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第6記

城壁にいくつか設けられた門。その中の西門から真っ先に飛び出していったのはテトラだった。その姿を追うチェリーは、傍らのマークに多少の愚痴を並べていた。


「ちょっと無謀なりよ、テトラは焦ってるなりか?」


「……」


「マークは勝てると思ってるなりか?」


「……弱ければ死ぬだけだ。やって見ぬことには分かるまい」


「死んでから分かりたくないなり」


51番とナンバリングされたそのゲノの棲家は最も最強最悪と恐れられていたにも関わらず、最も近い場所にあった。どれほど手をこまねいていたか、想像に難くないものだ。


西へ三キロほど進んだ森の中にある古城を占拠していると手配書には書かれていた。やや上り勾配のついた鬱蒼と茂る森の中を通る道、その雰囲気はすでに妖気に満ちていて、日が高いにも関わらず視界は暗く見通しは利かなかった。


そこを脇目も振らず歩いてゆくテトラは、まるで人が変わったかのように殺気を漲らせている。


「テトラがあんな顔見せるのは初めてなりよ」


「まあ、仕方なかろう」


「仕方ないって、何が?」


「……まあ、本人に聞いてみることだな。拙者からはなんとも言えぬ」


チェリーは眉毛を上げて口を曲げると、そのまま黙ってしまった。


そのまましばらく歩いた時だ、森の中を走る影にマークが気付いた。微かに見えるその影はひとつではない。数十にも及ぶだろうか?


その影はそれほどの数で移動しながらも、ほとんど物音を立てることなく、右から左へと飛ぶように森を疾走してゆく。その向かっている先は街の方角だった。


「テトラ」


「ああ、どうやら入れ違いみたいだな」


その影に気付いたのはマークだけではない。テトラもその足を止めて森の中を窺っていた。その目線の先にもう一つ、一際大きな影が走るのを見逃さない。


「あいつだ……」


やや遅れて、しかし他の影と比べてみれば三倍はあろうかという巨躯が木々の間を一瞬で駆け抜けた。


「うむ、追うか? 待つか?」


「追ったほうが良さそうだ」


街の方角へと走っていくのが気になったテトラは追うという選択肢を選んだ。今来た道を引き返すべくきびすを返す。その時、チェリーの叫びが森の中に響いた。


「うあ、ちょっと見るなり!」


「どうした!」


そのチェリーの驚きようは尋常ではなかった。一箇所を差す指は震え、その目は大きく見開かれている。テトラとマークはその視線の先を注視した。


「こんなでっかいカタツムリ、初めて見た……」


次の瞬間、鈍い音と共にテトラの強烈なハイキックが炸裂し、頭をぶっ飛ばされるチェリーは、鼻血を噴き出しながら白目を剥いた。


「……なりよ〜」


うつ伏せに倒れたチェリーの尻に、マークが容赦なく方天画戟を突き立てる。チェリーは「ぶぎー!」と一声鳴いて立ち上がった。


「ひどいなりよー」


一行は先を急ぐ。テトラは嫌な予感を拭うことが出来ないで居た。はぐれゲノと呼ばれる獣は、縄張りを持つという。だとすればその攻撃行動はほとんどが侵入者に対するものに限られるはずなのだ。


それがテリトリーを離れて移動するということが解せなかった。しかもその姿からは明らかに殺気が発せらていると感じていたからだ。


そんな不安が的中するかのように、遠く街の方角から激しく鳴らされる鐘の音が響いてきた。それは時を刻むようなものでは決して無い、明らかに危険に対する警鐘だった。


テトラとマークは顔を見合わせて地面を蹴る。チェリーが遅れて二人を追って駆け出した。


「街を襲ったってのか?」


「恐らくそうであろう」


「そんな奴らなのか?」


「わからぬ……」


すぐに西門に戻った三人の前に無残な衛兵の死体が転がっていた。二匹の獣がその鎧を剥いで喰らいつこうと舌なめずりをしているところだ。


初めて見るゲノという獣は、想像していたよりも異形で、およそこの世の生物とは思われない。真っ黒な体は毛に覆われ、小さな頭には目というものが見えない。そのくせ口だけは大きく開き、その牙は長く凶暴な爬虫類を思わせた。


「ゴロツキに毛が生えたみたいなもんだって言ってたよな?」


「飲まれるでない、テトラ」


その姿にさすがに足を止めたテトラとチェリーを置いて、方天画戟を一振りしたマークが堂々と近づいてゆく。気付いたゲノらは赤子が泣くような叫びを上げて振り向いた。


血塗られた口を開き、長い舌を伸ばす。人間に似た手は長い爪を持ってはいるが、さらに衛兵から奪った剣をも握り締めていた。太ももがわずかに脹らみ、その力をためているのが分かる。


マークはなおも斜め下に戟を下げたまま、無防備に歩み寄った。


獣のように見えても、間合いを計っているところを見ると戦闘に対する本能は研ぎ澄まされているようだ。そして知能も決して侮れるようなものではないと見当をつけていた。


シンクロしてゆく双方の呼吸。マークは未だ自然体を崩してはいない……が、その距離は間もなく間合いの限界点だ。


その光景を眺めるチェリーは手の平に汗を滲ませ、呼吸すら忘れて凝視していた。


極限まで溜め込んだエネルギーを爆発させるかのように、二匹のゲノは地面を蹴った。その瞬発力は人間など遥かに凌駕している。石畳の表面が削れ、破片が後方に飛び散った。


まさに打ち出された弾丸。一瞬でその距離を縮め、手にした剣は違うことなくマークに向けられていた。しかし──


「足らんな……」


まさに一瞬、どちらの獲物から斬ったのかすら分からない。耳障りな叫び声が辺りを満たした。


一方のゲノは血を噴き出しながら宙を舞い、もう一方のゲノは叩きつけられ、土に塗れて滑走しながらテトラらの前まで転がった。


マークは顧みることすらしない。遅れて降り注ぐ血しぶきを潜りながら、戟を振って血のりを振り払うと、そのまま門内へと足を進めていった。


「相変わらず鬼強いなり」


「あいつ見てるとゲノが可愛く見えるぜ……」


足元に横たわる醜悪な獣の死体すら、マークの強さの前では哀れにさえ思えてくる。それはさすがにエムターン最強を誇る切り込み隊においても、頂点と崇められた戦士の姿と言えた。


とりあえずマークに付いていけば大丈夫なりよ」


「悔しいが、確かにそうだな。あいつは最強だ」


その言葉を聞いたチェリーは口元に笑みを浮かべる。


「最強ってのは……ちょっと違うかも知れないなりよ」


チェリーの言葉を聞いてテトラは「なるほどな」と答えて見せた。そして門を潜ろうとした時だ、ゲノの動かない骸が突然光を放った。


「なんだ……こりゃ?」


その光と共に薄いモヤが立ち上る。唖然として眺める三人の目の前で、そのモヤは次第に形を成した。顔が現れ、ついで体が形作られてゆく。それはまさしく人間だった。


「まさか……」


驚愕するテトラの前で姿を明瞭にした男の像。その顔には笑顔が浮かび、感謝の意を込めた両手は胸前に合わせられている。そしてそのまま空中に浮き上がると天高く昇っていった。


「あれが囚われていた魂なりか?」


「……ああ、どうやらそのようだな」


それを眺めるテトラの目つきが怒りに燃えているのをチェリーは見逃さなかった。そのテトラはスラリを腰の長剣を引き抜くと、戦闘体制に入る。門の中からは叫び声がいたる所から響いていた。


「一匹残らず殺してやるよ」


そう呟いたテトラは踊る殺戮マシーンと呼ばれている。その姿はダンスを舞うようにして敵を切り伏せてゆくところからつけられたものだが、チェリーに言わせればその強さはマークにでさえ匹敵すると断言できた。そして二人が本気になった姿を想像すると、恐怖よりもむしろ楽しさが湧いてくるのだった。


「それにあいつが加わったら……」


その先の想像はこのあと現実となる。



バサーの混乱がここに極まっていた。逃げ惑う人々の中に飛び込んだゲノが縦横無尽に走り回り、その鋭い爪と牙で無差別に殺戮を繰り返していたのだ。武器を持つ男も我先にと逃げ出す始末で、逃げ遅れた女、子供は真っ先にその餌食となっていた。


「第八警備隊の名に懸けて、命を惜しむな!」


その騒乱に遅れて駆けつけてきた警備隊を率いるのは、昨夜スパチャホフを追っていた隊長だ。ヒゲに唾のしずくを垂らしながら、剣を掲げて突撃を命じた。


「これ以上の狼藉、許してなるものか!」


隊員らの「おお!」と勇ましく呼応する声を背に飛び出した隊長だったが、すぐさまその異変に足を止める。振り返ると後続の隊員らが温かく見守っていた。


「隊長、頼みますよ!」

「伝説を作ってください!」

「星になれ、隊長!」


額に血管を浮き上がらせた隊長は、目の前に迫ってきたゲノを捨て置いて慌てて戻ってきた。


「お前らも突撃せんかー!」

「隊長、また血圧上がりますよ」

「大丈夫、ゲノは加齢臭に弱いって聞いたことがありますから」


と、そんなところへゲノが襲い掛かってくると、その部下らはクモの子を散らすように逃げ帰っていった。


「おのれ、ワシ一人でも……」


振り下ろされた爪を剣で凌いだ隊長は、それでもひるむ事無くもう一方の手で抜き出した手裏剣を喉元に突きたてた。奇声を発して一旦飛びのくゲノだったが、刺された首を一撫ですると、改めて体勢を整えて向き合った。



そのころ、ここは警備隊が常駐する本部である。その中には囚人を収容する牢獄があり、その中にスパチャホフの姿があった。


「なんや、えらい騒がしいのお」


建物内で矢継ぎ早に下される命令はどれも雷声で、その騒ぎは少し離れた牢獄内にも聞こえてきていた。また、外の騒ぎも漏れ聞こえてくるが、そのどれも尋常ではない叫びが混じっていた。


「おい、看守。看守!」


牢獄の並ぶスペースは天井の高い広いホールにあり、そのホールの隅に張り付くようにして囚人が収められる檻がある。そこから入り口で突っ立っている看守を呼びつけた。看守はちらりとこちらに目線を向けただけで、またすぐに視線を戻す。


「コラ、何無視しとんねん、殺すぞボケ」


その横暴な言葉遣いにムッとした看守は、警棒を手につかつかと歩み寄って来た。そして檻の前に来るなり、鉄格子に向かって警棒の一撃を食らわした。突然ホールに響き渡る金属音に、他の囚人たちの肩が竦む。しかしスパチャホフの表情に変化は見られなかった。


「おう、外の騒ぎは何やねん」


看守の挑発など毛ほども感じていないようだ。自分の聞きたい質問だけをしゃあしゃあと口にすると、鼻くそをほじくってそれを飛ばした。


「貴様、そんな態度で長生き出来ると思うなよ」


精一杯の強面で睨みつけてくる看守だが、百戦錬磨の海賊にとってはむしろ好ましい顔に映る。


「わしの質問に答えや。何の騒ぎやねん」


「貴様なんぞの知ったことか」


外の叫び声が一際大きくなる。次の瞬間、激しく壁が壊れる音と共に眩しい太陽の光がホールを満たした。続いて崩れた壁が床に散らばり、硬質な音が反響する。差し込まれた光に照らされて舞う土煙、その中に黒い大きな影は舞い降りた。


看守は目を見開き呆然とその影を眺めていたが、突然我に返ると懐から鍵を取り出して檻の鍵を開け始めた。


「おい、何やアレは!」


「馬鹿、静かにしろ」


入り口を塞ぐ格好で立ちはだかるその影から逃げようというのだろう、看守は慌ててスパチャホフの檻に逃げ込もうと鍵を差し込んだ。しかしその鍵が見つからないのか、震える手が次々と挿しては抜き、挿しては抜く。


「ありゃ何や言うてるやろが!」


「ゲノだ……しかも……」


その時、軽い金属音と共に施錠が外れた。しかし「51番……」そう言いかけて扉を開いた看守の姿がそこから消えた。続いて悲痛な叫び声が降り注ぎ、そして次の瞬間、首を無くした死体が冷たい床に落ちた。


「おい……」


じっとその光景を見据えたスパチャホフの目がその影の実体を捉える。小さく泣き声を上げたその影は優に三メートルは超えているだろう。そのとき異様な声が聞こえてくるのに気がついた。眉をひそめて耳を澄ます。


『たすけて』『お母さん』『殺して……頼む』


苦悶と恐怖が入り混じった声は間違いなく人間のものだ。その影が太陽の光に照らされると、腹の部分が浮き彫りになった。そしてそこには──


「なんやと!」


青白い人間の顔が甲羅のように並んでいるではないか。そのひとつひとつがまるで生きているように声を発していた。その姿はおぞましく、そしてあまりにも哀しい。スパチャホフは隣の檻で発狂しそうなほど怯えている囚人に聞いた。


「おい、ありゃ何や! 何で人間の顔が張りついとんねん。ゲノって何や?」


その質問に答えるどころではない。その囚人は小便を漏らしながら壁際で腰を抜かしていた。諦めたスパチャホフが視線を戻すと、その影が近づいてくる。口が開かれると、真っ赤な口内は血で満たされ、ぎっしり並んだ長い牙が赤い糸を引いた。


「やる気か? 言っとくけどな、こっちゃ昨日からエライ鬱憤が溜まってんねん。手加減でけへんから……」


スパチャホフ自ら檻の扉を開けると、ずいとゲノの前に仁王立ちした。


「……念仏でも唱えとけや」


その姿を見た隣の囚人は正気を取り戻し、慌てて口を差し挟んだ。


「あんた正気か?」


「おう」


「やる気なのか?」


「黙って見とれや」


「その格好で?」


「やかましいわ! 今エエとこやねん、やっと見せ場やねんぞ!」




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