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23.噛めばすべてを壊す鍵

アリシャとジェイクは、長い階段を抜けて地上へと再びやってきた。

地上では、A.P.の傘下の国家維持事業局なるものが、それぞれの業務に応じた適任のハイブリッドに仕事を振り分けている。アリシャの前世では、政府や役所、公務員といったところか。


アリシャは道ゆくハイブリッド達を眺める。

彼らは人間をベースに、その生き物の絶滅を避けるために作られているーーだから、顔はその生き物そのものでも、特性や習性、住処の環境などは人間に近く、様々な環境下でも適応できるようになっている。


マヌルネコハイブリッドがちらりとアリシャを見つめた。もふもふの被毛を持つ体をスーツに包んで、足跡をほとんど立てずに早足でどこかへ向かっている。


(このハイブリッド達は、こうしてこの姿で生まれて、生きてくのが当たり前になってる。それが何か特別なことだなんて、誰も思ってないーー)


アリシャもそう思う。記憶の中の有紗からしたら、違和感だらけだけど、それは過去の話。

今こうしてジェイクの隣を歩いて生きていくのはアリシャなのだから。


「どうした?」


口下手で、不器用なジェイクが、物思いに耽るアリシャをただ心配してくる。

そんな彼の不器用な愛がいじらしくて。

アリシャはぎゅっと彼の硬い腕を抱きしめた。


「なんでもないよ! さぁ、行こう」


向かうはA.P.本社ビル。

二日前にそこで捕らえられ、ジェイクがコーデンの首を噛みちぎった事が、遠く昔のように感じられる。


特に相談するでもなく、二人は堂々と正面玄関から中に入った。

二人を遠巻きに見る警備員達、そしてA.P.の社員達。中にはコーデンが殺された事を知っている者もいるはず。

それでも、ジェイクがどれだけ強いかを知っているからか、捉えに来る気配はない。

それとも、捕まえろという命令が出ていないのだろうか。


アリシャは前世の記憶から、AIと結合した祖父が何処にいるか検討が付いていた。

かつてA.P.が人間の企業で、祖父がそこの研究員だった時。有紗も就職し、そこで望まずとも働いていたから。


アリシャは堂々とエレベーターに乗り込むと、地下五階のボタンを押した。

猿類ハイブリッド用、かつては人間用だったエレベーターは、ジェイクにはかなり狭くて。

大きな上背を丸めて乗り込んだものの、今度はイリエワニの顔貌が長すぎて、アリシャの方を向いてなんとか扉を閉めることができた。


「怖くないか?」


ジェイクの手は爪が長いし、冷たくてゴツゴツしている。それができるだけの優しさを持ってアリシャの肩を抱く。

アリシャは毛でふわふわの自分の手を重ね合わせた。


「怖くない、ジェイクが一緒にいてくれるから」


爬虫類は冷血動物だが、ジェイクは今、胸が熱くなるような感覚に襲われた。この愛くるしい猫ハイブリッドは、どれだけ新しい感情を教えてくれるんだろうか。


エレベーターが到着する。

二人ともゆっくり降りると、薄暗い中、ムンドゥスでは滅多に見ることのないロボットが、そこにいた。


ロボットは二人にお辞儀をした。


「最高責任者より、お二人だけを通すように言われています」


機械音声。人間味など全くない。

あれだけハイブリッドにこだわり、ハイブリッドを作り出してその世界をここまで現実化したAIが、どうしてーー


「どうしてハイブリッドじゃないんだろ」


アリシャは本当に小さな声で呟いた。だが、その音声を拾っていたのは、AIだ。


「ジブンでものを考えない。命令に忠実なモノ。しか、側に置かない」


その機械音声には、有紗だった頃の生き生きとしたトーンは無く、途切れ途切れで、単調なトーンで。

しかし言っていることはまるで人間。


(自分が壊れかけだから、それを悟るような存在は側に置きたくない。それに、言う事を聞くやつしかいらない、ってね。昔のあの傲慢な性格は変わってないわ)


アリシャは確信する。

AIは老朽化し、処理速度も落ち、もう限界が来ている。


ロボット秘書の脇を通り抜け、示された先の部屋に入る。そこは有紗にとってはよく見慣れた場所ーーかつてAIの下で祖父と一緒に働かされた研究室ーーだった。


この部屋にはかつて、絶滅危惧種のDNAが大量に保管されていた。今は、保管されていたDNAは殆ど空になっていて。

絶滅危惧種がハイブリッド化されて、無事に数を増やしているんだろう。


ムンドゥスでは、同種同士の結婚、繁殖が推奨されているから。

人間のDNAと混ぜる事で、繁殖力も強くして、絶滅を免れた。たぶん、そうだろうなとアリシャは推測する。


そして、かつて有紗のイリエワニの血液と髄液が保管されていた冷蔵庫も、空だった。


その奥、初めて異形の祖父を目にした場所。

そこには、目隠しのためのシアーカーテンが天井から下げられていた。ただ巨大な機械や管に繋がれた玉座のようなものの影が見える。


アリシャは胸が締め付けられた。


「もういいでしょ? おじいちゃんは、もう眠りたいって言ってる。あなたは、それでもおじいちゃんと離れたくないから、自分も壊れかけになってしまうのを分かってて、おじいちゃんの体に結合したままにしてきたんでしょ」


そう。三百年もの間、無理やり祖父に自分を組み込んだから、AIは思うように自分をアップグレードできなかったはず。

それでも、AIは祖父から離れなかった。離れる事が最も合理的だと判断できるはずなのに。


AIはずいぶん長い時間、黙っていた。

処理が追いついていないのかもしれない。


「ワタシは、ムンドゥスを管理しなければならない」


機械的な返答。

そこからは壊れかけていても逸脱しないようだ。


「でもね、おじいちゃんはもう寝るって。離ればなれでも、いい?」


子供を諭すように、聞く。

AIは今度はすぐ答えた。


「ゲンゾウは研究に必要不可欠。離れるわけにいかない。離れない。ワタシは、ゲンゾウ、から、はな、れ、ない」


音声にノイズが入る。同時に、サイレンが鳴り響き、部屋が赤いランプ色の点滅に染められる。


サイレンに反応したジェイクが、アリシャを守るように唸る。


「壊せばいいか?」


ジェイクの目線の先は、シアーカーテンの向こう側。

かつて祖父が座らせられていた場所。

いま、機械と管に絡め取られた“存在”がそこにあるだけ。


アリシャはカーテンをゆっくりと開いた。


ハイブリッドを機械化して延命してきた体。

三倍以上のチューブが伸び、接続され、絡みつき、まるで生きた標本のようだった。

祖父だった体はもう、ほとんど残っていない。


アリシャは首を振る。


「これを、壊すんじゃないの、壊しても何重にもバックアップされてる可能性があるから。私たちだけが本体を止められる。おじいちゃんが、隠してくれた」


警報は鳴り続けているが、誰もここには入ってこない。

入れてはいけない、誰も入れてはいけないと命令されたロボットが、その命令を忠実に守っているのだろう。


アリシャは愛おしげにジェイクの顔を撫でる。

そして、鋭く並ぶ牙を指先でなぞる。


「ジェイク、噛む時が来たんだよ」


アリシャはじっとジェイクを見つめる。

ジェイクは戸惑いながら口を開けた。


その奥は闇。

だがその深淵で、小さな光が瞬いている。

アリシャは迷わず手を入れた。


その瞬間。


ジェイクの中で、何かがざわめく。


湿った泥の匂い。

血の味。

獲物の骨が砕ける感触。


巨大な顎門(アギト)を閉じろという生物的反射。


(違う)


彼は必死に止める。


ワニだった頃の記憶の断片が、雷のように脳裏をかすめた。


水面に映る月。

腕まくら。

この手を、

――噛んではいけない。


アリシャの細い手首を、彼は見つめる。

震えているのは、彼女ではなく、自分だと気付く。


AIが叫ぶ。


「ゲンゾウの孫! オマエはまた世界を滅ぼすのか?」


アリシャは答えない。

(世界を破壊したの私じゃない、あなたでしょ)

哀れみと怒り。

ジェイクの口の中にある、小さな突起に指を当てる。


押す。


何も起きない。予想通りで、複雑な気持ちになる。

唇を噛みしめる。


「私が本当に押したかったボタンは、今から押すわ。そしておじいちゃんのことも、休ませてあげるの」


「ダメだ! 許可しない!! やめろ!」


AIの大きな音声を無視して、アリシャはジェイクをじっと見た。


「私を、噛んで」


「なにを……」


「私は大丈夫」


ジェイクの胸が締めつけられる。


「俺にお前を傷つけさせるのか?」


アリシャは微笑む。


「あなたになら噛まれてもいい、いつだって。ずーっと前からそう思ってきたんだから」


イリエワニを育ててきたころ。いつか、指を食いちぎられるかもしれないと思いながらも、毎日ベタベタ触って慣らそうとしてきた。

本当に小さい頃はたくさん噛まれた。

それもまた、自分の選んだ道。愛おしいものと向き合うための大切な傷。

今日、また久しぶりに噛まれる。

それが、祖父の悲願を叶えることにもなるなんて、祖父も粋な計らいをする、と思う。


その言葉で、ジェイクの中の何かが静まる。


捕食ではない。

支配でもない。


これは、選択だ。


彼女が望んでいる。こんな時でさえ、彼女の上目遣いは可愛らしく。

彼は震える顎をゆっくり閉じる。


なるべく、軽く。

優しく。


牙が肌に食い込む。


温かい血が流れ込む。

流れ込む血に反応したのか、

その瞬間。


ボタンが、奥まで沈み込んだ。

AIが震える。


「……完全停止ボタンが押されました」


声が揺れる。自らそう言わなければならないことへの震え。


「ゲンゾウ……」


それは、機械の音ではなかった。

祖父と混ざり合い永遠に一緒に居たかった、知能を持った機械の最後の台詞。

ブゥン、と唸り。

そして。

電源が落ちる。


サイレンの音だけが、研究室に響いている。

消えてみて分かった、AIと祖父の生命を維持させるための装置それぞれがどれだけ大きな唸りを上げていたのかを。


それはもう、完全に消えたのだ。


「もう開けていいよ」


ジェイクは慌てて口を開いた。

血が溢れている。

彼は服を裂き、包帯代わりに巻く。


「痛くないか?」


「全然へいき。ジェイクの歯形が付いたの、ちょぅと嬉しいかも」


笑うが、顔は出血性ショックからか、青白い。


その時、外で大きな衝突音がした。地下にまで聞こえてくる。

怒号。混乱の叫び。

この研究室に入ろうと押しかけている猿類ハイブリッド達の声。


「最高責任者! どうなっているんですか! 早くムンドゥスの全管理の再開を!!」


「ここから先は通せません」


しかし、主人を無くしたロボットはただ命令に従い、誰もここに入れない。


アリシャは祖父を見つめた。

ほとんど機械の祖父。

だが口元は。

確かに、小さく微笑んでいるように見えた。


「笑ってるようだ」


ジェイクが呟く。


「そう見えるなら、嬉しい」


やっと休めるね。

三百年、お疲れ様。


ジェイクはカーテンを剥ぎ取り、祖父にかける。

アリシャはありがとうと呟いた。


「壊れかけのAIと、依存され続けたおじいちゃん。やっと自由になれたんだよ」


そして、私たちも。

アリシャは呟いた。


二人は寄り添い合ってA.P.本社を後にする。

外は混乱。

信号は止まり、煙が上がり、秩序は崩れ始めている。


「ムンドゥスは、秩序のない世界になる」


アリシャが呟く。


社内は大混乱で、猿類ハイブリッド達の怒号、困惑、色々な叫びが交差している。その中をゆっくり歩いて通り抜ける。

もうアリシャとジェイクに目を向けるモノはいなかった。それどころではないから。


A.P.本社の外。地上は太陽が眩しい。信号機の故障や公共機関の緊急停止による事故で、あちこちで煙が上がり、叫び声、泣き声が聞こえて来る。


「これから、きっとムンドゥスは秩序の無い世界になる」


アリシャはそう呟いた。ジェイクはアリシャの肩を抱き、にやりと笑う。


「俺たちの、生き物の世界ってのは、本来そういうもんだろ?」


それは、ジェイクは知らないはずの過去の話。

アリシャは驚いて彼の顔を見上げる。

彼を遠くを見ていた。


(もしかして、ジェイク、あなたも前世の記憶が……?)


怖くて聞けない。ワニだった頃の記憶があるかなんて。


でも、ジェイクの横顔には、この崩壊し始めた世界を楽しむような、微かな笑顔が浮かんでいた。

俺は寡黙だ。

何故かって、喋ることが得意じゃない。


内容を考えるのもだし、

声を発するのも。


当たり前だ、イリエワニの口をしてるんだぞ。

それで流暢に喋れる奴がいたら、

一度お目にかかりたいもんだ。


流暢に喋れないくせに、お喋りは大好きなコビトカイマンハイブリッドとかはいるがな。

それに、妙に鼻につくお上品ぶったシャムワニハイブリッドとか。


……話が逸れた、


俺はただ、アリシャの願いを叶え、

守るために存在してるんだ、と確信してる。


惚れた女だ。

俺の全身から、大切にしろと細胞が叫んでる。

そんな感覚すら感じる。


アリシャの前世がどうのとか、

祖父がどうのとか、


一番どうでもいいのはムンドゥスだ。


確かに、長年地下の排水管は俺が管理してきた。

今回俺の口の中のボタンを押したことで、排水管が壊れたら、忙しくなっちまう。


そしたらアリシャと過ごす時間が減る。

それは嫌だ。


そもそも、

どこのどいつがーーアリシャの祖父らしいがーー、

俺の口の中にボタンなんか作ったんだ。


知らなかったから別に問題は無かったが。

アリシャの血で作動するボタンか。


俺が時々見る夢と、関係してるんだろうな。


だが。


それが前世だとかなんだとか、そんなのは関係ない。


アリシャが選んだ世界。

A.P.の、AIの超合理的完全支配のない世界。


そこで、アリシャを笑顔にして生きていく。

俺は、それをやるだけだ。

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