第二章
私は一人っ子だったので、物心ついた4歳くらいから、6歳年上の杏奈にはよく遊んでもらった。5歳の時に杏奈が一際、美しい人だと思うようになっていた。夕焼け時もよく、手を引かれて麓の村で一つだけある駄菓子屋に、連れて行ってもらった。信孝はいつも、私が杏奈に甘えると、先を駆けては待ち、駆けては待ち、私と杏奈を見つめていた。もちろん、下り坂なので坂道を駆け降りるには脚力が必要だった。私にはそれができない理由があった。自由に走り回れる信孝が羨ましかった。私は4歳の時に右足を骨折した事で走るのには不自由があった。そのせいで、杏奈は信孝と私と三人で坂道を下る時は杏奈が必ず私の手を引いてくれた。杏奈は私にとっては本当の姉同然だった。私が小学生に上がると、私の足の治癒と共にそれはいつのまにかなくなっていた。
普通に歩けるようになって、両親は驚いていた。医者から骨折の場所が悪く、一生、右足は引き摺るような歩き方になると言われていたが、レントゲン写真では完璧に治っていた。医者がこのような治癒例は見たことがないと一番驚いていた。
私と信孝は歩いて片道30分ほどの中谷小学校分校に通っていた。記憶を辿ると、その頃は夏休みで登校日が2日あるだけだった。杏奈は近くの中谷中学校に通っていた。山々はどの季節を過ごしても、美しく神々しかった。春は山々に山桜が咲き乱れ、夏は坂が続く山道に野生のサトウキビが群生し、ちぎっては子供の頃から甘い茎の汁をすすった。当時は北の山側は原生林が残り、決して入ってはならないと小学校でも指導があった。小学2年生の春、私と信孝は冒険しようと、帰りに知らない山道に入って行き、夕暮れ時になっても山を越えることができず、遭難しそうになったことがある。獣道しかなく、折り返すにも、どの道かわからなくなった。二人で泣きそうになった時、杏奈が獣道の先に立ちはだかっていた。二人とも、杏奈に叱られると思い、真っ先に声を揃えて謝った。「姉ちゃん!ごめんなさい!」
杏奈は私達を叱らず、優しく、二人の手を引いて山を降りてくれた。
今、思えば、あの深い山の中、何故、私と信孝がいる場所がわかったのか不思議だった。やがて日没で、杏奈が探しに来てくれなかったら、猪が出るような山中で、信孝と二人で、一夜を明かす羽目になっていた。
警察まで出て大騒ぎになっていたところだった。
山々も神秘に満ちていたが、杏奈こそ私にとっては神秘的な存在だった。同時に憧の人になっていった。
800年も前に平家の落人達が隠れ里に選んだのは、この山々の神々しさや神秘性だったのかも知れない。ここから、さらに20キロ先に五木村、さらに20キロ奥に五家荘がある。
分校へは近所の10人の生徒で朝は集団登校する。坂道の頂上まで登り、それから、谷川沿いにある小学校を、下り坂で目指す。時々、大型トラックが砂埃をあげて、山道を登って行く。昭和39年当時、こんな山道を自家用車などまず通らない。
そんな、夏休みの登校日、朝の通学路で私は歩きながら、信孝に聞いた。
「杏奈姉ちゃんは、いつも寝る時は浴衣を脱ぐんか?」信孝は表情を変えずに淡々と答えた。
「うん、いつも寝る時は浴衣脱ぐんよ!暑いんやろ!俺が小さい頃から、当たり前やった!」
「冬は?」信孝は困った顔をした。「うん、寒くないんやて!」
「えっ?冬も脱ぐんか?」
「ああ...姉ちゃん、温度に鈍いんやろ!」私は唖然とした。
「いくら何でも、おかしいやろ!真冬に裸なんて!バケモンやろ!杏奈姉ちゃん!おばあちゃんはなんも言わんのか?」
「うん、なんも...」
私は少し怒った顔つきで信孝に
言った。「おれ、もう泊まりにいかん!姉ちゃんの裸はきつか!」当時、電化製品も暖房は電気ヒーターがやっと普及し始めて、ほとんどの家が火鉢と炬燵だった。
木造家屋は当然ながら古く、
隙間風が部屋の中をさらに冬は
室内温度を下げる。だから私も
真冬はパジャマに丹前を着て、
毛布2枚に冬布団だった。それくらい九州とは言え、山の中の真冬は寒かった。おそらく、夜は外気温は2℃から3℃だったはずだ。
信孝がポツリと言った。
「姉ちゃん、昔から亜硫酸ガスも平気やったし、お前もおかしいと思うか?」私はうっかり杏奈のことを"バケモン"と言ってしまい、後悔していた。私はもう、これ以上、美しい杏奈の悪口は言いたくなかった。私は話題を変えた。
「あの、鎧兜は杏奈姉ちゃん触らせてくれんけど本物なんやな
!」
「うん、俺にも触らせない!
姉ちゃん、知ってる人の大事なものだって!」
私は杏奈に大事な人とは誰なのか、知りたかった。杏奈が大事な人と表現するのはどんな人だろう。もちろん、杏奈の父親も母親も、私が生まれて一年目には他界したと聞いている。まだ8歳で嫉妬心などなかった。憧れの年上の少女のことを、もっと知りたいだけだった。それでも、門脇家には謎が多かった。




