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噺家狐、噺家狸

作者: kabaneyami

『狐狸が人を笑わせる』

・などと申しますと、お伽噺や落語の演目の中の話かと思われるでしょうが、江戸の世には、狐狸の噺家などというものも、確かにいたと申しまして。


・江戸の町外れの山の中に、一匹の変わった狐が住んでおりました。 

・『変わった』と申しましても、見かけはごく普通の狐でございます。

・『変わっている』のは、中身の話でございまして、この狐ーー名前を仮に『コン太』と致しますが、この『コン太』、野生動物には珍しく、人の世にとかく関心を持つ狐でして、いつも人間に化けては、木の葉と小石で作った銭を手に、江戸の町に繰り出しておりました。


「おい、コン太、お前、いつも人間の町に入り浸っているが、人間なんか、信用出来るものじゃないぞ。下手したら、鉄砲でズドンだぞ」

・ある日、町を目指す『コン太』を見掛けた山の狐が声を掛けました。

「ああ、山のコン助か。良いんだよ、ほっといてくれ。それより、お前はいつも湿気た顔をしているな。少しは、人間達を見習って、笑い顔を見せやがれってんだ」

・他の狐の忠告に悪態をつきながら、『コン太』は今日もお江戸の町を目指して、山を駆け下りていきました。


・『コン太』には、江戸の町での密かな楽しみがありました。

・それは、落語を見る事でした。

・以前に、冷やかしで落語をやっている演芸場を訪れた際に、人々が笑いの渦に包まれている様子に、心底驚いたのです。

(笑うってのは何なんだ? 皆、気持ち良さそうにしているぞ・・・)

・野生動物の『コン太』には、それまで笑うという感情はありませんでしたから、この人間達の感情は『コン太』にとって、不思議そのものと言えるのでした。


・そもそも、落語という話は、人間の世のくだらない話や滑稽な話、人情話や怖い話など、様々な話で人々を笑わせるものです。

・演芸場で繰り広げられる話の数々は、狐の『コン太』さえも飽きさせる事もない、面白い話で溢れていました。

(人間のドジな話がこんなにあるなんて、思いもしなかった。ああ、俺っちも、人間を笑わせる事が出来たらなぁ)

・『コン太』にとって落語の世界は、次第に憧れの世界になっていきました。


・落語を語る職業の人を噺家と申しますが、その中で、一人前と認められた噺家を『真打』と言い、弟子を育てる事も出来ました。

・その『真打』の中で、本々亭里若師匠は、弟子取らずの噺家として有名でした。

・里若師匠が真打になってから、もう十年になりますが、師匠には一人の弟子もおりませんでした。


・弟子がいないと言っても、里若師匠に人気がない訳ではありません。

・里若師匠の落語会の会場は、いつもお客で溢れていましたし、弟子になりたいという若者が、毎日のように師匠の家に押し掛けていたのです。

・でも、何故か里若師匠は、弟子を取る事をしませんでした。


「里若師匠、師匠の落語を聞いて、感銘を受けました。狐という我が身の上なれど、噺家への憧れは日増しに溢れ、無理を承知で伺いました。どうか、私を弟子にして下さい! 」

・そんな中、里若師匠の家を訪れたのは、人間の姿に化けた『コン太』でした。

「お前さん、見たところ普通の人にしか見えないが、本当に狐なら尻尾を出してごらんなさい」

・里若師匠の言葉に、『コン太』は「はい」と応えて、土下座の尻からふさふさの尻尾をポンと出しました。


「ふむ、確かに狐の尻尾に見えなくないが、作り物かもしれん。お前さん、人間の女に化けられるかな? 」

・里若師匠が疑い深くそう言いますと、負けじと『コン太』も花魁姿に変わります。

「これは見事な花魁姿だが、いやいや、目の錯覚かもしれん。人間以外、元の狐の姿にでも戻ったなら、信じよう」

・里若師匠がそう言うと、『コン太』は元の狐の姿に戻りました。


「いや、いや、これは見事、見事。疑って悪かった。狐の弟子を持つのも、悪くない。お前を弟子にしてあげよう」

「本当ですか? 有難うございます」

・里若師匠の言葉に、狐の『コン太』は、人間の姿に再び化けて喜びました。

「ところで、化かしついでに、狸には化けられるかな? 」

・里若師匠がそう聞くと、『コン太』は困った顔で首を振り、「それだけは出来ません。勘弁してください」と土下座をし直しました。


「何故、出来んのだ? 」

・不思議に思った里若師匠に、『コン太』は「昔から、狐と狸は敵同士。共にいがみ合っております。なので、狐が狸に化けるなど、滅相もございません」と言ったのです。

「お前さん、狸が嫌いかい? 」

・里若師匠の言葉に、『コン太』は「はい」と即答しました。


「どんな所が嫌いだい? 」

・里若師匠は、何故かニヤニヤ笑いながら聞き続けます。

「はい、狸の奴はとても腹黒くて、いつも狐より優位にたとうとして、何かを企んでいるのです」

・『コン太』は顔をしかめながら、答えます。


「お前は、狸に負けるのが嫌いかい? 」

・里若師匠は、またもニヤニヤしながら聞き返します。

「はい、狐族の誇りを持つものとして、負けるわけにはいきません」

・『コン太』は憮然として答えますが、それに被せるように、「例えば、お前さんが弟子入りした師匠が、仮に狸だったなら、お前さんは耐えられないか? 」と里若師匠は申します。


「そりゃあ、もう、そんな事にでもなったなら、恥ずかしくて一生巣穴からでられません」と、狐の『コン太』は苦いものでも飲み込んだような苦しい顔で答えます。

「そうか・・・。ならば、お前には、噺家の修行は耐えられんだろうな。この私に弟子入りするのだから・・・」

・狐の『コン太』が顔を上げると、そこには、狸姿の里若師匠が立っていたのでした。


「おーい、『コン太』、どうしちまったんだよ。あれだけ人の世に入り浸ってたお前が、山の巣穴に隠りきりなんてよ」

・狐の『コン助』は、『コン太』のために仕留めた鴨を手土産に、『コン太』の巣穴を訪れました。


・あの日以来、『コン太』は江戸の町に行くのを止めました。陽気な減らず口も影を潜め、巣穴に篭りきりになりました。

「なあ、お江戸の町で一体何があったんだ? 」

・仲間の『コン助』がいくら聞いても、『コン太』はぶつぶつと「狸に負けた、狸に負けた、狸に負けた。もう人の世は、コリゴリだ、コリゴリだ、狐狸狐狸だ」と言うばかりなのでした。

       《終わり、じゃなく続く》


「ごめんよ、『コン太』の巣穴は此処かい? 」

・穴の外から声がしたので、『コン助』が代わりに見に行くと、そこには一匹の狸がおりました。

「なんでぇ、腹黒の狸じゃねぇか。何を企んできやがった? 」

・狐の『コン助』が気色ばむと、狸は「良かったら、『コン太』と二人で話をさせてくれないか。『里若が来た』と言えば、分かると思う」

・狸の言葉に、『コン助』はまだ気を許す事はしませんでしたが、とりあえず、狸の言葉を『コン太』に伝えました。


「里若師匠、惨めな狐を笑いに来たんですか? 」

・巣穴の入り口に出て来た『コン太』は、力ない声でそう言いました。

「お前さんと酒でも飲みながら、話をしたいと思ってね。お前さんがまだ、噺家に未練があるんだったら、江戸の町にある私の家に来ると良い。待っているよ」

・年老いた狸はそう言うと、里若師匠の姿に変化して、お江戸の町の方角へと消えていきました。


・狐の『コン太』が、里若師匠の家を訪れたのは、三日後の事でした。

・三日の間、『コン太』はうつうつとした気持ちで悩み続けましたが、このままでは終われないという気持ちが強くなり、里若師匠の家に行く決心をしたのでした。


・里若師匠の家は、狸の巣穴に比べれば、当たり前ですが、とても立派なものでした。

・庭木は全て整えられ、家の縁側前には大きな池もあって、狐狸の目から見れば、まるまると太った美味そうな鯉が、何匹も泳いでいました。

(弟子入りを志願しに来た時は、希望に満ちていた。でも、今は・・・)

・狐の『コン太』は、失意の内に、本々亭里若師匠の家の玄関の前に立ったのでした。


「この間は、悪かったな。まさか、狐が弟子入りに来るとは思ってもみなかったんで、からかっちまった」

・広い座敷に人間の姿で向かい合いながら、二匹は酒を飲んでおりました。

・一方的に喋るのは、里若師匠の方で、狐の『コン太』は黙ったままでした。

「静かに飲むのも味気ない。余興に一席聞いて貰おうか」

・里若師匠はそう言うと、正座をし直しました。


      『噺家狸』

・え~、人間に化けては人をだます事が得意な狸といえど、なかには、人間の仕掛けた罠にあっさりと引っ掛かってしまう、ドジな狸というのも、珍しくないようでして・・・。


「何だ、この足に絡み付いている固いヒモのようなものは? 動けば動くほど、足に食い込んで・・・。駄目だ、噛み切れないや・・・」


・江戸の外れの山の中、町のざわめきなど知らぬ小さな村に、その狸は生まれました。

・ある日、山の中を歩いていた狸の足に絡み付いたのは、村の猟師が猪を獲るために仕掛けた、針金罠でした。

・この罠は、外し方が分からなければ外す事が出来ない代物でして、掛かった獲物が弱るまでほっといて捕らえるという罠でした。


(あ~あ、俺はなんて運が悪いんだ。こんな罠に掛かって、死んでしまうかもしれないなんて・・・)

・狸は運のなさに力を落としました。

「たまたま狸の姿をしていたから、こんな罠に掛かるんだ。いつものように人間でいれば、良かったんだ。なんで、狸の姿なんかで歩いたんだろう・・・」

・などと、まるで自分が人間様のような物言いで、狸は天を仰ぐしかない自身の不幸を嘆きました。


・ところがです! 天は狸を見捨ててはいなかった!

・たまたまそこを通り掛かったのは、筍採りに来た一人のおじいさん。哀れな罠に掛かった狸を見つけると、パ、パ、パッと罠をほどいてやり、「山へお帰り。今度は罠に掛かるなよ」と優しい声を掛けてくださる。

・狸は、(このご恩は、一生忘れませぬ)と思いながら、山の奥へと消えたのでした。


・さて、狸を助けた、このおじいさん。山の中に一人住みながら、山で採れる山菜や筍、茸などを江戸の町へ売り歩く仕事をしておりました。

・おじいさんの唯一の楽しみーーそれは、落語を聞く事でした。

・週に一回、商売終わりに寄る江戸の町の演芸場で聞く落語が、おじいさんのたった一つの息抜きです。おじいさんは、落語があまりに好きすぎて、落語を諳じれる程に夢中になっておりました。


・そんな折、助けられたご恩を返すべく、人間の男の子に化けたつもりの狸が、おじいさんの元を訪れました。

「おじいさん、仕事を手伝わせておくれよ」

・狸が化けたつもりの男の子はそう言いますが、此処は人里離れた山の中です。幼い男の子が一人でこれる所じゃありません。

案の定、おじいさんはいぶかし気に両腕を組んで狸を見ています。

「おじいさんは山で働いているんでしょう? おいら、山歩きは得意なんだ。きっと役に立つよ」


・と、突然、おじいさんは、お腹を抱えて笑いだしてしまいました。そして、ひとしきり笑うと、こう言いました。

「お前は、この間罠に掛かっていた狸だべ。山歩きだらば、お前より俺の方が達者だよ」

(何故ばれたんだ?)

・狸がそう思っていると、おじいさんは「なんでばれたんだって思っているべ。大方人間の子供にでも化けたつもりだべ。いいから、手、腹、足を見てみろ」


・おじいさんの言う通り、狸が自分の体を確認すると、化けたはずの人間の体は見当たらず、狸の体だけが見えました。

「そそっかしい狸だべ。俺に会いに来る前に、人間に化けたかどうか、ちゃんと確認しねぇとな」

・おじいさんはそう言って、カカカと笑います。狸も、恥ずかしさのあまりに、どうして良いか分からずに、とりあえず、人間の男の子の姿に化けました。

「でも、この間のお礼に、仕事を手伝いたいとは、なんとも義理堅い狸だ。こっちさ、来い。覚えたての落語を聞かせてやっから」

・これが、狸が落語を知る、初めての機会となったのでした。


・それから、人間の男の子に化けた狸はおじいさんに連れられて、江戸の町に落語を聞きに行くようになりました。

・狸は、落語をいたく気に入った様子で、一度聞いた落語を諳じれるほどに、夢中になっていきましたが、そんな楽しい日々は長くは続きませんでした。おじいさんが、病の床に伏してしまったのです。

「狸や、お前は落語の覚えも早い。きっと良い噺家になれるっぺ。俺は、噺家になった、お前の落語を聞く事は出来なくなりそうだけんど、お前が、立派な噺家になれたなら、俺の墓に落語を聞かせに来てけろな・・・」

・それが、おじいさんの遺言でした。


・おじいさんが亡くなった後、山に別れを告げた狸は、人間の姿で江戸の町に現れました。

・目指すは、噺家の大御所『腹黒亭六うん』師匠の屋敷です。そこで、狸は自分が狸である事を六うん師匠に話し、弟子入りを願い出るつもりでした。

(人間の噺家が狸を弟子に取る。こんな事が起こるかどうか、運否天賦だ! )

・狐七化け、狸は八化け。狸が噺家に化けるか否か、此処が狸の大勝負でございます。


「一席お付き合い頂いて、有難うございました。勝負の結果は、ご覧の通りだよ。

・私はね、おじいさんの命日の日には、必ず墓の前で一席聞かせてあげるんだ。それが私の、噺家にならせてもらった恩返しなんだよ」

・里若師匠はそう言うと、手酌で注いだ酒をぐいっと飲み干しました。

「畜生の気持ちは、畜生にしか分からない。

・このままだったら、お前さんは負けだ。どうだい、私について落語を極め、真打を目指してみないか? 

・どちらが勝つか、勝負は私と同じ土俵に立ってから。お前さんが、真打になってからといこうじゃないか」


・里若師匠の言葉を聞いて、『コン太』は何故か泣けてきました。後から後から、涙が溢れて仕方がありませんでした。

・そしてひとしきり泣いた後、『コン太』は正座をし直して、こう言いました。

「里若師匠、改めて弟子入りさせて下さい。そして、俺っちが『真打』になった暁には、勝負させていただきます。噺家狐と噺家狸、どっちが天下を取ったのかを・・・」

・土下座から顔を上げた『コン太』の表情は、晴れ渡った青空のような、すっきりとしたものでした。

「自信はあるのかい? 」

・里若師匠が意地悪そうに聞きますと、『コン太』は胸を叩いて答えます。

「当たり前でさぁ。他抜き(狸)の弟子だけに、あっという間に『真打』になるでしょう」    《お後がよろしいようで》 

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