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第一話:天狗のたまご・転

 俺はいま中学生でも高校生でもない。

 ただ俺という天上天下唯我独尊の存在であるという他には何も属性を帯びていないのだ。

 学校に通っていた頃はこんな人をひたすら眠りに誘うだけの退屈を濃縮還元した授業なんて早いとこ全部終わっちまえと忌み嫌い、休憩と飯と帰りの時を待ち侘びる日々だったのに、いざこの苦役から解放されてみると暇で仕方がない。まことは碌に遊んでくれねーしな。男友達? 興味ないね。

 そんなわけで時間潰しの昼寝で夜は目が冴え、悪循環で翌日起きるのは正午過ぎってだらけきった生活。いいんだけどよ別に。我が愛しの恋人……になる気配もないまことは俺の生活態度を非難するだけするのだが、それを正すために毎朝起こしに来てくれたりはしない。もうちょっと俺に甘い態度とってくれてもいいのにな。可愛い異性の幼馴染ってそういうのだろよ。白雪姫だって眠れる森の美女だってキスで目覚めるじゃん。男もキスで起きるんだよあちこちが。そういうところ切に分かってもらいたい。

 というかだな、俺はむしろ報酬としてこのだらだらとした生活を享受すべきなんだよな。なんせ高校受験の傍ら天狗と戦って勝ったんだぜ? 映画一本作れるレベルの活躍。あれももう一昨日の話になったがな。例の悪辣な天狗はもちろん、杉山のおっさんも再訪しそうな感じはない。まぁ、もう諦めたんだろうな。キミの里帰りについては俺が考えてやるとしよう。なんたって血は繋がってなくとも兄と妹になった仲だからな。

 キミはどうしてるかって? 元気でやってるさ。元気すぎて困ってるよ。早くも近所のチビどもと仲良くなって、今日もみんなして公園で遊んでいる。うんうん、仲良きことは美しきかな。きっと実の親に会えないでいる不安とかあると思うが、こうして遊んでる時は心底楽しそうに笑ってる。それをベンチで保護者ぶって眺めていると、俺自身どこか救われるような気分になってくるのだ。同世代――に見えるが、実際キミは生後数日だから年上になる――の子供と比べてもキミは三割増しくらい活発だ。つか、今のクソガキもけいどろとかやんのな。さっきから勝間キミ巡査部長が物凄い勢いで泥棒逮捕しまくってる。

「あーんな子供見ながらニヤニヤして、君ってペドなの?」

「あ?」

 どっかで聞いたような声がしたと思ったら、俺の隣に金髪の女が座った。

「綺咲! 制服じゃねぇから誰かと思ったぜ。こんな所で会うなんて運命的な偶然だな」

 それは試験の日、高校へ続く坂道で会ったあの()だった。予想通りといおうか、彼女の私服のセンスはギャル入ってる感じなのであった。手にした紙袋からして、どこかへ何か俺とは無縁な物でも買いに行った帰りなのだろう。もう夕方近いし。木瀬川? 知らん知らん。

 俺が名を呼んだ途端、綺咲は不愉快そうな表情になった。

「いきなり呼び捨て? 私、君に自己紹介した覚えないけど」

「じゃしろよ。俺はもうしたけど」

「やだ」

「やか」

「……ちょっと」

「ん?」

「なにニヤニヤしてんの? きも」

「悪いな。可愛い女見てると頬が緩む(たち)なんだ」

「うわぁ、よくそんなこと言えるねー」

 なんかアレだな、発言だけ抜き出すと辛辣に思えるな。でも綺咲はずっと俺の隣に座ってるし、嫌そうな顔をしたのも一瞬だけだった。からかってるつもりなのかね。

「えと、勝間くんだっけか」

「勝間でいいよ。あいつだってそう呼ぶしな」

 俺たちが話しているのに気付いたキミが大きく手を振った。キミの天使効果で綺咲はぱっと明るい表情になり、小さく手を振り返した。

「ああ、あの子の付き添いってわけ。かわいいじゃん!」

「俺の妹だからな」

 ふーんと言って綺咲は遊ぶ子供たちを眺めた。うん。経験則通り、こういうタイプの女の素の眼差しってのはすげー優しげなんだな。ちなみにキミが泥棒を全員捕まえてしまったので、ゲームは役を入れ替えて再スタートしていた。今度は終わらないんじゃないのか。

「……私、(ゆみ)(なみ)綺咲ね。他に自己紹介することは特にないけど、なんか訊きたい?」

「スリーサイズ」

「トップシークレット」

「だと思ったぜ」

 言っとくが俺は人を見る目はあるんだからな。こういうセクハラじみた発言は冗談と受け取ってくれる女にしかしないから。その辺の判断は神がかって確実だから心配すんなよ。

「あれ? そういえばお前なんでこんなとこにいるんだ? 東中の校区でもないのに」

「なんで私の行動が校区に縛られなきゃいけないの。女の子は忙しいから休み中でもあっちこっち行ってんの。妹のお守りしか用事のない誰かさんとは違いますから」

「余計なお世話だこの野郎キスするぞ」

「この唇は高級だから勝間にはまだ早いの。ていうかさっきから何、私のこと好きなの?」

「でへへへ可愛いからな」

「へーぇ。女の子には見境なくそんな態度なんだ」

 綺咲は思わせぶりに笑うと携帯を取り出した。わ、派手なスマホカバーつけてんなー。

「まことに報告しちゃおっかな?」

「は⁉ まことってお前、あぁ待って! やめてくれよぉん」

 知り合いだったとか不意打ちだろ! 慌てふためく俺を見て綺咲は堪え切れずに笑い出した。キャハハじゃねーよ。初めて会った時はもっとクールな奴なのかと思ったが、意外と表情豊かじゃん。いいね。超いいねぇ。

「ほんと面白いね勝間って。まことがほっとけなかったのも分かる気がする」

「試験の日に会ったのか?」

「同じ教室で受けたから。だから勝間が大遅刻して特別に追試受けたのも知ってるよ」

「は……そりゃどうも」

 女はすぐ噂を広めたがるからな。そうしてみると木瀬川の醜態を誰にも晒してない俺は良心が服着て歩いてるようなもんだわな。あーエライエライ。

「そういえば木瀬川どうしてる?」

「亀三落ちてたらどうしようって不安がってるよ」

「ぶはははっ、やっぱりな。あいつ意外とヘタレだなぁ」

「ね。わかんないんだけどさ、勝間と龍我ってどんな関係? 龍我訊いてもちゃんと答えてくんないし、かといって仲悪いって感じでもなさそうだったし」

「俺の子分みたいなもんだ。あまり公にすると奴の名誉に関わるようだったから、これまでは敢えて黙ってたんだけども」

「またいい加減なこと言ってる……けどあながちウソとも言い切れない! だって龍我があんな歯切れ悪い態度とる相手なんていなかったもん」

 なーんてことを言ってる間にバスが公園前に停まった。なんてこった、もっと話してたかったのによ。綺咲はさっと立ち上がり、尻を手で払う。いい尻だなんて迂闊に言うと巡り巡ってまことにぶっ飛ばされるから口を(つぐ)む。

「んじゃ、私帰るわ!」

「おう次は高校で会おうぜ」

「ふふん、そうなってるといいね。バイバイ勝間!」

 あー、木瀬川にはもったいないな。と、愛らしい笑顔の綺咲に挨拶のつもりで手を挙げて思った。もう俺の胸の内は右にまこと左に綺咲で両手に花の幸福な高校生活の妄想でパンパンに膨らんでいた。膨らんでるのは胸だっつってんだろ!

「ふぅ……さてっと」

 幼児たちの遊びもひと段落したようだ。キミの一人勝ちでな。

「おーいキミー! そろそろ帰るか!」

「うん! みっちゃんくぅちゃんきょうちゃんたいがくんたかお、ばいばい!」

 たかおだけ呼び捨てかよ。大丈夫かたかお。

 子供たちは口々にキミちゃんバイバイ、とかまた遊ぼうね、と言って別れる。あぁ、すっかり溶け込んでるな。けど、ふと考えてしまうのだ。あのチビっ子たちがキミの本当の姿を見たら、いったいどんな反応をするだろうかと。ガキは妙な優しさと包容力がある反面、自分と違う者への反感反発も大きい。二つの要素が頭の中で険しい谷みたいなのを形作ってる。万が一キミが友達の前で天狗の姿になったら、その谷底に落ちてしまうんじゃないか。そうなったとき俺はどうしてやればいいんだろうな? 考えすぎるとドツボにはまりそうだ。

「きょうもぜんぶキミのかちだったよ!」

「そうだなぁ」

「こんどはサッカーするの!」

「サッカー? お前ルール知ってんのか」

「ぴ? よくしらない。タマをけるってきいたよ」

「どうも誤解から悲劇が起こりそうだな……よし、帰ったら教えてやろう」

「やったぁ! カツマとタマける!」

「ははははは……」

 他愛もないやりとりを繰り返しながら、キミと手を繋いで家に帰る。キミの手は、いつもとても温かい。ぬくもりは俺の手をじわじわ伝って、恥ずかしながら心にまで届くのだ。

「カツマみてみて! はね!」

 キミが出し抜けに前方を指差した。

「おっきいはね!」

「ほんとだな……」

 ガードレールの下に、鳶色(とびいろ)をした一枚の大きな羽根が落っこちていた。うん、いや? 一枚じゃない。少し離れた場所に二枚目、自動車の往来が起こす風に飛ばされ道路をさまよう三枚目……。カラスの羽根なんかよりもっと大きいやつだ。

「はねだねぇ」

 拾い上げたその羽根の色は、確かに俺の記憶に刻まれていたものだった。

 嫌な予感がする。

「羽根だな……あいつの」

 俺はとりあえずキミの頭を撫でて、髪をわしゃわしゃかき乱してみた。案の定キミは無邪気に喜んだ。羽根が散乱している以外には周囲に異変は見受けられないな。

「キミ、俺から離れるなよ」

「……うん」

 俺とキミは再び手を固く握り直し、落ちている羽根を辿りながら歩き出した。まぁ考えてみればバカな話で、わざわざ危険に近付いたりせず家に帰ればいいのだが、俺たち二人の好奇心がそれを許してはくれなかった。それに、それにだ。これだけ羽根を散らしているってことは、相手も手負いで弱ってるんじゃないのか?

 羽根の道標は町外れの神社にまで点々と続いていた。神社といっても小さな鳥居、狭い石段の向こうにこぢんまりした境内と祠に毛が生えたような(やしろ)があるだけのものだ。神主もいないから社務所とかも当然ない。好き勝手に伸びた草木が太陽を遮って、ここだけは既に夜に片足を突っ込んでいる。神聖なはずの場所だが、正直言って薄気味悪い。

「おーい、天狗いるかー……」

「なに?」

「キミじゃない」

 とりあえず呼びかけてはみたが返答はなかった。繁みがあるとはいったってあの天狗がそのまま姿を隠せるほどのもんじゃない。となれば、だ。

「ここかっ!」

 俺は本殿の戸を勢いよく引き開けた。罰当たり? 知るかよ。

がたがたごと、建てつけが悪くて上手く滑らなかったが、それでも半分くらいの隙間はできた。そうして、俺たちは仰天した。いや、予想はしてても実際いたらびっくりするって。

 そう。

 社殿には一昨日俺やキミを襲ったあの烏天狗が、ぼろぼろに傷ついた体を横たえていた。

「お、お前は……」

 天狗は息も絶え絶えに言って、三白眼で俺を睨んだ。怖がったキミは俺の脚の後ろに身を隠している。ああそうだ、この神社の御神体ってのは丸い石だったらしい。天狗が寝てる向こうに注連縄張られて鎮座ましましてるぜ。

「ははっ、なるほどなあ。俺のパンチがよほど応えたみたいだな」

 俺はまた羽根を拾い上げると、それをくるくる回して(もてあそ)びながら嘲笑した。

 こいつがここまでのダメージを負ってるとは予想外だった。ひとまず姿を消したはいいが、それも維持できなくなって神社に逃げ込んだのか。ということは杉山僧正の杖術は敵を仕留める寸前までいってたんだな。ちくしょうめ、それはそれでなんか悔しいぞ。

「おのれっ」

 どん、と天狗の拳が腐りかけの床を叩いた。

「……俺もここまでか」

「なんだと?」

「まっ、まさか人間ごときの手で最期を迎えようとは。構わぬ……ぐっ……()れ!」

 この時の俺ときたら、それはもう写真に撮って漫画家志望者にでも渡せば表情のお手本として大いに喜ばれたろうなってくらいに典型的で分かりやすい呆れ顔だったと思う。

「やるなら……ごほっ、やるならその石で一思いに葬るがいい。辱しめられるは、屈辱だ」

 こういうの萎えるよな。だから俺ははっきり言ってやった。

「行けよ」

「なに……⁉」

 天狗は俺の言葉が理解できなかったようだから、もう一度。

「行けっつってんだろ。俺の愛情深さナメんな。なんもかんも諦めた相手のドタマ石でかち割るような鬼畜じゃねーんだよ言わせんな」

 おーぅ、震えが来たぜ。この状況でこの相手にこんなことを言える俺のカッコよさは人並じゃねぇな。くうぅ。綺咲が居合わせてたら完全に俺に乗り換えてたなこりゃ。

「ただし条件がある。今後一切キミや俺の知り合いの人間に手を出すな。そうすりゃ、あとはどこで何をしようが知るか。また杉山のおっさんとやりあって、今度こそ討死すりゃいい」

 俺は横に下がって退路を開けてやった。

 悪天狗は何がなんだかわからない様子だったが、とにかく命を長らえるチャンスを得たということだけは飲み込んだようだった。

「後悔しても知らぬぞ……!」

 ふらつく足をどうにか立たせ、天狗は社から転び出た。

「ふん、俺を後悔させたらお前をもっと後悔させてやらあ」

 天狗は俺に一瞥をくれて傷だらけの翼を広げた。随分と羽根は抜け落ちたが力強いはばたきは健在だ。すぐに離陸して、あの悪党は夕方の雲間に消えていった。

「あばよ――」

 ふわりふわり、別れを惜しんで羽毛が舞い落ちてくる。

 顔の前にきたそれを、俺はふっと吹き飛ばしてやった。

「けんかしなかったねぇ」

 キミの口調は穏やかだった。

「争うばかりが能じゃないってな。いいかキミ、男の価値を決めるのは優しさと厳しさの使い分けだ。女だって同じだぞ? 信念を大事にしなくちゃな」

 帰るぞ――とキミの髪と肩にかかった羽毛を払い、手を繋いで石段を降りた。


     *


 俺はどことも知れない山の中の集落の住人だった。

 藁葺屋根の家があって、山と草木は青々と、野兎や鹿が歩いていたりする。

 川の(はた)には水車小屋。流れる雲の下には段々畑。古い、平和な集落だ。

 そこに暮らしているのは人ではなく、天狗たちだった。男も女も和服で顔には嘴がある。長老らしき老天狗ほか一部だけがいわゆる鼻高天狗で、あの冗談みたいな長い鼻を持つ怪人だった。そう、ここは人里離れた天狗の村だ。たぶん俺も一般ピープルの烏天狗なんだろう。

 天狗の若い男たちは鼻高たちの教えの下で日々修行に励んでいた。

 剣術、呪術、飛行術。仲間同士で技を競い、切磋琢磨して成長していく。

 それは俺も例外ではなかった。俺は必死で強くなろうとした。村一番の天狗になりたかったんだ。朝から晩まで棒きれ握って、天も地もなく技に磨きをかけた。

 だけど俺には越えられない壁があった。どうしても倒せない相手がいたのだ。

 そいつこそ村一番の使い手で、長老たちからの信頼も篤い、前途有望な若い天狗だった。そいつにだけは何をやっても勝てなかった。

 悔しかった。

 そいつには恋仲の女天狗がいた。もっと修行を積んで立派な天狗になったら、いずれは()(おと)になるというのがそいつの夢であり、口癖だった。

 妬ましかった。

 何より辛かったのは、その娘が俺の恋い焦がれる相手だったことだ。どんな言葉をかけても、その娘は俺には振り向かなかった。一度、どうしてそんなにあいつが好きなんだと訊いたことがある。

 あのひとはとても強いから――。

 彼女はそう答えて恥じらい俯いた。

 その後あいつに勝負を挑み、俺はまた負けた。なるほど、強い。俺には到底敵わない。

 力が。力が欲しい!

 今のやり方では、この山にいる師から学ぶだけでは、天賦の才を持つあいつを超えられない。

 だから故郷を離れて、俺はあちこちの山に飛んだ。富士、(あき)()(ひた)()、高尾、(いつく)(しま)(きか)(いが)(しま)、果ては大陸にまで旅をして、俺の力を最大限に開花させてくれる師匠を探し求めた。

 こうするうちに何十年が経っただろう。長い寿命を持つ天狗にとっては、大して長い期間ではなかったかもしれない。それでも数多くの修行で俺は計り知れないほど強くなったと確信していた。実際あの小さな山の村にいた頃の数倍の力を身に着け、俺はそれなりに名を知られた妖怪になっていた。

 ()(えん)天狗の(せき)(りん)(ぼう)

 堂々たる名を引っ提げて、俺はあの山に帰還した。そして今や若き師となったあの宿敵に、もう何度目か分からない決闘を挑んだ。

 そして、俺は勝った!

 奴を叩きのめした! 完膚なきまでにな!

 俺の炎に翼を焦がされ、奴は無様に地に転がった。天から降りた俺は勝ち誇り高笑いした。

 遂に俺はこいつを超えた。もう全て俺の思うがまま、あの女の心とて俺に靡く――。

 だが、現実は違った。

 女が駆け寄ったのは俺ではなく、傷を負い虫の息となった夫だった。

 ――なぜここまで痛めつけるの。この悪魔!

 その瞬間、俺は天狗道よりなお深き魔の奈落に落ち込んだ。

 長老どもも、奴の教え子も一様に慄然として、ひとりとして俺を褒め称えなかった。

 なぜだ! なぜ俺を選ばない?

 俺の居場所など()うになくなっていたというのか。

 涙に濡れた女の睫毛が俺に向くことはない。激しい夕立が俺を追い立てた。

 轟く雷鳴が風を浴びて飛ぶ俺の頭を揺るがし、天啓を与えた。

 俺にはまだ力が足りない。

 (あた)()の太郎坊も、(くら)()(そう)(じょう)(ぼう)も!

 あらゆる大天狗を上回る力を手に入れ、俺は魔王として天狗界に君臨せねばならん。どんな手を使ってでもな。そうすれば俺に平伏しない者はいなくなる。誰もが俺を恐れるだけではなくなる。皆から敬い讃えられ、俺はその生殺与奪を握る!

 はははははは!

 そうだ。(じゃ)(まん)こそ天狗の神髄!

 俺は()(えん)の赤燐坊だ‼


     *


 うああぁ。眠りは浅いのに寝過ぎた後みたいに頭が痛ぇ。

「カツマおそよう! もう九時だよ!」

「あぁ、キミ、九時はまだおはようでいい」

 天狗とのやりとりが余程アタマに鮮烈に刻まれてたのか、昨夜(ゆうべ)は変にリアルな夢を見たせいでよく眠った気がしなかった。といっても、どんな夢だったかはもうほとんど記憶から抜け落ちてるんだが。夢あるあるだな。うーんと、確か俺が天狗だったってバカな話だったんだよ。

「ぃよしっ」

 寝惚け眼で跳ね起きて、跳ねてる髪は撫でつけて、キミと一緒に朝飯を食う。楽しい希望の朝である。そして向かったのはまことの家だ。

 なんでかって? おいおいもう忘れたのか? 今日は俺とまことのデー……じゃないけど、一緒にキミの服とか買いに行くって話だったじゃんかよ。

「まことーしゅー! きたよー!」

 キミが元気よく呼ぶと、エプロンを着けた秀羽さんがドアを開け迎えてくれた。

「やあ秀羽さん。素敵なエプロン姿だ」

「あら高司くん、朝からお世辞が上手いわね。キミちゃんもいらっしゃい。待っててね、まことまだ着替えてるみたいだから」

「じゃ、一服させてもらいますかねっと」

 俺はごくナチュラルに雛倉家に上がり込む。まぁ別荘みたいなもんだからな。といって、実はもう五年ぐらい二階にあるまことの部屋には上がったことがないのだが。年頃だからな、花も恥じらうから俺なんか部屋に入れられないんだよなぁ。いつか入ってやるけどな。

 リビングの掛け時計の銀色の振り子が揺れ動くのをぼんやり眺めてまことを待つ。

 特に誰からも話しかけられないでこの空間にいると、こないだここでハンバーグを食ったのを思い出す。更に遡って、玄関先での秀羽さんの言葉を――。

「秀羽さん、杉山のおっさんとはどんな関係なんだ?」

「えっ」

「……ん?」

 テーブルを拭く手が止まった秀羽さんは、思わぬ質問に動揺を隠せないふうだった。俺も混乱した。なんでこんな質問が口を衝いて出たんだろう?

 気まずくなっちゃいけないと思い、笑ってごまかす。

「はははは……いや、忘れてくれていいよ。なんでもないんだ」

「そう……」

 間もなくしてまことが階段を足早に降りてきた。白いジャケットと水色のフレアスカート……うぅん。天使過ぎるな。俺がにっと笑うと、まことは驚きつつも笑い返してくれる。あへぇ、癒し過ぎるな。

「もう来てたんだ。高司のことだから三十分は遅刻すると思ってたのに」

「キミに起こされちまってよ」

「さっすがキミちゃん」

 オレンジジュースを飲んでいたキミも俺みたいに笑ってピースサイン。

「それじゃキミちゃん行こっか、あと高司も」

「俺はオマケか!」

 はい。

 こういうツッコミは無視されるんだよな。いいよ別に。へっ。

「ねぇ高司くん」

 玄関に向かうまこととキミに続こうとした時、不意に秀羽さんが俺だけを呼んだ。

「え、なに?」

「あのね」

 秀羽さんが目にかかる前髪をかき上げた。言うまでもなく、俺はそのフェミニン度上限大突破のしぐさに心がグラついた。なんだなんだ、え?

「秘密のお話、しない……?」

「いや、でも俺まことと……」

「旦那、今夜には出張から戻るから」

 もうダメだ陥落ぅー! 足が床に根を張った。

「します! しますとも是非させてください。まことぉ! 悪いが俺は急用ができた!」

 そんなわけで、俺と秀羽さんは雛倉家で二人きりとなった。

 こりゃあ俺の童貞喪失も間近だぁッ!


「私の旧姓、知ってる?」

 振り子の微かな音だけが聞こえるリビングで、何かを覚悟した秀羽さんはこう切り出した。

「いや、知らないけど」

 俺はそう答えてアイスティーを一口飲むよりなかった。なんか、やけに緊張するな。

「私ね、(よし)(ゆき)と結婚する前はね」

 あぁ、喜幸ってのは秀羽さんの旦那でまことの親父だ。なかなか人のできた男でな……この話はまた今度にしよう。しかし人妻なんてねーわと思ってたが大アリじゃないですかこれはぁ。そろそろハグとかきちゃうんじゃないのこれぇ? でへへ。

「杉山秀羽っていったの」

「……なんですと?」

 なんか思ってたのと雰囲気違ってきたぞ……?

「母親――まことからみればお()()ちゃんの名前はうら。杉山うら。なんだか古めかしい響きでしょ?」

 いつかまことから聞いた覚えがある。お祖母ちゃんは私が六歳の頃に亡くなったんだ、って。

「それでね、私の父親は」

「ちょっと待ってくれよ」

「杉山僧正だったわ。高司くんも知ってる、岩間山の天狗の首領よ」

「あぁ――」

 嘘だろ?

 気が遠くなった。これを衝撃の事実といわずして、何をそれというべきか。秀羽さんが天狗の娘? それじゃあまことも天狗の、あの杉山のおっさんの孫娘ってことじゃねぇか! 天狗クォーターだなんて洒落にもなんねぇよ。

「だけど私はあのひとを父親だなんて思ってない。杉山僧正は私たちを捨てたんだから」

 静かだが強い気迫の籠る声だった。それは積年の憤りというものだろう。俺は驚きもそのままに、秀羽さんが語る秘密の過去に耳を傾けざるを得なかった。

「なぁ、あのおっさんとの間に何があったんだよ」

「母さんは、(やま)(あい)のとある村の百姓の娘だったわ。それが、諸国を飛び巡る最中の杉山僧正と偶然出会った。そして私が生まれた。私の背中には羽が生えてたわ。今なら天使とでも呼んでもらえるのかも知れないけど……鳶みたいな茶色の羽を生やして生まれたの」

 秀羽。多少読みづらい名が持つ意味に気がついて、俺は溜息を漏らしてしまった。

「しかも私は表向き(てて)無し子だった。それもそのはず、あのひとが家を訪ねてくるのはいつも、誰も知らないほんの少しの時間だったから。父親らしいことをする暇もない。事情を知らない村の人は色んな噂をしてたわ。でも母さんは私を抱きしめて、黙ってそれに耐えていた。二人だけで暮らしたのは、粗末な小屋のような家だった」

 隙間風の吹き込む古屋、ボロを着て、(ともしび)もなく、身を寄せ合って暮らす美しいが貧しい母娘。頭の中のスクリーンにフィルムが映写されているように、ありありとセピアの情景が浮かんでいた。

 だけど、この想像はおかしいだろ。

「母さんとあのひとが夫婦でいたの期間は束の間。私が村で暮らしたのも、物心つくまでの僅かな年数だった」

 その間に何かがあったらしいわと秀羽さんは憮然として言う。

「別れねばならぬ時が来た――あのひとは真夜中にいきなりやってきて言ったのよ。それを聞いた母さんは泣いていた。でも嫌とは言わなかった」

 すん、と秀羽さんは鼻を啜った。俺は、情けないことに何も言えなかった。

「ねぇ、あのひと最後になんて言ったと思う?」

「いや……」

 想像もつかない。俺はそんな別れなんて経験したこともないんだ。

「今後いかなる災厄がふりかかるか分からない。全ては儂の責めに帰するところだ。今後は人か、あるいは(まが)(もの)がそなたらの身に傷を及ぼそうとしても、儂は傍で守ってやれぬ。ゆえに、そなたたちを未来に生かすため、その命を貰い受ける――」

「なんだって?」

 やけに口が渇きやがる。何度もコップに手をやっている。

「ふっ、それから私たちが何をされたのか、実はよく知らないの。息が詰まるような苦しさの中眠りに落ちて……次に目が覚めたのは山の中。私と母さんは痩せ細って骨と皮だけみたいな恰好だった。背中の羽はなくなっていた。服はなくて、少し温もりのある布が一枚かけられてるだけだった。わけもわからず必死に山を降りてみたら、見たこともない鉄の乗り物が行き交ってて、遠くには不思議な建物が沢山あった。今思うと笑っちゃうんだけど、あの時、私は頭がおかしくなったんだと思ったなぁ」

 さっと瞳に影が差した。

「私たち親子は一度死んで、天狗の秘術で百年以上未来の世界に蘇ったのよ」

 そんなのってありかよ。あいつが、秀羽さんを殺してた? しかもその後に蘇らせて、今俺と話してる秀羽さんにしたってのか? 途方もない深淵を覗いた気分になった。

「……それから、あのひとの弟子だっていう男の人に案内されて、私たちは新しい生活を始めたの。戸籍を作ってもらって、杉山うらと杉山秀羽を名乗ってね」

 信じられないが真実だ。こんな嘘があるもんか。

「生かすためだなんて(てい)のいいこと言って、あのひとは私たちを未来に捨てたのよ」

 腹の底からふつふつと、ある感情が湧き出していた。首筋あたりがちりちり熱くなる。

「あんなのは父親じゃない。私には父親なんていないしいらないんだって、そう思いながら大人になった。それでいいの。でも、せめて母さんの最期だけは看取って欲しかった……母さんは一度だってあのひとのこと悪く言ったりしなかったから。でも来るはずもなかったわ。なのに今更何を言いに来たのかと思ったら、キミちゃんを返せだなんて。どの口が言うのよって感じよね」

 そうだ。何様のつもりだ。

「ふぅ、今の話はまことと喜幸にも黙ってきたこと。つまり私と高司くんだけの秘密。いい?」

「あぁ」

 俺は上の空で頷いた。くそ――。

 紅茶を飲み干し、口に含んだ氷を噛み砕いてようやく気付いた。

 怒りだ! もう抑えられない。

「ごめんね辛気臭い話しちゃって。でもこの時代に生まれ変われたからこそ今の幸せがあるし、他の人よりお肌にハリがあるのは天狗の血のおかげみたいだから、そこは感謝しなきゃね……って、高司くん?」

 俺は勢いに任せて席を立っていた。コップが()けて紅茶が零れたが、そんなことは気にしてられなかった。秀羽さんが呼び止めるのも耳に入らねぇ。俺は雛倉家を飛び出していた。


「くそっ! くそくそくそ!」

 まこととの思い出が余計な色で別な絵に描き変えられた気分だ!

 雲だけがごろごろと唸る晴天の下、俺は当てもなく走り続けた。

「杉山ァァァァァ‼」

 歯止めが効かなくなって空に叫んだ。

「聞こえてるなら出てきやがれ‼ 杉山僧正‼」

 悔しいのか、ムカついてるのか、なんかもう説明できないけど、俺はあの偉そうなヒゲ伸ばした天狗の親父をぶちのめさなきゃならないと思った。義憤に駆られたって言いてぇけど、多分私憤だ。それだけに、やっぱり収まりがつかない。

 喉が傷むほど無茶な叫び方をした。何度呼んでも世界は変わりそうにない。

 天狗どもに言われたことが矢継ぎ早に思い出されて苛立ちを倍加させる。

 ――やはり人間は大したことないな。

 ――お前は井の中の蛙だと言うておる。

 ――身の程知らずの人間め!

 ――この悪魔!


「ッざけんなバカヤロォォォ‼」

 

 その時、曲がり角から出し抜けに、しかし悠然と黒い人影が現れた。

「誰が馬鹿だと?」

「す、杉山僧正!」

「ひどく念の籠った声が聞こえたゆえ、来た」

 どんぐり眼で俺をじろりと睨む杉山僧正、声を聞きつけやって来たはいいが、俺が何を知ったのかまでは悟っていない。いいぜ。だったら教えてやる。

「全部聞いたぞ! お前も親失格の無責任野郎だったんだな!」

「なに」

「秀羽さんはお前に捨てられたと思ってる。お前なんか父親じゃないって!」

「秀羽が……いや、それもやむなし」

 表情を変えず杉山は言った。ふざけんなよ!

 俺は思うまま捲し立てた。

「見損なったぜ。見かけによらず強ぇしちょっとは話の分かる奴かと思ってたのに! お前、秀羽さんとまともにツラ突き合わせたの百年以上ぶりじゃなかったのか⁉ 忘れてたとは言わせねぇ。あんなそっけないやりとりで済ませていいわけねぇだろ! それとも何か、人間との間に生まれた子なんて娘とは呼べないのか? だったら秀羽さんの母親は嫁でもなけりゃまことだって孫娘でもねぇってか! どういうつもりだコラ! 縁を切った気でいんのか? そもそもただの遊びだったのか? どうせそうなんだろうさ、お偉い天狗様が百姓の娘に手を出す理由なんてそれくらいのもんだ! 上の鼻だけじゃなく下の鼻も大層ご立派なこったな!」

「馬鹿者!」

「おっ……」

 初めて杉山僧正が語気を荒らげたせいで、俺は()()されて黙ってしまった。天狗の顔には苦渋の色が差している。それは多分、男にも父親にもなりきれない顔だった。

「うらと秀羽にどう思われようと構わぬ……だが儂はあの者たちを捨てたかったわけでもなければ、片時も忘れたこととてない。そして儂は」

 杉山僧正は。

「全て言い訳にしかならぬことも承知しておる」

 くるりと背を向け走り去っていった。

 え?

「おぉぉぉい‼ 逃げんな‼」

 ちくしょおぉ!

 どいつもこいつも逃げ足は抜群に速ェな天狗って連中はよ!

 背中をひっつかんで投げ飛ばしてやろうと思って伸ばした手も空を掻くばかり。だけど逃がさねぇぞ。なんだかんだで俺は執念深く敵と認めた相手を追い詰める男だからな!

 杉山は何かタップでも踏むように、妙にリズミカルな走り方で俺をおちょくっている。そんなことしてると――すぐに――追いつくぞッ!

「つかまえたッ‼」

 男同士の最悪な追いかけっこは俺の勝利で幕を閉じるはずだった。かつん、と下駄の歯が地面を打ったのはそれきりで、次の瞬間には信じられないことが起こった。

 視界が太陽と睨み合ったみたいに真っ白になった。かと思ったらすぐ真っ暗に。なんだ⁈

 で、突然の無重力感。次にあの烏天狗に強制スカイダイビングさせられた時と同じような風を感じ、三段階目には全身が猛烈な水流に――それもとびきり冷たいやつに飲み込まれた! プール前のシャワーかよ⁉

 全部、正確に測ったなら十秒にも満たない間の出来事だったと思う。

 頭から爪先に駆け抜ける重い冷感の衝撃に耐えながら、俺は天狗の背中に組みついていた。一発ぐらい殴らなきゃ帰れないし、何より今この手を放すと激流に流されて死にそうだ。

「ぷあっ」

 息苦しさが解けた。加えて、今度は水流と逆方向に風が吹き抜けた。

 つまり俺は、また落ちた。

 けど今回はそう高い場所にいたんじゃなさそうだ。せいぜい二メートルあたりの高さから、杉山僧正諸共に柔らかい地面へ落ちた。すとーんってな。

 新鮮な空気が俺の肺にどっと入ってきて生き返る心地だ。それはいいんだが……ここはどこだ? いつのまにか俺は見たこともない場所に連れてこられていた。

 ここは……どこかの山の中だ。草深い谷のような場所に俺たちはいる。白や黄色の小さな花が足元に、眼前には俺たちが潜り抜けてきたらしい清らかな滝があった。

 だいたい理解したぜ。天狗はワープもできるみたいだな。

「なんと無茶な真似を……」

 杉山が杖を突き、片手で腰を擦りながら起き上がった。

 滝でクールダウンしたのは一瞬。俺の心にはまた怒りの火が点いた。

「野郎ォォォ!」

 大きく振りかぶって殴りかかる。咄嗟の攻撃も小癪な杉山は難なく躱して、俺の背後に回った。まだまだ! 前から後ろ、右から左へ、俺はふらふら避け回る天狗をパンチで狙った。

 けどよ! 全然あたらねぇ!

「よけんな! かかってこい杉山僧正!」

 足に絡まる草を蹴散らして吠える。無尽蔵の怒りのエネルギーが俺を強くする!

「こないならこうだッ!」

 俺は高く跳び上がり、もう一度杉山に組みついた。だがそれもほんの少しの間、俺は杉山に巴投げをかけられて叢の中を転がった。

「ごああああ!」

 くそっ、変な叫び声出ちまったじゃねぇかよ。もう許さねぇ。絶対許さねぇ!

「俺はなぁ! 今後まことと触れ合う度にお前のむさいツラ思い出すことになっちまったんだ! お前みたいなのがあいつの祖父さんだなんて……まことは何も知らずに今まで生きてきたんだぞ! 秀羽さんは何も話せず娘を育ててきたんだこの野郎! ええ!」

 狂犬みたいに飛びかかる俺を、クソオヤジは杖で軽くいなす。

「やめよ。無為だ」

 草まみれの俺と対峙する杉山僧正。その佇まいが憎くて憎くて仕方がない。

「ふざけんじゃねぇ。お前がいたから秀羽さんやまことがいるなんて、そんなの俺は認めねぇ! 子供見捨てて去っていったクズが俺たちやキミに関わるな! キミは……そうだ、あの裸子は、あの女が産んだ、憎きあいつの娘……!」

 首筋から登った熱が頭をパンパンに膨張させる。

 俺は、俺は――。

「あああああっ‼ おのれ杉山僧正、今度こそその面叩き割ってくれる‼」

 俺とも思えない台詞が口から飛び出した。

 気付けば俺の手には長い白骨が握られていた。

「おおお‼」

 俺の(ここ)()に同調して骨が火炎を纏った。

 それを目にした杉山僧正は遂に戦う決意を固めて、杖を握り直して木刀とした。

 やっとまともに戦う時が来たか! 俺はまっしぐらに天狗の懐に駆け寄り骨の棍棒を振るう! 俺のホネ捌きの上手さナメんなよ!

「おらあぁぁぁ‼」

 骨から放射した火が草を焼く。くすんだ黄緑の煙に燻されながら俺たちは鍔迫り合いを続けた。脇腹に蹴りを入れたが杉山はびくともしない。それどころか瞳からはますます気迫が溢れてきている。まだまだ本気じゃないってことか?

 ……殺してやる!

「死ね杉山あッ!」

 骨の先から噴いた炎が杉山僧正の体を舐めた。だが、その熱さえ奴にダメージを与えられはしなかった。しかも俺はカウンターの一撃を喰らって不覚にも倒れてしまった。ここから杉山僧正が猛攻をかける。杖の素早い乱打はその半分を受け止めるのが精一杯だった。

「魅入られたか未熟者!」

「なんだと⁉ このっ!」

 しまった! 顔めがけて骨を突き出したところ、手首を杉山僧正に掴まれちまった。

「なぜ(いか)る」

「うるせぇ‼」

 だが杉山僧正は俺と目を合わせて続けた。

「誰のため動いておる。己が何者か忘れたか!」

「なんだと……⁈」

 俺はいつだって俺のために……俺は。

 俺が誰かだって? 笑わせるな杉山僧正。お前が知らぬはずはない。俺は貴様の弟子にして貴様を(ほろ)ぼす者、魔縁の赤燐坊ではないか‼

「はッ……違うッ‼」

 なんなんだ、どういうことだ?

 言われて初めて、俺の中に別の意思が紛れ込んでいることをはっきり認識した。

「俺は、俺は天狗なんかじゃない……」

 そうだよ。今日の俺はおかしかった。突然このおっさんと秀羽さんの関係を聞き出す気になるなんて全然俺らしくなかった。秀羽さんの過去を聞きたがってたのは、本当は俺自身じゃなかったんだ!

 正体の分からない衝動がまた俺を動かした。振り下ろした骨は横に向けた杖に受け止められ、陶器みたいに割れ砕ける。火の粉が四散して空に舞い上がった。

「俺は! うああぁ‼」

 どうしてこんな肝心な時に名前が出てこない!

「目を覚ませ、カツマ!」

 カツマ――。

「そうだ! 俺は勝間! 勝間高司だああっ」

「よく言った!」

 名を叫んだ途端、杉山僧正は俺を張り倒して俯せにすると、腰に乗りかかって首根っこを押さえつけた。

「ぐわっ⁉ なにすんだバカ!」

「じっとしておれ」

 ビリッ。

 と、首筋に貼りついていた何かを毟られた。途端に俺は脱力して、燃えカスみたいに意気消沈した。怒りと憎しみが剥ぎ取られたんだ。もう真っ白。

 山の夕立だろうか、ぽつぽつと降り出した雨はすぐ土砂降りになって、俺が燃やした叢を潤した。俺の上からどいた杉山のおっさんは、小さな羽毛を摘んでいた。

「赤燐坊に会ったのだな」

「……ああ」

「これはな、奴の羽根だ」

「それを俺にはっつけて操り人形にしたってわけか。へへ……ザマぁねぇや」

 灰色の水溜りの中で俺は自嘲した。赤燐坊とかいう恩知らずは、俺をコントロールする過程で、自分自身が抱く憎悪や嫉妬の念まで俺に移していた。若い頃の記憶と一緒にな。

「キミは赤燐坊が惚れた女の子供だったんだな」

「そして夫も赤燐坊と同郷。だが、あの者は今や出羽のとある山を守護する天狗となっておる」

 俺が夢で見た光景。あの頃からまた出世したんだな。一国一城の主になって、ようやく子供を設けたんだ。赤燐坊はどうしてもそれが許せなかったに違いない。

「いま、あの夫婦には山の主として欠かせぬ勤めがあるのだ。我が子が攫われたとあっても放り出すことはできん。厄介なことに、多くの天狗は種々の苦しみを抱えておるものだ。大きな力を持った代償とでもいうべきものだな」

「……あんたもそうだったか」

「語るつもりはない」

「俺も聞きたくねーよ」

「そうか」

 気付けば雨の勢いは弱まっていた。ほんのにわか雨だったみたいだ。

 杉山僧正は濡れた地面に腰を下ろした。尻が濡れるぞ、なんて忠告は不要だろう。

 しばらく、二人揃って滝を眺めた。

 俺はおっさんが何か言うのを待っていた。同時に、秀羽さんが話してくれたことについて、改めて自分の目線で考え直そうともしてみた。

「ま、こと」

「あ?」

「……まこと、というのか。あの子は」

 杉山僧正を見やると、そこには威厳ある天狗の頭領ではなく、父親になれなかったひとりの情けない年寄りがいた。なんだよ、あんたも化けるんだな。

「あぁそうさ。雛倉まこと。なんも知らない孫娘だよ」

「雛倉……雛倉秀羽」

「雛倉喜幸っていい男の嫁になったんだよ、あんたの娘は。で、まことが生まれた。因みにまことは俺に惚れてるから。残念なことにお前と親戚になる日も遠くないかもな」

 俺の軽口は聞こえなかったらしい。杉山はどことなく寂しそうに滝の流れを見つめていた。

「……他にも訊きたいことはあるんだろうがよ」

「ほう、心が読めるか」

「バカ言え。他人の心なんて分かるもんか。想像するだけだ。で、その想像は確実に当たってるだろうが、俺はまだ何も言わない。せめて自分から訊いてこい。それが責任ってもんだろ」

 おっさんの顔が俺に向いた。お前なんかに見られたって少しも嬉しくねーぞおい。

「うらはどうした」

「死んだってさ。もうすぐ十年になる」

「……そうであったか」

 素直じゃない奴だ。俺があんたならそんな乾いた演技はできねぇぜ。

「うらというのはな、()(おなご)であった。あの者と接するときだけ、儂は己が何者か忘れた。それが過ちじゃった」

 懺悔でも始めるつもりかい、おっさん。俺はそんなもの聞く立場にはいないんだがな。けど、止めはしない。誰にも言えなかったなら俺に言えや。ただし手短に。

「儂との契りはうらを苦しめた。儂の娘となれば、秀羽の身も幾多の危難に晒されるであろうと思われた。憎まれても、恐れられても、あの二人だけはどうあっても守りたかった。一たび命を絶つことになろうとも、人としての生を全うさせてやりたいと……あの時の儂には縁を切るという方法しかとれなんだ。岩間十三天狗首領、一生の不覚だ」

「そこらでやめとけよ。今更何言ったって言い訳でしかないだろ。気持ちが暗くなるだけだぜ」

 ここで俺はひとつ、このおっさんにいいことを教えてやる気になった。気持ち声のトーンを明るくして、問う。

「旧姓、知ってるか」

「なに――」

「秀羽さんが結婚する前の名字。つまり現代でうらさんが名乗った姓だ」

 杉山僧正は答えないだろうから、すぐ答えを言ってやる。

「杉山だよ」

 これ以上ないほどに、老天狗の目が大きく見開かれた。

「うらさんって人は、ははっ、まぁ俺は会ったことないけどよ、死ぬまであんたの嫁さんだった。おっさんがうらさんにとってどんな男だったか、それだけで充分表れてんだろ」

「……そう、か」

「おおっとしみったれるな。夫としては合格でも、お前は父親失格だ」

 しんみりさせるだけなんてのは癪だから、俺は余計な一言と共に立った。

「今後はあんまり俺に偉そうな口を利かないことだな」

「なぜだ」

「なぜだってお前、俺は弱みを握ったんだぜ? やい子煩悩、どうせその様子じゃあ娘のことは天狗仲間とかにも言ってないんだろう。言えるわきゃねぇな、隠し子だ隠し子」

「待たんか、おかしな考えを起こすな」

「へっへーん。じゃ俺の要望は飲んで貰わないとな。キミの親と俺が直接会う機会を作れ。でなけりゃ誰に何を吹き込むか分かったもんじゃないぜ? まだお前の正体を知らない孫娘にもマイナスイメージ植えつけちゃおっかなー」

「やめんか馬鹿者! いや……馬鹿者はなしだ。ともかく儂らに関わることは内密にせよ」

「ふん、どうすっかな。すぐにとは言わないからいい返事を待ってるぜ」

「おのれ……黙っておくべきであったか」

 ふははは後悔先に立たず。俺の交渉術をナメてもらっちゃ困るぜ。

「さ、早いとこ亀野守に帰してくれ。ここはどこなんだ?」

「我が(すま)()なる山の(せん)(きょう)だ」

 まあそう焦るなと言いながらおっさんも立つ。

「なんだ? 引き止めたりして。茶の一杯でも出すんだろうな」

「よかろう。ついてこい」

「冗談なんだけどな……」

 くれるってもんを固辞しなくてもいいか。俺はおっさんについて山の奥へ分け入った。こいつ、普段こんな山奥で暮らしてるのか? コンビニ行くにも何時間もかかりそうだぞ。つか、徒歩じゃ下山できないような険しい岩場が見え隠れするんですけども。

 五分くらい歩いただろうか? 急に視界が(ひら)けた。こんな所に平原がある。その先には柵で囲われた集落ができてる。疎らに建ってる小屋みたいなのは、夢で見た赤燐坊の故郷よりも前近代的な造りだ。外には何人か村人らしき奴らがいる。時代劇に出てくる農家の若い衆みたいな恰好だ。要するにみんなボロ着てる。とんだ貧乏村だぜ。たぶんこいつらは人間じゃない。見た目は人間そのものだが、きっと杉山僧正と同族だ。

「杉山僧正様、お帰りなさいませ!」

 村人Aみたいな感じの男がハキハキと言う。そしてわざとらしく俺を見やって、こちらはどなた様ですか、なんて言う。

「俺は勝間高司様だ。このおっさんより偉いからヨロシク」

「は……? はあ、あの」

「よい。追って説明する」

 おっさんは事情を話す代わりに赤燐坊の羽毛を男に手渡した。

「これはいかなる術か考えてみよ。カツマ、来い」

 あれ、お前までカツマ呼ばわりかよおっさん! いいけど!

 俺はおっさんに誘われて、村の果てにある庵に行き着いた。藁葺屋根のしみったれた粗末な建物だが、この村の中では上等な方かも。中の板間はやっぱり薄暗くて、藁の円い座布団みたいなのが無造作においてあるだけだった。

 茶が出る気配はないな、うん。

 と思ってたら、茶托に載った湯呑茶碗がふわふわ浮いて俺のとこまで漂ってきやがんの。なんだこれ。一口飲んでみる。渋い。そしてぬるい。なんだこれ。

「ここは儂らの村だ。人間には出入りできぬ」

「ところが特別な存在である俺様にはお越しいただきました、と」

 ぎし、ぎし、ぎゅうぅぅ。ここ築何年だ? 一歩進むたびに床板が(たわ)むんだが。間違えて踏み抜いても弁償なんか知ったこっちゃないぞ。湯呑は俺の後をついてくる。ふふふふ、ちょっと面白くなってくるじゃねぇか。

「そも、天狗とは何か!」

 俺の困惑なんぞどこ吹く風、天狗のおっさんは珍妙な語りを開始した。これ俺黙って聞かなきゃダメなパターン? え?

「『日本書紀』の(じょ)(めい)天皇九年には空を(アマツ)(キツネ)すなわち(てん)()が駆けたと記されておる。それは流星とも(つち)(いかづち)ともとれる有様のものであったという。なれば天狗とは流星か?」

「お前みたいな汚い流れ星はねーよ」

「人が天狗と聞いて思い浮かべるのは深山幽谷に住まう赤ら顔の鼻高山伏であろう。あるいは鳥の頭に人の体の烏天狗」

 まぁそうだろうな。俺が見てきたのもそんな奴らだし。

「しかし、天狗とはそれだけではない。鼻高、(きん)(とび)、あるいは(はく)(ろう)。山だけでなく川、磯、海にも天狗はおる。そして人と変わりなき姿の者もあれば、形を持たぬ者もある。男も女も、名を持つ者も持たぬ者も。卵より産まれ出づる者がおる一方で、人間から天狗に変わる者もおる。()(とく)(いん)(かく)(かい)(どう)(しょう)(さん)(じゃく)(ぼう)……例を挙げればきりがない」

「人間が天狗になる?」

 そりゃ調子こいて鼻高々になってるって意味……じゃないよな。リアルにこいつみたいな超能力の持ち主になったって話か。そうなんだろう。

「詳しく説き明かすのは別の機会に譲るが、いずれ天狗は人間から恐れられ魔怪であり、また崇められる神仙ともいえよう」

 恐れられ、崇められる。胸を打つフレーズだ。

「カツマよ、力が欲しいとは思わなんだか」

「力……欲しいさ」

 俺が天狗と戦って納得いく勝利を収めたのは、最初のポンコツ兄弟だけだ。それもギリギリの勝利。根拠はないけど俺は絶対的な勝者だと信じてたのに。こいつらと出会わなけりゃ、俺はそう思う続けることができてた。だから今でもかなり悔しいんだ。

「俺より強いやつがいるのがおかしい。俺は最強であるべきだ。なんたって俺だからな」

「本気で言っておるのか」

「これ以上ないくらい本気だ」

「ならば……」

 うわ、なんだこのキメ顔! いかにも今から凄いこと言いますよって雰囲気醸し出してる!

「儂の弟子になれ」

 ……。

「聞き間違いかな? 弟子になれって……まさかな、もう一回言ってくれ」

「儂の弟子になれ」

 ほあぁぁぁ⁉

「なんつった? 弟子? おっさんの?」

「さよう」

「さようじゃねー! 誰がなるかそんなもん!」

「お前は若い、そして一本筋が通っているばかりか、己に磐石の自信を持っておる。見所があるのだ。もっと正直に言えば、お前という男に興味が湧いた」

「きっ、気色悪いんだよ! 俺はこれから高校生活をエンジョイすんの! 天狗の弟子なんぞやってられっかバカバカしい!」

「学業を修める傍ら天狗の修行にも励めばよいではないか」

「部活みたいに言うなよ!」

 何これデレちゃったの? 杉山のおっさんルート攻略しちゃったのか俺は⁉

「やだって。そんなデカい鼻になりたくねぇもん」

「安心せい外見は変わらん」

 勧誘は続く。

「儂の下で修行を積むのだカツマ。損にはならんぞ」

「何が修行だよ。剣術の稽古でもするのか? 他には山籠り? あとは空でも飛ばせるのか」

「いかにも」

 はぁ。勘弁してくれ。相手は大真面目に言ってるのがつれぇ。

「誰かに何かを教えてもらうなんて学校だけで充分だ。それに俺は強い」

「だが、儂よりは弱い」

 あぁもう。いちいち腹立つなぁ。分かってんだよンなこたぁ。

「今はそうかもしれないが! いずれお前の二万倍くらい強くなってやるさ、教えなんか乞わなくても!」

「ほう――」

 杉山のおっさんがまた何か言おうとした時だった。さっきの若い男が息急き切って庵の戸を開けた。相当に驚き、焦っている様子だ。

「僧正様! 大変です先程の羽根が! 突然燃えだして!」

「なに?」

 どうやら赤燐坊はまだ面白くもねぇ仕掛けを用意してくれていたようだ。俺と杉山もすぐ外に出た。相変わらず湯呑がついてくるんだがお前はもういいよ!

 男の言葉を裏付けるように、村のど真ん中にはバレーボール大の火の玉が浮かんでいた。

「はははははは!」

 火の玉が発した笑い声は赤燐坊のものに間違いなかった。

 やがて火の中に獰猛そうな烏天狗の顔が鮮明に浮かんだ。

「けっ、新手のテレビ電話か? お前よくも恩人をラジコンみたいにして遊びやがってこの」

 火の玉に突っかかろうとした俺を杉山僧正が手で止めた。

「くくっ、杉山僧正。その小僧はなかなか見所があるぞ。俺が弟子に欲しいくらいだ」

「お前の弟子になるならまだこっちのがいくらかマシだクソ野郎!」

「落ち着け。お前はまさしく恩人だ。お前が操り人形になってくれたお蔭で、俺はようやく杉山僧正を超えられそうだからな。はははは、これを見ろ!」

 火の玉がわっと大きくなって、炎のスクリーンを形作った。驚いて俺たちは後ずさったが、杉山のおっさんだけは動じなかった。スクリーンには、天狗に代わってどこかの森が映し出された。暗い森の中に、まだ乾いていない生木を組んで造られた(やぐら)が立っている。

「見よ!」

 櫓の上、囲いの中には、手足を縛られたまことと天狗の子が横たわっていた。

「まこと⁉ キミ‼」

 なんてことだ!

 キミとまことは服を剥かれて眠らされていた。キミは本来の姿に戻って丸裸、まことは下着姿。薄ピンクだ! くそ! この腐れ外道が‼

 俺と天狗親父がそれぞれ驚愕したのは言うまでもないな。

「まことぉぉ‼ キミっ‼ 聞こえないのか⁉」

 画面の中に赤燐坊が現れた。櫓をわざとらしく顧みて、俺たちの反応を楽しんでいやがる。

「ふたりとも女にしてはなかなか威勢がよかった。薬を嗅がせて眠ってもらったぞ」

 ひらひら動かす手の甲には、まことの歯型らしきものがくっきり残っていた。

「なんだと……どこまで腐りきってんだ! だから女にフラれんだよ!」

 俺が女の話題を出すと赤燐坊はあからさまに不快そうに顔を歪めたが、それを打ち消すように胸を張って高笑いした。

「はははは……杉山僧正! お前が守ろうとした裸子と、お前の孫娘は我が手中にある!」

「まさか……てめぇ俺たちの話を聞いてたのか!」

 羽毛は盗聴器の役割も果たしてたんだ。とことんコケにしやがって……!

 俺の前に立つ杉山僧正も、静かな怒りにうち震えていた。

「赤燐坊、どこまで堕ちるつもりだ」

「決まっておる。天狗一の大魔縁になるまでだ!」

 赤燐坊は意気揚々とおっさんを指差して言った。

「このふたりの血肉は我が糧となることが決まった。ちょうど今宵は満月、夜を待ち独り酒といくか! 杉山僧正、いずれまた会おうぞ! ははははは……」

「待たんか!」

「この野郎ォォ‼」

 俺は我慢できなくなって炎に殴りかかった。当然そんなのは無意味で、俺の拳が触れる前に羽根は燃え尽きて火も消えた。勢いづいた拳に引っぱられて俺は転ぶ。

「ちくしょう……ちくしょう!」

 八つ当たりで地面を叩いた。

「俺のせいだ……俺があいつに情けをかけて逃がしたばっかりに、キミとまことが!」

 タイムマシンがあるならすぐ持ってきてくれ。昨日のカッコつけた俺を殴り倒しに行くから。

「そうだ、おっさん! あんたならあいつの居場所分かるんじゃないのか⁉」

 杉山のおっさんは腕組みをして目を瞑っていた。こいつも深い苦悩に責められてる。

「こうなることを恐れていた……遅かれ早かれ、あの()らには災いが降りかかる運命であったのやも知れん。これも全て儂の責任じゃろうて」

 そうだ。俺もだが、こんなこと言ってる場合じゃない。

「夜はすぐだぞ……どうするつもりなんだ」

「救い出す。必ず」

 天狗はきっぱり言い切った。これは――(おとこ)の顔だ。

「そして今度こそ赤燐坊に引導を渡さねばならん。それが、かつての師である儂の(つと)()だ」

 感服したぜ杉山僧正。それでこそ天狗の頭領だ!

 おっさんの前に回って俺は言った。

「俺も行くぜ! あいつは一発や二発殴る程度じゃ気が収まらねぇ!」

 野郎と決着をつけたいのは俺も同じだ。だが杉山僧正は首を横に振った。

「ならぬ」

「はぁ⁉ 理由は!」

 なんでここで拒否すんだよ!

「お前だけいいカッコしようってんじゃないだろうな?」

 手と手を取り合い遂に協力体制を築いて怒涛のクライマックスになだれ込むのがお約束の流れだろうが!

「ならぬと言ったらならぬ。ただの人間を死地に赴かせるわけにはいかん」

「俺はただの人間じゃねぇっつってんだろ!」

「儂からすればまだまだひよっこだ」

「だったらひよっこらしく指咥えて見てろってか! あぁ⁉」

「そうだ」

「ああもうっ! ッざけんなよ!」

「真面目に言うておる。ただの人間の同行は許さぬ。だが」

 だが……?

 黄色い眼が俺を試していた。

「儂の弟子なら話は別だ」

 は……一挙両得を狙うか。こんな時でも知略を巡らせてんな。さすがはこの山のボスだけあって老獪だぜ。

 ま、いいや。そのセリフは俺を焚きつけてるってことだろ?

 燃えてやるよ。


「なってやろうじゃねぇか――天狗の弟子に!」


 おっさんの髭がくいと動いた。こいつ笑ってんな。

「早速修行を始めるぞ、我が弟子カツマよ」

 そんなわけで俺の進路は決した。


 

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