第9記
老将とスパチャホフのやり取りを眺めていた衛兵のひとりが、ふと吐いた言葉で騒乱がぴたりと止まった。
「そのほうらがこの男を見知らぬはずは無いのでは?」
当然だと言わんばかりにふてぶてしい顔のスパチャホフとは対照的に、テトラは
(何故ばれたのか?)
という表情のあとに目を泳がせた。
「先日このスパチャホフを捕らえたのは、そのほうらであったはずだが」
偶然あの現場にこの衛兵は居たのだろう。
(もはやこれまで)
これ以上シラを切るのも無理がある。居直ったテトラは覚悟を決めた。
しかし、
「もうよい」
涼しげな声が頭越しにかけられると、一同はさっと争気をおさめた。
仰ぎ見ると、クララ姫と呼ばれる神々しいまでの美しさを備えた州師がいる。
その口からは、温情の言葉が伝えられた。
「もうよいのです。すべて不問といたします」
「いや、しかし姫……」
「カーツ将軍」
不服を示した老将を、クララ姫はやんわりとたしなめた。
「……御意」
スパチャホフを一瞥したカーツ将軍は、唾を吐きたい欲望を抑えながら、再び壇上へとあがった。
その声は老将だけでなく、スパチャホフの心をも鎮めてみせた。
心ここにあらずといった風体で、クララ姫を仰ぎ見ている。もちろんそれは半分は出血による意識の喪失も含まれているだろう。
噴水のような出血を頭から浴びながら立っていた。
「婦女子をそのように見るのは失礼ではありませんか?」
じっと視線を投げかけられたクララ姫は、しかし不快さはおくびにも出さずに微笑んでみせた。
「あ……こらエラいすんまへん!」
慌てて膝を折ったスパチャホフは頭を下げた。礼儀を意識したものではない。
姫が自然と備えた威と、かもしだす高貴さにうたれたのだった。
(なるほど、なかなかのもんだ)
普段から頭を下げることを知らない、いわば猛獣のような男を屈伏させるなど、そんじょそこらの王様だろうが出来ることではない。
(姫と言うからには王族か)
つまりは偽物ではないということだ。
それに加えてどうやら情け深いところもあるらしい。それはいまのやり取りだけでも十分にわかるものだった。
テトラはこの姫を気に入った。他の三人はどうだろうかとわずかに顔を横に向けると、その表情はまんざらでもなさそうだ。
「まずは礼を申さねばなりません。昨日は大挙したグロースタークのゲノ兵を撃退していただいたと聞きました」
四人は恐縮するようにさらに頭を下げる。
「こちらの警備の不備をおぎなっていただき、感謝いたします」
「とんでもございません。当然のことをしたまでです」
テトラは謙遜してその言葉をしりぞけて見せたが、それはいわゆる常套文句である。
「頭をあげられよ。そなたらの顔を見て話をしたく存じます」
そう言われて頭をあげた四人は、改めてクララ姫と対峙した。
もちろん、姫の脇には側近とも呼べる高官らがずらりと並んでいる。しかし、姫を除くその者たちの目線は、いちように冷たい侮蔑が含まれていた。
その中のひとりが、真意を確かめたかったのだろう。
「そのほうら、三人だけであれだけのゲノを倒したそうだな。また、スパチャホフとやらは、なんと素手であの51番ゲノを倒したとか。真の話であろうか?」
グロースタークの侵攻に悩む国の人間にとって、驚異的な戦闘力を誇るゲノ兵は恐怖の対象となっている。
噂だけを聞けば、空前絶後の快事といえた。が、その真相は疑わしいと思われているようだ。
「間違いはありませんが、私どもの言葉を軽く見られていれば、その限りではありません」
うがった見かたをされているのにむっとしたのだろう。テトラはあえて強い言い方をした。
はっとしたクララ姫は、とりつくろうように口を挟んだ。
「コジーン卿、失礼ですよ」
そう言われると、その高官は頭を下げて一歩退いた。
「申し訳ありませんでした。当方の無礼を許されよ」
(へりくだることも知ってるか)
そのクララ姫の態度には、女性ながらに大きな度量が見える。テトラはますますこの姫に好感を持った。
「お聞きしたいことはたくさんあります。それは今宵に晩餐会を開きますゆえ、ご出席くださいますでしょうか?」
そう言われて断る理由はない。
「喜んで」
と、答えた。
「では、褒美を差し上げたいが、何か望みのものは」
ここは忌憚無く答えておくか、と考えたテトラは、大きく出た。
「船、が望みです。とは言え、それはターントゥへの大海を渡れるほどのものにございますれば、過ぎた望みと心得ております。そこで──」
「なるほど、みなまで言わずとも分かりました。それでは相応の金、ということでよろしかろう」
「ありがたく存じます」
ここでテトラは、ターントゥへ行く意志をさりげなく伝え、臣下としては召抱えられることをやんわりと断ったと言える。
かつ、巨額の金が必要であることも主張し、下賜される金も小額では足りないと言外に意図させた。
「では、スパチャホフ。そなたは」
「とにかく着るものを」
「おお、そうでありましたか。確かに不憫な……」
憐憫の表情を浮かべたクララ姫であったが、さすがにスパチャホフを直視するのは恥ずかしくて出来ないようだ。
側近に耳打ちすると、やがて金色に輝く見事な胸当てが運ばれてきた。
「これをさずけましょう」
「いや、あの。ピカピカでなくて良いんで、下のほうを……」
「王家の紋章入りで、胸のところには携帯が入るポケットまでついておる一品ですよ」
「だから、下の──」
「おお、これは最高の名誉!」
とどめを押し付けるように、カーツ将軍が唾しながら激賞する。
(ジジイはだまっとけや!)
「よかったな、スパチャホフ!」
「いやあ、見事な胸当てなり」
「武人としてこれ以上の名誉はあるまい」
結局ことわることが出来なかったスパチャホフは、泣く泣く上半身を黄金で包み、謁見の間をあとにした。
今夜まで城内でくつろいで欲しいということで、再び賓客の間に通された一行の前に、先ほどの老将軍が現れた。
「先ほどは失礼をした。改めて挨拶をいたす」
どうにも扱いにくそうな頑固者という印象だ。
「拙者はカーツ・ニクヤーノ虎狼卿将軍である」
「え、カーツ肉屋のコロッケ食中毒ってなんやねん?」
「虎狼卿将軍だ!」
「し……真剣白刃取り」
「入ってるってば」
さて、その将軍が一行の前に姿を現したのは他でもなかったようだ。
「ところで、そなたらの武勇を見込んでのことだが」
テトラたちは、やはり、と視線を合わせた。
「このハイペリオンに力を貸してくれぬだろうか。もちろん骨肉を捧げろとは言わぬ。ほかに大望を持っておられるようだ」
マークが意味深に目配せをすると、テトラも了承したように頷いた。
「まずはこの国のことを教えていただきたい。腹を割って話せば、先の船の話に繋がりますが、我々はターントゥへ行くのではありません。ターントゥへ帰るのです」
「なんと、そなたらは」
「そうです。ターントゥから来ました」
「そうであったか。それで得心したわい。そのスパチャホフのような衣装も、向こうでは風俗としてのものなのだな」
「まあ、そんなところです」
「なんでやねん!」
テトラたちは、先のクララ姫のためならば、多少の苦労を背負っても良いかと思ってはいるのだが、なにしろ情報がなさすぎる。
もし、明日にでもこの国が滅びるような事態が迫っているのであれば、この話に乗るのはいかにも危険だと考えていた。
「では、どこから話すか……」
しばらく考え込んでいたカーツ将軍は、やがておもむろに口を開いた。