鼻で鬱陶しさ倍増だ。

「誰が素振りなぞしろと言った。修行というても実地で行うものだ」

「実地……だよな。そうこなくっちゃな」

 ここで一つの疑問が持ち上がる。赤燐坊のアジトはどこだ?

「おっさん、あの森の場所は知ってんのか?」

「知らん」

 おっさんはやけに自信満々に言い切った。俺がギャグ漫画の登場人物だったら盛大にずっこけてるぞおい!

「なんだよそれ!」

「当たり前だ。知っておればこうなる前に乗り込んでおる。これ!」

 おっさんは村人その一を呼びつけてこう言った。

「小屋の見張りに伝えよ。油断したふりをして赤燐坊の弟子を逃がせとな」

 なるほど……ふたりの視線からして、向こうにあるあの物置みたいなとこに例の天狗コンビがぶち込まれてるんだな。確かに見張り番らしい青い烏天狗が立ってる。村人その一くんはただちに見張りの所に走り、伝言を耳打ちした。

 杉山僧正が俺の肩を叩く。

「隠れるぞ。あの愚か者どものことだ、すぐ逃げ出そうとするに違いない」

 てなわけで、俺たちは近くの手頃な繁みに屈んで身を隠した。

 伝言を受けた見張り天狗は、突如フアアァっと素っ頓狂な声を上げて大あくびをしてみせた。

「退屈な見張りなんぞしていては、ねっ、ねむたいナァー。どうせ逃げたりもせぬだろうし、ここらで少し眠るとするかな! なんてな!」

 とんだ大根役者だ! 今までクソ真面目な面で仁王立ちして微動だにしなかったのにいきなりコレじゃ怪しすぎるだろ! いくらあいつらでも罠だと気がつくんじゃ……。

「出てきたわい」

 出てくるのかよ‼

 久しぶりだなぁチビとノッポの烏天狗兄弟。スーツから和装になってより妖怪っぽいじゃん。つかもうお前ら赤燐坊の弟子とかやめて芸人になれよ。ホントに寝てるやウシシって、それ本気で言ってる? 純粋な奴らだなぁ。

 抜き足差し足忍び足。鳥の足でヒョコヒョコ歩いて出てきた天狗ふたりは、相当苦労しながらも尖った石を拾い上げ、互いに互いを縛る縄を切った。

「うわぁー! これで晴れて自由の身じゃなぁ(あに)さん!」

「しっ、声が高い! 幸い杉山僧正は留守のようだ。いまのうち赤燐坊様の元へ帰るぞ!」

「お、親分は怒っとりゃせんかな」

「なぁに赤燐坊様の弟子は俺とお前しかおらんのだ。破門まではいくまい」

「そだな! 行くか!」

 弟子、あいつらだけしかいないのか……赤燐坊ってやっぱ人望ないんだな。

 二羽のでかいカラスはばっと翼を全開にして、バサバサはばたき飛び立った。既に薄暗くなり始めている空の彼方に飛んでいく。シルエットはカラスそのものだ。

 おっさんは空をじっと見上げたまま動かない。

「おい! 行っちまうぞ」

「まだ見えておる」

 俺も空を見るが、もうあいつらの影はどこにもない。単純な視力なのか、それとも千里眼的な超能力なのかは分からないが、杉山僧正の眼はまだ奴らを捉えている。

「頃合いか。行くぞカツマ」

「おう! って、どうすりゃいいんだ?」

「儂の背に負ぶされ」

「え……」

「嫌そうな顔をするな」

 仕方ねぇな。はいはい、おっさんにおんぶしてもらいますよー。しかしガッシリした背中だ。

 杖がぐにゃりと変形して天狗の羽団扇になった。それを空に掲げる。と、同時に。

 びゅわーん! みたいな感じで体が垂直に浮き上がった。

 おきをつけてー、という村人くんの声が遠くなる。

 速い!

 おっさんの体がワイヤーで釣られているような調子だ。ある程度の高さまで上昇したところで、今度は前進の動きも加わる。

「うわばばばばば!」

「口を閉じぬか。舌を噛むぞ!」

「あばばっ……いきなり飛ぶなよ!」

「時間がないのだ」

 油断してると飛ばされちまいそうだから、俺はしぶしぶおっさんの背中にしがみついていた。

「あんたは羽がないのに飛べるんだな」

「飛ぶのに必ずしも羽はいらぬ」

 俺はそう聞かされ、自分の力で飛ぶ姿を想像した。

 マントを靡かせ青空をマッハで飛ぶ俺。スーパーカツマ……よせよ、くすぐったい。

「……あいつらは?」

「心配するな、しっかり追えている。(きゃ)()らの(ねぐら)はそう遠くないらしい」

 ところで、さっきから雲が物凄い勢いで後ろへ流れていくんだが。どんだけ猛スピードで飛んでるんだおっさんは。俺の頬肉なんかもう風圧でブルブル、ちぎれそうだ。

 この超高速遊覧飛行も二分ほど続いて、少し慣れてきたかと思った頃だった。

「ぎゃわあぁぁぁぁぁ⁈」

 そうだよ急降下だ。それも並の絶叫マシンじゃ到底味わえないレベルのスピードでな。魂が消し飛ぶかと思った。赤燐坊に落っことされてから俺は急降下に敏感になってるのに、このおっさんは気遣いってもんを知らんのかいっ! 今は緊急時だから我慢してやるがいずれぶっとばしてやるから覚悟――。

「うわっぶべぁああああ⁈」

「口を閉じろと言うとるに」

 いきなり森に突っ込む奴があるかぁぁぁ‼ 枝当たる! 葉っぱが口に入る!

 だけど、森に入ったってことは、ここにあいつらのアジトがあるんだな。決戦はすぐだ。

「怖いか?」

「冗談。武者震いがくるぜ!」

「よし。ならば聞け、一計を案じた」


     *


「親分! ただいま戻ってまいりました!」

「今更どの面提げて帰ってきた、(きのえ)(ぼう)(おと)(ぼう)!」

「ひゃはぁやっぱし怒ったでねぇか兄さん」

「赤燐坊様、申し訳ございません。杉山僧正めに捕えられてしまったもので」

「知っておるわ。まぁよい、自力で抜け出したのは褒めてやる。それに――俺ひとりで目的は達したゆえな」

「……おぉ‼ 出羽の天狗の裸子でございますか! その隣の人間の小娘は?」

「ふははは、聞いて驚くな。杉山僧正の孫娘だ!」

「孫娘⁉ あやつめ、秘かに子をなしておったのですか、いやはや驚いた」

「てへ、なかなか()()い顔しとりますねぇ親分。嫁御になさるんですか」

「食う」

「たはぁ」

 あぁーもう聞いてらんね!

「おい待たぬか馬鹿者」

「知るか! やいてめぇコラァ!」

 俺は繁みを飛び出して、焚火を囲む悪党どもの前に立ちはだかった。

「あ!」

「わ!」

「来たか……!」

 バカ兄弟はただ驚き口をあんぐりさせるだけだが、赤燐坊だけはさすが魔縁の師匠の風格だ。火に照らされた口元には不敵な笑みさえ浮かべている。

「時機を見極めよと言うたに……仕方のない弟子じゃ」

 羽団扇を手に杉山僧正も出てきた。

「あんまり師匠ヅラすんなよおっさん。俺は気が立ってんだ」

 可哀想に、俺の恋人と妹は手足をきつく縛られて櫓の上に横たわっているのだ。山は町よりずっと冷える。女の素肌をいつまでもこんな寒い場所に晒していたくはない。

「勝負だ赤燐坊!」

「ぬかせ。乙坊!」

「はい!」

 指示を受けてチビな方の烏天狗――乙坊が櫓の下に走り、隠し置かれていた(まさかり)を握った。

 赤燐坊の笑みが更に邪悪になり、杉山僧正の顔が蒼褪(あおざ)めた。

「杉山僧正よ、手出しをすれば我が弟子が櫓を崩すぞ。お前の孫娘は真っ逆さまに落ちて死ぬ」

「卑怯この上なし……この大魔縁め」

「はっはっはっは! ようやく認めたか」

「どうせ食うつもりなんだろうが悪趣味変態天狗! わざわざおっさん虐めて興奮するとかドン引きだぞお前!」

「命知らずとはお前のことだな」

 しめた。関心が俺に向いた。赤燐坊は言う。

「さて小僧。お前はどうする? 新しい師と、好いた女、そして……くくっ、妹と共にここで死ぬか? 俺は正直なところお前の性根は気に入っている。まだ俺に鞍替えする道もあるぞ」

「こやつを弟子にするのですか?」

 甲坊が情けない声を出した。嫌なんだろうな。

「いかんか? お前たちより余程伸び(しろ)があるぞ」

 お褒めの言葉どうも。けどな赤燐坊、俺がこんな森の中まで来た目的はただ一つしかない。

「さあ、どうする」

「へん、いいかよく聞け悪趣味変態ひとりぼっち寂しがり屋のひねくれクソ天狗! 俺は言ったはずだ、俺を後悔させたらお前をもっと後悔させてやるってな! その時が今だ。お前はキミを、まことを、それ以外にも多くの天狗たちを傷つけてきた。それだけでも充分な罪で、お前は最高の悪党だ。その上俺を使い捨ての道具みたいに利用して笑いものにした。それが最大の罪だ! 万死に値するんだよッ!」

 おおおおッ――雄叫びを上げて俺は天狗に突っ込んでいった。真っ向勝負だ!

「ふん!」

 強烈な左フックが見舞われた。吹っ飛ばされた俺は早くも泥まみれになる。

「まだまだぁ!」

「甲坊!」

「はっ!」

 赤燐坊は俺に甲坊をけしかけてきた。ノッポの下っ端はいつの間にか特大の山刀を振り上げている。丸腰相手に何考えてんだてめぇいきなり武器とか反則だろうが! わああ!

「もはやお前も運の尽き!」

「がっ」

 しまった――切られちまった。

 切っ先が俺の頬を掠めたのだ。幸い血が滲んだだけ、カミソリの切り誤り程度で済んだが、下手すりゃ頸動脈いってたな。俺、ガチに命のやりとりしてるんだ。

 闇の中で杉山僧正の眼がきっと光った――ように思えた。

(とび)(しゃく)(じょう)!」

空を突き抜けるような高らかな呼び声に反応して、ぴいぃ――と勇ましい鳴き声が響いた。飛来したのは金色の羽毛でエメラルド色の瞳をした(とんび)だ。

「おっ、えぇ⁉」

 鳶が助っ人?

 そいつは杉山僧正の手に収まったかと思うと、光を発しながら長い棒のような物に姿を変えた。やっぱり金色に輝く神々しいその棒は……ええとなんだっけか、三蔵法師が持ってるような、そう錫杖だ! 先っぽの輪の部分が鳶の面影を残す装飾になっている。

「カツマ!」

 おっさんは山刀に追い回される俺に鳶の錫杖を投げて寄越した。これが俺の武器か!

「よっしゃあ!」

 ナイスキャッチ。俺は錫杖をぶん回して甲坊を弾き飛ばした! 尻から焚火にダイブして烏天狗は悲鳴を上げ転げ回る。この手応え、すげぇ。こいつはただの棒じゃないぜ。なんか、神秘のパワーが籠ってるぞ! おおお漲ってきた!

 ピイィィィィィィィィ――。

 錫杖が鳴いている。杉山僧正が羽団扇を構えている。

「行くぜ相棒!」

 俺たちの逆襲の始まりだ!

「覚悟せよ赤燐坊!」

 おっさんが赤燐坊と甲坊に向かうの同時に、俺は櫓下の乙坊に走る。

「勝負だ三下天狗!」

「ふぇっ⁉ くるか悪漢めぇ!」

 どっちが悪漢だよ!

「おらだって天狗だ、お()なんぞに負けるもんかい!」

 不似合いな険しい顔つきになって乙坊が勝負を仕掛けてきた。よしきたいくぜ!

「おりゃああああ‼」

「だやあぁぁああ‼」

 錫杖と鉞が何度も交錯し、ぶつかり合う。時には火花まで散らしながら。

 ふと焚火の方を見やれば、杉山僧正は二対一でも優勢に戦いを進めている。こっちも負けてらんねぇ! 剣術も棒術も素養はねぇが乙坊も実力はどっこいどっこいだ!

 全力で! ぶつけ合う!

 俺は強いんだ!

「おらァ‼」

「あっべぁ‼」

 錫杖が乙坊の頭を叩いた。強烈な打撃に奴は目を回して千鳥足になってる。

「今だカツマ!」

「分かってらぁ!」

 対戦相手がフラついてる間に俺は櫓をよじ登る。んだよもっときっちり組んどけよグラグラしてんじゃん! 待ってろよ、もうすぐだ……っと!

「まこと! キミ!」

 俺はまだ眠っている二人を揺り起こす。錫杖が鳶の姿に戻って、嘴で縄を食い切った。

「目ェ覚ませ! 助けに来たんだ!」

 あぁ、まこと……この柔肌の感触、すべすべの肌にこんな形で触れることになるなんてな。

「……あれ、こうじ……? え? どうして?」

 ようやく意識が戻ったか。キミの方も鳶につつかれて目を覚ました。

「カツマ……カツマだあ!」

「……って、なにこれ!」

 まことは自分が下着姿になってるのに気付くと、赤面して腕で胸元を隠した。

「……どこ見てんのよ!」

 なんで俺がビンタされんだよ! まあいいや。

「意外と元気そうで何より!」

「ねっ、ねぇここどこなの⁉ あの天狗は……」

「もうすぐ決着がつくさ」

 櫓の下では赤燐坊と甲坊を相手に杉山僧正が大立ち回りを繰り広げていた。相変わらず無駄のない洗練された動きだ。

「杉山さん⁉」

 俺はその瞬間、まことがまだ真実を知らないのだと確信した。まことにとってまだ杉山のおっさんは祖父ちゃんじゃない。もっとも、今のおっさんは孫娘のまことを守るために奮闘してるんだがな。おっと! そんなこといってる場合じゃなかった。

「キミこっち来い! 降りるぞ。まこと立てるか」

 まことの手を取り立ち上がらせ、キミを背負って櫓を降りようとした時だった。

「うりゃあ!」

 どんくさい気合いが聞こえ、櫓が大きく傾いた。

 しくじった。もたもたしてたせいで乙坊が回復しやがった。下で櫓に鉞を打ち込んでやがる。

「何すんだバカ!」

「わははは! おーちーろ! おーちーろ!」

 まずいやばい崩れる落ちる。高さは五メートルくらい、俺はともかく、落っこちたらまこととキミが無事でいられる確率は低い。どんどん傾斜が急になっていく櫓で俺がうろたえていると、遂に甲坊をボコボコの戦闘不能にした杉山僧正が叫んだ。

「跳べ!」

 無茶言うな! と無粋なツッコミを入れるまでもなく、俺は気がつけば両脇にキミとまことを抱えてジャンプしていた。

 するとどうだろう、金色の鳶が俺の襟を掴まえて逞しい羽を必死に動かし始めたではないか。鳶のはばたきがパラシュートの役を果たしたお蔭で、俺たちはゆっくりと着陸することができた。あっさり人質を奪還されて、赤燐坊が愕然としている。

 俺は女ふたりを抱き寄せてみせ、おっさんに圧され後ずさる赤燐坊に言った。

「愛の力だ! 童貞こじらせたお前なんかに勝てるわけがねぇんだよ!」

 まことの胸が俺の脇腹辺りへむにむに当たってる。あぁーたまんねぇ感触。なんて役得だ。

「高司! 後ろ後ろ!」

「なに?」

 何を慌ててるんだと振り返ると、もう目前にまで櫓が倒れ込んできていた。やっべぇええ!

「おわぁぁ!」 

 間一髪スライディング神回避。倒壊した櫓が焚火の(おき)を叩き割り、夜空が火の粉で飾られた。

「もう少しの辛抱だ」

 俺は有無を言わさずキミとまことを繁みに押しやると、再び鳶錫杖を手に戦線復帰した。

「うらぁあ! 必殺勝間式鳶錫杖唐竹割りィッ‼」

 適当に叫んで赤燐坊に打ちかかる。乙坊も乱入してきたけど蹴ッ飛ばしてやったぜ!

 杉山僧正の羽団扇が旋風を起こした。一瞬怯んだ敵の胴腹に錫杖を打ち込む!

「甘いッ!」

「わっ!」

 赤燐坊が飛翔した。こいつらだけ飛べるなんて不公平だ!

「まとめて焼け死ね!」

 怪しい骨が火の雨を降らせた。俺とおっさんは自分の得物で火を振り払う。烏天狗の兄弟は尻に火が点いて大騒ぎしているが無視だ!

<カツマ、打ち合わせ通りに>

 頭の内側におっさんの声が響いた。よし、いよいよ決めるか。

「赤燐坊!」

 俺は梢の赤燐坊に錫杖を投げつけた。俺の力以上の加速をつけて一直線、斜め四十五度で矢のように飛ぶ錫杖。だが赤燐坊は矢筋を見切って降下する!

 大木の幹に突き刺さり震える錫杖! 炎を纏って特攻してくる赤燐坊!

 来るぞ……来るぞ!

 杉山僧正の手元で羽団扇が杖に変わる。僧正はそれをバットのように握り、飛来する剛速球赤燐ボールを――打った!

 だが、杖と嘴の先が衝突する寸前、赤燐坊の姿は目眩ましの炎を残して消えた。そう、前の対決と同じパターンだ。また逃げられた? いいや、まだだ。だから。

 ここで決める!

 俺は甲坊が落とした山刀を拾い、持てる限りの力を籠めて頭上に突き上げた。

「おぉらぁぁぁぁぁぁぁ‼」

 釣竿に大物がかかった時のように全身に負荷がかかり、虚空から鮮血と茶色い羽が飛び散った。そして姿を現し墜落した赤燐坊が、櫓の残骸に激突する。

「はぁ……はぁ……どうだ。(おん)(ぎょう)の術、見事に破ってやったぞ!」

 赤燐坊が姿を消すのはテレポートの類ではなく、咄嗟に全身を透明化して素早く逃げ去るという隠形の遁走術だった。一か八かの火の玉戦法に失敗すれば、奴は必ずまた逃げる。俺とおっさん二人がかりなら、その瞬間を捉えることができたってわけ。

 急に藪の中で蛙たちが騒ぎ出した。

 烏や虫たちも盛んに鳴いている。

 闇の中には鼬や狐狸みたいな動物や、毛むくじゃらの一つ目小僧みたいなのが目を光らせている。なんだこいつら、いつからいたんだよ? 敵じゃないのは雰囲気で分かるが……あぁそうか、こいつらが本来の森の住人なんだ。横暴な赤燐坊が倒されて、俺たちという救世主に歓声を上げてるんだ。へっへっへへへ、悪くない。悪くないぜぇ。

「ひえっ⁉」

 近くの川から来たらしい河童に背中を撫でられてまことが小さな悲鳴を上げた。野郎……後でその皿かち割ってやる――俺とおっさんの心が秘かに一致したのは確実だった。

 さて。

「まずまずの腕前だ」

 偉そうなコメントを残して杉山のおっさんは赤燐坊の元へ歩いていった。

「過小評価だぞおっさん!」

 無論、俺も後に続くどころか、追い越して櫓の残骸に上がる。

 赤燐坊は腿を縦に引き裂かれて動けなくなっていた。神社にいた頃から虫の息だったから、更に深手を負った今、こいつはもう完全に瀕死状態。今度こそ抵抗すらできないし、下らない策を巡らす余裕もないのは明らかだった。できることといえば命乞いくらいのもんだ。

「やい観念しやがれ赤燐坊! お前はもう終わりなんだよ。そもそも世界最強の俺を敵に回した時点でこうやって惨めに敗北することは既定路線になってたんだから――」

「カツマ、静かにせい」

 おっさんが俺を押し退けて赤燐坊と対峙した。もっと喋らせろよな。

「儂たちの因縁もここまでだ。言い残すことはあるか」

 冷酷な奴だ。言いたいことがあるのはお前の方じゃないのかよ。思った通り赤燐坊も何も言わない。もう何を言っても逃げられないからな。

「ま、待ってくれ!」

 情けない声を発して、尻の焦げた甲坊が這うようにやってきた。赤燐坊を守るように割り込むと、杉山僧正をきっと睨んだ。そして。

「どうか……どうか命だけはお助けをッ!」

 土下座した。羽も体も綺麗に折り畳んで、伏して師匠の命乞いをしている。

 自然のざわめきが収まった。山の生き物と妖怪たちが裁きの行く末を注視している。

「そうだ!」

 煤まみれの乙坊もどたどたと駆けてきて、兄貴の隣で丸まった。

「親分を殺さんでつかあさい!」

「甲坊……乙坊……?」

 朦朧とする意識の中、赤燐坊は目の前で展開されているやりとりが理解できない様子だった。いやあ、もちろん俺も杉山僧正も驚いてる。だってあの兄弟、本気で涙まで流してるんだぜ。

「落ちこぼれのおらたちを拾うてくださった親分のご恩は計り知れん!」

「赤燐坊様は我ら兄弟の無二の師なのだ! 我らにとっては……いかなる大天狗より優れた師なのだ。ふたりの命だけでは代えにならんのは承知だが……頼む杉山僧正!」

 杉山僧正は冷徹な瞳で三羽烏を見下ろしている。どうする? お涙頂戴に流されるのか、それとも絶対の勝者として厳格な罰を、今ここで与えるのか――俺なら、俺の手にいま鳶錫杖が握られていたなら。キミとまことを酷い目に遭わせたこいつら、俺をコケにした赤燐坊を、絶対に許せるわけがない。この怒りを抑えられるほどに鈍重な体じゃないんだ。

 だから!

 早く決めろよ杉山僧正! 俺をこれ以上怒らせるな。


「だめっ!」


 幼い喉が精一杯に声を張り上げた。

 誰もが驚きを隠せなかった。

「キミ……!」

「ころしちゃだめ」

 繁みから飛び出したキミは杉山僧正と赤燐坊の間――で土下座している兄弟の上に立ち、両手を広げて盾になろうとしている。毛も生え揃ってないのに精悍な烏天狗の顔つきになってる。

「けんかするだけじゃないんでしょ?」

 その言葉は軸がブレ始めた俺への批判だ。

 キミの足場が揺れだした。天狗の兄弟弟子が震えて裁断を待ってるんだ。

 杉山僧正は。

「子は親の、妹は兄の背を見て育つというわけだな……まことよ」

 おっさんに話を振られたまことは、戸惑いながらもはいと言ってしっかり頷いてくれた。不器用な(ジジ)()め、孫娘にそんなことしか言えねぇとは面倒臭ぇ天狗だな。へへへへっ。

 でも、それで全ては決まったって話。

 杉山僧正は杖を下ろし、安堵したキミも手を下げた。

 いかつい顔したおっさんは、ぎこちない手つきでキミの頭を撫でて、赤燐坊にはこう言った。

「幼子に救われるとは修行が足りぬな」

「修行だと……」

「儂の下で鍛え直せ。今度は逃がさんぞ――三日坊主の赤燐坊め」

 見栄を張りたがるのは人も天狗も同じだ。赤燐坊はかつて有縁天狗なんて名乗りながら良縁に恵まれず、あっちこっちの山を転々としていた。修行を極めたんじゃなく、適当なとこで見切りをつけてほっぽり出してただけだったんだ。俺に見せた夢の中では随分と美化してくれちゃって……だけど、その歪んだ光景は、多分あいつの中では常に真実だったんだろうな。

それにしても三日って。

 万雷の拍手みたいな山の歓声が鳴り響く中で、甲坊と乙坊が頻りに礼を言っている。そして固執も何も打ちひしがれた赤燐坊の心には、新しい想いが芽吹いたんだと思うぜ、俺は。

 結局こーんなお涙頂戴のヌルいオチとは恐れ入るほどつまんねぇなぁ。けど、これがキミの望んだ結末なんだから、俺は喜んで受け入れる。

 おっさんの指笛が遠い空の向こうにいるらしい天狗たちを呼んだ。同時に樹上から舞い降りた金の鳶がおっさんの肩に留まる。

「間もなく迎えが来る。山の者たちよ、それまでにこの娘らの肌を隠す物を(こしら)えてくれまいか」

 まことがまた恥ずかしそうに身を縮めた。決着がついた後だと眼福だな。

「バカバカバカ!」

 おい! 石投げんなって!

 さっきのエロ河童を怨嗟の視線で射殺そうとしているおっさんに俺は言う。

「なぁ。当然亀野守まで送ってくれるんだよな? 俺だけじゃ秀羽さんにどう説明していいか分からねぇぜ」

 意図を汲んだおっさんは顔を顰めた。ざまーみろ。


     *


 杉山僧正を先頭に、俺と、木の葉を綴ったローブを纏ったキミとまことは、亀野守の夜道を誰にも知られず歩いていた。運よく人通りが少ないもんだ。

 雛倉家の前では不安げな表情を浮かべた秀羽さんが頻りに左右を見ては溜息をついていた。

「秀羽さん! 帰ったぜ」

 勝間高司御一行様の到着に、秀羽さんは驚き、喜び、それから怒りの入り混じった顔になる。杉山僧正の方はもうガッチガチに緊張しちまってて、顔なんか出来の悪い石像みたいだ。

 改めて親子の対面、それぞれどう出るか。もう野暮な口出しはよそうじゃねぇか。

「まこと!」

「お母さん!」

 俺たちの目も憚らず、天狗の血を引く母娘は抱き合う。

「何があったの? 怪我はない?」

「大丈夫よ、私……えっと、信じて貰えないと思うけど聞いて。私とキミちゃんね、悪い天狗に攫われて食べられそうになったの。でも杉山さんが助けてくれたわ」

「俺の活躍を意図的に無視するな!」

「ふふふっ、ごめんなさい。高司も私たちのために戦ってくれた」

「そう……なの」

 信じられない、といった顔だ。もちろん信じられないのは天狗の存在ではなくて、杉山僧正がまことを救ったという事実なんだろう。まだ壁は厚いか。しゃーねーな。

「あなたが、まことを……?」

「天狗の頭領として当然のことをしたまでだ」

「そう……だったらお礼はいらないんですね」

「無論」

「でも言います。娘を救ってくれてありがとう」

 頷いたのか俯いただけのか、おっさんは何も言わずに下を向いた。

 沈黙。短いが長い。

「それだけか」

 絞り出すような声。脂汗まで浮かべてら。苦慮してんなぁ。

「はい?」

「儂に言うべきことはそれだけかと問うた」

「……意味が分かりませんけど」

「ならば、よい」

 よい。って何がだよアホか!

 あぁもうじれったいけど今夜の俺は我慢の人になるって決めてんだからな。そういうグダグダのやりとりを続けてるとまことも変に勘ぐるだろうに。キミもじっとしてなさいっての。

 おっさんは言う。

「儂は嬉しかったぞ」

 そんな台詞を聞いて秀羽さんが驚かないわけはない。

「もうそなたには永遠に会えぬと思っていた。だが奇禍を発端として、再び言葉を交わすこともできた。ただ嬉しかった。この者から秀羽は幸せに生きておるのだと聞いて、尚嬉しかった。それだけだ」

 口の端が震えてるのはなんだ? 照れくさかったか? 純情なおっさんは面倒だな。

「帰る!」

 いきなり不機嫌そうな声を出したかを思うと、おっさんは背を向けてつかつかと去っていく。何がしたいんだよ。不器用にもほどがあるだろ。

「待ちなさいよ!」

 伝わるかなぁ、なんだか思春期入ったばっかの子供みたいな幼さの残る、上擦った声だった。

「これで清算したなんて思わないで。話は終わらないわよ」

「……承知した」

 百何年かけて拗れた親子関係だ。解きほぐすのにも時間がかかるだろうが、それでいいんだ。今夜はこれでひと段落。そういうことなんだ。

 杉山のおっさんは下駄の音だけを響かせ去っていった。

 うっわぁ、ありゃもう内心ウキウキだな。

「お母さん、杉山さんと知り合いだったの?」

「……そうねぇ」

 秀羽さんが何かを確認するため目配せしてきたから、俺は無言で首を振った。

「昔、ちょっとお世話になった人。あ、人じゃなくて天狗か」

「もう! だったら教えてくれればよかったのに。なんかよく分かんないけど心配しちゃったじゃない」

 まことだけが真実を知らない。不公平だし不満だけども、まだ俺から暴露する時じゃねぇなって思う。考えるべきなんだ、おっさんも秀羽さんも。

「あれ? だったら、もしかしてキミちゃんのことも知ってたり……?」

「出羽の天狗の赤ちゃんなんでしょ? 遠いとこから攫われて大変だったわよねぇ」

「ちょ……! そんなあっけらかんと! お母さん人悪すぎっ!」

キミも俺の考えを察してか、まことの血縁については何も言わずにいる。

「あはは、ごめんごめん! さ、中入って着替えたら?」

「そうだ、折角買ったキミちゃんの服――」

 とすん。

 何かが落ちる軽い音がしたと思ったら、俺の足元にはデパートの服屋の紙袋が置かれていた。

<赤燐坊が隠しておったそうだ。まことの服も入れてある>

 あっそ……気が利く上に地獄耳のおっさんだこと。ややこしい渡し方すんじゃねぇよ!

「あっその紙袋!」

「何が入ってんだ?」

 俺はとぼけながらそれをまことに渡して、服が無事だった喜びの声を聞いた。

 着替えるために家に入るまこととキミ。一歩遅れて俺も上がろうとした時、秀羽さんに止められた。あぁまたこの目だ。ダメだって、もう旦那帰ってきちまうだろ?

「ね」

「いや、俺もあれから考えたんだけどさすがに人妻と中学卒業したての俺との関係ってのはその嬉しいんだけどまあ道徳的じゃないというかまことの目とかもあるし」

「じゃなくて」

 違うのか。蠱惑的な大人の手ほどきじゃないのか!

「あ、あぁ心配ない。着替えは覗いたりしないから――」

「もう。ふふっ……ありがとね、高司くん」

 秀羽さんは大人の笑顔で礼を言った。

「ははっ、何を改まって……俺は俺として当然のことをしたまでだ」

 面と向かって感謝なんぞされたらムズ痒くてしょうがねぇや。ダメだな。

 あれ? なんか秀羽さんが俺に近付いて――。

「わっ」

 ちょっと待ってくれ。なんか信じられないことが起きてる。柔らかい天使の双丘が俺に押し当てられてるんだけど! 手は背中に回ってるし、何これ、なんで俺抱き締められてるの⁉

「しゅっ、しゅ……しゅ、さん?」

「ご褒美」

 こ――これは電撃だ。柔らかい幸福の電撃が体の芯を突き通しやがった。ほわあぁあ!

 幸運にも、そして同時に不運でもあるが、秀羽さんの体は俺が感電死する前に離れてしまった。自分の魅力をしっかり分かって活用してやがる。なんて恐ろしい(ひと)だよ。お、俺は今ほどあんたの旦那を羨んだことはねぇ!

「思い出しちゃった」

「何を?」

(たか)(やま)()()()

 カツマだって? でも俺のことじゃない。けど、知らない名前でもない。

 ――昔の弟子に似た名だ。

 おっさんが言ってたっけな。

「卒業式の夜、昔の知り合いに会ったって言ったでしょ? そういえば子供の頃はあの人のこと好きだったなぁって」

「やめてくれよ……俺は確かにカツマだ」

 キミもおっさんもそう呼ぶ。

「だけど」

「そうよね。高司君だもんね」

 俺にもどういう仕組みだか詳しく説明できないが、雛倉家の面々にだけは名前で呼ばれたい。

「俺は勝間高司なんだ」

 春の夜風はミステリアスで微かに官能的な香りがする。俺は桜色の迷い道に踏み込んでしまいそうな気になって、慌てて玄関に飛び入った。

「腹減ったぜ秀羽さん! なんかご馳走してくれよ」

「はいはい。今すぐ作るわね」

 俺を取り巻く心優しい天狗の娘たち――。

 縁は異なもの。身に染みたぜ。


     *


「いち、いち、きゅう、に。いちいちきゅうに……」

 肩車されたキミが繰り返してるのは鎌倉幕府にゆかりがありそうな年号ではなく、俺の受験番号だ。今日は合格発表日、俺たちは再び亀三に来て、数字の並ぶ掲示板を見ている。

「あ! あったぁ!」

 キミが掲示板を指差してはしゃいだ。服も靴も帽子も、この間まことと一緒に選んだやつだ。一方の俺はやっすいシャツ着て余裕の笑みだな。

「カツマごうかく! がんばったねぇ」

「当然の結果だ。ま、本来は見るまでもないんだが書類とか受け取らなくちゃならんからな」

「なに調子乗ってんのよ。杉山さんがいなきゃ受験さえできなかったのに」

「嫌なことを思い出させんなよ」

 なんか無意識におっさんとまことの共通点を探し出そうとしている自分がいて嫌なんだよな。あぁもうDNAは一切意識するな! いや、でも若干目尻が似て……やめろって!

「ひゃっほおぉぉぉう」

 と、煩悶する俺をよそにアホ丸出しの歓声が上がった。さてクイズ、この声の主は誰でしょう。三、二、一、はい、答えは木瀬川龍我くんでしたーっと。隣には弓波綺咲がいて、周囲からの好奇の視線を気にして苦笑いしていた。

「合格! 合格してんぞ綺咲ぃ! 同じ高校だ‼」

「はいはい……だから余裕でしょって言ってたのに」

「でも不安になるだろどうしても!」

 バカかあいつは。

「あぁ、あの人が綺咲の彼女なのね」

 まことは木瀬川を見るのは初めてだったようだ。だけどこの超絶笑顔で大泣きしてる姿が第一印象に刻まれるとは……ぶははははは。面白すぎるだろ。

「祝いの言葉でもかけてやるとすっか!」

 俺たちはそれぞれ違った笑みを湛えてカップルに近寄った。綺咲だけは気がついて、どうしようもないと言いたげに首を竦めた。

「いよー木瀬川くん! 襟足黄色いクセによく合格できたねぇ」

「襟足は関係ねぇだろォ⁉ ……ってお前か! まさか合格したんじゃねぇだろうな⁈」

「いやしたけど」

「なんっでだよォ‼」

 心底嫌そうな叫び声だ。表情もコロコロ変わって、ほんと面白いアホヤンキーだなこいつは。

 今度は眉間に皺を寄せて眉を吊り上げドスを利かせる。

「おいてめぇ、亀三でも調子こくようなら今度こそブッ飛ばしてやっかんな。覚悟してろよ」

「あ? トリさんにびっくりして気絶しちゃうチキン男に何ができるって? その黄色いのは羽毛の名残かなー?」

「てンめぇぇぇぇ‼」

 次は真っ赤になって怒ってる。女ふたりの視線が冷ややかになってくるとつまんねぇな。

「カツマ、けんかするの?」

「違うよ。おーいみんな! 合格祝いにこいつの胴上げしてやってくれ! ほらあんた、そこのお前も手伝えって!」

「おっ、おい勝間⁉」

 俺は周りにいるやつをとにかくかき集め、戸惑う木瀬川の体を持ち上げさせた。

「え? 本気か? マジで胴上げ? えっえっ?」

「はーい、次代の亀三を背負って立つ木瀬川龍我くんの合格を祝しての胴上げーっ!」

 いくぞ、せーのっ!

 ばんざーい!

 ばんざーい!

 ばんざーい‼

 おろおろしていた木瀬川も二度目の掛け声で頬が緩み、三度目には満面の笑みになった。「おめでとーっ」とか「龍ちゃんサイコー!」とか、ノリのいい奴らが適当に盛り上げてくれたから俺も満足した。

 さて、と。

 一通り盛り上がると、落とし穴に片足突っ込んだみたいにふと冷静になる瞬間が訪れたりするだろ。それが来た。こういうときは、妙に切なくて、周りがよく見える。

 俺とキミは同時に、若々しい人混みを遠巻きに眺める男女の姿を捉えた。スーツできっちり身を固めて階段の向こうに立つかれらは、保護者でもなければ教師でもない。どうもこの場に馴染む雰囲気的要素がないのだ。歳は……そうだな、二十代後半くらいか。

 ただし見た目だけ、な。俺には卒業式の日に会った烏天狗兄弟の変装がオーバーラップして見えた。

 また、なのか? 腕の筋肉が強張る。

「あっ」

 キミが声を漏らす。向こうでは女が口を押さえて目を潤ませ、男の方も何か感激したらしく仁王立ちでうち震えている。遠くてよく分からないが、女の右足には包帯、瞳は黄色で――。

 そういうことか。

 キミの足は地面を求めてばたばた動いていた。俺は要望通り降ろしてやる。やっぱりだ、両手を広げてキミはあの二人に駆け寄っていく。言葉を交わさなくても通じるものがあったんだ。

 駆け寄る幼子を見て、スーツの男女の涙腺はいよいよ決壊した。

「あぁ、やっぱり!」

「私たちの娘だ!」

 キミは母親の胸に抱き寄せられ、その背を母ごと更に父親が抱く。

「はじめまして! わたし、キミ」

「キミ……良い名だ。私がお前の父だぞ」

「わ、私が母ですよ、キミ」

「ちちうえ……ははうえっ!」

「あぁ! やっと会えた!」

 これが本物の親子だ。

 生まれてから何日目だ? やっと会えたんだな、キミ。

「高司?」

 喧騒を抜け出たまことも天狗親子の対面を目の当たりにする。聡明だから、何が起こってるのかは言わずとも理解した。俺が釈然としない思いを抱えてることもな。

 ふぅ。

 だったら潮時かな。

「おい」

 階段の近くまで寄って、俺はできるだけ横柄な態度で呼びかけた。

「あなたがカツマ様か」

 高慢で人間を見下した態度でくると思ったのに、キミの父親は思いの外畏まって俺に一礼した。口髭なんか生やして、どちらかというと強面で胸板も厚い偉丈夫って感じなのだが、穏やかでいい奴っぽい物腰じゃんか、と思ってしまった。

「杉山僧正様より話は伺っております。我らが娘を救ってくださったと」

「そ、そうだよ」

 ピュアな感謝感激の表情で階段を下りてくる男は、確かどこぞの山の主だったはずだ。

「あんたら、山の仕事はいいのか」

「よくありません。ですが、もういてもたってもおられませなんだ」

「かわいい我が子を放っておけるはずもありませんでした!」

 後ろでは母親がキミを抱き締め、頬擦りしながら何度も頷いている。

「卵が私たちのもとを去ってから、ずっと悲しみと寂しさ、実の子を助けにも行けない我が身の不甲斐なさに身を責められてきました」

「だが、今の今まであなた様が仮の家族となりキミを守って下さったと」

 本当にありがとうございました――そう言って、天狗の新米親父は深々と頭を下げた。

「あなたは、親が子を放ってまで守るべき掟などないとお怒りになったとか」

「あぁ……言ったな」

「まったくもってその通りです。私たちはとんだ思い違いをしていた。何をおいても娘を助けに飛ぶべきだった。掟や地位、他の者からの信望など比べ物にもならないのだと、もっと早くに気がつくべきでした」

 母親が嗚咽を漏らした。父天狗は俺の前まで来ると、地に膝と手を突き懇願した。

「ですから! 私は改めてお叱りを受けたい。あなた様の怒りを心身に刻まずして、私に娘の、キミの親となる資格はないのです!」

 殴られても蹴られても、唾を吐かれてもいいって覚悟の顔だ。

 お前らが早く迎えに来てれば、あんな危険も戦いもなかっただろう。そう考えると憎らしい親たちだ。お前ら腹決めるのにどんだけかかってんだってぶん殴ってやりてぇさ。でも見てみろよ、キミのこの上なく不安そうな顔。あいつが何を恐れてるか? 俺の想像が合ってる確率の計算は不要だ。親が子に注ぐ愛、子が親に向ける愛、人間も天狗も同じなんだろ、おっさん。

「なーに土下座なんかしてんの。バカ言ってんじゃねぇや」

「カツマ、様……?」

「勘違いするなよ親父さん。俺は今回天狗との力の差をイヤってほど思い知らされたぜ。仮に俺とあんたが本気で戦ったとしても、結果は分かってんだろ? それこそ赤子の手を捻るようなもんだぜ。俺に勝ち目なんてない」

「そのようなことは」

「いいんだ。実際俺は天狗敵に回して何回も死にかけた。それもこれも、みーんなあんたんとこのタマゴ拾っちまったのが原因だ」

 キミたちにとっては、俺の発言はさぞ不可解なものだったろう。

「カツマ……?」

「でもタイミング悪く俺の腕の中で生まれちまったからな。面倒見ないわけにもいかねぇだろよ。そしたら天狗に襲われ天狗に操られ天狗と戦ってボロボロだ。俺自身にはなんの得もなし。笑えてくるね。損ばっかして癪だったからよ、せめて親には無理難題突きつけてやろうってんでゴネてただけだ。実際早く手放したくてしょうがなかったんだよ」

「高司!」

「まことは黙ってろ!」

 おっと、狙った以上に声を荒らげちまったか。落ち着け落ち着け。

「親父さん、おふくろさん、やっと娘に会えたんだ。三羽揃って早く俺の前から消えてくれ」

 言うぞ、俺は。

「キミ! 迷惑なんだよ、お前にずっといつかれたら!」

 一瞬、心臓が凍ったように全身が硬直して、キミは大粒の涙を零し始めた。

 胸に長い針を刺された気分だ。

「メシはよく食うし騒がしいし危険呼び込むし、まことと俺だけのデートも邪魔する!」 

「う……えぅっ、かつ、ま……?」

「どうしろってんだよ、どうにもできねぇじゃねーか! 俺はこれから高校生活を思う存分楽しみてぇんだよ!」

「ごめんなさい……ごめんなさい」

 謝るなよ、聞きたくねぇんだよそんな涙声。

「お別れだ。本当の親と一緒に出羽でも出刃(でば)でも好きなとこに行きやがれ」

「カツマ!」

「お前の親のツラみてよーく分かったんだ。俺が間違ってた、今のお前はちっこいし俺はまだまだ強さが足りない。だからお前は天狗の世界で親と暮らす方が幸せに決まってる!」

「でも! わたし、カツマやまことともいっしょにいたい……!」

「わがままもいい加減にしろ! また赤燐坊みたいな悪党がいつ来るかも分からないこの世界で、俺がいつでもお前のために戦い抜けると思ってんのか? お前はいつも逃げ切れるのか? んなわけねーだろ!」

 だから行け‼

 俺は叫んだ。

 どうでも、今キミと別れなきゃいけない。

「人間ってのは心が狭い。化け物は怖がられていじめられるぞ。つらいぞ。お前はありのままの姿を受け入れてもらえる場所で育ってくのがいいんだ」

 でないと拗れる。親と子に百年の蟠りが残るんだ。

 俺がその原因を作っちゃいけない。

「カツマ、キミのこと……きらいになっちゃったの?」

「お前は大切な妹だ」

 だから。

「大きくなって自分の身を守れるようになったら、また来い」

 この言葉を俺からの(はなむけ)に代える。

「その時までには俺ももっと強くなってるから。約束だ」

 心で刹那の風が吹き、桜の花びらが舞い散った。

 男の価値を決めるのは優しさと厳しさの使い分け。実践してやったぜ。

 だけど、もう俺は泣きじゃくるキミを見ていられなかった。

「ありがとうございますッ」

 感極まった父天狗は、やっぱり地に伏して俺に礼を言った。

「カツマ、まこと……またね」

 さよならだけが人生だ。って言ったのは誰だっけ。さよならだけが人生ならば……の方は?

 俺のスタンスは分かりきったことだな。

 男女の姿が山伏装束の烏天狗に変化する。こういう時に端役の一般人どもは異変に気付かないのがお約束らしいや。父親は夢で見た通りに立派で、母親もキミの親だけあって優しそうだ。

 羽ばたきの音が耳を掠めた。

「キミぃぃぃぃ‼ 元気でやれよおぉぉぉぉぉっ‼」

 子を抱き空の果てに飛び去っていく大きな鳥のシルエットを目に焼きつけながら、俺たちはちぎれそうな勢いで手を振った。きっと今日の晩飯はあまり美味くないだろう。


     *


 ガキの頃はブランコが好きだった。なんでかなぁって考えると、もしかしたら空を飛ぶような感覚を味わってたからじゃないか、という結論に行き当たった。体は大きくなって想像力が(しぼ)んた今じゃあ、公園のブランコに揺られても飛んでる気にはならないけどな。

「あっ、キミちゃんのお兄さんだ」

「ん……」

 俺の前にやってきたぼーっとした感じのガキは、たしかキミの遊び友達の……。

「たかお!」

「キミちゃんは?」

 たかおはサッカーボールを抱えていた。そっか、約束してたもんな。

「帰ったよ。遠い家にな。悪いけどもうお前らと一緒に遊べない」

「え……でもまたいつか会えるよね? き、キミちゃんにいじめられるの興奮したし」

 何言ってんだこいつは……。

「ほらもう夕方だ。カラスが鳴いてるから帰れよ。あそこで待ってるの母ちゃんだろ?」

「うん、お兄さんバイバイ!」

「あぁ」

 たかおとその母親が去って、俺はまた独りになった。

 カラスが鳴いてっけど俺はまだ帰らねーぞ。こんな気分の時に親の顔なんて見たくもない。キミの催眠術が解けたら、あいつらは妹のことなんてきれいさっぱり忘れてるだろうし。

 なんだかんだでキミと過ごした数日間は楽しかったな。笑顔の眩しい奴だった。

「こんな所におったのか」

 すぅーっ。

 と音もなく、梅干しでも入ってそうな壺が空から垂直に降りてきた。そうかと思えば、その中からランプの魔人みたいに杉山のおっさんがにょっきり出てきたではないか。

「なんだそのクソ寒い登場の仕方は」

「キミが山に帰ったと聞いたのでな。よく決断したと褒めに来たのだ」

「ひと仕事終えた気分だぜ。だけどもうあいつの話はよせ」

 手を腰に回して、おっさんは思わせぶりに上を見ている。

「なんだそれ」

「寂しいか」

「やめろよ」

 意識しないようにしてるんだからさ。

「……そうだ、赤燐坊たちはどうなった?」

「あやつらはひとまず、とある山に二十年籠らせることにした。なにぶん堪え性のない連中だ。一つ所にて技を磨くのが最善の道であろうて」

「だな」

「お前の修行についても考えねばならんな」

「は?」

「何がハだ。お前も儂の弟子ではないか」

「おい本気か? あんなもん女助けに行くための方便だ。無効だ、取り消しだよ」

 天は俺の上に人を作らず。誰かを師匠と呼んで敬うなんて御免蒙りたいね。

「誰がお前なんかの弟子になるか!」

 おっさんは呆れかえった様子で溜息をつく。

「なんという男だ……誠実さのかけらもない。いやいや、それでも儂は決めたのだ。お前はもう儂の弟子だ。逃がさんぞ!」

「いいのかなそんな偉そうなこと言っちゃって!」

 俺はブランコから跳んで邪悪な笑顔になった。おっさんはたじろぐ。

「お前と秀羽さんの関係修復の鍵は俺が握ってるようなもんだと思わないか?」

「おのれ卑劣な若造……だからこそ弟子にしてやると言うておるに」

「弟子って響きは気に入らねぇな」

「……面倒な奴め」

「お互い様だろ」

 俺はちょっと過酷な未来を思い浮かべていた。今回の件で天狗界の実力者である杉山僧正に隠し子がいたという事実が、少なくとも赤燐坊が隠れ家にしていた山には知れ渡ったわけだ。妖怪たちがこの噂を広めない保証がどこにあるだろうか。まことが何も知らないまま、また危険に晒されたら――。

 守るのは俺だ。

「飛ぶくらいはできるようになんだろうな」

「む……お前の努力次第だな」

「なんだそれ。俺の要領のよさナメんなよ? すぐ自由自在に空飛んでやるさ」

「だが飛び方を教えるのはまだまだ先、まず天狗や神仙のことについて講義を……おっと!」

 途中で言葉を切った杉山僧正は大慌てで壺の中に飛び込んだ。なぜかというと、俺を捜して公園にまことがやって来たからだ。

「こんな所にいたんだ」

「おっ? 俺に会いたくてこんなとこまで捜しに来てくれたのか? さっきしそびれた合格祝いの抱擁でもするか? キスでもいいんだが」

「ほんとバカ。雰囲気分かってるでしょ?」

 夕焼けの中のまことは優しげで可愛くて少し儚げで……もう最高だった。ナーバスな俺の心を癒してくれるのは、今はまことだけだ。

「その壺どうしたの?」

「梅干しでも作ろうかと思ってな」

「つまんない冗談」

 まことがブランコに腰かけた。俺もまた隣に尻を落ち着けた。

 お前ともキミの思い出話をしなくちゃならないか。いいけど、いいんだけど……切ないなぁ。

 泣く? 泣くもんか。

 ゆらゆらキコキコ。あれ、この少し錆びた軋みは懐かしい音かも。

「ね、覚えてる?」

「何がだよ」

「高司と最初に遊びに来たの、この公園だったわよね」

 俺の予想は外れた。いや、あえてまことが外してくれたんだ。

「小学校に入る少し前だ。お前がこっちに引っ越してきた次の日だったなぁ」

「あの頃からずっと一緒にいるね、私たち」

「嫌か?」

「……嫌なんて言ったら高司泣いちゃうから」

「にへへっ、素直に嬉しいって言えよな」

なんて。ありがとよ、まこと。

 微笑む彼女を見ていたら、なんだか希望が湧いてくる。いいな、この感覚。


「……同じだといいわね」

 茜空を仰いだまことは照れ臭そうにはにかんで言うのだ。

「高校のクラス」

「なれるさ。断言する。俺たちは赤い糸で繋がってるからな」

 そうだろ杉山のおっさん? いや、師匠。

《……調子のいい奴だ》

 俺たちが家路に就く頃を見計らって飛び上がった壺は、夕焼け空にかかった薄紫の雲に吸い寄せられていった。人の知らない仙境に帰るために。


 と、まぁこういうわけで、天狗との出会いから始まった些か長いプロローグは幕を閉じた。

 主人公にはきっと次なる奇天烈な事件が待ち受けていることだろう。上等だ。誰あろう俺が主役なのだ、快刀乱麻を断ちまくる。どんとこい冒険! エロいハプニングありだと尚良いぞ。

 さてと、とりあえず今日はここまで。じゃあな!





(終)


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