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14.仄暗い水路で暴れる鰐

水路の奥。

アリシャは閃光弾を食らい、頭から血を流し、しゃがみ込んでいた。

そこを、リスザル・ハイブリッドたちが半円状に囲む。


捕縛銃が一斉に構えられる。


「対象、確保する」


アリシャは壁に手をつき、立とうとする。

だが足がもつれる。

視界が揺れる。


——まずい。


引き金が引かれる、その瞬間。


轟音が響き渡った。

水路の壁が、内側から爆ぜた。

コンクリートが弾け飛び、水が噴き上がる。


ズシン。

足音と共に、

巨大な影が煙の中から踏み出した。


黄金の瞳。


ハイブリッドの中で最も長い口吻を持ち、

そこにずらりと並ぶのは六十を越える鋭い牙。


イリエワニの顔貌を持つ男。


——ジェイク。


捕縛ネットが咄嗟に彼に撃ち込まれる。

高圧電流が走る特殊繊維。

電力で筋弛緩させ、戦意を奪い、ネットで回収し易くするための道具。

通常の筋力では絶対に破れない。


だが。


ビリリ、と音がした。


ジェイクの腕がわずかに膨らむ。

次の瞬間、ネットは裂けていた。

電流が火花を散らし、無力に落ちる。


「な——」


言い終わる前に。


一体目が蹴り飛ばされる。

骨の砕ける音。

水面に叩きつけられ、動かない。


二体目は尾の一撃。

空中で回転し、壁に激突。


三体目は、踏み込み一発の拳。

ぐにゃり、と顔面が陥没する。

血飛沫。


悲鳴。


ジェイクは一歩踏み出す。

ドスン。

水が震える。


「撤収!!」


残り三匹が叫ぶ。

倒れた仲間を抱えて退こうとする。

ジェイクの目が、細くなる。


——許さない。


巨体が跳ぶ。


倒れた隊員を抱えたままの個体の顔面に、拳が叩き込まれる。

歪む骨格。

抱えられていた隊員の身体も巻き添えで吹き飛ぶ。


逃げようと背を向けた一体に向かい、

ジェイクは足元の瓦礫を拾い上げた。

コンクリート片。

腕を振り抜く。


ごんッ。


頭部に直撃。

血が噴き上がり、そのまま崩れ落ちる。


静寂。


水音だけが残る。

ジェイクはゆっくりと息を吐いた。

怒りはまだ燻っている。


だが。


振り返った瞬間。

その瞳が揺れた。


アリシャ。

血で染まった顔。

後頭部から流れる赤。

ぐったりと壁にもたれている。


大きな顎が、わずかに開く。


「あ……」


言葉が出てこない。


「怪我はないか? ……いや、あるよな」


不器用な声。ジェイクは急いで駆け寄り、隣に寄り添うようにしゃがむ。

アリシャは痛みをこらえながら、微笑む。



そして。

迷いなく。


両腕を伸ばし、ぎゅっと抱きついた。

硬い鱗。

分厚い胸板。


それでも。

温かい。

そう感じる。


「もう離れないよ、ジェイク」


その言葉の重さ。

彼にどこまで届いているのかは分からない。


だがアリシャにとっては、それで十分だった。

腕の中にいる。

この大きなイリエワニ男が。


それだけで、世界は満ちる。


ジェイクは彼女を抱き留める。

一瞬だけ、ぎこちなく。


そして視線を上げる。

まだ息のある個体が、震えている。


「傷つけた事の責任は取ってもらう」


捕食者の瞳。

三匹が完全に戦意を失う。


ジェイクが踏み出した瞬間。


彼らは仲間を引きずり、必死に撤退を始めた。

だが。

ジェイクは追わない。


視線を落とす。

腕の中の少女は、青白い。


「待たせたな」


そう言って、軽々と抱き上げる。

水路を大股で進む。


アリシャは力の入らぬ腕で、それでも彼の首に回す。

頬を、鱗にすり寄せる。


「よく……私の場所が分かったね?」


声はかすれている。


「配管工だからな。ここの」


堂々とした返答。

安心させるための、嘘みたいな本音。

アリシャは小さく笑う。


「ふふ……すごいね」


水路の闇の中。

二つの影が遠ざかる。

壁に開いた巨大な穴だけが、残されていた。

水の流れが、わずかに乱れていた。

配管の振動。

地下水路Aブロック、圧の偏り。


異常。


俺は工具を置いた。

鼻を鳴らす。


鉄の匂い。

湿ったコンクリート。


そして。


血。


微かだが、混じっている。

心臓が一度、強く打った。

嫌な予感というやつだ。

足が勝手に動く。


水路の壁越し。

複数の足音。

小型。軽い。群れている。


リスザル型。


捕縛銃の作動音も聞こえる。


——遅い。


嫌な想像が先に浮かぶ。

小さい背中。

クリーム色の柔らかな毛並み。

大きな耳。


あいつは、無茶をする。


壁の向こうで、閃光の残響が弾けた。


俺の中で、何かが切れた。


考えるより先に拳を叩き込んでいた。

コンクリートが砕ける。

水が噴き出す。


粉塵の向こうに、状況が見えた。

囲まれている。

壁にもたれ、血を流している。


アリシャ。


視界が赤く染まる。

捕縛ネットが飛んでくる。


反射で腕を上げる。

電流が走る。

痛みはある。


だが、構わない。

力を込める。


繊維が軋む。

裂ける。


引き千切る。

軽い。

軽すぎる。


一体目を蹴る。

骨の感触。


二体目を尾で払う。

空気が裂ける音。


三体目が拳の下で崩れる。

だが、怒りは収まらない。


俺の視界の端で、血が落ち続けている。

あいつの血だ。


撤退しようとする個体を追う。

逃がす理由がない。


好きな女を傷つけられた。

代償は必要だ。


拳を叩き込む。

骨が歪む。

瓦礫を投げる。

命中。


静かになった。


息を吐く。


ようやく。


振り返る。


アリシャ。


小さい。

こんなに小さかったか。


額が赤い。

血で濡れている。


胸の奥が妙にざわつく。

喉がうまく動かない。


「あ……」


何て言えばいい。


「怪我はないか?」


馬鹿だな。

見れば分かる。


「……あるよな」


言葉が下手だ。

分かっている。

だが他に出てこない。


あいつが笑う。


こんな状況で。

俺に向かって。


そして抱きついてくる。

躊躇なく。

ふんわりとした腕が俺の背に回る。


鱗に頬が触れる。

柔らかい。

温かい。


胸の奥が、ぎゅっと縮む。


「もう離れないよ、ジェイク」


爬虫類ハイブリッドの俺でさえ、

胸が熱くなる言葉だ。


離れるのは嫌、

俺もだ。


言わないが。


俺はあいつを抱き上げる。

軽い。

軽すぎる。


血の匂いが濃い。

急がないといけない。


「待たせたな」


歩き出す。

水を踏み分ける。

首に腕が回る。


弱い力。

それでも、しがみついている。


「よく……私の場所が分かったね?」


当然だ。

俺はこの地下の流れを全部知っている。


だが本当は違う。

匂いだ。

血の匂い。

お前の匂いだ。


それを言うと気持ち悪がられそうなので、やめる。


「配管工だからな。ここの」


それでいい。

あいつが小さく笑う。

その振動が、胸に伝わる。


さっきまで暴れていた鼓動が、少しだけ落ち着いた。


二度と。

二度と苦しめない。


二度と傷つけさせない。


俺は配管工だ。

この地下の流れは全部、俺のものだ。


だから。

ここであいつに手を出す奴は——


全部、俺が壊す。


水路の闇の中を進みながら、

俺は初めて、はっきりと自覚した。


俺はこいつが好きだ。


理由は分からない。


そんなことはどうでもいい。


ただ一つ。

離したくない。


それだけは、確かだった。

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