第8記
その夜は、ゲノ襲来の犠牲になった人々を悼む一方で、勇者の誕生を祝う宴で街中の灯りはいつにも増して明るく、そして賑やかだった。
宿の主人は大盤振る舞いで料理に腕を奮い、客に大声でテトラたちの武勇伝を誇り、笑っては泣くことを繰り返した。
開店以来の大盛況となった客の目的はもちろん、三人をひと目見ようと詰めかけた者たちだ。
「テトラさまー!」
街の娘らが声を揃えて、外から黄色い華やぎを添えると、負けじとマークの名を呼ぶのは、やや富裕層と見られる令女たち。
「おー、さすがに勇者さまはモテますなあ」
店内に入り込めた客らは、半分うらやましげに目を細めている。
「迷惑であるな」
声があがるたびに不快な色を隠さないマークは、苦みばしった口調でそっけない。
「贅沢な悩みなり……」
美味い酒を前にしても、なかなかいつもの気炎があがらないチェリーは、物憂げに外に目を向けた。
そこにはいかにも無骨でむさ苦しい集団が、腕を組んでこちらを睨んでいる。
女たちが声援をあげるのを迷惑そうに眉間を寄せて見やると、こちらも負けじと地響くような声で吼えた。
「チェリー殿おー!」
これにはその場の全員が失笑をもらした。
「あいつら、何なりよー」
招かれざる客とはこのことだ。
そんな落ち込むチェリーに、客のひとりが酔眼を向けて話しかけてきた。
「あいつらはここいらで幅を利かせてるならず者たちでしてね。みんな迷惑してんですよ。でもチェリーさまがいてくだされば大人しくなろうてもんです」
「全然嬉しくないなりよ」
喧騒のなかで忘れていたが、テトラは聞いておきたいことを思い出して、宿の親父に尋ねた。
「そういや、51番倒した奴って、どんな奴だったんだ。親父、見に行ったんだろ?」
料理をカウンターに並べる手を止めた親父は、
「いや、それが……」
と言ったあと、ため息をまじえながら眉をひそめた。
「おお、あの変態野郎だろ」
別の客から声があがった。
「変態?」
と聞き返したものの、三人には心当たりがありすぎる。
その噂を聞きつけた口さがない客らは、その模様をさも見てきたような口ぶりで語り出した。
「ストリップしながら倒したらしい」
「女物のパンツを頭からかぶってたらしいぞ」
「そいつの屁が臭いのなんの」
噂が噂を呼び、出来上がった人物像は果てしなく下劣な人間ということでおさまった。
三人は腹をかかえて笑いながら、それでも何故か嬉しげな顔を見せた。
「でもまあ、感謝はしないとな……」
最後にしんみりと語った親父は、やはり感謝の念が勝るのだろう。
そう言うと、誰しもが口をつぐむしかなかった。
しびれを切らした店外の見物人らは、ついに三人を外に引きずり出した。
歓声と賛辞はいつまでも鳴りやまず、通りはパレードの賑わいを夜半まで鎮めることはない。
「持ち上げられると後が怖いな」
テトラは人々に軽い愛嬌を振りまきながら、かたわらのマークにそう言った。
「まさしく」
この男は、常に足元を見誤らない。
浮かれた熱気の中でも、泰然とした姿を崩すことはなかった。
そんな賑わいの熱気が、かすかに壊れた壁から入り込んでくる。しかしその熱気も、冷たい石床を温めるほどではなかった。ここはスパチャホフが佇む牢獄の中だ。
「なんや、賑やかやなあ……」
射し込んでくる月明かりが、わびしさを浮き立たせた。
目の前には、先ほど食べた豆のスープの空き皿が放置されている。
(あいつら、どないしてんやろ?)
思い出すと、怒りがこみ上げてきた。
(そうや、あいつら許さへんで!)
落ち込んだ心が、怒りで奮い立つ。思い立ったらこんなところでじっとしているわけにはいかなかった。
「おい、看守!」
入り口で腰を据えていた看守は、思いがけなく軽く腰を上げ、
「はい、何でしょう?」
と、走り寄ってきた。
予想外の反応に戸惑ったのはスパチャホフのほうだった。
「いや、あの……なんだ」
「上からは仰せの通りにせよと言われております。何なりと」
「マジかいや、早よ言えや!」
「申しわけございません」
丁寧な対応を示す看守に、まずは檻から出すよう要求すると、あっさりと扉が開いた。
苦笑しながら牢を出たスパチャホフは、外へ出ても良いかと言ったが、さすがにそれは困ると、看守は困惑した様子を見せた。
(何でもちゃうんかい)
罪は罪と言うことなのだろうか。それを問うたが、
「それは明朝に決定されると思いますが、おそらく赦免されると聞いております。明朝、政庁からの使者が来るまで留めおかれるようにとの命令にございますれば」
スパチャホフの顔に明るさが差した。
「ほな、暖かい部屋と美味い飯を用意してもらおか」
「は、では貴賓室にさっそく暖をおとりいたします」
「酒もな」
「さっそくに」
「コンパニオンも頼むわ」
さすがに看守は眉をひそめたが、承諾した。
聞き終えた看守は、まずは応接間に案内し、そこで待つよう伝えると、部屋をあとにしようとした。
「あ、大事なもん頼むの忘れてたわ」
「は、何なりと」
「服を頼むわ」
「いやあ、それはちょっと……」
「なんでやねん!」
とにかくも、スパチャホフにも、ようやく幸運の女神が微笑みかけてきたと言わねばならない。
翌朝、政庁からの使者が訪れたのは、もちろんスパチャホフだけではない。
「州師からの使者である。主人はおられるか?」
朝から、と言ってもかなり日は高くなっている。物々しく飾り立てた馬車を曳いた一行が、およそ似つかわしくない場所にいた。
無論、それは宿屋シャカールの前である。
(なんだよ、朝からうるせえなあ)
やけにハキハキとした口上が二日酔いの頭に突き刺さる。毛布を頭から被ったテトラは、階下の騒乱から逃れるように丸くなった。
だが、その毛布はすぐに引きはがされた。
毛布を丸めながら、チェリーが見下ろしている。
「なんだよお前、まだ寝かせろよ」
腫れたまぶたをしばたたせながら、テトラは毛布を取り返そうと手をのばした。
が、それをかわしたチェリーは、珍しく重い口調をみせた。
「なんか、お偉いさんに呼ばれてるみたいなり」
「なんだそりゃ」
「褒美かもしれないなりよ」
そう聞くと、テトラはベッドをはね起きた。
その豪奢な馬車は、街の北へ北へと進んでゆく。
州師と言えば、州で一番偉い人間だろう。直接に拝謁するのだろうか?
などと考えながら街並みを見渡していると、やがて道は広くなり、あたりはさながら王宮街という様を見せ始めた。
塀を巡らされた大きな屋敷らは、高官の貴族たちのものだろう。
中央を走る大路の先にひときわ高い城が見える。
やはり高い城壁に囲まれ、さながら城塞のなかにまた城塞があるといった風情だ。
「ずいぶんと堅いな」
堅いと言うのは、堅牢という意味である。
この都市全体が、かなり防備に力を入れているのがわかる。
「意外と荒れてんじゃねえの?」
もちろん、国が、という意味だ。
「では、存外我らを招く意図も、恩賜だけでは済まぬかもな」
マークに明るさが見られない。
「なるほど」
それなりの心構えをしておいたほうが良さそうだと、テトラは浮かれそうな心を引き締めて、城壁をくり貫いた巨大な城門を潜った。
馬車を降り立った一行が案内されたのは、豪華絢爛な賓客の間だった。
何百という燭を灯されたシャンデリアに目が回るような気後れを感じながら、これまた座るのもはばかられるような、豪華な席を勧められた。
案内した使者は、慇懃に頭を下げると
「州師であられるクララ姫より、直々の恩賜がございますれば、しばしお待ちくださいませ」
とだけ言って、部屋を去った。
取り残された三人は、さっそく額を突き合わせての打ち合わせを始めた。
「恩賜て、楽しみなりね」
「馬鹿言うな。その代わりって話が出てくるかもしんねえぞ」
「代わり?」
「つまり、仕えろって話だよ」
「それは困るなり」
確かに迷惑な話だ。彼らには海賊という稼業が最優先であり、その海賊というのも表向きだ。
いま現在、ターントゥを支配しているのは、ゴーキ帝国という。
海賊エムターンはその圧政を覆そうとする反勢力の筆頭でもあるのだった。したがって、彼らなりの信念を持っている。ここで投げ出すわけにはいかない。
マークは武人のような分別臭い意見だった。
「客将という身分なら良いかもしれぬ」
「それが通るならだが……」
「が?」
「いずれにせよ、ゲノハンターとどちらが稼げるかを天秤にかけるしかねえだろ」
利益にさといテトラの意見は、マークにはやや受け入れがたい。
(だが、もっともであるか)
最優先にすべきことを中心に据えて考えれば、おのずとそうなる。
そして意見の一致を見た。
「とにかく、高く売りつけることになるかも知れねえ。行儀だけには気をつけろよ」
勇猛だけを誇る人間では、安く買いたたかれる可能性が高い。下手をすれば傭兵扱いだ。
「謁見の間へご案内いたします」
やがて再び使者が顔を見せると、赤いカーペットが長々と敷かれた広間へと通される。
衛兵らがずらりと並び、奥の高みの席に端座する女性が見えた。
(まだ若いな)
緊張した雰囲気のなかでも、そういうところは、見逃さないテトラだ。
「ここでお止まりください」
使者に促されて、その場に膝をつく。
儀礼に則り頭を垂れる三人の後ろで、そのとき声があがった。
「お前ら、こんなとこにおったんかい!」
厳粛さを打ち破る怒声には聞き覚えがある。
(なんだとぉ!)
思わず振り返ったテトラの前に、拳を振り上げて飛びかかってくるスパチャホフの姿があった。
(ぶち壊しだ)
絶望の予感が走るなか、その拳をさけて言葉を放つテトラも役者顔負けだった。
「ど、どなたか知りませんが無礼ではないですかな」
「何やとコラ、とぼけんのもたいがいにせえ!」
「いや、私は知りません。あなたなど知りませんぞ!」
組み合う二人を唖然と眺めていた衛兵らだったが、姫の傍らに控える老いた武人が発した一言で、一斉に四人を槍先で取り囲んだ。
顔を真っ赤に怒らせた武人が階下に降り立つと、剣を抜いて立ちはだかる。
「貴様ら、この場をどこと心得る!」
「何やジジイ。お前らが呼んだんちゃうんかい?」
スパチャホフは礼儀から最も遠い人間であり、つけ加えるなら阿呆である。
槍を押しのけるようにしてすっくと立ち上がった。
「き、貴様。その格好は何事ぞ!」
その声と同時に、武人の背後から悲鳴があがった。
もちろん、姫が発したものだ。
「おのれ、姫に醜悪なるものを。そこになおれ、ド頭かち割ってくれる!」
降りあげられた剣を見ても、スパチャホフはたじろぎも見せない。
「やってみろや」
「ふんっ!」
間髪入れず降り下ろされる剣撃──
「真剣白刃取り!」
劣らぬ速さでスパチャホフの両手が頭上で合わさった。
静まり返る衛兵たちに、驚愕の表情が浮かぶ。
余裕を見せたのはスパチャホフだった。
「ふふふ」
「な、なんと……」
不敵な笑いを浮かべるその異様に、歴然の老将がたじろいだ。
いちおうはテトラがつっこんでみる。
「いやいや、入ってる入ってる」
「完全にタイミングが遅れてるなり」
剣先は深々と額に刺さっていた。
「なぜ死なん。ふん!ふん!ふん!」
「真剣白刃取り!真剣白刃取り!真剣白刃取り!」
「いやいや、だから全部入ってるってば……」