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第三章:因果の夢遊病

重力も時間も、その本質を失った世界で、人々はまるで夢の中にいるかのような曖昧な日々を送っていた。過去や未来を顧みる意味はなく、ただ瞬間を漂う。しかし、次に現れた法則の溶解は、彼らの存在そのものを揺るがすものだった。


それは、ある日、何のきっかけもなく始まった。


男が、いつも通り通勤しようと玄関のドアノブに手をかけた瞬間、彼は会社のデスクに座っていた。スーツは着ていたが、靴だけが履かれていない。隣の席の同僚は、まるで何もなかったかのように、資料を広げている。男は、「ここに至るまでの過程」が、ごっそり抜け落ちていることに気づいた。


公園で子どもが転んだ。ひざを擦りむき、血が滲む。しかし、次の瞬間、彼は転ぶ前の、無傷な状態で立っていた。そして、また転ぶ。何度も。まるで、「転ぶ」という結果が、「転ぶ前」という原因を無限に引き起こしているかのように。


街中で、見知らぬ二人がすれ違う。しかし、彼らがすれ違った直後、お互いの顔に、殴り合ったような痣が浮かび上がった。そして、二人は理由もなく、突然、殴り合いを始める。結果が、原因を先取りし、そして生み出す。因果関係が、まるで気まぐれな神のように、その順序を弄んでいるのだ。


人々は、もはや自分が何をしたからこうなったのか、何が原因で何が結果なのか、理解不能になった。原因と結果が逆転したり、全く関係のない事象が互いに影響し合ったりする。世界は、巨大な迷路と化した因果の糸で、絡まり合っていた。


料理をしようとすると、完成した料理がまず目の前に現れ、それから材料が台所のカウンターに並ぶ。そして、調理の工程が逆再生される。食卓で食事を終えたはずなのに、いつの間にかエプロンを着て、包丁を握っていた。


誰かの何気ない一言が、数日前の出来事の原因となり、その出来事が、また別の場所で、全く関係のない人物の行動を決定づける。まるで、見えない鎖でつながれたドミノ倒しが、ランダムな方向へと倒れていくようだ。


人々は、もはや「選択」という概念も失いかけていた。何を選んだとしても、その結果が先に現れるか、あるいは全く別の原因を生み出すかもしれない。彼らは、意思を持たない夢遊病者のように、ただ世界の不条理な因果の波に揺られ続けるしかなかった。


しかし、その中で、ある種の諦念からくる安らぎを見出す者もいた。自分の行動がどのような結果を生むか分からないのであれば、そもそも悩む必要などない。原因も結果も、すべては世界の気まぐれに委ねられているのだから。


世界は、もはや人間の理解できる形を保っていなかった。論理も、予測も、計画も、すべてが泡のように消え去る。人々は、混沌という名の繭の中で、ゆっくりと変質していく自己を見つめていた。その先にあるものは、誰も知る由もなかった。

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