7.噛まない獣の巣
ジェイクの家は、
「住居」というより、獣が自分の身体に合わせて削り取った空間だった。
天井は高い。
いや、正確には——高くされた、だ。
梁は途中で折れ、コンクリートの破片が無理やり削られている。
壁も同じだ。
爪か、工具か、それとも両方か。
とにかく「壊してから作り直した」痕跡があちこちに残っている。
「……ここ、全部ひとりでやったの?」
アリシャが聞くと、ジェイクは短く頷いた。
ベッドは、溶接された金属のツギハギだった。
廃材を組み合わせ、歪みを力で矯正し、彼の巨大な体重に耐えるよう補強されている。
柔らかさはない。
代わりに、壊れない。
ブランケットは一枚だけ。
分厚く、重く、無骨で、獣の体温を逃がさないためのもの。
テーブルも椅子も金属製。
音を立てるたび、地下に鈍い反響が残る。
「……全部、硬いね」
「壊れないからな」
それが、彼の基準だった。
シャワールームは立ち浴び専用。
天井まで届く高さの配管がむき出しで、彼の肩幅に合わせて空間が取られている。
人間サイズの設備は、ここには存在しない。
——それでも。
部屋の隅、簡易棚の上に、
ホーローのコップが二つ並んでいた。
色違い。
カトラリーも、必要最低限だけ増えている。
アリシャが、勝手に置いたものだ。
「……増えてる」
ジェイクがぼそりと言う。
「ひとつだと不便でしょ?」
アリシャは当然の顔をして、鳥の燻製を袋から出した。
地下街の市場で、いつもの店。
二人で食べられる量。
それ以外の栄養は、ビタミン剤。
ハイブリッドにとって、それは特別じゃない。
特別なのは、
一緒に食べる、という行為だけだった。
ジェイクの家は、地下街の外れにある。
周囲に住宅はほとんどない。
あっても、
同じような爬虫類系ハイブリッドの住まいばかり。
静かすぎるほど、静かだった。
壁一面には、配管工事の工具が几帳面に並んでいる。
サイズごと、用途ごと、誤差なく。
工具箱も、きっちり閉じられている。
「几帳面だね」
「仕事だからな」
彼は、修理を最後までやる。
誰が見ていなくても。
アリシャは、その背中を見るのが好きだった。
二人きりになると、
彼女は時々、わざと触れる。
通りすがりに、尻尾に指を絡める。
工具を渡すふりをして、手に触れる。
あどけない顔のまま、
一瞬だけ、しなやかな雌の目をする。
ジェイクは、そのたびに動きを止める。
噛まない。
それを、選んでいる。
アリシャは、分かっていた。
彼は安全だ。
力があるからじゃない。
噛まないと決め続けているから。
だから、距離を詰める。
「ねえ、ジェイク」
「……なんだ」
「私さ」
彼女は、金属の椅子に腰掛けたまま、尾を揺らす。
「ここ、嫌いじゃないよ」
静かな巣。
異常で、不器用で、優しい場所。
ジェイクは答えなかった。
代わりに、視線を逸らした。
それでも——
アリシャは見逃さなかった。
彼の尻尾が、ほんの少しだけ、揺れたことを。
静かだ。
地下は、いつも静かだが、
今日は少し違う。
金属が鳴る音が減った。
工具の位置も、変わっていない。
配管の圧も、問題ない。
それでも、空気が違う。
——いるからだ。
小さな猫が、ここに。
彼女は、よく触れる。
意味のない接触だ。
作業の邪魔になる位置に、わざと来る。
合理性はない。
……だが。
俺は噛まない。
噛まないと決めた瞬間、
彼女は、近づく。
それを、拒まない自分がいる。
ブランケットは一枚しかない。
だが、今日は足りている。
ホーローのコップが増えた。
必要ではない。
だが、なくならないよう、位置を覚えた。
危険だ。
彼女は、危険だ。
噛めば終わる世界で、
噛まないという選択を、
毎日更新させる。
——それでも。
この静けさを、壊したくないと思っている。
それが、何なのかは分からない。
ただ、
彼女が眠る音を聞きながら、
今日も配管を直す。
噛まない。
噛まない。口吻の中に潜む闇を、表に出しはしない。
それだけで、
世界は、まだ壊れていない。




