第10記
ハイペリオン王国。それは千年もの昔、この大陸を統一した王朝が、大陸の名をそのまま国名とした千年王国である。
代々の王は魔力を備え、天より王気をさずかることにより、正当の王と認められた。
王気を授かるのは、ほとんどが先代王の血族であったが、しばしば無関係の者も王気を備えることがあった。
従って世襲制ではなく、色んな氏姓がそのつど国を治めたという。
いま現在ハイペリオンは、二百年に渡りこの国を統べてきた一族、レイズア家が実権を握っているものの、15年前に先代王が崩御したあと、王気を授かったものは現れていない。
「じゃあ、いまは王様がいないってことか?」
そこまで聞くと、テトラは口をはさんだ。
「そうじゃ。通例で、次の王が立つまでは、先代王の嫡子が大宰相という官職に就き、国を運営しておるのだが……」
カーツ将軍は、口に苦さを浮かべてトーンを下げた。
「先代の長子、ユーパ・レイズア様が独断で仮王を宣言なされたのだ」
「仮王……つまり仮の王ってことか。なるほどそうか」
思い当たったようにテトラは手を打った。
「そうじゃ。察しのとおり、その宣言は民衆もそうじゃが、各州の州師にも強い反発をもたらした」
誰が次の王に選ばれるかは天のみぞ知っているわけだ。
ひとつ『仮』としたことは遠慮を見せたのだろうが、仮にとはいえ王を名乗るのは天への僭越と言える。
「最初に反旗をひるがえしたのは、レイズア家末弟アーマリン様が治めていたグロースターク州。それからエクリプス州、セクレタリアート州、ゴドルフィン州と、次々に独立を宣言し、公を自称して公国とした。そしてついに八州のうち王家側につくのは一州だけとなってしまったのじゃ」
(旗色悪いなあ。しかも内輪モメかよ)
テトラは崩さない表情の下で、半分この話を投げた。
「この州だけが仮王側ということですね」
「そうじゃ。このダーレー州と首州のバイアリー州だけじゃ」
「ずいぶん危ない話なりね」
危ない橋はなるべく渡りたくない日和見主義のチェリーは、その態度に反対の色を見せた。
マークも固く口を閉ざしている。
しかし、スパチャホフだけはその雰囲気をはらうように席を立った。
「俺はやるで。あの姫さん助けてやるんや! そして──」
仁王立ちして握りこぶしをつくると、見るともなしに視線を虚空に向けて力説した。
と、その股間がみるみる膨らんでゆく。
「貴様、姫を助けてなにするつもりじゃ!」
「なにって、人助けやろが」
「いや、おぬしの邪心が見える。見えるぞ!」
乱闘を始めた二人をよそに、三人はこそこそと密談をかわした。
「テトラ、この話は乗らないほうが良いなりよ」
「拙者もそう思うが」
「……そうだな」
ひとり煮え切らないテトラの姿をみて、マークは心のなかに小さな疑問を浮かべた。
(利にさとい男が珍しいこともあるのだな)
分かりきったことだ。
この話に乗れば負け戦を背負うことになる。それは自分たちの命の昇華の本懐ではない。
(それが──)
「まあ、いったん保留ってことにしねえか?」
と、曖昧に返事を濁した。
チェリーもその態度をいぶかしく思ったのだろう。マークに同意を求めるように視線を投げかけたが、マークは小さく頷いただけだった。
仕方ない、という意味だろう。
「カーツ将軍、返事はニ、三日待っていただくことはできますか?」
剣を振り回していた手をとめたカーツ将軍は、それを聞いて剣をさやに収めた。
「もちろん結構じゃが──」
テトラの言葉には、否定的な色が濃いと考えたカーツ将軍は顔を曇らせたが
「前向きに考えておきます」
と、テトラが付け加えたことに、一転喜色をあらわした。
それを聞いてチェリーは腰を浮かしかけた。眉を寄せテトラに無言の抗議をしたが、それには一瞥もかえってこない。
「おお、それでは楽しみにしておる」
カーツ将軍はほがらかに賓客の間をあとにした。出て行ったあと、珍しくチェリーは怒気を含んだ口調を見せた。
「僕はいやなりよ。こんなとこで命を無駄にしたくないなり」
「なんやこら、天下のエムターン切り込み隊がビビっとんかい」
「スパチャホフは何も知らないから、そんなこと言うなりよ。あの化け物、何匹くらいいるか知ってるなりか?」
「何匹って……」
宿の親父から聞いた話では確か──
「三万匹以上の軍団なりよ」
「三万……」
さすがにスパチャホフの顔色が変わった。
マークもあまり乗り気とは言えないのだろう。
「ここはよくよく考えねばならん。そのゲノ軍団に加えて他に五州も相手にせねばならぬとなると、極めて負けの色が濃いな」
と、悲観的な現状を強調した。
「そんなもん、俺らエムターンは──」
それでも引き下がろうとしないスパチャホフの口を閉ざすように、マークは言葉をかぶせる。
「我らは義のために闘っておる。だが、この戦に義は見えぬ」
その言葉は重い。さすがにスパチャホフも押し黙ってしまった。
その夜の晩餐会は、想像していたよりもこじんまりとしたものだったが、さすがに料理や酒は豪勢である。
チェリーとスパチャホフは我先にとそれらにかじりついた。
出席しているのはもちろん貴族ばかりだが、意外と将兵が多い。ゲノ退治の英雄が出席するとあって、こぞって出席を願い出たものたちばかりだった。
文官はやや斜めに彼らを見ているようだ。それほどの出席者が見られない。
しばらくは昨日の武勇伝を何度も聞かれ、料理にも手をつけられないありさまだったが、ようやく周囲がおちついた頃、テトラは主席が空いていることに気づいた。
(姫さんはどっかに行ったのかな?)
と、やや気落ちしたところに、思いがけなく背後から声がかかった。
「テトラ殿、楽しんでおられますか?」
「ええ、おかげさまで──」
と、振り向いたその身がのけぞった。
(姫、こんな気安く……)
驚いたのはテトラだけではない。周囲から、とくにカーツ将軍がすばやく駆け寄り、苦言を呈した。
「あまりくだけすぎますと、声をかけられたほうも恐縮がすぎましょう」
「あら、いまは聴許の場ではありません。少しくらい羽を伸ばさせてくれませんか?」
確かに見たところ、まだ二十歳を少し過ぎたくらいの年齢だ。本来なら街に出て、同年代の友人らと遊びまわっていることだろう。
(確かに窮屈だよな。宮殿ってのは)
割って入ったカーツ将軍に不満の色をあらわすクララ姫を見て、同情の念がわく。
カーツ将軍としては、気安いかどうか以前に、この客がまだ味方についていないことに信用を置いていなかった。万が一、姫に危害を加えないとも限らない。
まだ腹を探り終えてないというのが正直なところだ。
実際、これから交誼を深めてから、テトラたちをどのように使うかを思案しようと思っていた。
「テトラ殿、踊りませんか?」
カーツ将軍を無視して、そう言った言葉に周囲から驚嘆の声があがった。
「クララさまから殿方を誘うとはお珍しい」
「いや、私も初めて見ますな」
「クララさまにもこのような遊び心があるとは」
「良いではないですか、私は好ましく思いますぞ。次回から大手を振って誘えますからな」
渋面をしたカーツ将軍とは対照的に、このダンスは好意的に受け入れられそうだ。
舞台の中央にいざなわれたテトラは、臆することなくクララ姫に頭を下げて礼を見せた。
楽隊の指揮者が、絶妙なタイミングで演奏を始めると、周囲のため息とともに二人の影が円を描いて踊り始める。
「あの野郎、なに他人の女横取りしとんねん」
おおぶりの肉をかじりながら、スパチャホフだけが不機嫌だった。
「なあ、マーク──」
かたわらのマークに同意を求めようとしたとき、そのマークの袖を引く者がいた。
「あの、よろしければお相手願えませんか?」
見ると、どこかの貴族の令嬢だろう。美しい娘が頬を赤らめてそばに来ていた。
「ああ、そいつはホモやねん。無理無理、姉ちゃんあきらめるんやな」
カチンときた怒りを卑下た笑いに包んで、スパチャホフはゲラゲラと笑ったが
「お相手いたそう」
と、意外なことにマークはその誘いに乗った。
(ウソやろ……)
ほおばった肉が口元からこぼれた。女性と踊るマークなど、想像すらしたことがない。
「おいおい、あれ……」
信じられるか、といった表情でチェリーの肩を叩くと、そのチェリーのそばにも貴族の女性がいた。
(んなアホな!)
テトラとマークだけでなく、チェリーにまで声がかかるとなると、心中は穏やかではない。
「コイツはな、アル中やし屁は臭いし、ウンコしたあと拭かへんねんで!」
なんとかその状況をぶち壊したいスパチャホフをよそに、チェリーは幸福の絶頂という顔で舞台の中央へと進み出た。
「悪夢や……悪夢やで」
地団太を踏むスパチャホフを残し、舞台は多くの踊り子で、華やかな賑わいを見せている。
(悔しなんかないわ。俺はいまメシを食いたいんや。そやから踊らんだけや!)
「ふううー! うめえ」
あえて食べるのに夢中で、踊りなどには興味ないというスタイルをとりつくろうしかない。
「涙が出るほどうまいわ!」
両眼からとめどなく涙を流しながら、スパチャホフはひたすら食べていた。
「なぜ私を踊りに?」
と、テトラは聞かなかった。
おそらくはカーツ将軍から申しだされた話と繋がっているのだろうと予想はしているが、それをこの場で問うのは無粋というものだろう。
しかし、その胸中を読んだかのように、クララ姫は言った。
「あの、誤解なさらないでくださいね」
「誤解、ですか?」
「カーツからの話とは関係ありません」
そう言って裏のない笑顔を見せる。
テトラは慌ててその邪推を否定し、自分の栄誉と喜びを素直に言葉にした。
「いいのですよ、そう思われても仕方がありません」
「そのようなことは決して」
困ったような表情を覗き見るように、クララ姫の顔が近づき、そして
「好ましく思いました」
と、確かにそう言った。
海千山千、幾多の色香を味わっては捨ててきたテトラでも、さすがに胸を熱くするのを抑えられないだろう。
(いや、しかし──)
そうなるだろうと自分でも思っていたのだが
「私も、姫をそのように思います……が、なんと言いますか」
「ですね、私もうまくは言えません」
熱くなるというより、温かい感情が胸を満たした。
(なんというか……)
テトラはその感情を表現する言葉を探してみた。
(放っとけない、か)
その言葉を拾い上げたとき、おもわず胸のうちで手をうった。
それからの姫は気安さを見せ、謁見の場とは違う明るさを見せた。とりとめのない話ばかりであるが、テトラにとっては好ましい。
しかし、次に問われたことについては、おもわず冷や汗がにじむのを抑えることが出来なかった。
「海賊をやってらっしゃるとか」
街で情報を収集するのことを忘れるほど、無用心ではないようだ。
「海賊とは言いましても……その……我らは不義不仁の行いをしているつもりはございません」
「でしょうね。私もそう思いましたから、こうしてテトラ殿と踊っております」
言い訳ではないが、自分の信念をテトラはこぼした。
「賊というのは、権力に反するものを言います。その権力がたとえ悪であってもです」
「ゴーキ帝国ですね」
思わぬ名前がクララ姫の口から飛び出すと、テトラのステップを踏む足が止まった。
「グロースタークの後ろ盾となり、この大陸への進出を狙っております」
(なんだと)
テトラは険しい表情で、詳しく話を聞きたいと詰め寄った。
「はい。でもせっかくですから、曲の最後までお付き合いくださいませんか?」
とがった心をなだめるように、クララ姫は悠々とテトラの手をとる。
(俺としたことが……)
場の雰囲気にまで気が回らなかった自分に苦笑しながら、ふたたび軽やかにステップを踏んだ。