第二章:秒針の狂乱
重力が消え失せて数時間が経った頃、人々は半ば諦めにも似た妙な適応力を見せていた。宙に浮く自家用車をロープで固定したり、空中を移動する鳥のように腕を振ってバランスを取ったり。人間の順応性とは、恐ろしいものだ。しかし、次に訪れた変異は、その適応すら許さない、より根源的なものだった。
昼下がり、ビルの谷間に沈むかのような古びた時計台の、巨大な文字盤。いつもは正確に時を刻むはずの秒針が、突然、狂ったように動き出した。チク、タク。チク、タク。それが、タン!タタン!タタタタン!と、まるで高速でリズムを刻むように加速していく。
それは、特定の時計だけの現象ではなかった。
通勤ラッシュを終え、オフィスでPCに向かっていた男のスマートウォッチが、意味不明な数字を乱舞させ始める。午前10時32分が、次の瞬間には午後7時45分になり、そのまた次には、午前2時11分に戻る。デジタル表示の数字が、まるで生き物のように跳ね回る。
人々は困惑した。会議の開始時刻はいつなのか? 締切は? 昼食はもう済んだのか? それともまだなのか? 世界の「時間」という見えない概念が、まるで糸が切れた操り人形のように、勝手気ままに踊り始めたのだ。
街角のカフェでは、淹れたてのコーヒーが、一瞬にして冷水に変わり、次の瞬間には、まだ豆の状態に戻ってしまう。ウェイトレスは、呆然と、その現象を眺めるしかなかった。
公園で、子どもが作った砂のお城が、目の前で砂に戻り、再びお城になり、また砂に戻る。笑い声と困惑の叫びが混じり合う。子どもたちの無邪気な瞳には、「時間の流れ」という確固たる概念が、今まさに溶解しているという、残酷な真実が映し出されていた。
それは、場所によって時間の進み方が違う、というレベルの話ではない。同じ空間で、同じ瞬間に、過去と現在と未来が、同時に、そして無作為に現出する。まるで、世界が、無限のフィルムの断片を、ランダムに再生しているかのように。
人々は、もはや約束という概念を失った。待ち合わせも、会議も、食事の時間も、すべてが意味をなさなくなった。言葉を発しても、その言葉が相手に届く前に、自分の口に戻ってしまうことさえあった。
世界は、まるで巨大なパズルのピースが、勝手にシャッフルされ続けている状態だった。どこに何が収まるのか、誰にも予測できない。
人々は、次第に、時間の概念から解放されていった。生きる目的も、計画も、すべてが曖牲になった。彼らは、ただ、その場に存在することしかできなかった。過去への後悔も、未来への希望も、秒針の狂乱によって、無意味なものへと変質していく。
しかし、その混乱の中で、奇妙な「解放感」を感じる者もいた。時間に縛られていた日々の焦燥感や重圧から解き放たれ、ただ、今、この瞬間、目の前で起こる奇妙な出来事を受け入れる、ある種の境地。
世界は、もはや「法則」という名の重い鎖を、次々と自ら断ち切っていた。次に何が起こるのか、誰も知らない。知る術も、知ろうとする気力も、人々からは失われ始めていた。彼らの意識は、混沌という名の海に、ゆっくりと溶け出してゆく。